20120222(Wed)
■[MOVIE]世界の終り、そして憂鬱という名の昏きトンネルの向こう〜映画『メランコリア』

■メランコリア (監督:ラース・フォン・トリアー 2011年デンマーク映画)
I.
地球との衝突が懸念される外宇宙からやって来た惑星メランコリア。この危機的な状況の中にある人々を描いた物語が映画『メランコリア』です。しかしこの作品は宇宙的な規模の破滅を描いたSF作品ではありません。メランコリア=鬱病というタイトルが意味するように、惑星メランコリアは登場人物の鬱的な状態の象徴的な存在です。日常生活と表裏一体となった破滅への不安と恐怖に怯える人々の心象が具現化したものであるということができます。まずなによりスローモーションで描かれる冒頭のイメージの数々が美しい。これは物語全体のあらましを超現実的なシチュエーションで表現したものなのですが、そのままでもアート作品として見る事が出来るような素晴らしいクオリティです。このへんからトリアーの今回の作品への意気込みが伺えるぐらいです。
物語は2章に分かれます。まず主人公ジャスティン(キルスティン・ダンスト)の結婚式と、それがジャスティンの抑鬱状態により破滅的な状況を迎える一部始終が描かれます。幸福の絶頂であるはずのジャスティンはしかし、周囲が期待するお仕着せの幸せが次第に重荷となり、遂に精神的破瓜を起こすのです。彼女の異常な行動は、幸福という名の束縛から自由になりたい、という衝動が起こしたものなのでしょう。2章目はジャスティンの姉クレア(シャルロット・ゲンズブール)と夫、子供を中心に語られます。迫り来るメランコリアと地球との衝突の恐怖に怯えるクレア。彼女には家族との幸福な日常を守らねばならない、という葛藤があります。守らねばならないものがあるからこそ彼女は苦悩します。
II.
守らねばならないものは誰しもある。しかし時としてそのしがらみに人は苦しめられる。その重荷を背負うのを止めることは、自由を得られる行為であるのと同時に現実生活における責任の放棄ともなってしまう。しかし苦しみによりその現実生活さえ継続できないのであれば、人はどうしたらいいのだろう。それを回避するのには価値観を転換させるしかありません。けれども、価値観の転換というのも実は困難な作業であるのです。一方、1章で抑鬱状態からの破滅を引き起こしたジャスティンは、2章では衝突の危機の中を奇妙に達観して生きている。かつての彼女の抑鬱は、周囲からの抑圧から生み出されたものだった。だから結婚の破滅を経験しながらも、その束縛から解放された彼女は、2章からは妙にひょうひょうとしている。
世界なんか終わってしまえばいい、そううそぶくジャスティンの世界は、実は一度終わっている。彼女にとって、メランコリアの地球衝突などは、一度終わってしまった世界の清掃行為でしかありません。ある意味、第1章がジャスティンの惨い現実を描いたものだとすると、第2章はその現実を乗り越えるためのジャスティンの夢想、妄想ととらえてもいいかもしれません。それは彼女が彼女の知るはずの無い数字を知っていた、という描写にも現れます。2部がジャスティンの内的世界を描いたものなのだとするなら、そこは彼女の恣意性が支配する世界なのであり、ならば一見不可能なことも、内的世界であればこそ、それは可能だからなのです。だからこそ、観念的な存在である惑星メランコリアは世界を終わらすために、一度チャラにするために地球にやってくるのです。この1章と2章の対比は、抑鬱とそれを乗り越えたものの達観、という形で存在しています。これはかつて鬱病で苦しんだというトリアー監督の心象が物語られているのでしょう。待ち受ける絶望的な運命に超然とし、諦観さえしていられるのは、トリアーが自らを苛む陰鬱さに対して「腹をくくった」ということなのではないでしょうか。
III.
