Hatena::ブログ(Diary)

メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

20160831(Wed)

[]アリス・マンローの短編集『イラクサ』を読んだ アリス・マンローの短編集『イラクサ』を読んだを含むブックマーク アリス・マンローの短編集『イラクサ』を読んだのブックマークコメント

イラクサ (新潮クレスト・ブックス)

旅仕事の父に伴われてやってきた少年と、ある町の少女との特別な絆。30年後に再会した二人が背負う、人生の苦さと思い出の甘やかさ(「イラクサ」)。孤独な未婚の家政婦が少女たちの偽のラブレターにひっかかるが、それが思わぬ顛末となる「恋占い」。そのほか、足かせとなる出自と縁を切ろうともがく少女、たった一度の息をのむような不倫の体験を宝のように抱えて生きる女性など、さまざまな人生を、長い年月を見通す卓抜したまなざしで捉えた九つの物語。長篇小説のようなずっしりした読後感を残す大人のための短篇集。

カナダの女流作家アリス・マンローの短編集『イラクサ』は、2013年にマンローがノーベル文学賞を受賞したと聞いた時になんとなくはずみで購入して(そもそも「ノーベル文学賞だから」という理由で本を買うことなど全く無い)、それ以来ずっと積読していたものをやっと読み終えたというわけなのである。最近はなるべく新刊を買わずに積読本を消化することにしているのだ。

で、この『イラクサ』、9編の短編が収められているのだが400ページ以上あってこれが結構分厚い。それぞれの作品は基本的に中年期〜老年期の女性が主人公となっていて、彼女らの殆どは伴侶がおり中流程度の生活をしているのだが、その彼女らが過去の若い頃を振り返り現在との対比からなにがしかの感慨を導き出したり、困難な現在からふと未来に思いを馳せてみたりするといった内容になっている。この、一つの作品の中に一人の女性の現在過去未来が盛り込まれている部分で、「あたかも長編小説を読まされているような読後感」を読者にもたらすのだろう。

もうひとつの特徴は、物語の途中で突然思わぬ方向に話の流れが変わる部分だろう。きめ細かく描かれた「女の人生」はそれはそれで読ませるが、この「突然の転調」がマンローの短編を非凡なものにしている。それはアクシデントとか運命のいたずらとかいったものというよりも、「今このポイントで人生を変えたい」という意志の力、もしくは論理でも筋道でもない直観的な身代わりの速さのようなものを感じる。

そういった部分でよく出来ていると思うし面白く読めたのだが、実を言えば、途中から飽きてしまった。それはなにしろどの登場人物も田舎の平凡なシニア女性が主人公の作品ばかりだからである。男性が主人公のもののも1編あるが、構造的にはシニア女性を中心とした物語であることは変わりはない。そしてその多くが不倫を巡る物語である部分で少々辟易してしまったというのもある。人生長く夫婦生活をしていれば不倫の危機も願望もあるのだろうが、個人的にはそれを物語として読まされることに全然興味が湧かない。そんな部分で、この短編集は技巧に長けた作家によるハーレクインロマンスの一種なのかなとすら思ってしまった。

イラクサ (新潮クレスト・ブックス)

イラクサ (新潮クレスト・ブックス)

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20160830(Tue)

[]『ラチェット&クランク THE GAME』をプレイした 『ラチェット&クランク THE GAME』をプレイしたを含むブックマーク 『ラチェット&クランク THE GAME』をプレイしたのブックマークコメント

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オレは泣いていた。モンスター撃ち殺しまくりグヂャドロFPSゲーム『Doom』がムズくてクリアできないからである。「はあぁ?あれのどこがムズいのぉ?俺は目隠ししてハナクソほじりながら1時間でクリアしたけどぉ?あんたヌル過ぎじゃね?」とあなたはおっしゃるかもしれない。確かにあなたのおっしゃる通りなのかもしれない。オレはヌルい。とてつもなくヌルい。宇宙の彼方までヌルい。

