2009-07-27
山田辰夫さん、安らかに
年を重ねて行くこれから先が、とても楽しみな役者さんでした。
狂い咲きサンダーロードの勇姿はわすれません。
すかんぴんウォーク
鉄騎兵、翔んだ
オン・ザ・ロード
理由
いろいろなシーンが脳裏に浮かびます。
2009-07-25
ハリーポッターと謎のプリンス
見て参りました。
のっけからハリーが駅のカフェでウエイトレスと視線交わし合っておりました。
大人になったんやねえ。
と
近所の子どもの成長を見ているおっさんの気分でニコニコと画面、見てました。
これ、原作を読んでる息子くんには「良くできてはいるし、画面もいいけど、でも、なんで大事なとこカットしちゃうの!」と怒られていて
原作を読んでない妻さんには「いままででいちばん面白かったあ」と言われてる映画。
で。
ぼくは原作をペーパーバックで読んでいるだけ。
読んでるって言ってもぼくの英語力では
「このページにはだいたいこんなことが書いてあるなあ」
ぐらいにしか理解できてないので、
言うなれば「読んでいる」と「読んでない」の中間に位置してる感じ。
そういうぼくには
「あの原作をよくまとめましたね。怒濤のアクション部分をばっさり切っちまう、という決断もかなり勇気のいることだったでしょうね」
という感じで、比較的好意的に見終えました。
で、いつものように
以下 ネタバレ注意報 発令
OK?
この手のファンタジー映画というのは、いつだってどこか描き足りてないのが当たり前なんです。
もう、山ほどのファンタジー映画を見てきてる身としては「退屈なシーンが少ない!」というだけでも拍手ものです。
校内ラブ・アフェアのシーンも、何か微笑ましいし、それでいて思春期の気持ちの揺れがちゃんと見えてくるし、出番は少ないけど悪役ドラコの苦悩にしても、必要な要素はちゃんと描かれてるしね。
これで原作のクライマックスであるホグワーツ校内でのヴォルデモート一派とホグワーツ教授陣との壮絶な死闘と、壮麗なお葬式のシーンもちゃんと映像として描かれていたら、さらに素晴らしいファンタジー映画になったことでしょう。
けれど、ここでそういう大クライマックスをやってしまうと、完結編の二部作でやる事がなくなっちゃう、というのも事実。
何しろ、この原作というのは巻を重ねるたびに前にやったことを繰り返し続ける、という大いなる堂々巡りな小説だから。
二巻目以降は、毎回、ハリーはずっと悩んだり、悲しんだりしていて、途中で必ずロンとかハーマイオニーと喧嘩して絶交状態になって、ハリーはさらに落ち込む。その一方で闇の帝王ヴォルデモートが着々と力を蓄えていて、ハリーに魔の手を伸ばしてきていて、それでいて、ヴォルデモート、いつまでたっても本格的にハリーに牙をむいては来ない。
このプロットを毎回毎回繰り返してるんです、この原作。
そして なんと!
完結編でもやっぱり、これを繰り返す!
悲しみのハリー → 親友との喧嘩 → なかなか本格的に責めてこないヴォルデモート
なので、次回の『死の秘宝』はシリーズはじめて二部作で映画化できるわけですし、だったら教授陣と悪役連合との戦いはこちらでたっぷり時間をかけて描きたいだろうし、完結編のオープニングは壮麗なお葬式シーンからはじめ、いままでこのシリーズに登場した人々がそこに大集合してるところからはじめたいでしょうしね。
(本来、『謎のプリンス』のラストシーンである原作のそのシーンのように、ケンタウロスもゴブレットを争った他の魔法学校の人々も人魚もドラゴンも大集合というシーンから、さあ完結編を始めるぞ! としたいはず。ぼくだったら、絶対そうするし)
でもって、二部作の後編では善と悪の戦い(それはつまり自分に内在する強さと弱さの主導権争いだ、ということをハリーとトム・リドルは同じ素材で作られた杖を持っている、という原作の設定は示しているのだけど)をたっぷりと描くことでしょう。
それ故、今回は敢えて映画的な見せ場をカットしたんだろうな。
と、思います。
なので、この映画に不満をお持ちの方は、完結編までしばし我慢しといてね。
そして
ファンタジー映画って、基本的にこのくらい面白ければ充分、恩の字なんだよってことも知っておいてください。
ぼくが浴びるほど見ていた60年代、70年代のファンタジー映画なんて、もっとテンポが悪くてもっと退屈で、もっと薄っぺらでしたよ。
