『NHKアーカイブス』加藤周一が残した言葉
- 受験の準備で読んだ『雑種文化』がきっかけ
- 実際はチャーミングな方
- にらんだ後に笑顔を見せるように、存在が劇場的だった
- 1950年は学園紛争が高まった時期で、自分は今何をすべきか、答えを求めて『ある晴れた日に』を読んだが、当時は役にたたないと思った(笑)
- 存在が大きすぎ、当初避けていたことが悔やまれる
- 明確な言葉を使った、珍しい文化人だった
アナウンサー
- 『言葉と戦車』
- 『羊の歌』
『ETV特集 加藤周一 歴史としての20世紀を語る』(2000年)
- 『日本文学史序説』7ヶ国語に翻訳されている
- 「意識的に「A History」と書いている。つまり、あんまり威張ってないってことです」
- 日本文学の歴史を翻訳可能な文章で書き、外国の文化の中に置くことによって、それがどこまで普遍性を持つかを明らかにしようとした
- 「日本人の心は一体どういう仕掛けになっているのか、はっきりさせる必要があると考えた」(敗戦後の心変わりに触れて)
- 文学、絵画、造形美術、建築など、世界の文化と比較検討することによって、かたちある物の中から、それを生み出した日本人の心を客観的に取り出す仕事を続けた
- 仏教、儒教をはじめとして、外来のものを吸収することによってなりたってきた
- 雑種文化
- 自己中心主義とお任せ主義の組み合わせ(米日のことだよな?)
- 大勢順応の習慣
- 現在のことにのみ関心があり、関心が強い
- 過去とか未来の関係性において、現在を定義することが少ない
- 過去の事実、特に不快な事実を正面から見る習慣がないのが基本的な問題
- 文学
- 人生や社会の目的を定義するために必要なもの
- 文学が目的を提供する
- 目的を達成するための手段を技術が提供する
- 戦後の知識人たちの発言−何も知らされていなかった、騙されていた−に軽蔑を覚えた
- 「近代の超克」(座談会)『文学界』(1942年10月号)
- 西谷啓治、諸井三郎、鈴木成高、菊池正士、下村寅太郎、吉満義彦、小林秀雄、亀井勝一郎、林房雄、三好達治、津村秀夫、中村光夫、河上徹太郎
- 西洋近代文明の行き詰まりを、日本の精神文化が乗り越えていくという内容
- 加藤周一は、戦後この座談会を批判
- 「近代の超克」は御用学者と御用文学者の集まりだった
- 戦争を擁護、支え、肯定するのが目的だった
- 第一次世界大戦後、ヨーロッパの国内でも、ヨーロッパの没落という考えが強くでてきていた
- 座談会は、ヨーロッパ近代に対する批判を含んでいる
- 『西洋の没落』シュペングラー、などを知っている参加者もいただろう
- 座談会の内容はわたしを説得しなかった
- 当時の日本は単純に言って「近代」以前の状態
- 憲法の中に人権という文字はない
- 国民と言う言葉さえない
- 使用されていた「臣民」という用語は、ヨーロッパ語では近代以前の用語
- 日本は西洋の近代をどう取り入れ、近代以前の状態をどう処理するかという段階だった
- 個人の人権を認めもしていないのに、新しい思想がどうのと聞いても、空理空論だと思った
- 一回性の体験を尊んだ
- 講和条約後に渡ったフランスで、戦中におけるヨーロッパでのレジスタンス組織の事実を詳しく知る
- 連帯の保障は、究極的には自由意志が問題
- 個人の意志が連帯を支えるすべて
- 個人や集団に埋没している場合も似ているが、レジスタンスのそれとは原理的に違う
- 自由意志で選択した結果の連帯と、個人が集団に埋没した表層的な連帯とは違う
- 日本には個人がないから、個人が集まって連帯になるということはない
- あつまろうにも個人じゃない
- 慣習によって集団の圧力によって、みんな同じような行動をとり、協力することはある
- 秩序維持には役立つし「アレ」にも役立つ
- 地下の連帯が成立しづらい
- 戦争への反対自体は誰でもできる
- 目的は達成されなくても
- 「私」の満足という問題でもない
- 「死」の問題である
- 反対は、目的の達成いかんに拠らない
- ほかに何ができるかということだ
- 孔子の話
- 一頭だけ助けるのは不公平だという弟子に対して、目の前を歩いているからだと、その牛を生かした
- 目の前の事象を捉え親身になるのが大切で、統計的なことを述べてもだめ