なぜなら、歳なのである。反射神経が摩耗しているのである。動体視力どころか視力自体が衰えているのである。コントローラーを握る指さえ力が入らないのである。もうオレにはアクションゲームなど無理なのであろうか……。もうゲームを卒業する時がやってきたのであろうか……。オレは夏の夜空に燦然と輝く星を見つめながら、涙で濡れた頬をそっと隠しつつそう思ったのである。

そんな時見つけたのが『ラチェット&クランク THE GAME』だ。2002年にPS2でリリースされたアクションゲームのリブート作なのらしい。ただしオレ自身は未プレイだ。「ほう……」オレは思った。全体的な雰囲気、主人公らしいラチェットとクランクのこの見てくれ、なんか低年齢向けっぽくないか。これならオレにもできるんじゃないか。サクッとプレイできて傷ついたオレの心を癒してくれるんじゃないのか。そうだ、買おう!オレは『ラチェット&クランク THE GAME』を買ってプレイするんだ!

というわけで『ラチェット&クランク THE GAME』、オレは「超★スペシャル限定版」を購入することにした。この限定版、ゲーム本体の他に映画『ラチェット&クランク The MOVIE』のBlu-rayが付いてくるというじゃないか。あと「コロコロコミック編集特別冊子」というのも付録になっているらしい。まあこっちはどうでもいい。ゲームやりぃのBlu-ray観ぃの。これはお得だ。

そして早速プレイしたこのゲーム、なんとメニューがひらがなだらけだ。予想通りゲーム自体もいい具合にサクサク進む。ヌルゲーマーのオレでも安心しきってプレイできる難易度だ。そしてなにより、楽しい。スパナをガシガシ振り回し、敵に応じて武器を切り替えて戦ってゆく。ゲーム画面も、なんだかピクサーアニメを観ているような綺麗さだ。辺りにちらばったアイテムが主人公にシュッ!と吸収されていく様子もよく出来ている。これだ……オレの心を癒すのはこんなゲームなんだ……。

ちなみにBlu-rayも観た。一応本国では劇場公開されたものらしいが、評価が低く、興行成績も悪かったらしい。だが実際観てみると、これが全然面白いし、よく出来ている。CG映像も手抜きが無い。お話自体は子供っぽいが、アニメ作品としては及第点じゃないか。むしろ昨今のハリウッドCGアニメみたいな「面倒臭い社会問題を絡めてのー」みたいなものが無く、単なる冒険物語であるところが逆に清々しいじゃないか。

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yoyoshi yoyoshi 2016/08/30 15:46 動体視力の衰えと、指先が思うように動かず反射神経も無いため、スーパーファミコンのメトロイドを諦めた時からアクションゲームとは無縁。そのうちゲームをすると頭痛、腰痛、背部痛に苦しめられるようになり卒業しました。優先順位では本と漫画の方が勝ってます。ページを捲る喜びに勝るもの無し。自分でゲームをするより犬マユゲでいこうとかのゲーム漫画を読む方が好きなんです。

globalheadglobalhead 2016/08/30 16:20 実はオレ、酒飲むのが一番忙しいです。

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20160829(Mon)

[]「マンガ+バンドデシネ」の「格闘+魔法」コミック、『ラストマン』が凄くいい! 「マンガ+バンドデシネ」の「格闘+魔法」コミック、『ラストマン』が凄くいい!を含むブックマーク 「マンガ+バンドデシネ」の「格闘+魔法」コミック、『ラストマン』が凄くいい!のブックマークコメント

■ラストマン (1) / バスティアン・ヴィヴェス、バラック、ミカエル・サンラヴィル

ラストマン1 (EURO MANGA COLLECTION)

大友克洋先生 絶賛! ! ! 新時代のバンド・デシネ『ラストマン』、上陸!!2013年に第1巻が発売されるや、たちまちフランス・バンド・デシネ界の話題をさらったバトル・アクション『ラストマン』が、ついにユーロマンガ・コレクションに登場!

