Hatena::ブログ(Diary)

davsの日記

2016-10-31

この池田信夫の論理はおかしい。よくあることだけれど

慰安婦問題を現代の価値観で裁くのはナンセンス – アゴラ

池田信夫氏が上の記事で、橋下前大阪市長から従軍慰安婦問題について、批判を受けたことに反論している。
橋下前大阪市長の「慰安婦が必要だった」発言を援護射撃しなかったことを責められての、反論らしいが、池田信夫氏が「従軍慰安婦制度は女性への人権侵害だった」という論に与するようになったということではない。

池田信夫氏にとって、「従軍慰安婦制度は女性への人権侵害だった」というのも、「従軍慰安婦制度は必要だった」というのも、「非歴史的な価値判断」なのでナンセンスということらしい。

これは慰安婦が強制連行ではなかったという事実認識とは別の問題である。この歴史的事実にはもう争いはないが、それを正当化するかどうかは別の問題だ。歴史学では、「慰安婦は女性の人権侵害だ」というような非歴史的な価値判断はすべきではないとされている。そんなことをいったら戦争そのものがとんでもない人権侵害で、慰安婦なんか大した問題ではない。

慰安婦が強制連行ではなかった」ことに争いがないのは、おそらく池田信夫氏の脳内だけの話だろう。「非歴史的な価値判断はすべきではないとされている。」というが、誰が言っていることなのだろうか。よしんば、歴史学でそうであっても、他の枠組みから、「従軍慰安婦制度は女性への人権侵害だった」という指摘をすることは可能だろう。だいたい、池田信夫氏も自身のブログ記事で、過去の人物やことがらに価値判断をおこなっているのだ。
池田信夫 blog : ミミズのような中国に「国家」はできるのか
 池田信夫氏は上の記事で、「皇帝を失った中国はミミズのような無頭生物であり、日本の支援なしには自立できない」というかつての日本の判断は正しい、と言っているが、これは池田信夫氏のいうところの「非歴史的な価値判断」ではないのだろうか。

 さらに、読めば読むほど、頭痛がするのは、最後の段だ。
もう一つの問題は、当時の売春は人身売買と結びついていたことだ。年季奉公は西洋の奴隷制とは違うが、娼婦の身体を拘束する点は同じだ。戦前には売春は合法だったが、人身売買は民法で禁じていた。多くの慰安婦は人身売買で売られたので、価値判断を抜きにしても違法だった。

いずれにせよ、戦時中の慰安婦に現代の価値観を遡及適用して裁くのは(肯定にせよ否定にせよ)ナンセンスだ。慰安所の運営には政府が関与したが、強制連行はなかった。この事実を確認することがすべてで、そこに「女性の人権」や「日本軍の正当性」などの価値判断をまぎれこませるべきではない。

この部分の池田信夫氏の主張をまとめると以下のようになる。

  1. 当時も人身売買は違法だった。
  2. 多くの慰安婦は人身売買で売られたので、価値判断を抜きにしても違法だった。
  3. 慰安所の運営には政府が関与した。

 池田信夫氏のこの部分の記述に従えば、従軍慰安婦制度は当時の価値観によっても、批判されるべきものということになるはずだ。さらにそれに関与していた日本の当局も指弾を免れないだろう。それにもかかわらず、戦時中の慰安婦に現代の価値観を遡及適用して裁くのはナンセンスと言うのだから、池田氏は、曲芸的な論理を駆使しているとしか言いようがない。

2016-10-22

『丸刈りにされた女たち――「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅』



 今回紹介する、藤森晶子氏の『丸刈りにされた女たち――「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅 』(岩波現代全書)を、私がこの本を手にする契機となったのは、下のごとく、ナチスドイツ占領下のフランスで、ドイツ軍の将兵と交際していた女性は、「慰安婦」なのだ。フランスの「慰安婦」が占領からの解放後にリンチにあっているのに、朝鮮半島出身の慰安婦達がそういう目に遭っていないのはおかしい、とトンデモない主張を目にしたことだった。








