2007-12-27
■[gordias]G★RDIAS第1期終了のお知らせ
本日をもって、G★RDIAS第1期を終了します。
これまでご訪問いただき、また意見交換していただき、ありがとうございました。
またお会いできる日を楽しみにしています。
なおコメント欄は当分のあいだ生き続けています。
G★RDIASメンバー一同
(id:eirene id:font-da id:kanjinai id:x0000000000)
2007年12月27日
■[eirene][新刊][収穫]2007年の3冊
今年の新刊書から印象に残った本を紹介したい。宗教に関係する本を3冊選んでみた。
- 作者: 金澤正剛
- 出版社/メーカー: 音楽之友社
- 発売日: 2007/01/18
- メディア: 単行本
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ヨーロッパの芸術音楽の歴史とキリスト教の結びつきについて、やさしく書かれた日本語の本は、それほど多くないように思う。著者は『キリスト教音楽の歴史』(asin:4818405507)をすでに刊行しているが、本書はキリスト教にそれほど詳しくない日本人のクラシック音楽愛好家を意識し、平明な文章で書かれている。
キリスト教の典礼と音楽の関連など、基本事項の解説があるのは便利(第1章〜3章)。第4章「教会とオルガン」が面白い。
本書を読み、芸術音楽はキリスト教の思想や霊性を表現し、人々に伝える手段として、とてつもなく重要なものであったことを、再認識させられた。
それにつけても、世俗化の進んだ現代に住むわれわれがともすると忘れがちなのは、バロック以前のヨーロッパにおいては、社会における教会の役割が今日とはだいぶ異なっていて、人々とキリスト教の結びつきも自然で、「宗教」などというむずかしい言葉は二の次であったということです。つまりそのころはだれもが、なんら疑いをもたずに教会に足をはこんでいたのです。だからといってかれらが現代人以上に信心深かった、というわけでは決してありません。かれらにとっては、キリスト教は最初から生活の一部であり、信じることはあたりまえ、それにたいして疑いをもつなどということは夢にも考えなかったことでしょう。教会に行くといってもそれを宗教的行為と意識していたかどうかはわかりません。教会はいわば社交の場としての役目もはたしていたのです。誰でもいいから人に会いたいと思ったら、まず教会にいけば誰かに会えるだろう、と考えて足をはこんだ人もすくなくなかったことでしょう。文化活動においても、現代ではその中心にさまざまな世俗的な施設がありますが、以前はキリスト教の教会がその役割をはたしていたのです。
そのような事情は音楽の世界でも同じことで、一八世紀を境目として大きな変化がみられます。とくに一九世紀に入ると音楽芸術とは世俗的性格が強いものという傾向が優位を占め、宗教音楽というとなにやらそのなかの限られた分野と思われるようになってしまいました。しかし以前はそれがまさに逆で、音楽の主流は教会音楽にあったのです。しかもそのころの一般庶民にとってより身近だったのは教会音楽であり、世俗音楽はむしろ高嶺の花だったのです。つまり世俗曲のほとんどは個人的に家庭内、というよりは宮廷内で演奏されるような小規模な作品で、しかもそれを楽しむのは上流階級の人々に限られていました。一般庶民が楽しむのは現在と同じで、おもに流行歌や巷の楽師たちの演奏だったはずですが、歴史に残るようなより高度な音楽を聴きたいと思った人たちは、教会へと足をはこんだのです。教会では素晴らしい聖歌隊の歌唱がつねに聴けましたし、オルガンの演奏もあり、バロック時代に入るとそれ以外のさまざまな楽器の合奏も聴けたわけです。しかもそれはすべて無料で。
本書「はじめに」より、3〜4頁
- 作者: 島薗進
- 出版社/メーカー: 秋山書店
- 発売日: 2007/07
- メディア: 単行本
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これは9月2日のエントリーで言及した。旧著の新装版であるが、新たに索引が付加され、使いやすくなっている。
参照、http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070902
- 作者: 佐藤研
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/10/26
- メディア: 単行本
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ヨーロッパでは、一九七〇年代後半から参禅する人が増えている。私が大学生だった一九八〇年代の半ばのこと、キャンパスで知り合ったドイツ人留学生はカトリック信徒だったが、禅に傾倒していた。当時(西)ドイツを旅行した際、都市部の書店に立ち寄ったところ、Zen 関連の本が並んでいたのに驚いた記憶もある。
ヨーロッパで禅ブームと並行して生じているのは、伝統的キリスト教の凋落である。著者(聖書学者)によると、ヨーロッパのキリスト教会からは若者の姿が消え、ドイツ・スイス圏の大学神学部(=牧師養成機関)では教員のリストラが進んでいるという。「一九七〇年代は、神学を学ぶ者は賢い者という評判だった。しかし九〇年代では、神学を専攻する者は愚かな変質者でしかない」と語った、あるヨーロッパ人の声も紹介されている(本書、6頁)。
禅ブームとキリスト教の凋落は、なぜ起きているのか。禅ブームが定着した今後、ヨーロッパ人が継承してきたキリスト教信仰はいかに変容していくのか。本書には、著者独自の分析と見通しが記されている。
2007-12-26
■[kanjinai][雑記]NHKBS受信料強制徴収は合法との判決!?