それでもその中に、キラリと光る宝石のような1シーンが、いつまでも心に残っているんだよね。
この映画の中にも、そんな宝石があって、それを見つけて、ファンタジー映画を好きになってくれる子どもたちがいてくれたら、それでいいんじゃないか、と思います。
2009-07-22
吸血鬼
昨日は、どういうわけか吸血鬼映画を二本見ました。
一本はマイミクさま激賞(ついでにマイミクさま宅で鑑賞させて貰った妻子も激賞)の日本未公開スウェーデン映画『Let the right one in』って映画。
団地に住むいじめられっ子がいて、彼の隣の部屋に不思議な少女が引っ越してくる、というところから始まる物語ですが、きわめて静かに、ため息が出るほどリリカルに語られる孤独な少年と孤独な少女の触れ合いが、アップと引きを絶妙に織り交ぜたカメラワークで綴られます。
タイトルは『正しき者を招き入れよ』って意味ですね。
バンパイアは招かれないと部屋の中に入ってこれないって、吸血鬼映画のルールに則ったタイトルです。
この「招き入れる」ということが物語のキーになっていて、それは「部屋に」ではなく「孤独な心に」という意味になっているところがグッと来ます。
そして「Right」を「Light」と置き換えれば「光しもの、お入りください」って感じになりますね。
その「光しもの」とはもちろん、純粋な愛の光、です。
なんともピュアで、それでいてしっかりホラー(血まみれの顔が美しい、というのはホラーの美学だし)になっていて、子どもの話なのに宿命的な愛の残酷さまで語ってしまう(ラストはハッピーエンドであると同時に深く悲しい、ひとつの絶望だ)、お見事な映画でございました。
ファンタジー好きには紛れもなく今年の「One of Best」でございましょう。
もう一本はアメリカでバカ当たりして、ひとつのブームになり、シリーズはすでに三本目まで製作決定、という華々しい吸血鬼、『トワイライト』でございます。
こちらは、吸血鬼映画のルールをすべて無視、という潔さが面白い。吸血鬼を単純に「結ばれることの叶わぬ王子様」というふうにシンプル化したのが、大ヒットの要因でしょうね。
ひたすらカッコ良く、謎めいていて、必要なときにはどこからともなく現れて助けてくれる。口にするのは「永遠の愛を生きよう」だし「君をモンスターにしたくない」だ。
これはもう女子はこぞってメロメロになりますよね。
あなたとなら異界に旅立たって構わない。
そう思うのも不思議はありません。
映画としてはどうかというと、青春ラブストーリーとしては悪くないって感じかな。
バンパイアたちの野球でアンパイアをするって駄洒落みたいなシーンは笑ったけどね。
って感じで、吸血鬼さんたち、頑張ってます。
テレビではアンナ・パキンが主演してる「アメリカ南部の吸血鬼」物、『TRUE BLOOD』も人気でセカンド・シーズンに突入したようですし。
これは日本製の人工血液『トゥルー・ブラッド』が発売されたおかげで生き血を吸う必要がなくなった吸血鬼たちが、人を襲わなくてよくなったんだから共存してもいいでしょ、と続々カミングアウトして市民権よ求めたりしてるって、設定。なのにコメディーではなく「マイノリティー差別」に苦しむシリアスなドラマとして展開していて、そこが面白そうです。『X-MEN』の吸血鬼版って感じでしょうかね。
日本でもオンエアしてくれたらいいんだけどな。
韓国でもカンヌのコンペに入るようなおじさん吸血鬼の映画が作られたし、日本では小雪さんが跳んだりはねたりしてましたよね。
不景気なときは吸血鬼ものが流行るって、本当なんですね。
2009-07-15
いま、ここ
息子くんが自転車を盗られたらしい。
で、ワタクシに言う。
「最近、ぼくの周りで立て続けに良くないことが起こってる。何か運気が落ちてる気がする。これを改善する方法って何かないの?」
彼が仕事中のワタクシに近づいてくる時は、たいていこういう話だ。
父は お祓い師か! と思うが
運気などと言う物は「気のリズム」なのであって、これを改善する方法などあろうはずはない。もしあったとしても、それは別の所に別の歪みを生じさせるだけである。
なので、こういう時に出来ることがあるとすれば、それはただひとつ。
というか、三つ。
