[地域][人物] 江戸城外堀(4)−5 赤坂周辺。 小泉八雲、朝鮮李王、藤山愛一郎、横井英樹、力道山、二二六事件など。

前回の明治新政府要人奇禍の紀尾井町につきましては、現代では外国要人の宿泊先として有名なホテルニューオオタニの所在地として知られ、御存知の方も多い事と思いますが、町名の由来は紀州(現、赤坂プリンスホテル)、尾張(現、上智大学)、井伊(現、ホテルニューオオタニ)の藩邸があり、それぞれの頭文字を併せて明治五年に現在の町名になりました。
更に明治四十三年(1910)日韓併合によって朝鮮王室が天皇の皇族として合併され、現存のプリンスホテル旧館は李王(日本皇族梨本宮の娘、方子と結婚)邸宅として関東大震災後の昭和五年(1930)に国によって建築されたものです。

弁慶濠
紀州藩邸はその他に外堀外にもあり、現在の迎賓館(赤坂御所)一帯です。この外堀に沿った坂道を「紀の国坂」と呼びます。現在の迎賓館横から赤坂見附に達する外堀通りの坂道です。 ”耳なし芳一”の話で有名な小泉八雲(ラフカディオ ハーン)の一連の怪談、”むじな”の話しがここなのです。 現在は巾広い外堀通りや高速道路も走り自動車交通の要衝ですが、弁慶堀に沿った一帯は人通りの殆ど無い昔の環境のままです。
むじな(Mujina)
東京の赤坂通りに、紀ノ国坂という坂がある―これは、紀伊の国の坂という意味である。 なぜ、紀伊の国の坂と呼ばれているのか、そのわけ(理由)は知らない。…この坂の片側には、昔から、深い、たいへんひろい濠があって、高い青々とした土手の上には、どこかの屋敷の庭につづいている。
そして道の反対側は、御所の長い塀が、ずっと延びている。 街灯や人力車のなかった頃は、このあたりは夜ふけになるとたいへん淋しかった。
そのため、おそくなった通行人たちは、陽が沈んでからは、ひとりで、この紀の国坂をのぼるくらいならむしろ、幾マイルも回り道をしたのであった。それはみな、そのあたりに、”むじな”がよく出たからである。
むじなを最後に見た人は、京橋界隈の、さる年とった商人で、もう死んで三十年にもなる。 これはその人の話したとおりである。ある晩、夜ふけに、紀の国坂を急いでのぼっていくと、女がひとり、濠ばたにうずくまって、さめざめと泣いていた。 身を投げるつもりではないかと思い、できることなら力を貸し慰めてやろうとして、足をとめた。 女はほっそりと上品で、身なりもよかった。 そして髪は良家の子女のように結いあげていた。 「お女中」と、彼は女に近寄りながら、声をかけた、……
小泉八雲集 新潮文庫より  続きをどうぞ→ 《青空文庫
それでは外堀の水の無い部分赤坂見付から新橋へ。……
新橋汐留から赤坂見附までの外堀通りは堀を埋め立て道路にした部分で、江戸切絵図を比較しますと、道路の曲がり具合は外堀と全く同じ事に気が付きます。 赤坂エクセルホテル東急前を溜池へ向かいますと瀟洒プルデンシャルタワービルが在ります。 この敷地が色々と物議をかもした処で年配の人には記憶されている場所です。
先ず、この土地には料亭幸楽が営業し昭和十一年(1936)日本を震撼させたクーデター二二六事件では反乱軍近衛師団将兵の指揮所や宿舎が設けられ、「昭和維新尊王討奸」を旗印に君側の奸こと政府要人殺害を計画し、総理大臣岡田啓介侍従長鈴木貫太郎内大臣斉藤実、大蔵大臣高橋是清、陸軍教育総監渡辺錠太郎を標的にしますが、殺害されたのは斉藤、高橋、渡辺の三人でした。……現在の右翼宣伝車などに掲げられるキャッチフレーズはこのコピーなのでしょう。 
この幸楽跡地に戦後、東京オリンピックを前にしてホテルニュージャパンが財界の有力者藤山愛一郎により開業します。 
彼は有力企業(日東化学、NCR、大日本精糖など多数)を率い財力を背景に政界に進出し遂に自民党総裁候補者に上り詰め、数度チャレンジしますが思いは果たせず、結果は莫大な私財を浪費し、遂に藤山コンツェルン沈没の憂き目になりました。
当時彼の政治家志向について世間では”絹のハンカチが雑巾になった”など言われたものです。 また私財を政治に注ぎ込んだ井戸塀政治家の最後の人だったのかも知れません。
その後、ホテルニュージャパンを手に入れた人物が昭和の怪物、仕手株売買、会社乗っ取り、と怪しげな経済活動で有名な横井英樹です。しかし昭和57年にはホテル火災を起こし死者33名の大惨事となり、儲けの為なら宿泊客の安全など歯牙にもかけない経営体質が遂次露呈し実刑を受けております。 
この建物の因縁と云えば、地下にはナイトクラブ”ラテンクオーター”があり、芸能人や運動選手など華やかな有名人を集めておりましたが、昭和38年、プロレスのヒーロー”力道山”が店内で暴力団員に刺され、のち死亡しております。この因縁の建物は焼け爛れた廃墟として長年放置されており、御存知の方も居られるでしょう。プルデンシャルタワービルに沿った細い坂道を登ると、その昔の有名学校、府立第一中学校、後の日比谷高校があります。
更に外堀通りは新橋へ、溜池、虎ノ門となりますが、明治時代の余りにも乖離した様子は次回になります。……つづく…  ……前へ戻る

江戸城外堀》
(5) 溜池、虎ノ門。 釣り場、渡し舟、どうどう
(4) 赤坂周辺。 小泉八雲、朝鮮李王、藤山愛一郎、横井英樹、力道山、二二六事件など
(3) 葛西船の残滓と赤坂紀尾井坂事件簿
(2) 東京教育大学廃校の珍事 湯島界隈
(1) 柳橋から新橋へ