Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20170809(Wed)

[]はてなブログに移転したのだ はてなブログに移転したのだを含むブックマーク はてなブログに移転したのだのブックマークコメント

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このたびオレのブログ『メモリの藻屑、記憶領域のゴミ』はこれまで使っていたブログ・サービス「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へと移転することになったのである。本日8月9日の記事から既に新しく更新されている。それと同時にこの「はてなダイアリー」での更新は今回でこれを最後とする。

新しいURLは【 http://globalhead.hatenadiary.com/ 】となり、ブログタイトルは『メモリの藻屑 記憶領域のゴミ』と一見変わっていないようだが実は真ん中に読点( 、)がない。もしも新しいブログ始めたら今度はどんなタイトルにしようかなあ、と昔はよく妄想したものだったが、結局殆どなーんも変わっていない。そんなものなのだろう。「PART2」とか付けようかとも思ったがなんだが第2部なんてそんなおこがましいものでもないし「2号さんじゃねえんだよ!」と訳の分からない激高を覚えてやはり変えなかった。

はてなブログ」に変えたのに特に深い理由はない。実は以前から「はてなブログ」を使って実験的にあれこれ書いてみたのだが、書いていてたいして面白くなかった上に長続きもしなかった。それら泡沫ブログはどこにも誰にも告知していないし今は閉鎖している。どうも「サブ」なものを持つのが苦手なようなのだ。ツイッターでも別アカウントなんか持ってない。FACEBOOKも登録したが結局何も書いていない。メインブログやツイッターと同じことを書くならなくてもいいと思ったのである。

他にSNS的なものはインスタグラムを続けているぐらいか。あちらは写真だから文章と違い棲み分けできる。ついでにブログとツイッターの使い分けは、ブログは無い頭を絞って何か筋の通ったことをしかもできるだけ長文で書こうとしているのであり、ツイッターは決められた文字数でいかに頭の悪いことを一発芸的に書くのかにしのぎを削るものだと思って使っている。まあブログのほうも基本頭が悪いがな!ほっといてくれ!

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深い理由はない、とは書いたが切っ掛けはあった。それは「はてなダイアリー」のカウンターとアクセス解析のサービスが終了したのである。今更PVだの気にはしていないが、どこから誰が来てどんな記事がウケたのかはやはり知りたいものなのだ。ごく稀に、長時間にわたってオレの日記を日にちを遡りながら読んでいる方を見つける時はそれなりに嬉しかった。そしてそんな方と一緒に自分も自分のブログを遡って眺めてみたりした。

それが無くなり、なんだか外と世界との繋がりが無くなってしまったような気がした。それで、単純ではあるがアクセスログのある「はてなブログ」はどうなのだろうと思った。幸い、「はてなダイアリー」から「はてなブログ」へのデータ移行機能があり、実は現在の「はてなブログ」ではオレの以前のブログが全部移行して読めるようになっている。まあ読む人は殆どいないとは思うが、全てのデータを移行してみると「クローン完了」という気分になった。

実際「はてなブログ」に移行してみるとフォントの雰囲気などが変わってなにか開放的になったような気がする。とはいえ、「はてなブログ」に移行して心機一転などというつもりは微塵もない。これまでと同じことをやるだけだ。記事更新の頻度は現在順調に減っているので、これからも減るだろう。その辺は目論見通りだ。だが、にもかかわらずブログというものを止められない自分がいて、それは一週間のうちに何がしかの時間を使ってヘボくてもいいからある一定の長さの文章を書くことが既に習慣となっている事、さらに、そういった時間をとることが自分にとって有用であることが体感的に実感できるからなのだ。

有用であることとは、その時だけ、のんべんだらりと適当に生きている自分が何か【考えて】、その【考え】を【まとめる】ことができるからである。今この現在でさえ、【文章を書く】というある意味論理性の必要な行動を行っている。その、たまさかではあるが頭が論理性の必要な事柄にかかずらう時間が、自分にはとても大事なことだと思っているのだ。以前もどこかで書いたが、オレのブログなどオレに取っては衰えていく一方でしかない脳髄のリハビリを兼ねた行為でしかない。映画だのなんだのの「書かれたものの内容」、その「書かれている対象」などは実の所どうでもいい。書くことそれ自体が目的だし必要だから容易い「お題」として書いているに過ぎないのだ。

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ああ、やはり、今回も、長文にする予定もなかったのに長文になってしまった。そして、こうして思ってもいないのに長文になってしまうことが自分は意外と嫌いではない。むしろ好むことだ。日々生きながらえて、頭にもやもやと抱えていたなにかを文章にしたら長くなる、というのは、とりとめがないにせよ、これだけ何がしかの事を考えていたんだな、と発見できる。理路整然と文章化することでたとえどんなにつまらないことであろうと「考えていたこと」をまとめ上げ俯瞰できる。オレはその瞬間が好きだからこうしてどうでもいいような文章を時間を掛けて書いているのだ。要点を押さえた簡潔で明快な文章なんて昔からクソくらえだと思っていた。売り上げレポート書いてるんじゃねえんだ。