堺市で、NHKのBS放送の受信料を払う必要がないかどうかで争われていた裁判で、大阪地裁堺支部は、徴収は合法であり、受信料は払う義務があるとの判断を示したらしい。
この判決はほんとうにこれでいいのか?
ケーブルテレビを視聴する堺市の男性(40)が、見てもいない衛星放送の受信料を日本放送協会(NHK)に支払う必要がないことの確認を求めた訴訟の判決が30日、大阪地裁堺支部であった。谷口幸博裁判長は「放送法に基づく受信規約は有効で、原告は衛星カラー契約を締結する義務を負う」として、請求を棄却した。男性は控訴する方針。
判決によると、男性はNHKとの間で地上波放送の「カラー契約」を締結していたが、平成18年7月ごろ、ケーブルテレビ会社と契約し、衛星放送も受信できる装置を自宅に設置した。
男性は、NHKが衛星放送を視聴する意思のない者にまで一律に「衛星カラー契約」への変更を義務づけることは、「契約自由の原則に反し、消費者の利益を一方的に害する」などと主張していた。
谷口裁判長は判決理由で、「衛星カラー契約の受信料はカラー契約に比べ月額945円高いが、地上波放送では見られない放送を受信することができ、差額の負担はとりたてて過大とはいえない」とし、衛星放送を受信できる環境かどうかを基準に契約義務の有無を一律に決定することは合理的と判断した。
そのうえで、受信装置を設置した男性に対し、放送を見る意志の有無にかかわらず契約変更を義務づけることは「契約自由の原則の例外として許され、消費者の利益を一方的に害するものではない」とした。
BSを受信できるテレビを購入した時点で、実際に見ても見なくても、BSの受信料を払う義務が生じるというのはぜったいにおかしな理屈ではないのか。BSアンテナ付きマンションやアパートでテレビを買ったら、いまどきほとんどBS対応になっているから、自動的にBS受信料を取られてしまう。生活費が苦しいからほんとうに見ていないBSは払いたくない、という人までからも取られてしまう。「見てないのに料金を取る」というのは、端的に詐欺である。「見る可能性があるから」というNHKの理由はヘンだし、上記判決理由もヘンではないのか。
2007-12-25
■[kanjinai][映画]ジーザスクライスト・スーパースター
- 出版社/メーカー: CICビクター・ビデオ
- 発売日: 1993/04/21
- メディア: VHS
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訳あって、ノーマン・ジェイソン監督の名作ロックオペラ映画『ジーザスクライスト・スーパースター』を購入。絶版だったのでネットから中古を買った。観るのはもう何度目か分からないほど観たが、やっぱり何度観ても感動する。音楽が最高なのは言うまでもないが、やはりこのスタッフのジーザス解釈が私にぴったりマッチするからだろう。名場面のオンパレードでどれがいいとか言えないが、ひとつだけあげれば、最初のほうの、ジーザスをめぐってマグダラのマリアとユダが交錯する場面、ジーザスとユダが手を握り合う場面がやはりすばらしい。クリスチャンからは、この映画はどう見られているのか私は知らないが、どうなのだろう。
いずれにせよ私のいままでに観た映画トップ10に入る映画である。
ロックオペラ映画は、これと、あとは『ロッキー・ホラーショー』があればそれでよいのではないか。
■[font-da][新刊][収穫]2007年の3冊
今年、印象に残った3冊をあげます。私は、人間を描き出そうという試みで、興味深かった本を3冊。(必ずしも良書という意味で選んだわけではありません)
(1)森田京子『子どもたちのアイデンティティー・ポリティックス―ブラジル人のいる小学校のエスノグラフィー』
