相国寺承天閣美術館「若冲水墨画の世界」

 春の美術展第2弾としてまず、相国寺承天閣美術館にて「若冲水墨画の世界」を見てきました。今回、鹿苑寺金閣の襖絵が修復され50年ぶりに公開されるということで、またとないチャンスというわけで見に行ったわけです。
 以前に、「異能の画家伊藤若冲」という本にて見た、竹の作品なんかが公開されていまして、実際に見てみると改めて伊藤若冲という存在が特異なものであることを実感しました。非常にユーモラスであり、しかし、相国寺鹿苑寺という格の高い禅寺に当時としては(今から見ても、虫に食われた葉などが描かれているのを見ると)異例の作品を納品することを認めたお寺側も懐が深いと感じます。
 まぁ、しかし、以前に見た「世界遺産 金閣・銀閣 寺宝展」でのカラーであれ今回のような水墨画であれ、常に独自の世界の伊藤若冲には驚かされます。

京都国立近代美術館・常設展

 続いて、京都国立近代美術館にて常設展を見てきました(今回特別展としてパウル・クレーが行われていますが、以前に「20世紀の始まり ピカソとクレーの生きた時代」を見た感想として、私には理解が難しかったので今回はパスしました)
 今回は、特集展示として長谷川潔の版画制作の際の道具が展示されており、彫刻刀以外にも様々な道具を使っていたことがわかりました(どうも、医療用の道具のようなものもありました。これはかなり細かい作業時に使用したんでしょうか?)。版画だけではなく油彩画も展示されており結構充実していたように思います。

京都市美術館「親鸞展 生涯とゆかりの名宝親鸞展 生涯とゆかりの名宝」

 さて、ここから本日のメインの1つ目「親鸞展 生涯とゆかりの名宝」について感想です。
 今年は親鸞の没後750年。法然の没後800年というように節目の年が重なっていることもあったりで、京都市内2箇所で展覧会が開催されています。おそらく、同時にこの親鸞法然の宝物を一堂に見る機会というのは今後そうそうないと思いますし、私の場合「国宝 三井寺展」を見て以来、宗教心というよりも、なにゆえにそれほど人々を引きつける力があるのか?(それは、信仰心というのは当然ありますが、その外縁として何が作用しているのか?また、そのために寺側もどのように運営されてきたのか?という歴史)を実際の宝物を見ることによって、今のこの混乱期において、何百年と続いてきた宗派の歴史を知る意味があると思っているのが一番の理由です。
 で、肝心の展覧会の方ですが、基本的にお経などの経典が中心であり、後半部分で狩野探幽の書画や三十六歌仙などの貴重な品々が展示されていました。これは、「本願寺」を読むと分かりますが、教団が繁栄を手にした頃からの話であり、今回の展覧会の中心はなんといっても親鸞その人の生き様であると感じました。今回初めて、教行信証親鸞の真筆を見ることができたのですが、以前に「平城京遷都1300年 大遣唐使展」にて空海の真筆を見たことがあり、その人間が書いたとは思えない驚くべき達筆でまさに三筆に数えられる人物なんだなと実感したのですが、比べて親鸞の場合、非常に力強い筆跡ながらどちらかといえば、在野の人間ということを感じることができる人間らしい字であり、当時の親鸞への厳しい弾圧とそれに負けじと、芯を貫き通す強い力を感じました。
 上記以外にも、細かい字で本文の端に幾つも添え書きがあるようなものがあったりと、親鸞その人の驚くべき力強さを垣間見ることができます。
 一つ面白かったのは、阿弥陀如来から光が放たれている仏画があったのですが、構図が「ロトチェンコ+ステパーノワ─ロシア構成主義のまなざし」でみたものや横尾忠則氏の作品のような画面下の左右部分に人物(仏画なので仏様ですが)を配置し、上部に幾つかの仏像を配置する、その中心から四方八方に光が放たれている様子は、既に鎌倉時代に同様の様式が完成されていたのか?!という驚きがあると同時に、この構図は見るものに訴える何か不思議な力を持っている普遍的なものなのかもしれないと感じました。
 もう一つ。「西本願寺・特別公開「飛雲閣」」で外側を正面から見た飛雲閣ですが、今回中の襖絵が一部公開されており、通常の日本画とは一線を画す表現であることに驚きました。まるで、コローの絵を見ているかのような風景画的な描き方がなされており(実際には、私がそう見えただけかもしれませんが)、戦国期当時にこのような表現があったことにかなり驚きました。
 最後に今回の展覧会の難点として、経典が多いことからもわかるように専門的な傾向の展示内容になっており、やや難しいようには感じたのは事実です。

京都国立博物館「法然 生涯と美術」

 最後に、本日のメインの2つ目、「法然 生涯と美術」を見てきました。こちらの展覧会は「親鸞展 生涯とゆかりの名宝」とは異なり、国宝の「法然上人絵伝」(法然の遺徳を伝えるために製作された絵巻物)を中心とした「絵」を中心とした展示となっており、分かりやすい内容でした。この「分かりやすい」というのは重要な点で、当時の人々も「分かりやす」くて「身近に」感じられることが信仰心の原点にあるのが感じられます。これは、「カラヴァッジョへの旅〜天才画家の光と闇〜」で、プロテスタント宗教改革に対抗してカトリック教会が「身近な存在としてのキリスト教」を強く推し進めた際にバロック芸術が開花したことからもわかるように、誰にでもわかるように「法然」を身近な聖人化するのにこの絵巻物は寄与しているのは間違いがないと思います。
 この、絵巻物で興味深いのは、最晩年に法然が往生するときの前後の場面で、紫雲の雲が現れたり、阿弥陀如来からご来光がまさに往生する法然に向かって挿し込む場面など、まさに、カラヴァッジョが描いたキリストの「光」そのものではないかと感じました。どうも、古今東西問わず、このように「光」で神聖さを表現するのは共通してるのでしょうね。
 また、法然の没後に作られた阿弥陀如来像の体内からは身分・地域を問わず多くの名が書かれた書状が出てきていることからもわかるように、それだけ、当時の人々に与えた影響は大きいものであったというのがよくわかります。ちなみに、この法然も、親鸞同様に厳しい弾圧に会い、弟子が処刑されたり自身も土佐に流刑になったりしています。しかし、それでも当時の人々は法然の教えに感化されたというのはそれだけ身近な存在と感じたからではないかと思います。
 このように全体的に、絵巻物を中心とし仏像などの展示で、年代順別となっているので、わかりやすい展覧会であると思います。