三つのことをすると、運気低迷期を難なくやり過ごすことが出来る。
未来のことを心配するのをやめる。
過ぎ去ったことに囚われるのをやめる。
そして
いま、ここ、だけに集中する。
この三つ。
たいていの人は「未来」が不安でそれに怯えるんだし、「過去」を悔やんで、あの時、ああしておけばと、いまさらどうしようもないことをくどくど考える。
これが運気を下げる。
自分からネガッているのだから、まわりのネガネガが喜んですり寄ってくる。
ただでさえ運気のリズムが下がっている時だから、それは余計に人を落ち込ませる。
なので
そういう時は、リズムなんだから上がれば下がるし、下がればまた上がるっしょ。
と当たり前のことを当たり前に考えて、「運気のことは宇宙に任せて」自分は自分が今できることに集中してればいい。
けっこうあるんだよ。いま、ここですべきことって。
出来ることなら、それを喜びの中で行うといい。
楽しそうに何かに熱中してる人には、どういうわけかポジポジがニコニコ近づいてくるから。
そうすりゃ、運気低迷なんて言葉すら頭に浮かばなくなるから。
試しにニコッと笑ってご覧。ほら、それだけで、ほわっと胸の奥の何かが浮き上がるでしょう。
ニコニコ はだから、浮き浮き なのよ。
というわけで
今夜は道を歩きながら、心の中に「いま、ここ」という言葉が浮かんでいたので、息子くんからのお問い合わせへの答えとして、さっそく使わせて貰いました。
2009-07-14
我、動ぜず
昨夜、サンプルDVDをMacくんで観ていた。
見終わってDVDを取り出そうとしたら、これが出てこない。
慌てず騒がず、ネットでこういう場合の対処法を調べて、いくつかある強制取り出し法を試す。
が。
出てこない。
そうか。ならばそういうことで。
と
本日、アップルの修理センターに問い合わせる。
どうやらDVDドライブが不具合を起こしているらしい。
なので修理を、と言われる。
一週間はお預かりするかも、と言われる。
それは構わないけど、DVDのほうは編集部に送り返さなければならないので、それだけでも早急に何とかして欲しい、と言うと
浦安にある修理センターに直接持ち込んで担当者と話すのが手っ取り早いとわかる。
そうか、ならばそういうことで。
と
車で浦安まで行き、その修理工場にMacくんを持ち込み、DVDを取り出してくれ、と頼む、
ものの5分でDVDは救出され、Macくん自体は入院して貰う。
で。
家に戻る。
ということだけで半日使い、明日の〆切はどないすべ、と考える。
使っていない古いMacくんがあるので、それを起動してみると、もっさりとした動きだけどどうにか騙し騙し使えそう。
ラッキー♪ とこれを使って作業。
ちょっと前ならかなりパニクる状況だが、今回は「ああ、そうですか」といたって平静なワタクシなのでした。
本当に最近はトラブルに対してぜんぜん動じなくなってきてるな。
と
自分で再認識。
日々、予定外のことは起こるし、不都合なことだって起こるけれど、動ぜず、冷静に対処してればぜんぜんどうってことなくそれらは過ぎ去る。
ひとつひとつに 大変だ とか 困った! とか まいった! とか大騒ぎすると
それは そのトラブルに気持ちの焦点をばっちり合わせてしまっているってことだから、逆にトラブルを元気づける結果になる。
いろいろなblogを見ていても、トラブルに大騒ぎしているblogを書いていると、次から次へと同様のトラブルが降りかかってきているようなのがわかる。
それは、トラブルに気持ちを入れ込んでいるからだと、ぼくは思う。
だから、わざと ぜんぜん平気 って顔をして平静にしているといいように思う。
人は自分の気持ちの焦点を合わせている現実を引き寄せるのだと、ナポレオン・ヒルさんだかが言っていたような気もするしね。
なので、我、動ぜず なワタクシです。
2009-07-12
ノウイング
息子くんが公開初日に見に行き、「早く見て解説してよ」と言っていたので、見てきました。
もうおひと方、同じように仰る方がいて、どちらも「なぜいまこの物語を作るのか」ということについて意見が聞きたい、ということでした。
で。
そういうことについて書きます。
まず思ったのは、まるっきりこのblogの「天と地と人」の通りの映画じゃないか、ということですが、それはそれとして
OK?