まあ、そういうわけで、ほぼ14年間に渡って書き続けてきた「はてなダイアリー」はこれにて終了となる。そして、引き続き「はてなブログ」へと継続される。オレも歳も歳だし、残り少ない人生でブログを書く以外にすることが他にもいっぱいあるから、更新はどんどん減ると思うが、今の所、少なくともあと一ヶ月ぐらいは終了はしないと思うので、これまでオレの日記を御贔屓にしてくださっていた栄えある善男善女の皆様あらせられましては、引き続き「はてなブログ」のほうも読んでいただければ幸いであり恐縮である。あ、も一回URL載っけとくよ!【 http://globalhead.hatenadiary.com/ 】の『メモリの藻屑 記憶領域のゴミ』だよ!よろしくね!(しつこい)

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20170807(Mon)

[][]シャー・ルク・カーン主演の新作インド映画『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』を観た シャー・ルク・カーン主演の新作インド映画『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』を観たを含むブックマーク シャー・ルク・カーン主演の新作インド映画『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』を観たのブックマークコメント

■ジャブ・ハリー・メット・セジャル (監督:イムティヤーズ・アリー 2017年インド映画)

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久しぶりにSpaceBoxさんのところで主宰しているインド映画上映会に行ってきた。タイトルは『ジャブ・ハリー・メット・セジャル(Jab Harry Met Sejal)』、シャー・ルク・カーン主演のロマンチック・コメディである。原題は「ハリーとセジャルが出会う時」といったような意味だろう。

シャールクの純粋なロマンス映画は久しぶりかもしれない。シャールクはやはりロマンス映画が似合う。最近のクライム風味の作品が自分にはどうも今ひとつだったので今回は期待大だ。そしてヒロインとなるアヌシュカー・シャルマー、彼女がまたいい。日本では『命ある限り』(2012)、『pk』(2014)の公開作がある。人気実力ともにとても優れたインド女優なのでインド映画ファン以外の方も名前を覚えておくといいだろう。彼女はシャールクとの共演作に先程紹介した『命ある限り』の他にも『Rab Ne Bana Di Jodi』(2008)があり、これも非常に名作で、観ておいて損はない。

監督はイムティヤーズ・アリー。これまで『Jab We Met』(2007)、『Rockstar』(2011)、『Highway』(2014)、『Tamasha』(2015)といった作品を観たことがあるがどれも表現力に優れた秀作を作り上げてきた監督だ。特に『Jab We Met』は最も重要なインド映画10作のうちのひとつに数え上げている評者もいるほどだ。個人的にもどれも思い出深い作品ばかりだが、ランビール・カプールディーピカー・パードゥコーン主演による『Tamasha』は特に好きな作品だ。

さて物語はヨーロッパでツアーコンダクターを生業としているハリー(シャールク)が、ツアー中に婚約指輪を失くしたという女セジャル(アヌシュカー)に絡まれる所から始まる。セジャルは大事な指輪を失くし婚約者にも家族からも激怒を買い、一人ヨーロッパに残ってどうしても見つけなければならないので同行しろという。ハリーとしてはそんなものオプション外だからやる義務はないと突っぱねるが、結局は嫌々ながらセジャルに付き添うことになる。だがオランダのアムステルダムで済む筈だった指輪探しは二転三転し、遂にはプラハ、ウィーン、リスボン、ブダペストを巡るヨーロッパ大探索の旅へと発展してしまうのだ。そしてその旅の間に、二人の間に仄かな恋心が目覚め始めるが、片や婚約者のいる女性、その恋は決して成就する筈は無かったのだ。

感想を先に書くと、心を揺さぶられるとても優れたロマンス作品だった。やはりシャールクのロマンス作は鉄板と言わざるを得ない。もちろんヒロインを演じるアヌシュカーの表情豊かな演技にも心ときめかされた。最初は嫌々付き合っていたシャールクと相手の迷惑なんて完璧無視なアヌシュカーとのギクシャクしたやりとりは、前半のコメディ要素となり、大いに笑わせながら観る者の心をほぐしてゆく。しかし旅を通じて心寄せ合うようになってゆく二人の、そのあまりに危うい「道ならぬ恋」の行く末を気になりだした時に、物語は辛く心切ないものへと様変わりしてゆくのだ。

最初は相性の悪そうな男女が旅の中で次第に心を通い合わせてゆく、といった物語はインド・ロマンス映画の十八番なのかもしれない。シャールク映画ではあの『Dilwale Dulhania Le Jayenge』(1995)がそうだし、ディーピカー・パードゥコーンとの共演作『チェンナイ・エクスプレス〜愛と勇気のヒーロー参上〜』(2013)もそんな物語だった。しかしそもそも監督であるイムティヤーズ・アリーの作品というのが、【旅とロマンス】を重要なファクターとするものが多く見られるのだ。先に紹介したイムティヤーズ・アリー監督作品4作はどれも【旅とロマンス】に関わる作品だ。その中で特に『Jab We Met』は、「本来ロマンスが生まれるべきではない二人の男女にロマンスが生まれてしまう」といった物語構成から、この『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』と大きな共通項を持っていると言えるだろう。

そしてこの作品のもう一つの魅力は、「有り得ない出会いの要素を力技でロマンスとして成立させてしまう」といった点だろう。それは「現実的である」事から大きく飛躍してしまうことを全く意に介さない冒険的な演出である事を意味している。まず失くした指輪をツアコンの男と同伴して、あまつさえヨーロッパ中探し回る女性、といった展開はあまりに有り得ない。飛躍し過ぎだ。そしてそんな同伴を強要しながら「でも恋愛はありえないし!」と言ってのけ、にもかかわらず終始ベタベタしてくるセジャルのメンタリティは、あまりに有り得ない。そんな女性など多分いないか、いてもとんでもない少数派だろう。