とある王国で行われる毎年恒例の格闘技トーナメント。二人一組で行われるこの競技に、今年は武術学校の落ちこぼれ生徒アドリアンも参加することになる。はやる気持ちを抑えられない彼だが、大会当日、パートナーの欠席で出場できなくなってしまう。落胆する彼に、謎めいた旅人リシャール・アルダナが救いの手を差し伸べる。かくして幼いアドリアンは、リシャールとの急造チームで、並みいる強敵が参戦するトーナメントに臨むことになる――。

2015年アングレーム国際漫画フェスティバル“最優秀シリーズ賞"受賞! フランスでは、アニメ、ゲームとメディアミックス展開中! バスティアン・ヴィヴェス、バラック、ミカエル・サンラヴィルのトリオがつむぎ出すマンガ×バンド・デシネのハイブリッドを見逃すな!

いい。フランス産コミック『ラストマン』が実にいい。どんな風にいいのか?それをこれから説明する。そしてこの説明を読み終わったらあなたも『ラストマン』を買いに走るといい。アマゾンでポチってもいいが。

1.「マンガ+バンドデシネ」という風通しの良さ

この『ラストマン』、「マンガ+バンドデシネ」という謳い文句になっている。日本の「マンガ」とフランスのコミック「バンドデシネ」のハイブリッドというわけだ。ハイブリッドになることによりどんな効果を上げているのか?まず日本の「マンガ」の多くはコマからコマへのスピード感で読ませる。大ゴマやアップ、俯瞰、変幻自在のコマ運びとアングルの変化、時間の遅延と加速、それらは「止め絵」を見ているのではなくどこか映像媒体を視聴しているようだ。

一方「バンドデシネ」は、これはもう圧倒的に「絵」を見せようとする。一コマ一コマの描き込みが半端ない。その一コマだけで立派なアートとして通用するものもあるほどだ。カラー彩色された「絵」はなおさらそれを格調高いものにする。そして「絵」にしろ世界観にしろ実に個性的で場合によっては入り込めないほど異質ですらある。さらに、背景にあるヨーロッパの匂いだろう。それは美術であり風俗であり歴史性ということだ。反面、動きに乏しく、重々しく、それにより取っ付き難く感じさせる。

その「マンガ+バンドデシネ」ハイブリッドである『ラストマン』はどういうことになっているのか。まずは動きのあるコマ運びはスピード感に溢れ、簡略化されたグラフィックは風通しがよくて読み易い。これは「マンガ」の良い所だ。しかしその物語は濃厚なヨーロッパの香りと奇妙に異質な世界観によって成り立っている。これは「バンドデシネ」の良い所だ。こうして『ラストマン』はバンドデシネのようにエキセントリックでありながらマンガのように読み易いという稀有な作品として成り立っているのである。

2.格闘アクション+魔法世界という物語

『ラストマン』はどことも知れぬ異世界の、どことも知れぬ王国で開催される格闘大会を中心に物語られる。しかし面白いのはそこにさらに「魔法」が持ち込まれることだ。これはジャンプ漫画あたりに多く見られる、超常的な力を持った者同士の熾烈なガチンコバトルを参考にしたのだろうが、『ラストマン』ではその「超常的な力」をあくまで「魔法」として描いている部分でどこかヨーロッパ的だ。競技会選手は、力だけあってもダメだし、魔法に長けているだけでもダメだ。さらに、競技会であることから、スポーツ的なルールが存在する。反則や技術点といった評価があるのだ。単なる潰し合いではないのである。この"ルール"が意図的に明示されないため、競技の流れがなかなか読めず、主人公と敵との戦略がどこにあるのか固唾を飲んで読み進めることになるのだ。

3.少年を取り巻く父性と母性の確執

主人公は一人の弱弱しい少年だ。彼がその脆弱さを乗り越えて格闘技トーナメントでどう戦うのか?どう成長してゆくのか?が物語の主軸であるが、これは少年少女の活躍が中心となる日本のマンガのセオリーだろう。しかしこのこの『ラストマン』には"大人"の存在と彼らの庇護が濃厚となっている。まず少年の母の存在。少年は母子家庭だ。そしてこの母の、優しく美しく、時には息子を守ろうと憤怒に燃える強さ逞しさ、これらが強烈な母性を感じさせるものになっているのだ。