- ひとり人の命を大事に思えないのに、抽象的に世界の何百万の命のことをしゃべっても言葉だけ
- 行動は情熱に拠る
- 情熱の引き金はひとりの人間だということ
- 戦後世代の「責任」
- 戦争責任はないと考える
- 戦争を生み出した思想や文化が今日持続していれば、持続か断絶かという選択、態度に責任を負う
- 過去に対しての責任はないが、未来に対しての責任はある
『ETV特集 加藤周一 1968年を語る〜”言葉と戦車”ふたたび〜』(2008年)
1968年
- 世界中の若者が、同時多発的に体制への異議を訴えた
- ベトナム戦争
- 反戦運動
- ソ連軍プラハ軍事介入
- 現在、当時と似た閉塞感が漂っている
- 表現の方法を見出していない
- 「仕方がない」が爆発すると理論的でなくなり、気分の問題になる
- そういった気分が多数にシェアされている
- 68年は過去ではないと言ったのはそういう意味
- 『言葉と戦車』は当時の文明批評
- 「何を変えるかではなく、ただ変えるということがシンボルになった」
- アメリカ、ヒッピー、ベトナム反戦運動
- 中国、文化大革命
- チェコスロバキア、プラハの春
- 新しい世界の創出はプラハを中心に盛り上がった
- 資本主義も社会主義も、同じ街で自由に批判できるのは、全世界でただひとつプラハだけだという感じだった
- 精神的に踊っていた
- 祝祭に近いような感じ
- 人類は初めて自由をプラハで経験しつつある、ということだった
- 8月20日深夜 ワルシャワ条約機構軍がチェコに侵入
- 自由な社会主義が成功すれば、現在の資本主義や今のソビエトより優れた体制をつくり得たかもしれない
- 希望は一晩のうちに粉砕された
- 「言葉は、どれほど鋭くても、また、どれほど多くの人々の声となっても、一台の戦車さえ破壊することができない」『言葉と戦車』(加藤周一)
- 「戦車は、すべての声を沈黙させることができるし、プラハの全体を破壊することさえもできる」『言葉と戦車』(加藤周一)
- 「しかし、プラハ街頭における戦車の存在そのものを、自ら正当化することだけはできないだろう」『言葉と戦車』(加藤周一)
- 「1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは、圧倒的で無力な戦車と無力で圧倒的な言葉であった」『言葉と戦車』(加藤周一)
- 弾圧があるのは、「暴力」の側の敗北のしるし
- 気の利いた言葉が思いつかないから、鉄砲を撃つ
- 「1968年に相次いだ画期的な事件は、すべて、直接または間接に、「戦車」、または組織された暴力と「言葉」、または、人間的なるものとの対立に係わっている」『言葉と戦車』(加藤周一)
- アメリカでもパリでも、似たような閉塞感が漂っていた
- 食いはぐれないけど、はじめから終わりが見えるので、退屈
- 生活全体を変わらなきゃいけない、このまま惰性で行くのはまずい、という閉塞感が共通だった
- 20世紀から21世紀へ積み残した閉塞感
- 2001年の同時多発テロ以降、自由を抑圧する力が世界中で強まっている
- 無差別殺人に関して
- 実際に行うのは特殊な人たち
- 一方で、招いてしまっているのは、本とか思想とかではない
- 漠然とした定義しがたい閉塞感が根本にある
- 働いても給料が多少あがるだけ
- 秋葉原無差別殺傷事件の発生は、天から降ってきた気はしない
- 下のほうによどんでいたものが、急に爆発した、絶望的爆発
- 「だんだんにシステムや組織の力が強くなって、個人の影響力が後退する」
- 「専門分野が進んで、全体として人間的に行く先を指示できる人がいない」
- 「世界の中に人間らしさというものを再生させるということを、意識しなければならない」
- 「明治維新以来の日本とは、非人格化、非個人化、非人間化を進めてきた」
- 「そういった対価を支払って、経済発展や軍事的な力をもつようになった」
- 「どんなに少しでも、知識人は思想的影響を及ぼすことが大事」
- 思想とは
- 1.事実認識:何が起こっているか理解すること
- 2.「だからどうしようか」
- 戦う前に相手を知らなければならない
『PONTSUKA』
チャマ
- あくびは集中してるときにでるんだよ