ではこの物語というのはひたすら飛躍し過ぎで現実味が無くて有り得ない、ご都合主義のシナリオによって書かれた陳腐なものなのかというとそれが全く違うのだ。ここで描かれるシチュエーションそれ自体は確かに非現実的なものかもしれない。しかしこのシチュエーションから導き出される心情の在り方は、全く有り得ないものではないばかりか、どこか酷く心動かすものを含んでいるのだ。逆に「現実的であること」の拘泥から解放され、「有り得ない事」の可笑し味へと飛躍させることで、想像力豊かに物語を膨らませ、同時に普遍的な心情の物語へと帰結さているのである。そんな自由さに富んだシナリオが面白いのだ。

そしてそれこそが、【物語】というものの、現実を軽く蹴り飛ばす楽しみなのだ。多くの人は、なにも別に、「道ならぬ恋」をしたいわけではない。しかし人は時として、「不可能な恋」に出会ってしまうことがある。そして、どこまでも遣る瀬無い悲しみに堕ちてしまうことがある。『ジャブ・ハリー・メット・セジャル』は、そんな物語なのだ。

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20170802(Wed)

[]それはロシアだったッ!? それはロシアだったッ!?を含むブックマーク それはロシアだったッ!?のブックマークコメント

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先日は相方さんのお誕生日会ということで銀座へロシア料理を食べに行ったのである。

とはいえ、相方さんの誕生日は実は6月で、1ヶ月以上後の誕生日会だった。6月のこの時期は相方さんが仕事で多忙を極め、それどころではなかったが故の一足遅い誕生日会だったのである。なにはともあれ今は仕事が落ち着いている。

さて、今回なんでロシア料理?ということなのだが。相方さんの誕生日の近付いてきたある日、オレが最近微妙にロシア絡みのものにハマっていることを話したのだ。それは映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』と『ユーリー・ノルシュテイン作品集』のブルーレイが丁度この頃発売され、オレがそれを買って観ていたことと、先日紹介したロシア系アメリカ人作家による短編小説集『五月の雪』を読んでいた、ということであった。

で、その話の流れで「そういや今度の誕生日何食べたい?」と聞いたら「じゃあロシア料理」ということになったわけである。要するにまあ、深い理由はないという事である。しかし後で調べたら今年はロシア革命100周年記念の年だというではないか。きしくもオレと相方さんは相方さんの誕生日と同時にロシア革命まで一緒に祝うことになったという訳である。まあオレら別にロシア共産党とは何の関わりも無いんだけどね……。

さてロシア料理かあ、と思いネットで調べてここがいいじゃろ、と決めたお店は「Russian Restaurant ROGOVSKI(ロゴスキー)」。銀座にあるお店である(HPはこちら)。早速予約し当日は映画を観ての帰りに寄った。静かで綺麗で落ち着いた雰囲気のお店で、いやが上にも期待は高まる。料理はコースで予約済みだが、さて飲み物はということになり、オレはかねてから目を付けていた​その名も「アブラウ・ドゥルソ・アレクサンドル II」、"皇帝とその家族しか飲むことが許されなかった"というスパークリングワインを注文したのである。なぜならオレはネットのほんの一部で「銀河暗黒皇帝」とかいうこっぱずかしい名で通っていたりするので、「やはり皇帝なら皇帝のスパークリングワインを飲まにゃあかんじゃろワハハ」と思ったわけである(ホントかよ)。

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そしてこのスパークリングワインが、……いやあしみじみ美味かった。コルクを抜いた瞬間から漂う馥郁たる香りからして既にタタモノではなかった。相方さんの誕生日会という事で奮発してよかった。こんなお酒そうそう飲めません。高くて(涙)。

料理のメニューや写真は相方さんがそのうち自分のブログで載せるだろうから(載せなくてもいいけど)特に省くが、今回のコースには【キャビア様】がいらしたことをここに特記しておかねばなるまい。そう、魚卵の王者、魚卵の皇帝であるあの【キャビア様】である。北海道生まれでありタラコ・スジコ・トビッコ(トビウオの卵のことです)と名だたる魚卵を幼少の頃から食べ尽くしてきたこのオレにとって、【キャビア様】は一生に一度対決しなければならない宿敵が如き魚卵なのである(要するに今まで食ったことが無かった)。という訳で晴れてこの日、【宿命の対決:キャビア様vsオレ】の戦いが幕を切って落とされたという訳である。その【キャビア様】はこのような形で供されることになった。

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そしてその戦いの結果は……ええとあのう、緊張と激高のせいで味がよく分かりませんでした……。相方さんには「北海道生まれなんだから魚卵ごときでビビっちゃダメだよ!」と笑われちゃいました……。そしてこの【宿命の対決:キャビア様vsオレ】、リベンジマッチは、多分もうない……(こんなのたまにであろうと食べられるような生活してません)。

さて料理が次々に出されスパークリングワインもあらかた飲み終えて次は赤ワインでも飲もうかという段になり、実の所オレも相方さんもワインなんて全然分からないからお店の方にお勧めを聞いて注文することにしたのである。ワインの名前は「​トヴィルビーノ・サペラヴィ」、ジョージア(グルジア)・ワインだという。