子どもたちのアイデンティティー・ポリティックス―ブラジル人のいる小学校のエスノグラフィー
- 作者: 森田京子
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2007/07/30
- メディア: 単行本
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日本のある小学校での、参与観察をまとめたもの。筆者はアメリカの大学で、人類学を修めたフィールドワーカーである。約2年間、数度にわけて、教室の中での調査を行っている。ニューカマーとして、日本に移住してきた日系ブラジル人の子弟が、どのように小学校で暮らしているのかを追う。
やはり、言語の問題や、文化の違いなどで、ほかの日本人クラスメイトとの摩擦が起きている。以前より、教育学では日本の小学校教諭が、学級経営に一体化を求めるため、ブラジル人小学生が同化を迫られる点が指摘されていた。しかし、森田さんは、深く小学生のコミュニティに入っていき、子どもたち一人一人が、「ブラジル人としてのアイデンティティを奪われることなく、クラスになじむ戦略」をたてていくことを明らかにする。
「抑圧的な日本の教師/抑圧される子どもたち」という二項対立で語られやすい教育現場だが、この文献では、そのような単純化を切り開く試みがなされている。子どもたちの生き延びる戦略のたくましさに焦点を当てている。具体的には3人のブラジル人小学生のストーリーが紹介されている。この3人の成長の様子を、つぶさに観察しながら、暖かく描いている点で、読み物としても面白かった。
(2)藤井誠二『殺された側の論理』
- 作者: 藤井誠二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/02/27
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今年6月に被害者参加制度が成立した。その3ヶ月ほどまえに発刊された書籍である。犯罪被害者遺族の側の言い分を、ルポルタージュとしてまとめている。後半は、被害者遺族による「死刑廃止論」批判があることを述べている。
被害者参加制度は、私が「声をきこう」運動と呼んでいるムーブメントの集大成であるといえるだろう。「当事者こそが真実を知っている」「当事者の意見を尊重しなければらない」という世の多くの人が賛同した運動である。しかし、「声をきこう」運動の内実とは、いったいなんだったのか。被害者参加制度に反対していた犯罪被害者遺族の存在は、ほとんど省みられなかった。声の大きい当事者<だけ>を、「私たちの聞きたい声をあげるような当事者」<だけ>を取り上げている側面がある。結局、私たちは、「声をきこう」といいながら、都合のよい声だけを拾い上げていたのではないか。
藤井はこの書籍のあとがきで
殺された側にしかわからない、という言い方がある。
被害に遭った者にしか理解できない、という言い方もある。
私は当初、そういった経験主義的ともとれる言い方に若干のひっかりがあったのだが、犯罪被害者や遺族へのインタビューを重ねていく過程でそのひっかかりは溶けてなくなっていった。
(276ページ)
私は「それはあかんやろう」と思う。なぜなら、「あなたにはわからない」と言ってしまった瞬間に対話の糸口はなくなるからである。感情的には「あなたにはわからない」という言葉の前に、私は立ち尽くすだろう。そして、私も感情的に「あなたにはわからない」と他者に言うことがある。感情的に圧倒し/圧倒され、言われた側が沈黙することがある。しかし、それは言われた側の、論理の放棄である。
この書籍の表題にある「殺された側の論理」はとても重い言葉である。殺された側は、それでも論理的であることができるのか。しかし、言う側が論理だというのならば、言う側は論理を貫徹するほかない。また、論理だと言われれれば、言われた側も論理的に批判するしかない。