そこに現れる一人の謎の男。彼は格闘技トーナメントのパートナーとして少年を選び、それまで母性の優しく穏やかな庇護しか知らなかった少年に、大人の男の荒々しさと理不尽さ、同時に全能にも似た圧倒的な力強さ、説明抜きの明快さ、それら全てを総じた「男の世界」を垣間見せるのである。男は、男親を知らない少年に、父性というものを垣間見せるのだ。

少年の母はそんな男に野蛮さと卑俗さを感じ対立する。一方男はと言うとそんな少年の母の気持ちなどどこ吹く風だ。だがこんな水と油の筈の二人がなぜか惹かれあうようになり……という展開は日本の少年マンガにはない大人の世界だ。ここには父性と母性の確執があり、どちらだけが正しい、悪い、というものがない。そしてある意味、少年の成長には、この二つが必要なのだ、というのがこの作品のテーマなのではないかと思う。

4.第2巻が待ち遠しい!!!

これらが物語られる世界は、その街並みにしても服装にしても、さらに思考の根本にあるものにしても実にヨーロッパ的であり、同テーマの作品が日本で生み出されても決して同じものには成り難かっただろう。ただしグラフィックは日本のマンガのようにモノクロで、発売は単行本形式であり、それによりバンドデシネにもかかわらず1冊の価格が740円という驚きの料金なのがまたしても嬉しい!バンドデシネには興味があるが敷居も価格も高くて……と思っていた方にも手に取り易いだろう。

こうして少年+怪しげな男との格闘トーナメントが突き進んでゆくわけだが……あああ!なんだこのラストはぁ〜〜〜〜ッ!?物語はそのクライマックスで驚くべき展開を迎え、そして10月発売予定の第2巻に持ち越されるのだ!このクリフハンガーなところも日本のマンガっぽいな!少年+怪しげな男の運命やいかに!?第2巻が待ち遠しい!!!

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20160828(Sun)

[]最近読んだコミックあれやこれや 最近読んだコミックあれやこれやを含むブックマーク 最近読んだコミックあれやこれやのブックマークコメント

ベルセルク (38) / 三浦建太郎

ベルセルク 38 (ヤングアニマルコミックス)

ベルセルク 38 (ヤングアニマルコミックス)

2016年6月24日に発売された『ベルセルク』待望の38巻最新刊である。なんと3年ぶりなのだとか。3年……。いったいどうなっているんだ……。まあそこは深く詮索しないことにして、とりあえず出ただけめっけものということにしておこう。お話は「ファルコニア凄い」「でもやっぱり怪しい」「旧キャラ・リッケルトが"うさんくせえ大嫌いだここ"と言ってドンパチ始める」というものになってます。懐かしいキャラがぼちぼち出てきて愉快です。しかしやっぱりお話がどこに向かってるのかよく分かりません。どこに向かっているのか、というか、終わらせるつもりが全く感じません。このファルコニアと妖精島だけであと10巻ぐらい続きそうです。いったい何年掛かるのでしょうか。作者もオレもそれまで生きているのでしょうか。

ダンジョン飯 (3) / 九井諒子

"飯"の部分が薄れて"ダンジョン"のファンタジーバトル展開が濃厚になってきた第3巻、しかしこれはこれでいい流れじゃないかと。もう"飯"は添え物でもいい、というか無くてもいいぐらい。というかこの作品に物語があったことをやっと思い出しました。

■ネオ寄生獣 (アンソロジー)

寄生獣』も1995年に完結してはや20年近く、オレはすっかり忘れてましたが、まだこうしてアンソロジーが編まれたりするんですねえ。このアンソロジーは『寄生獣』をお題に12人の漫画家、さらに造形作家・イラストレーターが参加したもので、今更いいや、とは思ってたんですが、萩尾望都の作品がどうしても読みたくて買ってみました。萩尾さんの作品やっぱり評判通り完成度高いなあ、と思いましたが、実は他の作家の作品もなかなかどうして読み応えがあり、いやあ『寄生獣』愛されてたんだなあ、ととても伝わってくるアンソロジーとなっています。

監獄学園(22) / 平本アキラ

監獄学園(22) (ヤンマガKCスペシャル)

監獄学園(22) (ヤンマガKCスペシャル)

う〜ん、引っ張り過ぎでなんかダレてないか!?ネタ尽きかけてきてないか!?ってか副会長早く覚醒しろ!