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で、説明を聞いてなんとびっくり、このジョージア(グルジア)というのはワイン発祥の地であり、その歴史は8000年前に遡るのだという。8000年ですよ8000年。800年じゃないんっすよ。紀元前6000年前ってことですよ。調べたら古代メソポタミア時代の先住民シュメール人が遺したワイン製造の痕跡があるのらしい。それが紀元前6000年前。まあ確かにワインの歴史は古いのだろうけど、その発祥となる地のワインを飲めたのは面白かった。この話題で相方さんと大いに盛り上がりました。

そんなわけで料理もお酒もたっぷり堪能し、相方さんもたいそう満足してくれたみたいで、この日は二人銀座の街を千鳥足で帰ったのでありました。

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yoyoshi yoyoshi 2017/08/02 21:01 素敵なお誕生会ですね。クレイジージャーニーでもロシア関係の回が、一番面白いです。文学でも音楽でも映画でも、他の国には無いような突き抜けた作品があって。ザミャーチンの「われら」が復刊するしゲットしたい!

globalheadglobalhead 2017/08/03 08:09 最後にピロシキで〆るのを忘れていた!

yoyoshi yoyoshi 2017/08/04 00:34 ピロシキというと、パルナスの「パルピロ」を思い出します。アラフィフの関西人の郷愁の味。日曜日の朝、ムーミンとパルナスのCMは子供心に強く想い出に残りました。

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20170731(Mon)

[]極悪女ミイラはハクいチャンネーだったッ!?〜映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女極悪女ミイラはハクいチャンネーだったッ!?〜映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』を含むブックマーク 極悪女ミイラはハクいチャンネーだったッ!?〜映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』のブックマークコメント

ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 (監督:アレックス・カーツマン 2017年アメリカ映画)

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映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』である。「マミー」というのはミイラの事でお母さんとか乳飲料とは関係ない。1932年に公開されたホラー映画『ミイラ再生』のリブート作であり、同じくこの映画のリブート作である『ハムナプトラ』シリーズの異母妹みたいな作品でもある。お話は古代エジプトのとっても悪い女王のミイラが運ばれてきた現代のイギリスで復活して大パニック、と、そういう映画である。

しかしこの映画、それ以前にトム・クルーズが主演している作品でもある。トムクルとホラー。今まで無かった組み合わせである。無かった、というよりあまりに似つかわしくなくて誰も組み合わせようなどと考えなかったのだろうと思う。あの溌剌としたおっさんをどんよりじっとりしたホラー・ジャンルに抜擢してもホラーのクセに颯爽としてしまう訳の分からないものになってしまうだけではないか。ところがこの作品ではその禁を犯してトムクル主演のホラー映画を作ってしまったのである。

結果はどうかというと、当たり前と言えば当たり前だが、いつものトムクル主演映画になっている。ホラーだろうが何だろうが、とりあえずトムクル映画として完結しているのである。しかも水と油とかそういうこともなく、いわばトムクルがホラーを捻じ伏せた形で完成しているのだ。ミイラ女の呪いガー、復讐ガー、とかいう物語なのにもかかわらず、トムクルが颯爽と溌剌と飛んだり跳ねたり拳にモノを言わせていればそれは紛う事なきトムクル映画でしかないのである。げに恐るべきはトムクルのスター性である。

逆に言うならトムクルがそのスター性でもって牽引していなければ単にしょーもないB級ホラーに成り果てていただろう。いや、実際の所、作品それ自体は古臭いプロットしか持たないホントにしょーもないB級映画であるのは確かなのだ。

実はそんなしょーもないB級ホラー作品を魅力的に見せたのはトムクルだけの尽力ではない。悪い女ミイラ役のソフィア・ブテラ、彼女がいいのだ。かつては『キングスマン』のガゼル役でキャラ萌え男女を大いに沸かせた彼女だが、この『ザ・マミー』でも悪い女ミイラを実に魅力的に演じているのだ。いやーソフィアちゃん可愛かったなー、人間のヒロインとして登場したアナベル・ウォーリスとソフィアちゃんだったらオレ、やっぱりソフィアちゃん取っちゃうなー、呪われてゾンビになってもソフィアちゃんのほうが断然いいよ!というわけでトムクルとソフィア・ブテラ、この二本柱の存在によりしょーもないB級映画でしかないはずの『ザ・マミー』がそこそこに楽しめるエンターティメント作品に仕上がっているのである。

しかしなんだかモニョっちゃう部分がひとつあって、それがこの作品がユニバーサル・ピクチャーズによる「ダーク・ユニバース・シリーズ」の第1作目となる作品だとかなんとかいうことなんだよな。「ダーク・ユニバース・シリーズ」っちゅうのは、この『ザ・マミー』を皮切りに半魚人とかフランケンシュタインとか狼男とか、かつてのハマー・ホラーを復活させようとかいう企画らしいのだ。で、それをどうやら、「マーベル・シネマティック・ユニバース(アベンジャーズ)」や「DCエクステンディド・ユニバース(ジャスティス・リーグ)」みたいなクロスオーバー作品群にしたいらしいんだよな。