論理として主張をかざすことは、批判に身をさらすことである。被害者遺族のその態度に対し、私たちは誠実に論理で応答しなければならない。だが、「ああ、私にはわかない」と感情に流され、論理を放棄していないか。
当事者の「声をきこう」とする第三者として、藤井さんの態度をどう評価するのか、という点で印象に残った書籍だった。
(3)四方田犬彦『先生とわたし』
- 作者: 四方田犬彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/06
- メディア: 単行本
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批評家である四方田さんの回想録。自分の師匠である由良君美を、描き出そうと試みている。大学のゼミ時代の思い出から始まり、由良さんの生育歴や、その父母の系譜をたどっている。そして、四方田さんが研究者としてひとり立ちした後の、いさかいまでも綴っている。
知の探求の途上で、師にめぐり合うことは重要である。しかし、いずれ、弟子は師を超え、その庇護から這い出す。そして、今度は弟子を迎え、自らが師となるのだ。四方田さんは、由良さんとの交流を振り返りながら、暗い感情の行き違いがあったとはいえ、由良さんは深く誠実に弟子と向き合っていたと述べる。さらに、自分は由良さんほど、弟子に対し誠実であるのかを問われるという。
内容はすごく面白かった。でも、それ以上に「私の知っている大学生活とはずいぶん違うようで」という意味で夢中になった。私にとっては時代小説みたいなものです。
(番外)ケイト・ボーンスタイン『隠されたジェンダー』
- 作者: ケイトボーンスタイン,Kate Bornstein,筒井真樹子
- 出版社/メーカー: 新水社
- 発売日: 2007/09
- メディア: 単行本
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トランスジェンダリズムの先駆けである本が、ついに翻訳された。1994年に出版されている。当時はやりのコラージュや、簡単なワークショップ的な仕掛けも楽しい本。すでに批判も多く出ているけれど、トランスジェンダーと、政治参加について考えるには通るべき本だと思う。(まだパラパラ見ただけで、ちゃんと読めてません…)
続けてこちらに乗っている批判も。
- 作者: パトリック・カリフィア,竹村 和子,石倉由,吉池祥子
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2005/07
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■[kanjinai][新刊][雑誌]編集者は「邪馬台国」をどう断るか
『いける本・いけない本』第7号というミニコミ誌を眺めていたら、タイトルのようなエッセイを見つけた。著者は、元講談社の編集者、鷲尾賢也さんである。編集者をやっていると、様々な持ち込み原稿が殺到するが、そのなかでもいちばん多いのは「邪馬台国」ものらしい。それをどう断わるかというのが、編集者の技だとのこと。どう断わるかというと、
「なかなかの労作だと拝読しました」。ただ、「昨今の書店事情だと、こういうものはなかなか数字があがらない」。「しかし念のために販売担当者に話をしたが、やはりうんといってくれなかった」。「せっかくのお原稿ですが、ご希望に添えません。まことに残念です」とでも書けば、かなり納得してくれるだろう。(27頁)
ということのようである。こういう手紙をもらった人、ひょっとしていませんか?