■いぬやしき (7) / 奥浩哉

いぬやしき(7) (イブニングKC)

いぬやしき(7) (イブニングKC)

いやー『いぬやしき』、最初は退屈だったんだけど、化けたなあ、大化けだなあ、まあこういう徐々に展開させるコンセプトだったんだろういけれど、前巻から大殺戮大会になってきて、この7巻ではさらなる殺戮の嵐だもんなあ、楽しいのう、楽しいのう。作者はこのテの物語のインフレーションの行方というのがきちんと分かっていてそれでのゆっくりした序盤だったんだろうな。そしてこれからはどんどんと派手になってゆくんだろうなあ。きっと世界中の軍隊出てきたりさらには熱核攻撃ととかまで出て来るんだろうなあ。いやあ楽しみだなあ楽しみだなあ。

yoyoshi yoyoshi 2016/08/28 17:12 ダンジョン飯あっという間に読んでしまって次の4巻が待ちきれない!ウンディーネって怒らせたら怖いのね。ネオ寄生獣、平本先生の凄さを再認識。原作に違和感無くゲンさんが溶け込み、しかも正に寄生獣!ベルセルクの行方も心配ですが、休載の続くガイバーもこっちの寿命がもつかどうか・・・。

globalheadglobalhead 2016/08/28 17:55 ダンジョン飯、生き返りのコンセプトがシュールでイイね。ネオ寄生獣は後日譚やスピンオフがきちんと寄生獣してて好感。ベルセルク……腕のいいアシスタントごっそり入れて量産って訳に行かないのかなあ。

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20160826(Fri)

[][]昏睡状態の伴侶を持つ二人の男女の出会い〜映画『Waiting』 昏睡状態の伴侶を持つ二人の男女の出会い〜映画『Waiting』を含むブックマーク 昏睡状態の伴侶を持つ二人の男女の出会い〜映画『Waiting』のブックマークコメント

■Waiting (監督:アヌ・メーノーン 2016年インド映画)

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病院の待合室で知り合った歳の離れた二人の男女。彼らはそれぞれに昏睡状態の伴侶を持ち、不安と悲嘆の中ただ「待つ」ことしかできなかった。2016年にインドで公開された映画『Waiting』はこの二人を通し、ままならない人生のある局面を描く優れた人間ドラマである。主演は『マルガリータで乾杯を!』(2014)、『Yeh Jawaani Hai Deewani』(2013)、『Zindagi Na Milegi Dobara』(2011)のカルキ・ケクラン、『Welcome Back』(2015)、『Finding Fanny』(2014)、『The Dirty Picture』(2011)のナスィールッディーン・シャー。監督は『London Paris New York』(2012)のアヌ・メーノーン。

《物語》広告代理店に勤めるターラー(カルキ・ケクラン)は夫の交通事故の連絡を受け病院に駆けつける。そこには頭部に大怪我を負い昏睡状態の夫がいた。予断を許さない状況に医者は色よい返事をしない。悲嘆に暮れ待合室で夜を明かそうとするタラはある高齢の男を見つける。医者だと思い問い詰めたタラに、その男シヴ(ナスィールッディーン・シャー)は笑顔で否定し、自分は心理学教授なのだと告げる。そして、彼の妻が数か月前脳溢血を起こし、昏睡状態のままこの病院に入院しているのだと語った。同じ境遇にある二人は、それぞれの葛藤と悲しみの中、この状況をどう乗り越えるべきか、少しづつ対話を重ねてゆく。

人生には、待つことしかできない局面がある。それはスーパーの行列で待つとか、数週間後の宝くじの発表を待つとか言う次元の問題ではない。全てが保留となり、一切手を出すこともできず、ただ押し黙り、身じろぎすることも叶わず、いつまで待たなければならないかを知ることもできないまま、気まぐれな運命の采配を待つしかない局面の事だ。なにより人は、その行動において、自らの決定権が無いことが最も苦痛なのだという。自らの決定権が無いこと、それは自らの手足を奪われることと一緒だ。人はその時、いつとも知れぬその日まで苦悶の叫びを上げ続けるのか。それともなすがままにと諦め、薄ぼんやりとした絶望の中に沈むしかないのか。