この辺でなんでモニョッちゃうかというと、まずこの『ザ・マミー』には「対モンスター組織:プロディジウム」なんてェのが登場して、ラッセル・クロウ演じるその親玉というのが「ジキル博士」という、その名前だけで「あーハイハイ」って人物だったりするのよ。で、「人類の平和ガー」とか言っちゃったりしてんのよ。この辺で「ハァ?」とか思っちゃうわけなのよ。多分「ダーク・ユニバース・シリーズ」は、この「対モンスター組織:プロディジウム」と「ジキル博士」を『アベンジャーズ』でいう所の「シールド」みたいな位置付けにして今後展開してゆくんだろなあと予測できるわけなんだけど、ハマー・フィルムのモンスターに人類の平和結びつけてどうすんの?って気がしないでもないんだよな。

この展開で思い出す映画が『ヴァン・ヘルシング』と『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』なんだけど、オレは嫌いじゃないんだが、結構「あかんヤツや」という評判も高いんだよなー。あと"ごちゃ混ぜな雰囲気"ということでは『47RONIN』あたりもこの辺りの系譜にちょっと引っ掛かるよなー。

多分コレ、「マーベル・シネマティック・ユニバース」や「DCエクステンディド・ユニバース」、さらにはキングコングゴジラの登場する「モンスターバース」と「バース」流行りのハリウッドで「俺らもいっちょかみして儲けようや!」という映画会社の目論見としか思えないんだよなー。アメコミやゴジラは分かるとしても、ハマー・フィルム・モンスターによる「バース」って誰得なんだ…という気がしないでもないんだよなー。

とはいえ、これはこれで盛り上がったら「ハマー・フィルム・モンスターサイコーっしょ!?」と大いに沸き立つキャラ萌え大好きの善男善女映画ファンも増える事だろうし、そうならば誰得どころかみんな幸せになれると思うので、ユニバーサル・ピクチャーズの企画担当の皆さんにはこれからも頑張ってほしいと思いマス(棒読み)。

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ヴァン・ヘルシング [Blu-ray]

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20170728(Fri)

[]最近聴いたエレクトロニック・ミュージックだのジャズだのソウルだのロックだのレゲエだの 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックだのジャズだのソウルだのロックだのレゲエだのを含むブックマーク 最近聴いたエレクトロニック・ミュージックだのジャズだのソウルだのロックだのレゲエだののブックマークコメント

■Mulatu Of Ethiopia / Mulatu Astatke

MULATU OF ETHIOPIA [帯・ボーナストラックDLコード・日本語解説付国内仕様盤]

いつもは殆どエレクトロニック・ミュージックばかり聴いているオレだが、実は最近、部屋でジャズを聴くことも多くなってきた。聴くというよりも、単にBGMとして優れているから鳴らしているだけで、全く造詣はないし、思い入れもないのだが。そんなオレが最近部屋でよく流しているジャズ・ミュージックの一つがMulatu Astatkeによるアルバム『Mulatu Of Ethiopia』、いわゆる「レア・グルーヴ」モノである。Mulatu Astatkeは1943年エチオピア生まれのミュージシャンで、ヴィブラフォン、パーカッションを操る打楽器奏者だ。「エチオ・ジャズ」の生みの親と呼ばれ、現在も現役で活躍中のジャズ親父である。詳しいバイオなどはネットで調べてもらうとして、なぜジャズに疎いオレがよりによってエチオ・ジャズなんかを聴いているのかというと、その独特な音が面白かったというのがある。まず全体的に妙にこってりしている。そしてホーンの音がやはりねちっこく、さらにセクシーだ。音も十分に黒々している。詳しくはないがいわゆるアフロ的な音だということなのかもしれない。オレの知るようなジャズの音がキリッと冷やしてライムを加えたジンのような無駄のない味わいだとすると、このMulatu Astatkeの音はカルーアリキュールにホットコーヒーとホイップクリームを加えたティファナ・コーヒーのような味わいだ。燻されたような甘い匂いが漂っている。しかし全体を見渡すとこれはこれでジャズの音に間違いない。そういった"臭み"の面白さがオレがこのアルバムを気に入った理由である。このアルバムは7曲のステレオ・バージョンに同じ7曲のモノラル・バージョンが同時に収められているが、やはり若干響きが違う。さらに日本版には9曲分のセッションのダウンロードコードが付いていてちょっとお得だ。 《試聴》

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■It'll All Be Over / The Supreme Jubilees

It'll All Be Over

It'll All Be Over

The Supreme Jubileesの『It'll All Be Over』はゴスペル/ソウル・アルバムである。エチオ・ジャズの次はゴスペル/ソウルかよオレいったどうしちゃんだよ、と思うが、なにしろこのアルバムも部屋聴きに適した実に和みの一枚で、仕事から帰ってきたらバドワイザー缶を開けながら居間にある安物のステレオコンポ(3万円)で一発キメている。The Supreme Jubileesは1979年にカリフォルニアで結成されたファミリー編成のバンドであり、アルバム自体は80年に自身のレーベルS&Kより500枚のみリリースされたレア盤、これが唯一のアルバムなのらしい。なによりイカスのは一曲目の「It'll All Be Over」だろう。↓に動画を貼っておいたから聴いて和むがいい。こういったメロウな曲のみならず、実にファンキーだったりゴスペルした曲も満載だ。なにより、素朴でコマーシャリズムに染まっていない部分がこういったレア・グルーヴものの面白さなのかもしれない。 《試聴》

