うぐいすリボン主催5.11児童ポルノ規制に関する論点解説 (名古屋)

http://www.jfsribbon.org/2013/05/blog-post_4945.html)名古屋で行われたイベントのリンク(当日配布されたレジュメあり)
http://www.dpj.or.jp/news/files/080611shinkyu.pdf)新旧対照条文表(自民党HPより)
http://taroyamada.jp/wp-content/uploads/2013/04/jipo.pdf)附則を含む改正案の内容(高市早苗議員提出資料、みん党山田太郎議員ブログ(http://taroyamada.jp/?p=2014)より拝借)


5/11に、特定非営利活動法人うぐいすリボン(http://www.jfsribbon.org/)主催で行われた「児ポ法改正審議直前:緊急集会」の大屋先生の講演のまとめです。上記リンクのレジュメと併せてどうぞ。講演の内容そのものではなく、筆者による解釈・補足等を含みます。内容についての責任は筆者に属します。

※法律用語等については、一応簡単な説明を加える等の配慮をしたつもりですが、分からないところ等ありましたら、コメント等で指摘をいただければ可能な範囲で対応するかもしれません。

長いので目次を付けておきます。

第一に、「何が変わるのか」
第二に、「立法上の論点」
第三に、「規制そのものの是非」(憲法レベルの理論/法哲学的視点)
第四に、「児童ポルノ規制をどう捉えるか」


本論に入る前に、「定義」のまとめ。
「法」とは児ポ法(「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」:現行法)を指し、「案」とは改正案を指す。
「児童」:18歳未満(法2項1項)
「児童買春」:児童本人・保護者・周旋者に対する対償の供与+「性交等」(法2条2項)
「性交等」:性交・性交類似行為・性的好奇心を満たす目的での性器接触(同項)
児童ポルノ」:写真・電磁的記録により児童の姿態を視覚に向け描写(児童の性交・性交類似行為、児童との性器接触で、性欲を興奮させ又は刺激するもの、衣服の全部又は一部を付けない状態で、性欲を興奮させ又は刺激するもの)(法2条3項)


第一 「何が変わるのか」
1.今回改正の中心
(1)単純所持の違法化(案6条の2)
 今回の改正案では、みだりに児童ポルノを所持し、又は(データを)保管してはならない(罰則は無し)とする規定が新設される。「みだりに」とは、社会通念上相当な理由があると認められない場合をいい、「正当な事由なく」とほぼ同じ(金子宏ほか編『法律学小辞典』4補版 有斐閣2008)意味である。具体的には、研究目的等の所持について違法性が阻却される(持ってても違法じゃない、という意味)というような効果である。

(2)自己使用目的所持の犯罪化(案7条1項)
 「自己の性的好奇心を満たす目的」かつ「児童ポルノを所持・保管」した者は、一年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する、との規定が新設される。刑事法の原則として、故意犯のみが処罰される。つまり、持っている本なり画像なりが「児童ポルノ」に該当することを知っていた場合のみが処罰対象(知っていたことを検察が証明しなければならない)である。児童買春周旋罪(法5条)・同勧誘罪(法6条)、児童ポルノ製造罪(法7条2項)の場合には、「知らなかった」場合であっても処罰され、「過失なく知らなかった」場合のみ免責される(9条)が、7条1項には9条の適用がないため、知っていた場合のみ処罰される。
 注意点として、単純所持に対する罰則は、現時点での案ではない。単純所持は違法であるが犯罪ではない(今のところ)。また7条1項の自己使用目的所持処罰については、施行の日から一年間は適用しないことが附則1条に定められている。この一年間の間に破棄しろという趣旨ではないかと考えられる。

2.伏線?
(1)インターネットの利用にかかる事業者の努力規定(案14条の2)
 電気通信役務の提供事業者に対し、捜査機関への協力、情報送信防止措置(いわゆるブロッキングのことか)の努力義務を定める。対象事業者は、ISPレンタル鯖、携帯キャリア、CATV等の事業者。「努力義務」とは、「行為義務(法律上の義務であって、強制することができ、履行しないことに何らかのペナルティが伴う)」ではなく、罰則もない(今のところ)。行為義務に引き上げられる可能性が指摘されている。

(2)漫画等との関連性に関する調査研究・技術開発・「必要な措置」(案附則2条1項・2項)
 附則2条1項は、漫画・アニメ・CG・外見上児童のような非児童のポルノ等(これを総称して「児童ポルノに類する漫画等」)と、児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進することを定める。また、インターネットを利用した児童ポルノ閲覧制限に関する技術開発の促進について十分な配慮をするとしている。
 2項は、ブロッキング技術等の開発促進を定める。
 また、案の検討事項として、上記2点の研究及び技術開発の状況等を勘案して、施行後3年をめどに、「結果に基づいて必要な措置をとる」とされている。(この部分も、検討の結果として附則に書き込まれることが見込まれる。)