■[eirene][web]「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画
興味深い記事を発見。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm
プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。
そうなのか?。私の場合、カルピス劇場のアニメーションは子供の頃に見たかすかな記憶が残っているが、原作をまだ読んだことがなかった。いずれ原作に目を通して、プロデューサー氏の仮説を検討してみたい。
- 作者: ウィーダ,ハルメン・ファン・ストラーテン,野坂悦子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/11/14
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2007-12-24
■[kanjinai][読書]西田幾多郎の生命の哲学
論文書きのために、次の本を読んだ。
- 作者: 檜垣立哉
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/01/19
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なかなか面白かった。西田は、『善の研究』を読んでいたほかは、後期の全集などをぱらぱらと読むくらいだったから、この本を読むことで西田の全体像を、いまっぽい枠組みで概観することができた。京都学派とのしがらみなしに西田を読める良い本だと思う。
檜垣さんは、西田を生命の哲学として読み解こうとする。前半がとくに引き締まっていてクリアーである。後半はちょっと息切れしてるかなとか思うが、言いたいことは分かる。西田自身が後期・晩年は煮詰まっているのだろう。
檜垣さんは「生命」についてこのように言う。
生命は自らを展開させる力をもっている。生命は自己増殖し、自己展開し、進化する。生命は、「要素還元主義」的な単純な物質法則によってはとり押さえられないような、繁殖の力、多様性の力、自己組織化の力を露呈していく。(73頁)
そして前期西田における「純粋経験」が「このような有機体的な生命の議論の、思想的ヴァリエーションと見なしうるものである」(74頁)とする。
そして、西田哲学が「自覚」「無の場所」「行為的直観」というふうに後期に向かって深化していくときにおいても、それは一貫して「生命の哲学」であったと言う。すなわち、「形」から「形」へと無限に「動揺」していく場面が「絶対矛盾的自己同一」なのであるが、そこにおいて働いているものは「破断を含みながら自らを組み替える潜在的な力」であり、西田はそこに「生命」を見る、と檜垣さんは言う 。そしてこのように西田を読解したうえで、そこに同時代の哲学者であるベルクソンとの類似性を認め、また後の哲学者であるドゥルーズとの共通点を見出している。
無と自己同一というような形而上学的思索にもし興味がもてるのなら、こういうふうに解釈された生命哲学はとても面白いだろう。私としても、とても参考になるが、私自身はもっと楽しい方向に生命の哲学を開いていきたいと思っている。いずれ論文で発表します。
2007-12-23
■[kanjinai][雑記]オウム真理教は仏教ではない?
『朝日新聞』大阪版、12月21日朝刊に、「シルクロード・奈良国際シンポジウム2007」という催しの記録が一面全面を割いて紹介されている。発言者の話はそれぞれ面白いが、ひとつだけ「?」となった発言があった。それは榎本文雄大阪大学教授のものだ。
――オウム真理教も仏教か。
榎本 仏教は殺生を禁じる戒律を守らねばならない。オウム真理教は殺人を犯したので、仏教の教えに反している。
朝日の記者が要約したのだろうから、本意を伝えていないかとも思うが、それにしてもこれでよいのだろうか。だとしたら、日本の仏教のほとんどは仏教の教えに反していることになるだろう。自分で蚊も殺しているし、人の殺した肉も食べているし、むかし比叡山には強い僧兵がいて、寺の意志のもと人殺しをしていた。
もしこの発言が、「日本のほとんどの仏教徒も仏教の教えに反している」と続くのなら、一貫性はあると言えるだろう。
2007-12-22
■[kanjinai][雑記]大阪府立大学のシンクタンク化
大阪府知事選に立候補した橋下徹氏曰く、
府立大学をシンクタンク化して連携を取りたいと思っていますが、民間からひくてあまたになる組織にしたい。
要するに、大学を潰して、仕事の注文請負で生計を立てる民間の研究所みたいなものにするということか? いままで府立大学が府の地元の企業その他経済界にどのくらい数の真面目な学生を卒業生として送り込んできたのかこの人は分かってるのか?
■[kanjinai][雑記]大佛次郎論壇賞とタバコ
12月16日の朝日新聞朝刊に、「第7回 大佛次郎論壇賞」の発表と講評ページがあった。今年の論壇賞は『和解のために』であったが、私が注目したのは、その選考風景の写真である。長い机に十名ほどの選考委員のお偉いさんたちが座っているが、その机の中央部には、「灰皿」が4個ほどどーんと置かれているのである。
朝日新聞社にお聞きしたい。朝日新聞社は会議室禁煙にしてないのか? (大組織ではいまどき珍しくないか?)
それとも、選考委員のなかに、喫煙家の偉いセンセイがいて、朝日新聞側としては、何も言えないのか?
この様子では、朝日新聞の書評委員会も相変わらず灰皿置いてるのだろう。朝日新聞紙面の喫煙に対する姿勢はどうだったのでしたっけ?