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■Cracked Actor: Live in Los Angeles / David Bowie

BOWIE, DAVID

BOWIE, DAVID

ジャズ、ソウルと来て次はロックである。いや、エレクトロニック・ミュージックも聴いてますよ、後で紹介しますから。なんたってアナタ、このアルバムはかのデヴィッド・ボウイのつい最近リリースされた公式ライブアルバムなんですよ。ライブ自体は1974年9月にロサンゼルスで行われた「Philly Dogs Tour show」のもので、要するにアルバム『ダイヤモンドの犬』の時代のライブ・ツアーの様子を収めたものなんだね。この様子を収録したテープが去年発見され、長年のボウイの相棒トニー・ヴィスコンティによりミックスされた、というのがリリースの経緯らしい。ところでボウイのライブアルバムというと『デヴィッド・ライブ』というのが存在するんだが、これも実は1974年のライブを録音したもので、曲も結構かぶっているんだよね。しかしだ、『デヴィッド・ライブ』のどうも演奏に熱の無い白けた印象(借金で仕方なくリリースしたという噂もある)と比べると、この『Cracked Actor』は『ヤング・アメリカン』リリース直前のよりソウル・ミュージックに肉薄したボウイのヴォーカルが聴けるんだよ。試しに『All The Young Dudes』を聴き比べてみてもその伸びやかさとアレンジの自由さでは『Cracked Actor』のプレイのほうが楽しいし、名曲『タイム』はよりフリーキーに歌い上げるヴォーカルは非常に説得力があるんだ。そういった意味で『デヴィッド・ライブ』を既に持っているファンでも買いだしもちろん持っていないファンにもこの時代のボウイのヴォーカルを知る良いライブアルバムだと思うな。《試聴》

■Outside The Echo Chamber / Coldcut/On U Sound

お次はレゲエ/ダブ・アルバム。サンプリング・ミュージックのパイオニアColdcutとUKダブ・ミュージックのパイオニアAdrian Sherwoodがタッグを組んだレゲエ/ダブ・ミュージック・アルバムがこの『Outside The Echo Chamber』。リー・スクラッチ・ペリー、ジュニア・リードも参加。全体的にはAdrian SherwoodによるメタリックなダブにColdcutによるサンプリング・コラージュが被さるといった形か。それにしてもColdcut、実に懐かしい…。 《試聴》

■Paradygm Shift / Robert Hood

Paradygm Shift

Paradygm Shift

というわけでやっとエレクトロニック・ミュージックの紹介。こっからは淡々と行きます。というかエレクトロニック・ミュージックは淡々として聴けるのがいいんだよ。さてこちらはデトロイト・テクノ・プロデューサーのベテラン中のベテランであり元U.R.のメンバーでもあるRobert Hoodのニューアルバム。もはや時代を超越したようなゴリッと歯応えのあるデトロイト・ミニマル・テクノが目白押しです。ファンならもちろん買い。デトロイト・テクノ聴けーッ!! 《試聴》

■D.E.G. / Bola

BOLA

BOLA

IDM/エレクトロニカ・ムーブメントの立役者、BOLAの10年振りとなる新作アルバム。ミステリアスかつメランコリックな曲が主体となるが、その中で時折エッジ―の効いた音が被さりドラマチックに盛り上がってゆく。ヴォコーダーが多用されている部分などは奇妙に変態的でエキセントリックな印象。 《試聴》

■Work / Nick Höppner

Work

Work

ベルリンの先鋭テクノレーベルOstgut TonからリリースされたNick Höppnerの2ndアルバム。リスニング向けからダンサンブルなものまで、全体的に非常にバリエーション豊かでカラフルなミニマル・ハウス〜テクノ〜エレクトロニカ・アルバムとなっているが、これはPanorama Barのレジデントを勤める彼の豊富な知識と経験を最大限生かしたものなのだろう。良盤。 《試聴》

■Theory of Colours / Dauwd

Theory of Colours

Theory of Colours

ベルリンで活躍するUK出身のプロデューサーDauwdによる1stアルバム。チルハウス〜ダウンテンポなその音はスモーキーかつまたもやメランコリックであり、聴いていて深く鎮静化してゆくトランキライザー・ミュージックとしての効果は大。ある意味オレの聴くようなエレクトロニック・ミュージックの殆どはトランキライザー代わりなんだよな。 《試聴》

■Porchlight & Rocking Chairs / Jimpster

Porchlight & Rocking Chairs

Porchlight & Rocking Chairs

最近Jimpsterのアルバム『Silent Stars』に非常に感銘を受け(レヴュー)、Jimpsterがこれ以前の2013年にリリースしたアルバム『Porchlight & Rocking Chairs』を聴いてみることにした。そして新作同様このアルバムも実にインテリジェンス溢れるハウスミュージック・アルバムであり、曲はどれも粒揃いで、美しく、力強く、明快で、素晴らしい。オレはこんな音楽が一番好きなんだと思う。新作と併せて聴かれることをお勧めする。 《試聴》

■Cocoon Compilation Q / Various

Cocoon Compilation Q

Cocoon Compilation Q

作業用ダンス・ミュージックとして個人的に絶大な支持をしているCocoonレーベルのコンピレーション、ノンミックス。アゲ過ぎずサゲ過ぎず明るくも暗くもなく心地良い機械音が一定のムードとテンポで並べられているところがお気に入りの要素なのかもしれない。 《試聴》