3.「適用上の注意規定」について
 法3条の「国民の権利を不当に侵害しないように留意」から、案3条では、「留意し、児童に対する性的搾取及び性的虐待から児童を保護しその権利を擁護するとの本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない」との注意規定の強化が行われている。
 この注意規定の内容変更については、その効果は「御守り程度」のものである。条文解釈(例えば具体的に7条1項に基づいて処罰する場合)においては、「その条文の趣旨」が解釈されるのであって、「その法律の趣旨」や「その法律の適用に関する注意規定」は、直接に裁判規範(裁判所が判断に用いるルール)になるものではない。ゆえに、美辞麗句が並んでいても、その効果の程は御守り程度と考えなくてはならない。

第二 「立法上の論点」
1.単純所持規制の問題とは
 案では、単純規制は犯罪ではなく、自己使用目的所持が犯罪化される。故意・既遂の処罰であり、本来それほど問題にならないはずであるが、実際に適用しようとする場合には、その区別の問題を生じる。
 警察は、単純所持について捜査できないが、自己使用目的所持についてはできるということになる。児童ポルノに該当する物を持っていたとして、客観的に確認できる事実(客観的要件)については単純所持・目的所持どちらも同様にあるのであり、自己使用の目的という主観的要件の違いだけである。本来、主観的要件を満たす場合のみが刑事手続である捜査の対象となるのだが、単純所持の外形があるときにどうなるかという問題がある。
 この主観的要件について、児童ポルノの定義「性欲を興奮させ又は刺激するもの」から、児童ポルノであることが認定される場合、性欲を興奮させ又は刺激するものであることは明らかなのであるから、所持の外形があるだけで「自己使用目的」が存在することが事実上推定されることになるのではないか。本来は、自己使用目的があったことを検察が立証しなければならないが、この事実上の推定により、実際には立証責任(立証できなかった側が不利益を負います、という意味。「責任」というのは訳語のミスである。)が転換されて「自己使用目的がないこと」の立証を被疑者・被告人の側でしなければならないことになるのではないか。(推定が働くとなれば、単純所持の外形があるだけで「犯罪があると思料(刑訴189条2項)」され、捜査の対象になることも考えられる。)

 ◆なお、警察は、一般には自己使用目的所持の犯罪化を喜ぶものではないと考えられる。自己使用目的所持が犯罪となれば、通報・告訴等がされた場合には何かしなきゃいかんということになる。条文が増えても警察の人員が増えるわけでもないので、リソースを食われるのを嫌がる。警察も暇じゃない。また、犯罪の認知件数が増えることにより、検挙率が下がることについても警察は喜ばないであろう。唯一これを有難がる者があるとしたら、いわゆる公安警察くらいのものである。

2.インターネットの利用にかかる事業者の努力規定の意味
 案14条の2の努力義務は、「一体何をさせるつもりなのか」が明らかでない。同条の立法の理由として、児童ポルノがインターネット上で拡散した場合、それをネット上から削除する等により児童の権利を回復することが困難であることがあげられている。ではこの目的のために、児童ポルノを通信しているものを探しだして接続を遮断する等の行為を事業者に行わせることが可能かというと、実はそう簡単な話ではない。
 電気通信役務の提供事業者は、電気通信事業法の制限を受ける。通信の検閲の禁止(3条)、通信の秘密の侵害の禁止(4条)との関係が問題になる(なお未遂を含む罰則が179条にある)。先例として、P2Pファイル交換ソフトが問題になったときに、ある通信事業者が、P2Pでファイル交換を行なっているユーザーを、そのトラフィックの内容から判別し、通信を遮断しようとしたことがあるが、所管庁がこれを許さなかった、という例がある。犯罪事実に係る通信であっても、その秘密の侵害は許さないと行政解釈もしているのである。それでは、児童ポルノが通信されていると思しき場合にその通信を遮断するために通信の内容を調べる、という行為が許されるかといえば、これが許されるとは考えられない。つまり、 捜査機関への協力、情報送信防止措置の努力義務を定めてみたところで、「通信」の不可侵から、実質的にはサーバー上のファイルについての情報提供とか、サーバからのファイル削除くらいしかできないことになるのではないか。(実効性の薄いこんな規定をなぜわざわざ置いたか、という疑問もあると思われる。)
 それでは、サーバ上のファイルを、提供事業者がチェックなどするかというと、サーバにどれだけのファイルが存在するのか(そしてどれだけリアルタイムで変動するのか)を考えれば、これまた現実的ではない(チェックする利益もないような気がする。)。かつて、サーバ上のデータからポルノを検出しようと画像ファイルの肌色の割合によるフィルターというのを考えた人がいたが、フィルターは大量の力士画像を検出した、という笑い話(会場が沸く)。実際には、特定された児童ポルノにつき、ファイル削除する等がせいぜいなのではないか。
 (2013.5.23新着ニュースより追記)内閣官房情報セキュリティセンター発表の「サイバーセキュリティ戦略」(http://www.nisc.go.jp/conference/seisaku/index.html)によると、「サイバー空間の衛生」「サイバー空間の犯罪対策」を目的として、情報セキュリティを目的とした通信解析、事業者に対するログ保存義務+その捜査利用について検討する、とされている。国家による通信の秘密の侵害の禁止を実質的に空文化するものであるという独立の問題とともに、事業者の通信の秘密の侵害の禁止を立法により緩めることが想定されているものであり、本件の児ポ法の改正案との関係でも注意を要するものであると思われる。

