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高橋是清

社会

高橋是清

たかはしこれきよ

1854年〜1936年 日本の政治家。愛称は「ダルマ」(風貌から)。

1884年、商標登録所長に就任し、翌1885年専売特許所長を兼務した。これをもって、初代特許庁長官とされる。

1892年日本銀行に入行。日露戦争時、日銀総裁として渡欧、戦費調達のための外債発行に成功。

1911年日本銀行総裁に就任。

1913年、第1次山本権兵衛内閣大蔵大臣に就任。このとき、立憲政友会に入党する。

1918年、原敬内閣大蔵大臣に就任。

1921年11月、原敬が暗殺された後、内閣総理大臣となるが、翌1922年総辞職

1924年、清浦圭吾内閣打倒の気運の中で、衆議院の3政党による「護憲三派」に参加、第1次加藤高明内閣では農商務大臣として入閣。翌1925年、政友会総裁陸軍出身の田中義一に譲り、政界引退。

1927年4月、政友会を与党する田中義一内閣大蔵大臣に就任し、金融恐慌を沈静化させた。

1931年12月、同じく政友会を与党する犬養毅内閣大蔵大臣に就任し、昭和恐慌による日本経済の混乱の収拾に努めた。

1932年、五・一五事件による犬養毅首相暗殺後に成立した斎藤実内閣では、蔵相を留任した。

1934年帝人事件によって総辞職した斉藤内閣のあと、岡田啓介内閣においても蔵相に就任した。岡田内閣は、民政党を事実上の与党としたため、政友会を離党しての就任であった。高橋は軍事予算削減に手を付けた。これが二・二六事件で高橋が殺害される遠因となったとされる。

1936年2月26日、二・二六事件で暗殺。遺体は多磨霊園に埋葬され、自宅は江戸東京たてもの園に移築されている。