この映画もまた「JC」の映画なのだけれど、わざわざ父と子でJCとなるような名前にしてるんですね。
父は ジョン
子は ケイレブ
ふたりあわせて JとC つまりは ジーザス・クライスト。
加えて 父は ジョン ですから ヨハネ
子は ケイレブ ですから 聖カレブ
だったりします。
ヨハネ といえば 「黙示録」ですね。
これは聖書に記されている唯一の「終末予言」です。例の「666」なんかが出てくるのが、この黙示録。
なので、この映画のヨハネ(ジョン)も「終末予言」のメッセンジャーとなります。
聖カレブ というのはカナンの地を探るためにモーセによって遣わされた人々のうちの1人です。
カナンというのは神がユダヤの民に与えるとした《約束の地》ですね。
なので、この映画のカレブ(ケイレブ)もまた、約束の地へと誘われます。
ジョンの奥さんの名前は、たぶん字幕で翻訳されてなかったので、ヒアリングが出来ないワタクシには解説できませんが、彼女はフェニックスという街に出張に行ってホテル火災に巻き込まれ、炎の中で死んだそうですので、もう「復活」は約束されています。
もうひとりの「母親」もこの映画は殺します。
その「もうひとりの母親」というのが
JとCが出会う ダイアナという女性(その娘の名前はアビー)
ダイアナといえば女神のディアナ。これは月の女神。
アビーというのはヘブライ語で「父親にとっての歓び」という意味ですから、ひらたく言えば「神さまのお気に入り」という感じの名前です。
なので
太陽が地球を滅ぼす、という物語の中で、月の女神は消し去られ、神様のお気に入りは、ちゃんと救いを与えられます。
約束の地へと誘われるケイレブとアビーが抱っこしているのは「春の訪れ」を象徴するウサギですね。ウサギは「再生」と「豊穣」を告げるシンボルです。
その大地にあるのが「生命樹」なのは、つまりダイアナは月の女神であると同時に木の女神でもあるから。
お母さんたちは生命樹として再生し、子どもたちをはぐくむ母なる自然として再生するわけです。
このとき子どもたちが抱っこしているウサギを野ウサギではなく白ウサギにしているので、当然、アリスの「白ウサギ」も重ねています。
「時間がない!」と告げていたあの白ウサギ。
これは「2012年」問題を念頭に置いて製作された映画なので、時間がない! というのは「この物語が現実になるまで、あと三年!」という意味ですね。
そして、この終末は聖書で予言されていたとおりに起こるのだ、と強調するように、劇中で《エゼキエル書》が出てきます。
これは聖書の中にはっきりとUFOと宇宙人を描写したものとして、一部の好事家には有名な聖書の一部です。
× × ×
私(エゼキエル)が見ると、はげしき風が北より吹き、大きな雲と、燃える火の玉が北より出てきた。
また雲のまわりに輝火あり。
その中より真っ赤に熱した金属のごときものが出てきた。
その火の中に4個の生物にてなる1個の形が見え、人間の形のようであった。
すべて霊の行かんとする所には、生物その霊にうながされて行く。
輪またその傍らにあがる。これ、生物の霊、輪の中にあればなり。
生物の行くときは輪もまた行き、これの止まる時はかれもとどまり、これ地を離れて上がる時は、輪もともに上がる。
生物の霊、輪の中にあればなり。
生物の首の上に山水晶の輝きのごとき大空のごときものありて、その頭の上にひろがる。
固き大空の下にその翼開いて、相連なる。おのおの二枚の翼あり。おのおの二枚の翼にて身をおおう。
× × ×
これがエゼキエル書にある記述で、これはどう読んでもUFOと宇宙人でしょう!
というわけで、これをまんま最新CGを駆使して映像化した物がこの映画のクライマックスになります。
本当に、まんまかよ、と呆れるくらいに、まんまです。
というわけで、これは聖書の黙示録をエゼキエル書の記述と併せて映像化した作品。
エゼキエルさんは「ユダヤの王国は滅亡する」という神の言葉を受け取った人で、同じメッセージを心の中にささやきかけられた人達が「選ばれて」、約束の地、千年王国へと運ばれて行くのです。
映画の中の宇宙人さんたちは背中に翼まではやして「選ばれた民」を天へと誘い、昇天して行きます。
そう、まるっきりの「選民思想」をどうだ、といわんばかりに映像化しています。
さて
ではなんでまた、いまこういう映画が作られたのでしょう?