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20170726(Wed)

[]ロシアの収容所の町を巡る親子3代の物語〜『五月の雪』 ロシアの収容所の町を巡る親子3代の物語〜『五月の雪』を含むブックマーク ロシアの収容所の町を巡る親子3代の物語〜『五月の雪』のブックマークコメント

■五月の雪 / クセニヤ・メルニク

五月の雪 (新潮クレスト・ブックス)

目を細めると、今も白い雪山が見える――。米国注目のロシア系移民作家が描く、切なくも美しい9篇の物語。同じ飛行機に乗りあわせたサッカー選手からのデートの誘い。幼少期の親友からの二十年ぶりの連絡。最愛の相手と死別した祖父の思い出話。かつて強制収容所が置かれたロシア北東部の町マガダンで、長くこの土地に暮らす一族と、流れ着いた芸術家や元囚人たちの人生が交差する。米国で脚光を浴びる女性作家による、鮮烈なデビュー短篇集。

ソビエト連邦、今でいうロシア連邦という国には人それぞれ色々なイメージがあるだろうが、オレは多分それらの人たちとちょっと違う感情を持っている。それは、ソ連がオレがかつて住んでいた町のご近所の国だったということだ。オレが昔住んでいた北海道の町、稚内は北にサハリンが見える町だった。サハリン=樺太は第2次世界大戦後日本からソ連領になってしまった島である。返還要求もあるようだが実質ソ連/ロシアの島であると言っていい。それが海を挟んだ向こうの水平線に見えるのだ。

ソ連/ロシアが近いという事もあり、ロシア漁船が寄港することもよくあるし、この辺りの貿易絡みで町にはロシア人の家が多くあった・当然ロシア人も町中を歩いていたし、アーケードにはロシア語が併記されていたり、ロシア人専門の免税店があったりもした。1983年に起こった大韓航空機撃墜事件では、撃墜地点がサハリン沖という事もあって幾つかの遺留品が浜に打ち上げられ、町にはその慰霊碑が建っていた。戦前日本領だった樺太で亡くなった人々の慰霊碑も公園にあったりもする。そんな具合に、ソ連はオレのご近所の国だったのだ。

ロシア系アメリカ人、クセニヤ・メルニクによる短編集『五月の雪』は、ロシア極北の町マガダンに暮らす市井の人々の生活を描いたものだ。そしてこのマガダンというのが実は、かなり曰くのある町なのである。ここはかつて、シベリア強制収容所があった場所なのだ。マガダン郊外にはコリマ金鉱が存在し、この採掘の為に多くの犯罪者が送り込まれたのだという。第2次大戦終結後には、いわゆる「シベリア抑留」と呼ばれる日本人捕虜の移入地のひとつであったともいう。

しかし『五月の雪』は、このシベリア強制収容所の現実を描いた作品では決して無い。むしろ、そこに集められた強制労働に従事していた人々が、収容所閉鎖後もそこに住み続け、奇妙な文化を築き上げたことがそもそもの発端となっている。奇妙な文化とは何か、というと、それはここに集められた犯罪者が、決して刑事犯ばかりではなく、知識階級の多い思想犯だったということなのだ。それは人文や工学に強い者ばかりではなく、芸術家も含まれていた。つまり、かつての収容所の町マガダンは、極北にありながら奇妙に文化的な町へと形成されたという事なのである。

そしてこの『五月の雪』では、これらを全て背景としながら、旧ソ連時代に極北の町に住む人々の哀歓をささやかに描く作品として仕上がっている。そしてそれは、1958年から2012年に渡る、親子3代の、それも女性を中心とした物語として構成されているのだ。ここに収められた9編の短編は、時代こそ順不同であり、主要人物も様々ではあるが、最後に全体を見渡してみると、連綿と続く家族の物語の物語であったということが分かる仕組みになっている。

そこで描かれるのは、老朽化した国営集合住宅での物資や食料が不足し生活にも事欠く毎日と、そんな生活を逃れるために女に残されたのは軍人と結婚しより良い暮らしを手に入れるしかないことの世知辛さだ。とはいえ、そこには淡い恋と忘れられぬ愛の物語も物語られ、決して窮状のみが描かれる作品ではないのだ。それらは古い時代のこととして描かれるが、これがソ連崩壊後となると今度はアメリカ移住とそれによりロシア/アメリカでばらばらに暮らさざるを得なくなった家族の気苦労が中心となってゆく。どちらにしろ、文化圏の異なる国で暮らす人々の、今まで全く知らなかった生活への態度が伺い知れる部分が面白いのだ。

そしてなによりも驚かされるのが、このソ連/ロシア50年に渡る人々の細かな暮らしの様子を、30歳になるかならないかという女性が書きあげたということだ。古い時代も含まれているにもかかわらず、食生活から身の回りのことまで、その再現度があまりにも高いのだ。これは作者クセニヤ・メルニクが、彼女の家族から旧ソ連時代の暮らしを徹底的にリサーチした結果なのだという。ということであるなら、この作品自体が、作者自身が自らのルーツを辿る旅として描かれたものだと言うこともできる。