迫り来る破滅に対してジャスティンは、どこまでも落ち着き払い、怯える姉クレアとその息子レオの為に「魔法のまじない」さえ教えます。そして映画は、陶然となるような凄まじいラストを迎えます。「魔法のまじない」は唐突に語られ、なぜそれをジャスティンが知っているのかは説明されません。それは単なる気休めかもしれませんが、しかし救いというもののある形であることは確かなんです。トリアーは、鬱病という名の昏いトンネルを抜けた終点に、心を平静にさせる"何か"を見出した。陰鬱な現実から身を守り心を平静にさせる"何か" 、即ちその「魔法」とは、トリアーにとって創造する事、物語ることだったのではないか。そして、メランコリア=憂鬱の襲来により一度チャラにした世界の後に、トリアーはもう一度自分の生きられる世界を再生しようとしたのではないか。
あらゆる毒を吐き出しまくり、暴力と死と絶望が全編を覆い尽くす暗黒の問題作『アンチクライスト』は、トリアーにとっての解毒行為であったのでしょう。そしてその創造の後に作られた『メランコリア』には達観したような美と落ち着きがあった。天空を覆う惑星メランコリアの姿を、素裸になって川辺に横たわったまま、うっとりと眺めるジャスティンの姿は、まさに憂鬱の正体と心を裸にして対峙しそれを受け入れたトリアーの姿そのものなのではないでしょうか。自らを苛むものと対峙し乗り越えた後に作られた作品であるこの『メランコリア』の美は、創造という「魔法」によって成し得られたトリアーの新しい境地が詰め込まれていると感じてなりません。トリアー監督作品を数多く見たわけではないけれども、どうも苦手な監督で、その露悪的ともいえるいやらしい物語展開には辟易させられていたのですが、この『メランコリア』はその印象を払拭するような、美しさと確信に満ちた素晴らしい作品でした。ある意味自分にとってトリアー監督のベストと言ってもいいでしょう。
■メランコリア 予告編
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20120221(Tue)
■[MOVIE]ポランスキー監督の映画『おとなのけんか』は極上のコメディだった!

■おとなのけんか (監督:ロマン・ポランスキー 2011年フランス・ドイツ・ポーランド・スペイン映画)
舞台はニューヨーク。子供同士の喧嘩で片方が怪我をしてしまい、それをきっかけに集まった二組の夫婦。最初は平和的に話し合いを進めようとしていた4人だったが、ちょっとした言葉のあやがどんどんと膨らんでゆき、しまいにはてんやわんやの大騒動に…というコメディ映画です。このコメディの監督にロマン・ポランスキーが挑戦している、というのも大いに興味をそそられましたが、二組の夫婦役をジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリーという涎の出そうな面子で演じているのがまた見ものなんですね。この4人それぞれの個性や性格が際立っていて、その個性と性格がぶつかり合い、次第に収集が付かなくなってゆく様が見ていてこそばゆくなるほど楽しいんです。映画は基本的にたった一つの部屋が舞台であり、主演の4人しか登場しないんですが、これだけの登場人物とシチュエーションでここまで見せる監督と俳優陣に脱帽しました。
まず怪我させられた子供の側、ロングストリート夫妻。こちらがマイケル(ジョン・C・ライリー)とペネロピ(ジョディ・フォスター)。いちおう「知的リベラル」な一般市民ということらしいんですが、それが物語を経て次第に怪しくなってくる。マイケルは大雑把で自分の事ばかり言っている快楽主義者だし、ペネロピは神経質で癇癪持ちで正しいことを言っているようでよく聞いてるとポジショントークばかりだったりする。そして怪我させちゃった子供の側、カウワン夫妻。こちらがアラン(クリストフ・ヴァルツ)とナンシー(ケイト・ウィンスレット)。二人はいわゆる富裕層で、鷹揚に見えながら実は剣呑、アランは家庭を妻に任せっきりの傍観主義者だし、ナンシーはこの物語で一番普通に見えて、実はとんでもない行動を突然起こし、物語の流れをいきなり変えてしまうという突拍子の無さを持っています。
