正岡子規と「坂の上の雲」の感想文

寺本匡俊 1960年生 東京在住

日進  (第26回)

 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも  阿倍仲麻呂

 今回は格調高く始めてみました。この和歌は百人一首の中で私が一番好きな一首です。ただし正直なところ、純粋に文学作品として好きなのではなく、作者の人生がドラマチックだからだ。前回触れた遣唐使として大陸に渡り、この歌を詠んでその地で人生を終えた。

 何年か前に春日神社や三笠山を友人の車で案内してもらったことを思い出す。彼は文学部の准教授なので、念のため「あの三笠山か?」と確認したところ、そのとおりであった。仲麻呂の和歌はもちろん百人一首が初出ではなく、古今集に収録されている。


 子規が「再び歌よみに与うる書」において、「貫之は下手な歌よみにして古今集はくだらぬ集にこれあり候。」と満天下に吠えた、あの古今集である。この歌に出てくる望郷の風景、三笠と春日という地名が軍艦に付けられたことを知ったら子規はどう思ったことか。

 日露戦争当時の軍艦名について、戦艦や駆逐艦には三笠や吉野などの古式ゆかしい土地の名が付いている。しきたりがあったようで、駆逐艦には春雨や朝霧といった気象用語が、また、水雷艇には千鳥や雉といった鳥類の名が用いられている。雉(きじ)は三笠の周辺をうろうろしていたため、秋山真之を載せてネボガトフを連行する羽目になった。


 ところが日進は例外であるらしい。どこから持ってきた名前なのか調べてみたが良く分からない。ただし、幕末維新のころ薩摩藩が「春日」、薩長土肥の「肥」である肥前佐賀藩が「日進」という船を持っていたようなので、官軍由来の名前なのかもしれない。

 ちなみに島津の春日は今年、私は旅した岩手県宮古周辺で、幕軍の艦隊と戦っている。若き日の東郷平八郎も乗船しており、相手の船には土方歳三らが乗っていた。「坂の上の雲」には秋山好古を評して「最後のサムライ」という言葉が何度も出てくる。風格や人柄の比喩として私も異論はないけれども、本物の武士としての実戦経験があるのは東郷の世代が最後だ。

 大きな戦争の指導者にとって、実戦経験は不可欠とまでは言えないだろうが、極めて重要な資質であることは間違いあるまい。この点でロジェストウェンスキーやクロパトキンの人選は、結果論そのものだが致命的だった。


 私の記憶する限り、つらい戦艦の「日進」と「春日」の名が、「坂の上の雲」に初登場するのは文庫本第三巻の「マカロフ」の章、すなわちロシアが有能な提督を喪い、日本が大切な軍艦を失った旅順沖の海戦時である。日付まで出ている。マカロフ中将が戦死した1904年3月31日の「一昨日あらたにこの艦隊に加わった」というから中途採用でぎりぎり間に合ったのだ。

 この2か月後、戦艦二隻が沈没したため、「日進」と「春日」は臨時の戦艦扱いになり、対馬沖では辛いことになった。「日進」の参謀は、前々回で話題にしたように、森山中佐とバルチック艦隊の進軍経路で飯を賭けた松井健吉中佐であった。日本海海戦でブリッジに立ち続けたのは統合や真之だけではない。松井もそうした。

 
 開戦三十分後から、「日進」は立て続けに被弾した。十二インチ砲弾が前部主砲塔に命中し、断片が飛び散って松井健吉中佐の「胴から下を奪って即死させた」とある。九インチ砲弾も司令塔に飛び込んだ。婿入り前で高野という名字だった少尉候補生の山本五十六は、「日進」内の爆発で指二本を失っている。

 さらに六インチ砲壇も飛んできて「大檣」(だいきょう、マストです)に着弾し、この柱に自らの身体を縛り付け、元気のいい声で艦内に向けて戦況報告をしていた中島文弥三等兵曹を絶命させた。


 アルゼンチンから「春日」とともに購入され、鈴木貫太郎らがイタリアの造船所から日本まで回航するまでの間、地中海で散々、邪魔をしてきたのがロシア艦隊の「オスラービア」だったらしい。「オスラービア」は別艦隊の旗艦として、地中海からスエズ運河を抜けて対馬沖まで来た。艦隊司令の不手際で団子のような陣形になった。

 このため日本側はその場で役割分担をし、主に三笠以下の戦艦が第二艦隊の旗艦「スワロフ」を砲撃し、「日進」や「春日」などの巡洋艦が「オスラビア」を集中攻撃した。意趣返しのような対決になり、「オスラービア」は日本海海戦の沈没船第一号となって果てた。

 
 初日の大海戦が終わったとき、「浪速」の森山参謀長は飯をおごる約束を果たすべく、信号機を私的利用して「松井参謀ハ健在ナリヤ」と問うた。「日進」は「戦死セリ」という辛い返事を出さざるを得なかった。

 松井は弓の達人だったそうで、バルチック艦隊を待つ間、「日進」の上甲板でしきりに弓の稽古をしていたという。後年の森山は「一番偉い参謀が戦死して、私たちわからずやが生き残っただけだ」と語った。敵軍との遭遇場所の推定においては、確かに秋山より松井のほうが偉かった。




(この稿おわり)





甚大な津波の被害が出た宮古
(2014年5月11日撮影)




































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