個々の物語は特別な何かが起こるわけではなく、非常に淡々として始まり終わるため、物語的なカタルシスには乏しいかもしれないけれども、当時の生活様式に注視するなら、実に発見があり楽しめるものとなっている。しかしこれが、最終話『上階の住人』において、いよいよ「収容所の町マガダン」に肉薄する段になると、物語は一気に数奇さと波乱とロマンの薫りを匂わせるのだ。

20170724(Mon)

[]タイトになったことで生まれ変わったテンポの良い良作〜映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』 タイトになったことで生まれ変わったテンポの良い良作〜映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』を含むブックマーク タイトになったことで生まれ変わったテンポの良い良作〜映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』のブックマークコメント

パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊 (監督:ヨアヒム・ローニング&エスペン・サンドベリ 2017年アメリカ映画)

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パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズは他愛ないと言えばそれまでだが老若男女楽しめる優れたエンターティメント冒険ファンタジー作品ということでよろしいのではないかと思う。オレもとりあえず全作観ているが、とりわけ2作目『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』がお気に入りである。以下にこれまでブログで書いた『パイレーツ』シリーズのレビューをリンクしておく。

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト (監督: ゴア・ヴァービンスキー 2006年 アメリカ) - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド (監督:ゴア・ヴァービンスキー 2007年アメリカ映画) - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

[MOVIE]映画『パイレーツ・オブ・カリビアン / 生命の泉』はピシャンピシャンキシャーキシャーだったッ?! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

とはいえ、3作目以降はどうにも迷走していて手放しで楽しめなかった部分が多々あるのは確かだ。3作目は監督ゴア・ヴァービンスキーの作家性を打ち出し過ぎて娯楽作として不透明になった事、4作目以降は興行成績を高めようとしたのかシナリオを盛り込み過ぎてテンポが悪くなってしまったことなどなどが原因のような気がする。

そんな『パイレーツ』シリーズの最新作『最後の海賊』を観た。前作までがなにしろグダグダだった為、あまり食指が動かず、殆ど期待せず劇場に足を運んだのだが、あにはからんや、これがそこそこに面白い作品だった。『パイレーツ』シリーズもまだまだ終わっていないな、という気にさせられた。

今回の物語はシリーズの中でも相当シンプルである。3作目で呪いをかけられ幽霊船の船長となってしまったウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)の呪いを解くため、成長した彼の息子ヘンリー(ブレントン・スウェイツ)が、伝説のアイテム「ポセイドンの槍」の在り処を求め探索することになる。そしてそのカギを握るのが例によって我らが海賊船長ジャック・スパロウだった(ジョニー・デップ)、という訳である。これに女性天文学者カリーナ(カヤ・スコデラリオ)、「海の死神」サラザール(ハビエル・バルデム)、ジャックの宿敵バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)が絡んでゆき、ドラマを形作ってゆく。

物語は冒頭こそジャックとその仲間たちの金庫破りを巡る派手なドタバタが展開し、この辺りは従来通りの『パイレーツ』だな、という気がする。コメディ要素たっぷりのこのドタバタは泥臭くまるでドリフのコントを見せられているようで、安定した楽しさはあるが新味には欠ける。しかし「旅の仲間」たちが集結しいよいよ「ポセイドンの槍」探索が始まると、これが実にテンポよく物語が進んでゆく。

このテンポの良さは前作までのゴチャゴチャと盛り込み過ぎのシナリオへの反省があったのかもしれない。なにしろこの『最後の海賊』、シリーズで最も上映時間が短いいのだ。これまでのシリーズでは1作目『呪われた海賊たち』が143分、2作目『デッドマンズ・チェスト』が150分、3作目『ワールド・エンド』が169分、4作目『生命の泉』が141分という結構な長尺だったものが、5作目であるこの『最後の海賊』は129分となっているのだ。シナリオのシンプルさと併せ見せ場も整理されそのせいでタイトな上映時間となっているのだ。まあこれにはこれまでよりも抑えられた製作費にも要因があるだろう。

反面、タイトさを意識し過ぎたのか演出がぶっきらぼうで、場面によっては端折り過ぎではないかと思えた部分もあった。そこは見せてもいいだろうという場面が省略されていたりするのだ。また、ジャックやヘンリー、カリーナがしょっちゅうマストに縛られていて、この辺の演出の拙さが妙に気になりもした。この辺りは今作を手掛けたヨアヒム・ローニング&エスペン・サンドベリ監督のハリウッド大作への経験値の問題なのかもしれない。

だが、作品が若干小振りになったことによる物語の明快さは、これまでのシリーズに抱えていた欲求不満を十分に払拭するものであったことは確かだ。そもそも、3作目で呪いをかけられたウィルの救済という物語は、本来4作目で語られるべきものではなかったのか。シリーズ中最も哀惜に満ちたこのエピソードの顛末をようやく目にすることができるというというのはファンにとって非常に興味をそそられるものであり、その分物語への吸引力も高まっているのだ。そのラストは想像通りとは言え、カリーナにまつわる想像し得なかったもうひとつのドラマが物語られていることにより、非常に余韻の残るクライマックスを導き出すことに成功しているのだ。

ビッグバジェットの超大作を意識するあまり肥大し過ぎたシナリオをもう一度整理することによって生み出されたこの小気味よさは、"そこそこに大作"であるフットワークの軽さを生み出しており、今後も展開するらしいシリーズへの期待を改めて取り戻すことが出来た。そういった部分でこの『最後の海賊』、オレにとっては非常に好印象の作品だった。

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