それはこの映画をご覧になったらわかります。
たぶん、とても暗い、それってアリかよ、という憤りを感じるはずです。
一部の選ばれた人だけが助かって、後は全滅って、それ、あんまりなんじゃない? と。
これはそういう風に感じて欲しくて作られています。
だから掟破りでヒロインを殺し、主人公を殺し、神がそれを求めているなら仕方がないという神父を殺し、その他大勢、地球人類すべて抹殺します。
地球の裏側にいた人達は助かったかも、などという甘い期待を抱かせないショットも挿入されます。
この大全滅の様子がもう容赦ないので、見ている人の胸にはかなり大きな負のエネルギーが流れ込んできます。
こんな明日はいやだ。
こんな未来はいやだ。
そう思って欲しいんです。この映画はそのために作られたんです。
そして
こういう未来が聖書には書かれている
ということを、みんなが「知っている」ことを思い出させるのです。
さらに
聖書に書かれているとおりの未来が訪れると信じている人達がいる、ということをぼくたちは「知っている」ことを思い出させるのです。
で
映画はこう問いかけているのです。
聖書に書かれていることは真実で、だから聖書に地球は滅びろと書いてあるのなら滅びるのは仕方がないし、一部の「心正しき自分たち」は千年の楽園で幸せに暮らすのよ
と
信じているあなた、あなたが考えていることは具体的にはこういうことですよ。
これが聖書に書かれていることなんですよ。
本当にそれでいいんですか?
本当にこんなことが起こることをあなたは信じ、望んでいるんですか?
この映画を通して「こんな未来は嫌だ」と強く思うこと。
それが集合無意識の統一見解となること。
映画はそれを望んでいます。
暗闇は目をそらせば大きくなる。みつめれば、消える。
そうだとしたら、「絶望の未来」をしっかりと目に焼き付けて、これを拒否してください。
映画が望んでいるのはそういうことです。
多くに人がこの映画で描かれた聖書的未来とは違う未来を選択すれば、きっと違う未来が訪れるから。
知る、ということは、変わる、ということだから。
だからこそ「KNOWING」というタイトルなんです。
ちゃんと「知る」こと。
聖書を信じるとはどういうことかを「知る」こと。
そのうえで
別の未来も選択できることを「知る」こと。
わかる ということは かわる ということ。
この映画は聖書文化圏の人達に、その原理主義者たちに 変わってくれ と訴えているのです。
というわけで、わざわざ父と子で JC にしなければならなかったのは、もう一つ、どうしても引用したい名前があったからなんですね。
それは ケストナー。この親子は ジョン・ケストナーとケイレブ・ケストナーなんです。
ケストナーと言えば『ふたりのロッテ』ですが、ここで思い出して欲しいのは『飛ぶ教室』。
その『飛ぶ教室』における、次のような有名な言葉。
これが、この映画が伝えたいことなんです、きっと。
「勇気のある人たちがかしこく、かしこい人たちが勇気をもったときにはじめてーーいままではしばしばまちがって考えられてきましたがーー人類の進歩というものが認められるようになるでしょう」
これで、息子くんへの解説になったかしら?