3.漫画等との関連性に関する調査研究
 改正内容(附則2条)のところで示した通り、関連性に関する調査研究の対象は、「漫画」「アニメ」「CG」「児童ではないが児童に見える者の写真等(これにつき、以下「表見児童ポルノ」と表記。この定義は大屋教授独自のもの)」である。これらと、児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進することとしている。
(1)まず、この条文の必要性は怪しい。
 行政の活動については、法律による行政の原則の内容である「法律の留保」の解釈として、通説的には侵害留保説(国民の権利制約・義務賦課を行う場合には法律の根拠がなければこれを行えないとする説)がとられている。(最近の例として、法律にない医薬品のネット販売規制を省令で創出したことが法律の根拠なく行われたと評価されて無効とされた医薬品ネット販売規制事件:最二小判平25・1・11)
 行政が調査研究等の活動を行う場合には、国民の権利制約又は義務賦課になるものではないため、法律の根拠は不要であり、立法がされなくてもいつでも可能である。附則2条の調査も、法律に書かなくてもいつでも行えるものであり、置く必要がない。※あえて好意的な解釈を行うとすれば、この調査研究を行うであろう機関と政治家の間の関係が考えられる。この調査研究をこなうのはおそらくは警察庁である。警察庁国家公安委員会の下におかれる機関であり、通常の省庁とはその性質が異なる。警察は政治からの独立性の維持が必要であるため、通常の省庁のように、政治家が何か言ったからといってその通り仕事に取り掛かるわけではない。ゆえに、「命令通りに動かしにくい機関を動かすために」附則としてではあるが条文に書いたのではないか。
(2)また、この条文について、児ポ法の立法趣旨と明らかにズレたものであることが指摘される。
 立法の趣旨(法1条)は、(ア)「児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性」(イ)「児童の権利擁護に関する国際的動向」(ウ)「これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護」を立法趣旨としてあげている。このうち(ア)(ウ)は明らかに権利主体たる児童:現実の青少年を客体として想定したものである。(イ)は、児童買春・児童ポルノに関する行為等の処罰の根拠としてあげられている(児童の権利条約19条1項で立法が要求されていること、とかが想定されている?)。
 いずれにしても、現実の児童の被害を想定したものであり、「漫画」「アニメ」「CG」(いずれも対象児童の不存在)に対する行政の行為が規定されているのは立法の目的から明らかにズレたものであり、筋が悪いと思われる。また、「表見児童ポルノ」についても同様に児童は不存在なのであり、立法の目的には合致しない。
(3)この附則の目的は?
 附則の目的は、3年後の「必要な措置」が本命なのではないか。フィルタリング技術の導入強制しかり、非実在との関連性に関する調査研究に基づく創作物規制しかり。また、調査研究の対象に表見児童ポルノが含まれていることは、表見児童ポルノが定義の通り実在するヒトのポルノとしては成功した存在であることから、関連がある方向の結果を導きやすくするための設定になっているのではないかとみることもできる。(創作物のみと実際の児童に対する搾取・虐待の関連については、これを根拠付けるのが困難であるとみて、表見児童ポルノを入れ込み、そしてこれを総称して「児童ポルノに類する漫画等」と呼ぶことにしたのではないかということも考えられるであろう。)