 ついには、慰安婦だった女性は、罰せられるべきだった、と言っているとしか解釈しようのないことも言い出した。


@zgmfx10afreedo4氏の主張がまずおかしいのは、ドイツ軍の将兵と交際していた女性は、「慰安婦」だ、というところだ。慰安婦というのは、そもそも日本軍が自軍の将兵相手売春をさせるために集めた女性を表現するために作られたことばで(ごまかし語と言ってもよい)、他国のことがらに慰安所慰安婦という言葉を使うなら、よほど日本軍のそれに類似したものでないと、適当ではないだろう。第一、@zgmfx10afreedo4氏が持ち出してきた『NHKスペシャル新・映像の世紀は、髪を刈られるというリンチを受けた女性たちのことを、「ドイツ兵と親しくしていた女性」と説明している。「慰安婦」いう言葉は出てこない。1995年7月15日に放送された『映像の世紀』の録画の方も見てみたが、こちらも「ドイツ兵との交際のあったフランス人女性」と説明されていた。


 私も上のような質問をzgmfx10afreedo4氏に投げたが、ついに応答はなかった。

丸刈りにされた女たち――「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅』


筆者の藤森氏が、この占領中にドイツ兵と交際していたために戦後髪を刈られるというリンチを受けた女性のことをはじめて知ったのは、先に書いた『映像の世紀』らしい。(あとがきの記述からは、正月にまとめて放送された再放送のようだ)。私もリアルタイムでこの番組を見たが、暴力を振るう側の笑顔がひどく醜く見えたことを覚えている。

 藤森氏は、フランスで当事者の女性にあって聞き取りを行う。証言者みつけることはは、本書に書いてあるが、困難なものだったようだ。彼女たちのことを「フランスの恥」「娼婦」とみなすひとびとも多い。
 
 そもそも、なぜ丸刈りなのか。本書によれば、それは中世の姦通の罰までさかのぼるものなのだという。対独協力者は、むろん女性に限るものでなかったが、髪を刈られるリンチを受けたのは、女性に限られていた。また、ドイツの女性と交際したフランス人男性は、髪を刈られるリンチを受けることはなかった。さらに言えば、女性の髪を刈り、さらしものにするという制裁は、ドイツでも行われており、それはポーランド人などナチスが「劣った」とみなす民族の男性と交際した女性が対象だった。ここでも、制裁の対象とされるのは、女性であって男性ではなかった。

2016-10-11

従業婦が業者の拘束下におかれているかの基準〜『売春と前借金』その2

前回紹介した売春と前借金』は、従業婦業者の拘束下におかれているか、の基準について、1949年に出された労働省労働局長通牒(昭和24年3月3日、労働省基発264号)を紹介している。(pp.169-170)
以下の事項すべてに該当する場合を除き、店主と接客婦間に実質的な使用、従属関係が存在するということになる。

  1. 居室又は衣類等の賃貸借の料金が接客婦の稼高に関係なく一定していること。
  2. 食費の額が、接客婦の稼高に関係なく一定していること。
  3. 名義の如何を問わず、接客婦の稼高の一部を稼高に応じて、店主に支払っていないこと。
  4. 衣類、寝具、什器等の貸与や新調が強制されていないこと。
  5. 接客婦の外出には外泊の自由が店主により制限されないこと。
  6. 接客婦の営業が店主によって賃貸されている店舗内に制限されないこと。
  7. 接客婦の休業又は廃業の自由が制限されないこと。
  8. 店主との間に、金銭債務のある間、営業を継続することが、約束されていないこと。
  9. 花代等の報酬を接客負が、客より直接その全額を受け取ること。
  10. 営業時間外に店主が接客婦の金を預かることになっていないこと。

2016-10-04

前借金は借金ではない〜『売春と前借金』(日本弁護士連合会編)

従軍慰安婦問題に限らず、人身売買をあつかった書物には、必ずと言っていいほど「前借金」という言葉が登場する。日本弁護士連合会が1974年に出した『売春と前借金』(1974年)(高千穂書房)は、その前借金契約に焦点をあてて、売春問題について書いたものだ。前借金については、過去の判例や、その法律的意義だけでなく、当時、前借金によってどのように売春が強要されていたかつまびらかにしている。当時の日本弁護士連合会は、返還前の沖縄に調査団を派遣するなど、沖縄人権状況に関心があったため、沖縄における売春と前借金問題にページを割いている。