2009-07-10
天と地と人
大河ドラマの話じゃないですよ。
7月7日、つまり七夕の前後に、空と大地と人の心が見事なまでのシンクロを見せたなあ、というお話です。
まず、空。
ずっと静かな状態だった太陽がいきなり活動を活発化させてNASAやら気象台やらを驚かせました。
× × ×
NASAの宇宙気象観測サイト、スペースウェザー以下のように報告している。
「48時間でなんという変化が起こったのだろう。ここ100年間でもっとも静かで未活動だった太陽に、黒点1024が突然と出現し活発に活動し始めたのだ」
× × ×
次に大地。
イギリスの小麦畑に出現し続けているミステリーサークルですが、6月27日に ↓ が出現。
これを研究者たちが「ケツァルコルトルの平和の歌」と名付け、そして7月2日、4日、6日と連続して ↓ が出現。
これって、もう複雑な模様ではなく、明らかに「何かのシンボル」だし「暗号」だし「メッセージ」というように見えますね。
で、これの解読に挑戦する学者さんというのは、やはりいらっしゃるわけで
これはマヤの「鷲とコンドルの予言」を現している、と解読したらしい。
ほう、ここでマヤか。2012年問題か、と思うわけです。
× × ×
「ケツァルを象徴にもつ中央の民よ、北の鷲の民と南のコンドルの民と一緒になれ。われわれは手の5本のように一つであるから会うのである」という予言だが、これはすべてのネイティブアメリカンの諸部族がマヤ族のもとで一つになるという予言だとされている。彼らはもともとは自分たちが同じ民族だと考えていたようである。
そしてこれがいつ起こるかというと、マヤ族ではいまの第5の世界が終わるとき、そしてホピ族では第4の世界(一説では第3の世界)が終わるときに起こるとされている。特にホピ族ではこの予言に大きな意味を見いだし、この予言の成就によって500年にわたる白人(西欧)支配が終焉し、新しい世界秩序のもとでネイティブアメリカンが復権すると考えられている。
× × ×
なるほどー。
いま現在、西欧型システムは崩壊しつつあるし、これから世界を牽引するのは「太陽の紋章」を持つ国だとも言われているし、中国代表はサミットの途中で帰っちゃうし、その理由である暴動はイギリスとアメリカが仕組んだものだとも言われているし、ミステリーサークルの形は「T十字」だし、
それって「葵のご紋」だし
といろいろあって、ミステリーサークルの暗号を解読したらマヤのメッセージが現れて、そこにはこんな言葉が浮かび上がるのだそうで
× × ×
「いま夜明けの時である。仕事を完成させるために夜を明けさせよ」
われわれ一人一人は宇宙と関係をもっている。この関係が、われわれの態度が他の人達と調和しているかどうかに反映するのだ。変化のときはきた。相互に互いを理解し、より人間的になるときがきたのである。
× × ×
そして、人の心 になにが起こったかというと 7月7日、マイケル・ジャクソンの葬儀が執り行われ、世界中のメディアが「MJ」一色に染まり、彼の歌声が地球を包み込んだのでした。
その中には「HEAL THE WIRLD」や「EARTH SONG」といったいまもっとも聞かれなければならないはずの歌も含まれていたのでした。
マイケルはずっと「変化のときはきた。相互に互いを理解し、より人間的になるときがきたのである。」というマヤのメッセージと共通するものを歌い続けていたんですよね。
というわけで、天・地・人が三つどもえになって 何かとても大事なことを、この「文明の転換期」に語りかけている、とそんなふうに思うのでした。
2009-07-07
海の向こうでブタが
頑張ってます。
チェコ・ズーリン映画祭 The City of Zlín Award 受賞!
http://www.zlinfest.cz/en/about-festival/news?id=715
それと
韓国全州映画祭・観客賞受賞!
わーい。
2009-07-06
素朴な疑問
その1
マーガリンの危険性についてはだいぶ前から言われているのに、
ニューヨーク市が使用禁止にしたのはだいぶ前だよね?
なのに、何故まだ日本では給食とか病院とかまでがマーガリン野放し状態なのかな?
食パンを買おうとすると、たいていの物にマーガリン、ショートニングと言ったトランス脂肪酸添加物が入ってるし。
その2
国民に支持もされていない、すぐに退陣することはわかっている、そんな首相と、誰が突っ込んだ話をしたがる?
花道、などという個人的な思い出作りのために出席するのは他の参加国に失礼だとは思わないのかな。
その3
どうして日本の電車だけ携帯電話の電源を切らなければならないのかな? アメリカにだってヨーロッパにだってペースメーカーを入れた人はいるだろうに、電車の中で電源を切れとは言われない。
ペースメーカーが電磁波に影響されないようになってから、もう10年は経つだろうに。
その4
いったいいつまで温暖化の原因は二酸化炭素だ、なんてメディアは言い続けるのかな。
その5
ただでさえ問題の多いバイオマスエタノールを3パーセントだけ混ぜただけのバイオガソリンとやらを2010年までに普及させるとかって言ってたはずだけど、あれはいまも着々と広がってるんだろうか。
エコポイントの対象になっているんだろうか。
2009-07-01
こんなん みつけた
http://www.moviesfoundonline.com/captain_eo.php
制作総指揮 ジョージ・ルーカス
監督 フランシス・コッポラ
主演 マイケル・ジャクソン