でもこの4人、コメディによく出てくるような変人や頭がちょっと緩い人たちでは全然無いんです。実のところ知的だし経済的にも恵まれてるし、一見おかしいところも外れたところもない本当に一般的な人たちではあるんです。しかし同時に、一般的で普通な、という人たちでも誰でもある、「あの人、嫌いじゃないし、悪い人でも無いんだけど、ここさえなけりゃあなあ」と思わせる、ちょっとした「個性」があるんです。人付き合いをしている上で、普段なら問題にもしないであろう、そんな人の「個性」を、ちまちまとしたところから対立させ、次第に増幅させて仕舞いには大騒ぎまで持ってゆく物語展開が、実によく出来ているなあ、と感じさせられました。言っていることもやっていることも一見はみ出していない、変なことを言ったりやったりもしていない、にもかかわらずどんどんとお話の雲行きが怪しくなってゆく、こういった非常に常識的な状況からじわじわと突拍子も無いシチュエーションへと持ってゆく手腕が凄いんですよね。
子供を巡り2組の夫婦でちょっとした意見の相違でしかなかったものが、段々と子供の問題とは何にも関係ない個人攻撃や性格否定へと膨らんでゆき、さらに夫婦同士が仲たがいし、今度は相手の夫婦と意見が合ってみたり、さらには同性同士で共闘して「男はこれだから困る!」「だから女は嫌なんだ!」とやりはじめるさまは、もう可笑しくてしょうがないのと同時に、聞いていて痛いところを突かれるような部分さえあり、なんだか自分も一緒にこの論争に巻き込まれて苦笑いしてしまうんですね。早口でまくし立てられる言葉と言葉の応酬は、観ていて一瞬たりとも気の抜けない緊張感に満ち溢れています。たったの一言が物語の流れを変え、さらにあとあとの諍いの伏線になっていたりするからなんですね。コメディの筈なのにこれほど集中力を要求されるのも珍しいし、この中身の濃さと醍醐味を味わうには劇場が一番だ、とさえ感じました。
ここまで読んでまだ劇場行こうかどうしようか迷っているあなた!この映画では部屋中にゲロをぶちまけるケイト・ウィンスレットやパンツ一枚で途方に暮れるクリストフ・ヴァルツや酒くれよう酒くれようとピョンピョン跳ねるジョディ・フォスターの姿が観られたりするんですよ!どうしてそんなシチュエーションに!?それは劇場で観て確かめましょう!誰が観ても面白さは保障できますが、結婚されている方、子供のいる方、さらに奥さん同士なんかでこの映画を観ると特に楽しめると思いますよ。お勧めです。
■おとなのけんか 予告編
20120220(Mon)
■[MOVIE]時は金なり、持たざるもの生きるべからず〜映画『TIME / タイム』

■TIME / タイム (監督:アンドリュー・ニコル 2011年アメリカ映画)
いつともしれない未来、遺伝子操作により人の寿命は25歳までに限定され、それよりも生きようとするものは通貨として「時間」を得なければならなかった。全ての経済はこの「時間」によってやりとりされ、それにより、持てる者はより長命に生き、持たざるものは短い人生を送らざるを得ない。映画『TIME / タイム』はそんなグロテスクな未来を描いたSF作品です。なぜ25年で寿命が限定されたのか、というと、医療技術が発達して人が基本的に不老不死になってしまい、人口増加を抑えなければならないが為に経済状況によって寿命を変動させよう、ということになったかららしいんですね。この社会では富める者が長命で、貧しいものが短命という寿命決定が成されますが、これは現実世界において経済格差による寿命のありかたを暗にほのめかしている、いわば寓意であり寓話ということが出来るんですね。
貧しい者に生きる価値なんかない、世界にとって何の役にも立たない、だからさっさと死んで構わない、そんなシステムが当たり前になった世界、というのは、しかし人口増加で人命がインフレーションを起こしているこの世界の在り様でもあるわけで、この着想は非常に皮肉であると同時に良質なSF設定だと感じました。そして「格差社会への怒り」というテーマは実に今日的であり、それをSFのオブラートで包んで描くことで、寓話のありかたとして実に優れたものになっているんですね。
映画では貧民街と富裕層の生活する街が段階を置いて区切られており、明らかな階級社会として成り立っています。そんな社会で主人公ウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)はひょんなことから117年もの時間を手に入れる。これは要するに大金を手にしたのと同じことです。そして主人公はその時間=大金を手に富裕層の街へと繰り出すのですが、時間監視員のレオン(キリアン・マーフィー)は非合法な「時間」の入手があったのではないかとウィルを疑い、彼を付回します。一方ウィルは時間格差=経済格差に怒りを抱き、あちこちで「時間」を奪い、「時間」を持っていない貧しいものに配分し始めます。時間=通貨であるわけですから、この辺の流れは「貧乏に嫌気が差した男が銀行強盗を起こし、奪った金を貧しいものに分け与える」といういわば義賊の物語の変奏曲となっているわけです。