 本書を読んで分かるのは、前借金というものは、「借金」といいつつ、通常の金銭消費貸借とは、異なるということだ。前借金は売買された人身の代金であり、売られた人間に、その人権を著しく阻害する労務を提供させ、逃亡や廃業を阻害する心理的な力として作用するものだ。通常の金銭消費貸借契約であれば、債権者債務者が、期日までに債務を弁済することに関心があるだろうが、前借金を貸した側が望むことは、相手が可能な限り長く、自分の支配下で労働搾取に甘んじるということであって、早期に債務を弁済することは望むところではないだろう。
 
 したがって、売春業者は、その支配下の売春婦たちの前借金に様々な名目の金銭を加算し、完済することを妨害しようとする。(残高の正しい記録すらない場合もある)加算されるのは利息であったり、女性が店を休んだときの罰金、寝具類、衣類、日用品を高い値段で売りつけた代金などだ。はては、女性が逃亡した時、売春業者は、捜索と連れ戻しを暴力団に依頼するが、その経費までが前借金に繰り入れられた。
 本書の表現を借りれば、「前借金は、稼いでも稼いでも一向に減らず、かえって年々増え続ける不思議な借金」ということになる。

 本書には、売春街に暴力団の詰所があって、女性の逃亡を見張っているとか、逃亡のおそれのある者は、離島業者に売り渡されて、昼は農作業、夜は売春をさせられる、とか、生々しい事例が紹介されていて、業者の悪辣さには、めまいがするほどだ。
 
 日本軍は、軍慰安所の設置や運営に、こうした種類の業者を使っていたわけで、その一事だけでも、批判を免れないだろう。

 

2016-09-12

大量殺戮には必ず、アウシュヴィッツ並の施設が必要などということはない〜『再審「南京大虐殺」』のおかしな論理

下のいかにもな雑誌を立ち読みしていたら、アウシュヴィッツを引きあいに出した南京事件否定論にあたった。

アウシュヴィッツですら、殺害数は一日平均710人であったのに、一日に数万殺すためにはアウシュヴィッツ並の施設がいくつも必要となるはずだ、というものだ。南京事件について、言われているような大虐殺をするためには、原爆が必要、という否定論があるが、アウシュヴィッツ南京事件否定論に持ち出されるものらしい。この主張を調べてみると、下の本にまで行き着いた。(漢数字は、算用数字に改めた)


 大量殺害施設として名高いナチスのアウシュヴッツでさえ、殺害数は一日平均710人であった。一日平均3万8千人も殺害するためには、アウシュヴッツ並の施設が53箇所も必要となる。もちろんそんな施設はなかった。

 この本に上記のような記述があるが、おかしなところがふたつある。
 ひとつは、算術平均を勝手に上限値とみなしていること。先に引用した論理が成立するのは、アウシュヴィッツで、毎日、判で押したように710人が殺されていた時だけだ。アウシュヴィッツは、当初、ポーランド政治犯収容していたし、近くの化学プラントでの強制労働従事させられていた被収容者もいた。一日710人というのが上限値であったはずがない。例えば、連れて来られた人々を到着してすぐに殺戮するためだけに建設されたトレブリンカ強制収容所では、一日当たり1600人以上の人間が殺されている。
 
ふたつめは、人間を大量殺害するためには、必ず、アウシュヴィッツ並の施設が必要である、という前提をおいていること。むろん、そんなことはない。1945年3月10日の東京大空襲では、十万人もの死者が出た。『再審南京大虐殺」』の論理が正しければ、アウシュヴィッツ並の施設が東京に140個も必要になる。もちろんそんな施設はなかった。それは、航空機焼夷弾を使ったからで、装備の劣る日本軍にはできない、という人間がいるかもしれない。それでは、紀元前216年のカンナエの戦いでは、数万のローマ軍が一日の戦いで、カルタゴ軍に殺された。もちろん、カルタゴ軍は人間の筋力に頼るような武器しか持っていなかったし、同等の武器で抵抗するローマ軍を相手にした結果だ。もちろん、当時のイタリア半島にはアウシュヴィッツのような絶滅収容所はない。

 いずれにせよ、アウシュヴィッツですら、殺害数は一日平均710人であったのに、というのは、もっともらしい数字をいじくる、南京事件否定論のひとつであるというしかない。