映画『Waiting』は、そのタイトル通り、待合室で出会った男女の、待つことしかできない状況を描いた作品だ。そしてその状況において表出する、ありとあらゆる感情を描き出した作品でもある。ターラーは最初、混乱と恐怖の中にいる。一方シヴは、諦念と受容の中にいる。この時シヴは、ターラーにE・K・ロスの「5段階の死の受容プロセス」を語る部分が興味深い。「5段階の死の受容プロセス」とは、人が死に際してそれを受け止めるまでのプロセスのことだ。それは「否認・隔離」から始まり、「怒り」「取引」「抑鬱」、そして最終的に「受容」へと続くものだ。二人は、死に瀕したそれぞれの伴侶に対して、このプロセスにある感情を体験してゆくことになるのだ。

だがこの物語は、決して「5段階の死の受容プロセス」を説明するための物語ではない。主人公二人のそれぞれの伴侶の容態は、物語が進むにつれ刻々と変化し、それにより主人公二人の感情もまた刻々と変化してゆく。最初絶望だったものが希望に変わり、諦念だったものが怒りへと変わってゆく。そして二人の立場も刻々と変わり、最初慰め役だったシヴがいつしかターラーに慰められるようになってゆく。このようにこの物語は、困難な状況におかれた人間の、その感情の発露の様を縦横に描き、それと同時に、そのような状況の中で、人は何によって困難を乗り越え、何によって救われるのかを描き出してゆくのだ。そしてそれは、つまるところ、心の絆なのである。

このような物語を演じ切った主演の二人が素晴らしい。カルキ・ケクラン演じるターラーは冒頭能面のようなきついメイクで登場し、彼女にとって現実とは戦うべきものであることを観客に印象付ける。しかしその彼女がなすすべもない現実に心折れ、変節してゆくさまをケクランは圧倒的な演技力で見せてゆく。ケクランはエキセントリックなインド女優だが、だからこそこの作品を湿っぽいものにしなかったのだと思う。一方ナスィールッディーン・シャー演じるシヴは最初悟りきった好々爺として登場し、タラに安心感を与える。だが現実の冷徹さに、彼の心は次第に怒りに満ちてゆく。ここでのナスィールッディーンの、悲哀溢れる演技がまたもや素晴らしい。

この作品の二人の演技は、これまでのベストアクトのひとつであり、彼ら以外の俳優が演じる『Waiting』など考えられないほど役にはまりきっていた。そのテーマの在り方、そして演者の充実ぶりから、映画『Waiting』は2016年上半期に公開されたボリウッド映画の傑作中の傑作として要注目の作品であることは間違いないだろう。

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20160825(Thu)

[][]広場恐怖症の女を襲う怪異〜映画『Phobia』 広場恐怖症の女を襲う怪異〜映画『Phobia』を含むブックマーク 広場恐怖症の女を襲う怪異〜映画『Phobia』のブックマークコメント

■Phobia (監督:パーワン・クリパラニ 2016年インド映画)

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レイプ事件に遭い心を病んだ女が一人引き籠った部屋で体験する怪異。それは夢なのか現実なのか。2016年公開のインド映画『Phobia』は閉鎖環境の中で巻き起こるサイコ・ホラーだ。主演に『Manjhi - The Mountain Man』(2015)、『Badlapur』(2015)の他タミル・マラーティー語映画にも出演の多いラディカ・アプテ。監督に『Ragini MMS』(2011)、『Darr @ the Mall』(2014)のパーワン・クリパラニ。

《物語》新進アーチストのメヒカ(ラディカ・アプテ)はパーティーの夜に乗ったタクシーの運転手に暴行を受ける。それ以来彼女は神経を病み、パニック障害と広場恐怖症を発症してしまう。メヒカの男友達シャーン(サチャデープ・ミシュラ)は彼女を憐れみ、彼のアパートに暫く間借りすることを許す。しかしそのアパートの部屋で、メヒカはありえないものの気配を感じ、そこにいない筈の誰かの姿を目撃してしまう。アパートで知り合った女子大生のニッキ(ヤシャスウィニ・ダヤマ)は、隣の部屋に住む男マヌー(アンカー・ヴィカル)の恋人の姿が最近見られず、ひょっとしたらマヌーが殺したのではないか、とメヒカに告げる。