しかし、中盤からラストにかけて、この「義賊の物語」を描くことに終始してしまい、「格差を生む歪んだシステムへの挑戦」といった形へ物語が進まないばかりに、当初あったはずの物語の問題意識が、単なる「大泥棒の追跡アクション」へと矮小化されてしまったことがこの作品の完成度を落としているように感じます。設定はとても魅力的なのですが、その設定を生かして物語をもっと膨らませて欲しかったんですよね。つまり、寓話であるなら、クライマックスに、このような世界を生み出した時間管理機構なり医療技術機構なりと戦って、こんな社会を引っ繰り返してしまうような所まで物語って欲しかったんですよね。だって、結局格差は格差のままなわけで、それじゃあ観ていて納得できませんよ。まあ、この映画の世界が引っ繰り返っちゃうと、最初の問題設定であった人口増加がどうなっちゃうのかはわかりませんが、その辺はなんか知恵出してお話作ってくださいよ。
そんな具合にちょっと食い足りない部分のある映画でしたが、ジャスティン・ティンバーレイクの「貧民はハングリーだぜ!」な顔つきは好きでしたし、キリアン・マーフィーの血圧低そうなクールないでたちもやっぱり好きなんですよね。それと、映画全体のSF風味も決して悪くないんですよ。この映画の監督アンドリュー・ニコルって、『ガタカ』や『シモーヌ』みたいな優れた寓話SFを撮っている人で、『トゥルーマン・ショー』もやはり着眼点の面白い寓話的作品で嫌いじゃないです。ただ、全体的に端整過ぎて食い足りないという部分も似ていて、やっぱり次の作品もこんなテイストなのかなあ。なんかのきっかけで化けて欲しいような気もするなあ。
■TIME / タイム 予告編
20120217(Fri)
■[COMIC]エデナの世界 / メビウス

大友克洋・宮崎駿・寺田克也・荒木飛呂彦など、多くのクリエーターに影響を与えたメビウスが描くSFファンタジー巨編が、遂に邦訳化! 本作は元々フランスの自動車会社「シトロエン」のために1983年に出版された作品で、その後シリーズものに発展した。 主人公のステルとアタンのコンビが、宇宙船に乗って、エデンの園を想起させる緑豊かな楽園めいた惑星に辿り着く。しかし二人は、ひょんなことから離ればなれになってしまい、見知らぬ土地で互いを探し合う。果たして、二人は再び巡り会うことができるのか?
音信不通になった小惑星工場を調査しにきたアタンとステルは小惑星ごと惑星「巨人」に落下し軟着陸する。惑星をさまよう二人は膨大な数の宇宙船に取り囲まれる形になった超巨大ピラミッドを発見、そこで何事かを待ち受ける宇宙船の乗客たちと出会う。そして上昇する巨大ピラミッド、その中へ吸い寄せられてゆくアタンとステル、宇宙船の人々。ピラミッドは宇宙空間へと飛び立ち何処かへと消えてゆく。ピラミッドの中で目覚めたアタンとステルはエデンの園のような惑星に辿り着いたことを知る。ホルモン抑制剤の切れた二人はそれぞれが男性と女性であることを初めて知り、それに戸惑う二人に諍いがおき二人は離れ離れになってしまう。そしてそれぞれを待ち受ける不思議な意識体と繰り返し襲い掛かる悪夢の存在。惑星には全身をゴムスーツのようなもので覆ったクローンたちによって作られた奇妙な地下都市が存在し、生身の体を晒すアタンとステルを不浄なものとして追い掛け回す。アタンとステルは再び巡り合う事が出来るのか。二人を襲う悪夢思念体の正体は何か。――フランス・コミック界の巨匠、メビウスの描く傑作コミック『エデナの世界』はこんなふうにして物語が進んでゆく。
卓越した描線。美しい色彩。乾いた世界観。自由な発想と稚気溢れる連想から生み出される変幻自在の物語。世界のコミック・アーチストの中でもトップ・クラスの才能を持つメビウスが1983年から2001年にかけて製作し出版した『エデナの世界』は、そんなメビウスの世界を余すところ無く堪能できる極上のSFコミックである。一昨年日本でようやく邦訳の出た『アンカル』が、アレハンドロ・ホドロフスキーによる原作であり、メビウスの美しいタッチが味わえたとはいえ、物語的にはホドロフスキーの神秘主義的世界が全面に押し出された世界観だったとすると、作画ともメビウス・オリジナルである本作は、メビウスの魅力に真に迫ることができる作品だということが出来る。