第三 「規制そのものの是非」
1.表現の自由との抵触
 ポルノといえども表現の自由の範疇に入るものであるため、その表現に対する制限は、対向する人権との衡量によってその可否が決定される。例えば、(典型的な児童ポルノのように)児童の性的自由を害することによってなされる表現を制限する、ということは認められる。一方で、通常(成人を想定してもらって)AV出演者が行うように、その性的自由を処分(要するにカネに変える)ということも一応認められているのであり、表現の制約が許される範囲がどこまでかを考えなければならない。
(1)「擬似」児童ポルノに対する制約:
 実際の児童を用いて、性交の描写、性器の露骨な表現等はないが、性的イメージを想起させるようななんかを撮影した映像等がこれにあたる。(性器や大人の玩具をくわえさせていたらアウトだが、バナナではいかんのか?みたいなモノとか。心交社あたりが有名か。)
 これについては、対象が実在であり、映像等の制作にあたり本人の同意が有効に存在するかという問題になる。児童は、その判断力の不十分さ等から、性的自由の処分の自由が認められないのであり、例え同意の外形があったとしても、それは有効な同意として認められない。同意なく性的自由を害して制作されたものであるから、これを規制することができる。
(2)表見児童ポルノに対する制約:
 児童ではないが、服装や髪型等を調整すれば児童のように見せれなくもないような、外見上子供っぽい出演者を選び、あたかも児童が行なっているかのように見せるものであって、児童の定義年齢を除いては児童ポルノに該当する外形を持つものがこれにあたる。(普通のAVを出しているところが出してるものが多いと思われますね。)
 対象は実在するが、(たとえ体型が子供っぽくて童顔であっても)権利能力(自己の権利の処分を行う資格)ある非児童である。この場合、本人の同意のもとにその性的自由を処分することは通常のAV出演以上のものではないのであり、これは表現の自由として認めなければならないのではないか。(裏返せば、非児童であるAV出演者に対して「お前は外見が子供っぽいから性的自由の処分は認めない」と国家が命じることができるかという話でもあると思われます。)
(3)漫画・アニメ等の創作物に対する制約:
 対象が実在しない。
 この場合、制約原理に要求される「対向する人権」が想定しえず、およそ筋違いな話である。

※なお、第二であげた「調査研究」の対象は、ここでいう(2)(3)である。

2.国家による規制の限界
 国家が個人の行動を規制することができる範囲は、どの範囲と画されるべきか。ある行為が他者に対して与える影響を「 現実的危害 ― 現実的不快 ― 想像上の不快 」ととりあえずおいて、国家が介入してよい範囲を考える。
(1)他者危害原理(J.S.ミル)による定義
 「他者に危害を与えるもの」のみを規制することが許される。想像上の不快・自己危害についてはこれを規制する理由はないとする。中間にある「現実的な不快」についてはこれを明確にしていないといわれる。
(2)不快原理(ファインバーグ)による定義
 他者に深刻な不快を与えるものを規制することが許される。ミルの他者危害原理のいう「危害」の意義を具体的にしたかったものである。(例えば露出狂のようなものについて、ミルの言う「危害」があるとはいえないかもしれないが、見せられる側は「深刻な不快」を与えられているといえるであろう。)この不快原理による規制が許される範囲は、上記3分類のうち「現実的な危害」「現実的な不快」までであり、「単に不愉快」という理由で規制を行うことには問題があるのではないか。
 最後に残った想像上の不快とは何かというと、例えば同性愛排斥を訴える人の言う「この社会のどこかに、同性同士で性的行為を行う者が存在すると考えるだけで不快である」というようなものである。この考えに基づいて国家が介入して規制を行うことは許されないと考えられている。

3.「ポルノグラフィ」に対する問題意識
(1)リベラリズムの視点から
 近代社会の思想的原則であるリベラリズムの視点からは、ポルノグラフィの問題とは、対象(他者の性欲の対象となる「人」)の問題と、受容者(見る・見せられる人)の問題の2段階に分けて考えられなければならないものである。
(a)対象の問題:
ある人が、表現の対象(被写体等)として、他者の欲望の対象となることに対する同意の問題である。同意が真摯なものであれば、これを規制の対象とすることはできない。ここで問題になるのは、同意をする能力・資格の問題である。児童については、精神的に未発達であるという理由から、この種の同意をするために必要な判断力を有しないと考えられているため、同意能力がないとされている。また、精神に障害がある場合にも同様に考えられ、同意の外形があっても同意がないとして規制の対象になりうるのである。
一方、対象たる人が不存在の場合には、そもそも規制の対象にできない。
(b)受容の問題:
 見たい人が見る分には何も問題は起こらないが、「同意なく見せられる人」が存在する場合には問題になる。同意なく見せられることは「現実の不快」であり、一定の取締が許容される。同意なしに見せられることが問題であるため、屋外における規制の問題である。(その手の専門店の中、とかだったら同意なく見せられて現実の不快を受ける人というのを想定する必要がないといえると考えられる。)これについては、屋外広告規制、ゾーニング(コンビニの販売等を想定すべし)等により対処されるべきものである。