ボリウッド映画を観ていて気付くのはホラー作品が意外と少ないということだ。欧米でも日本でもそこそこの数のホラー作品が作られヒット作も出るが、「ボリウッド・ホラーの傑作!」「大ヒット・ボリウッド・ホラー!」といった作品を知らないのだ。作られていることは作られているのだが、それほど高い評判の作品もないような気がする。しかしこれは観測範囲がボリウッド映画だけの話で、タミル語マラヤーラム語映画などでは傑作と呼べるような作品があるのをネットで目にすることはある。以前見たタミル語映画『Pizza』(2012)は脚本になかなかにひねりのあるホラー作品だった(インドでもホラー・ブームはあったらしく、この辺に記述がある)。

そんな中、この『Phobia』は、傑作!とまでは言わないが、ホラー作品として及第点を与えていいような、個人的には初めてのボリウッド・ホラーのような気がするのだ。なにしろ"及第点"であって、あまり期待値を上げないでいただきたいのだが、観終って「うん、これはよく出来ていた」と思えた作品であるのは確かだ。グロテスクさやショッキングさで煽ってゆくホラーではなく、不安と恐怖でじっくりと盛り上げてゆくホラーであり、さらにクライマックスに行きつくまでの伏線とその回収の様が鮮やかなシナリオを成しており、最後に「そういうことだったのか!」と感心してしまった。いわゆるサスペンス構造なのだが、本質はホラーであると言ってしまってもいいだろう。

物語は主にたった一つのアパートの部屋の中だけで展開する(あ、決して1LDKという意味では無くて、そこそこの間取りはありますよ)。こんなミニマルな舞台設定から既に低予算ホラーの匂いがするが、だからこそアングルやカット割りで観客に飽きさせないように工夫する必要があり、そこをこの映画はきちんとクリアしているように思う。この閉鎖空間の中で、ただでさえ神経症を患っている女性が"有り得ないもの"を見、パニックに至る。そしてこの映画のキモは、主人公が広場恐怖症であるばかりに、恐怖の漂う部屋から逃げることが出来ない、という部分だ。得体の知れない"何か"が出没する部屋も怖いが、部屋を出たくても出られない主人公が、助けを求めることさえできず、出口のドアの前で、苦悶の形相を浮かべながらパニックに駆られる姿もまたコワイ。

その中で、彼女が"見た"ものは、本当に存在したのか?あるいは神経症が生み出した幻影でしかないのか?という疑問が生まれる。一見「お化け屋敷」ホラーのように見えながら、お化けなんか最初から存在しない、全部幻覚だった、ということもありえるのだ。さらに、もしも"何か"が本当に存在したとして、"それ"は何なのか?何のためにこの部屋に出るのか?という謎が生まれる。その謎がサスペンスを生み不安を生む。こういった構成がいい。ミニマルな舞台設定ではあるが必要最低限の登場人物を効果的に配し、彼らの行動によりさまざまな疑心暗鬼を煽ってゆく様も丁寧だ。インド・ホラー『Phobia』はハリウッド・ホラーの既視感を感じさせる部分もあるし、小振りな作品でもあるけれども、見た目の仰々しさに頼らない確かなサスペンス演出が光る秀作だと感じた。

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20160824(Wed)

[][]心に闇を抱えた男と闇そのものと化した男との会遇〜映画『Raman Raghav 2.0』 心に闇を抱えた男と闇そのものと化した男との会遇〜映画『Raman Raghav 2.0』を含むブックマーク 心に闇を抱えた男と闇そのものと化した男との会遇〜映画『Raman Raghav 2.0』のブックマークコメント

■Raman Raghav 2.0 (監督:アヌラーグ・カシュヤプ 2016年インド映画)