この『エデナの世界』は、フランス本国では本編5巻とスピンオフ1巻で構成され、今回の日本語版では1冊本として発売されるが、構想の段階で、メビウスがこの物語の行き先を全て作り上げ、それぞれの巻を描き上げていったとは思えない。不思議な惑星で、一組の別れ別れになった男女が再び巡り合う、といった大まかな構成はあるにせよ、ここで描かれるめくるめくようなイメージの数々は、その時その時の、メビウスの軽妙洒脱な発想力と、イメージがイメージを生んでゆく、奔放な想像力が、物語を牽引する原動力になっていたのだろうと想像出来るからだ。メビウスはきっと、自らの筆が自らの意思を持ったかのようにイメージを紡いでゆくにまかせながら、この物語を完成させたのだろうと思う。だからこの物語は、堅苦しいドラマツルギーや、退屈な叙述作法などに拘泥することなく、作者メビウスの描く楽しさがダイレクトに伝わってくる作品となっているのだ。その世界は広々として、それがあたかも無限であるかのように自由に満ちている。そこには不思議があり、謎があり、危険があり、冒険がある。絵物語を読み進める愉悦に満ちた当代最高のコミック、メビウスの『エデナの世界』を、刮目して読め!
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20120215(Wed)
■[GAME]問題作『POSTAL3』はグラインドハウスなバカゲーだった!

『POSTAL』といえばあまりに残虐過ぎてアメリカでは発禁になったいわくつきのゲームであります。どんな風に残虐かというと、このゲームの主人公は単なるキ印、通り魔、無差別殺戮野郎でありまして、ゲームはストーリーがどうたらこうたら言う以前に、平和な町に住む善良な市民の皆さんをただただひたすら理由も無く惨たらしく無差別に殺して殺して殺しまくってゆくだけ、というとっても酷いゲームなんですね!殺し方もバリエーションに富み、銃で蜂の巣にしたりマチェーテでバラバラに切り刻むのは当たり前、ガソリンかけて火をつけて、悲鳴をあげながら逃げ惑う善良な市民の皆さんの姿を愛でたり、パレードの象をけしかけて善良な市民の皆さんが踏み潰されてゆく阿鼻叫喚を楽しんだり、挙句の果てに「小便」コマンドで死体に小便かけたりもできるんですね!なんて酷いゲームでしょうか!こんなのは発禁になって当たり前ですね!
で、その『POSTAL』の3作目、『POSTAL3』が発売され、どれほどけしからんゲームなのか確認する為に買ってやってみました!いや以前『2』もやってみたんですけどね、当時持ってたPCのスペックに合わなかったのか、重すぎてゲームにならなかったんですよ。クソゲーのくせに重いなんてとんでもない話ですね!
でまあこの『3』、やる前から分かってたことですが、もう思いっきり下らないんですよね。おまけにゲームとしての作りもサイテー、まあ最悪とまでは言いませんが、操作性からシステムからホント、ショボショボで、ぶっ殺しまくることはぶっ殺しまくるんですが、なにしろただ殺しまくるだけで、一応ミッションはあるにせよ結局どれも同じ、メリハリも無いし緊張感も無いし、やっていてこれだけ時間の無駄使いをしみじみと感じさせてくれるゲームも近来珍しい、まさにクソゲー中のクソゲー、キングオブクソゲーの名をほしいままにするようなしょーもないゲームの作りなんですわ。
まあしかし、このゲームをやって怒るのって、ソープ行ってソープ嬢に「不道徳だ!」と言ったりスプラッタムービー観に行って「人間の見るものじゃない!」と怒ったりするような勘違いも甚だしい行為であって、『POSTAL』をやる以上はこれが下らないサイテーのゲームであって、それ以上のものを求めるのは野暮の中の野暮だって言われてもしかたありません。まあそれにても下らなかったですけどね。
そんな中で面白かったのは最初のミッション、ポルノショップに勤めた主人公が糞真面目な町のポルノ反対デモを撃退するやつでしょうかね。主人公は最初、ポルノショップの掃除夫として掃除機で客が床に捨てた使用済みティッシュを吸い込むことからはじめるんです!そしてデモのヒステリー連中がやってきたらその掃除機を逆流させ、使用済みティッシュをデモの連中にぶちまけるんですね!ベチャベチャに濡れたアノ臭いでいっぱいのティッシュを浴びたデモの連中はそこで思いっきりゲロ吐いて成仏するんですね!いやあキタねえなあ!エグいなあ!