(2)ラディカル・フェミニズムからの反論(?)
 これに対し、ポルノグラフィが存在すること自体が許されないとする、ラディカル・フェミニズムの主張が存在する。ポルノグラフィとは従属構造の表現であり、女性を性的対象として描くこと自体が男性に対する女性の従属を強化するものであるとの主張である。著名な(そして、ラディカル・フェミニズムの中では一番マトモである)論者として、キャサリン・マッキノンがいる。マッキノン曰く、セックスとは ”Man fucks woman”であり、Man=subject、woman=objectの関係にある(英語固有の文法用語を社会科学上の主張に転用するものであり、英語帝国主義であるとの指摘もされる)のだ、とする。即ち、対象の存在とかは関係なく、ポルノであることそれ自体によってwomanをobject化して従属構造を表現するものである、と考えている。
 しかし、このような発想は荒唐無稽なものである。女性が女性向けに描くポルノは実在し、これをどう捉えるのかを考えたときに従属構造云々というのは理論として維持できない。かつてマッキノンが来日した際に、「女性が女性向けに描くポルノ(当時はいわゆるレディースコミックを想定したものであろう)」について質問された際には、「そんなものはあり得ない」と答えたとされる。もちろん日本にはこの種のものは実在するのであって、いわゆるBLモノの中にポルノグラフィに該当するものも存在する。そうするとポルノグラフィ=女性の男性に対する従属構造云々というマッキノンの理論はもはや荒唐無稽と言わなくてはならない。・・・のだが、基本的に彼女らは対話不能な相手であるので、これを納得させることは困難であろう。
 (会場からの質問応答により付記)ラディカル・フェミニズムというのは、あくまで運動として存在するものであって統一された理論があるわけではない。マッキノンは彼女らの中ではマトモだが、かといって彼女らの理論を一般に代表しているといえるわけでもないと思われる。しかし、ラディカル・フェミニストがポルノグラフィを容認するとしたらそれは自らの理論に忠実でないということにはなるのでないか。

第四 「児童ポルノ規制をどう捉えるか」
1.「児童ポルノ」なるものについての、内容の区別の必要性
 第三の3(1)で述べたように、まずは対象によって分類しなくてはならない。
 真性及び擬似児童ポルノについては、その対象者が児童であることによって明確に区別が可能なはずである。これらは、前述の同意の問題から、これを規制することができる。表見児童ポルノについては、これに対する規制が許されると確定することはできない。
 対象が実在しない表現については同意の有無を問題にできないため、これを規制する根拠はない。前述の通り、屋外広告規制・ゾーニングの問題である。ただし、現実にはこのゾーニングが守られているかというと、怪しいもんである。秋田書店何やってんだ、と(会場笑)。

2.創作物に対する、表現手段による差別について
 案における規制内容は、「漫画・アニメ・CG」であって、「小説・音声」は対象外である。表現の手段によって規制がかかるかかからないかが分かれるべきものなのか。受容者における不快へのつながりやすさを考慮したものかもしれないが、受容における不快を考えたら、音声というのは実は一番オフェンシブなものともいえる。(この点、条例案は何を問題としているのか正直よくわからないというところですかね。)

最後に・・・
 世の中には、「自由は尊重しなくてよい」という種々の主張が存在する。国家権力拡大主義、道徳主義、パターナリズム、ラディカル・フェミニズムなど。今回の児ポ法改正では、この四者が「敵は児童ポルノ」とばかりに寄り集まっている。寄り集まってはいても、彼らは同床異夢であって、統一した思想によっているわけではない。
 これらの自由に対する敵に対して、リベラルとしてはどう対抗していくのかを考えなくてはならないのである。

(会場拍手)

以上、大屋教授の講演の内容をまとめたものでした。
示唆に富んだお話を頂いた大屋先生に感謝するとともに、こんな長いモンを最後までお読みいただいたあなたにもお礼申し上げます。表現の自由に対する制約の強化への対抗のため、少しでもお役に立てれば幸いです。
ありがとうございます。