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ムンバイを恐怖に陥れる冷酷な連続殺人鬼と、それを追う警官。しかしその警官もまた、麻薬に溺れ、容易く人を殺す、人の道を外れた男だった。2016年に公開されたインド映画『Raman Raghav 2.0』は、こうした異様なシチュエーションの中で展開されるサスペンス・スリラーである。主演に、近作では『Te3n』(2016)、『Bajrangi Bhaijaan』(2015)に出演のあるインド映画の名バイプレイヤー:ナワーズッディーン・シッディーキー、『Bombay Velvet』(2015)、『Masaan』(2015)のヴィッキー・コウシャル。監督に『Ugly』(2014)、『Gangs of Wasseypur Part1,2』(2012)、『Dev.D』(2008)で知られるインド映画界の鬼才:アヌラーグ・カシュヤプ。

《物語》ムンバイで9人の被害者を出した連続殺人の犯人が警察に投降する。男の名はラーマナー(ナワーズッディーン・シッディーキー)。悪びれるふうでもなく警察に己の犯罪をまくしたてるラーマナーだが、後に監禁されていた廃屋を脱走、警官たちの追跡も空しく姿を消す。警察官ラーガヴァン(ヴィッキー・コウシャル)は捜査を続けるが、彼は麻薬常用者であり、恋人には暴力的で、自らが不利になりそうなら容易く人を殺すような壊れた男だった。ラーマナーは逃走後も警察を嘲笑うように殺人を繰り返し、そして捜査は一向に進展しなかった。そしてラーマナーは次の標的としてラーガヴァンの恋人を突け狙い始める。

『Raman Raghav 2.0』という奇妙なタイトルは、60年代にインドを震撼させた実在の連続殺人犯、ラーマン・ラーガブに由来する。彼は鋼棒を使って殺人を繰り返し、逮捕されるまで41人の被害者の血でその手を染めたという。逮捕後彼は奇妙な言動を繰り返し、精神障害があるとみなされ終身刑を言い渡されたまま1995年に獄中死している。タイトルに「2.0」とあるように、この作品ではラーマン・ラーガブの悪夢を再話することになるが、もともと監督アヌラーグ・カシュヤプは60年代を舞台にしたラーマン・ラーガブのドキュメンタリーを製作したかったのだという。結局予算の折り合いが合わず、現代を舞台としたフィクションとなったが、それにより「連続殺人鬼」に対する抽象的な解釈は深まったと思う。

この作品のユニークな点は「連続殺人鬼」という闇そのもののと化した男を描くのと同時に、それを追う男ですらもが自らの裡に闇を抱えた存在であるといった点だ。同工のインド映画作品として『Badlapur』(2015)があるが、これにはアンモラルではあるにせよ「復讐」という已むに止まれぬ理由付けがあった。しかし『Raman Raghav 2.0』は、行動に対する理由付けなどなくただただ狂気であり、ただただ虚無的なのだ。確かに警察官ラーガヴァンは"父親からの抑圧"といったルサンチマンを抱えている描写が挟まれるが、その常軌を逸した行動の在り方からは、"父親からの抑圧"のみがこの男の魂を歪めたのだとは思えず、このラーガヴァンもまた、ラーマナー同様"その本質にあらかじめ暗い闇を抱えた存在"であるとしか思えないのである。

即ちこの物語は「巨大な化け物」に「自分が化け物であることにまだ気付かない化け物」が出会う、という一種異様な物語であり、決して単純な犯罪捜査ものではないのだ。物語は暗く冷たく狂った展開を迎えるが、「化け物」同士が全篇に渡ってドロドロと瘴気をぶちまあうその描写には人間的要素が皆無である以上感情移入する隙間が存在せず、正直「いったいなんなんだこれは」とかなり引き気味に観てしまった。もともとアヌラーグ・カシュヤプ監督作品は露悪的な作風のものが多く、個人的には苦手な監督でもあるのだが、この作品でも「人間の持つ原罪」をとことんまで突き詰めようとしたのだろう。ただ、露悪的であることが人間の本質に近付くというのは勘違いだし、それに原罪なんて一部のキリスト教の戯言でしかないと個人的に思ってるので、このアヌラーグ・カシュヤプ監督作品もまたしても好きになることができなかった。

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