その他にもどうみてもベトナム人にしか見えない日本料理屋の日本人を叩き殺して廻るミッションや、なぜかビン・ラディンとアルカイダを血祭りにあげるミッションとかもあって、まあこうやって書くと楽しそうですが、やればやるほどどうでもいい感の増してくる糞つまらない出来になっています。しかしこのグダグダ感、ダラダラ感が、やっていてなんかこう和むといいますか、ボーっとしながら出来る、そんな良さが無いわけでもない…いや、やっぱねーよそんなもん!
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私は、2010年11月1日に、デスルームと言うどうしようもないB級映画を観てしまい、あまりのくだらなさに
「世の中の人は、この映画にどんな感想を抱いたのだろう…」と、何気なくググったところ、こちらの2009年6月19日の記事がトップに表示されたので、読ませて頂いた者です。
その記事が、デスルームのしょっぱさとどうでも良さををあまりにも的確に面白おかしく書いていたので、救われた思いでした。
それ以降、こちらのブログに興味が湧いて、その後の二年半の日記を、毎日のように少しずつ読み、一年以上かかってようやく本日の記事に追いつきました。
洋画、洋楽、洋ゲー、洋書が好きで、都内在住の私には共感する部分も多く、いつも楽しく読ませて頂いております。ありがとうございます。
これからもお身体に気をつけて下さい。
(記事と関係なくてごめんなさい)
どうもありがとうございます!なんだか凄い嬉しいコメントです。一年以上かけて古い記事をたどってもらえるなんて、ブロガー冥利に尽きるってものですよ。まあ結構しょうもない記事ばっかりだったような気もしますが、昔の記事だからとりあえず忘れたことにしておきます。
それにしてもデスルーム本当に下らなかったですよねえ。あまりに下らなかったので突っ込むのも楽しかったですね。実は自分の日記、結構このデスルームで検索して来てくれる方が多くて、検索語ではトップだったりするんですよ。調べたら去年見に来てくれた方でデスルームの検索語では1000人弱の方が来られているんですよね(デスルーム以外に見るべきものがあまりにも少ないという事情もありますが…)。しかも古い記事あのにいまだに検索されているっていうことは、みんな「なんだったのこれ?」って疑問に思っちゃうような映画なんでしょうね。意外とこの映画、隠れたカルトムービーなのかもしれなせんね。
自分ももう結構な年なので、以前のような馬鹿な勢いの文章が書けなくなってしまいましたが、またお暇なときにでも覗いて下さると嬉しいです。本当にありがとうございました。
>カト
全くお前ってやつは…
これには結構貢献してる自身がありますよ!
私も年間200本近く映画を観る方なので、しばしば友達から、「オススメの映画は?」とか、「逆につまらない映画は?」などと聞かれるのですが、
そんな時はデスルームの話をしながら、iPhoneであの記事を開いて、「こんな映画」と、読んでもらいます(笑)
まぁ、だいたいの人の反応は、「逆に観たい!」です(笑)
話はそれますが、映画好きにとって、どうしようもないダメ映画やB級映画を、いかにしょうもない映画だったか、を説明する時って、妙にテンションが上がるモンですよね。
それで相手に笑ってもらえれば、つまらない映画でも観て良かったと思えるものです。
こちらの日記がきっかけで、アライバルやオスカー・ワオ、アイアムアヒーローや様々な素晴らしい映画に出会うことが出来ました。
引き続き読ませて頂きますので、宜しくお願いします。
では!