* 3・11から6年
 6年前の地震の瞬間を今でもリアルに憶えている。
NO2だったO氏と、会社を継続すべきか詰めた話し合いを終えて立ち上がった
瞬間、大きな横揺れが続いた。「これは何処か遠くのタダならぬ地震か?」と
TVをつけると、何か異様な速報が次々と現場から報じられていた。 ことも
あろうに、会社を閉じようかの時に… そして、NHKのアナウンサーが、
『東北地区の海岸線の皆様、その場から近くの高台から逃げてください!』の
絶叫のような呼掛け。新幹線は東北新幹線上越新幹線は全面ストップ。
 県内の被害はさほど無いようだ。自宅のある長岡へ帰るにはと、急遽、バス
乗場に行くと、普通通りに運行していた。17時過ぎたばかりで、サラリーマン
系の帰宅時間前もあり、空席があった。その時は、只ならぬ大地震だが、東北
のため、人口密度が低いので、大惨事には至らないだろうと… で、18時半
頃に家に帰ってTVを見ると、TVで「逃げろ逃げろ!」の声が甲高く聞こえていた。
 その時には、福島原子炉の深刻な惨事は、知らされてなかった。「そういえば、
学生時代の友人が、仙台の飛行場近くに終の棲家に決めて、ゴルフに釣りを
楽しんでいた」ことを思い出していた。そして… 
会社は、その日を境に25%の売上ダウン。一週間後に、迷うことなく
会社整理の決断をすることになる。その奇妙な偶然の一致に何か不思議な感覚
になっていた。6年間、長くもあり、短くもあった。中越地震、柏崎・刈羽地震
東北大地震の三つの立て続けのブラックスワンの到来。それ以前のバブル崩壊
2001年の9・11テロ、2008年の9・15リーマンショックの大激震を含めた一連。
「次々と続くブラックスワンの到来、これも有りですか」と、事業への未練は
一切無くなってしまった。面白かった手ごたえと、充実感があるのが救い!
 〜で、数年分の、同月同日の内容に続いていく〜 そういうこと!
・・・・・・
5474,閑話小題 〜昨日の早朝の夢
2016年03月11日(金)
   * 東北大震災から5年
 忘れもしない大震災から5年経つ。その時、会社整理の判断、決断についての
社内会議を終え、立上がった直後に大きな揺れがきた。それがスローで大きい。
これは並みの地震ではないとTVをみると、アナウンサーの絶叫が聞こえてきた。
『東北地区の沿岸の御住まいの方は、直ぐに逃げてください!』と。それでも、
千年に一度の大地震とは思わなかった。しかし時間が経つにつれて、尋常で
ないことに気づいた。新幹線が不通のため、新潟から長岡までバスで帰える
しかない。17時になれば通勤客がバスに殺到するから、直ぐに帰れば乗れると
判断しバス停に行ったら何とか乗れたが・・ その間に大津波が、東北沿岸部に
襲っていた。その騒動の最中の一週間後の18日に会社清算の決断するに至った。
 あとは会社抹消のための手順の実行にまっしぐら、大地震など他山の出来事で
しかなかった。それもこれも、今では懐かしい出来事でしかない。早かったのか、
遅かったのか。あれだけの震災も、そろそろ風化をしてきている。 
 私にとっても、事業清算を時を一にしてむかえた。それが重なったのも何かの
因縁だろう。私にとって、その重なりがあったことで、自分も震災者のような
気持ちがあった。そのせいにすることもできたが、明らかに、リーマンショック
が直接原因で、間接原因は、新潟駅前での過剰投資と、情報化による価格競争の
激化と、ビジネス客の日帰り圏に新潟県が入ったことである。 逆に言えば、
丁度よいタイミングに、リーマンショックと東北大震災がおきてくれたといえる。 
無念とか、悔しい、惜しいなどの気持ちが、殆どないのは、あまりに社会が激変
したため、これでは仕方がないと諦めがついている。

   * 一昨夜半の変わった夢
 今朝方、変な夢をみた。 創業したての頃、ある月刊雑誌に感銘し、
愛読者の会、「もっけいクラブ・新潟支部」の会を立ち上げた。そこに、
面白い男‘T’なる人物が顔を出していた。飲食関係の経営コンサルタント
だったが、時々、理屈に合わないことをいうが、それでも真っ当な部類?
だった。 現在は、長年の飲酒過剰で糖尿病で入院していると、聞いていた。
夢の内容とは、自宅の近所の運動場のような所に、ストレッチのような
スローの運動を子供も含めた人が10人ぐらいでしていた。自分も参加したが、
これは中々良いが、スポーツジムに通っていることもあって、その一つと
みていた。 「誰かが背後で指導しているのでは?」と、周りをみると、
その‘T’なる人物が、顔色がツヤツヤして、そこに元気で立っていて、
携帯電話で仕事関係の話をしている。「確か、入院しているはずだが何故?」
と思ったが、一言二言会話を交わし、「私の家でお茶でも」と思いつつ、
自宅に帰りかけると、車で私を追い越していったところで目が覚めた。 
そこで、「もしかして、死んだのでは?」と、一瞬思ったが、私の勝手な
思い込みだろうと、次の瞬間、寝入ってしまった。 ところで、今朝方も
面白い夢を幾つかみたが、一番面白いのが思い出せない。

・・・・・・
5109,閑話小題 〜一ヶ月足らずで、4年ですか!
2015年03月11日(水)
   * あと一ヶ月で、4年になる!
 『咽喉過ぎれば熱さ忘れる!』だが、日々好日を心かけ過ごしている。
もう、債権機構からの弁護士への問合せもなくなり一年近くになる。
あと一年の5年が一つの目安。去年の今頃は、消費税の未払い分の件で、
弁護士事務所で国税の調査を受けたり、住友系債権回収機構から、郵貯
個人年金を数十万を差し押さえられたりしたが、その後は何も無し。
 この稀な経験のない人や、社会は、倒産=悪と勝手に決め付けるが、
この経験を通し分かったことは、何事も±の両面、いや多面があること。
病と同じで良質の内に先手を打つことで、悲惨な結果を避けることが出来る。
それには事業設計段階から、万一の備えを組み込んでおく必要があった。
 事業整理の目安を、資金繰りに追われる下ライン(中小企業の3分1)か、
装置産業もあるが)営業赤字に陥った段階を自主清算?と予め決めていた。
そしてリーマンショックから二年半、そのラインに触れた瞬間に決断。
そのため、準備段階を含めた45年間の事業人生で、資金繰りの苦労を
一切なしで終えることが出来た。一般債権、労務債権は、ほぼゼロ。
これらも一般常識からみて不思議のようだ。その上に、そのまま自宅に住んで、
何も変わらない状態が憶測の世間話をつくっている?のだろが、それを許す
ほど現実は甘くないのは周知のこと。何とか軟着陸だったが、15年の準備
期間と30年間の新潟駅前事業、合計45年間のエネルギー体(会社)を、
自ら潰すのは自殺に似ている。その苦悩、恐怖、痛さ、辛さが分かる筈がない。
それぞれが、そのレベルの価値感を講釈をするだけ・・ 得たもの失った
ものが多いが、その間、魂が被植民地化されてなかったことも事実。
 ニーチェが、『価値は、全てある観点から見たものに過ぎない。
確かな真理などというものはない。ただ、様々なパースペクティヴ
(=観点、見方)があるだけ』と述べている。 という、この論も、
私の枠内の価値の羅列で、身勝手な論法でしかない。日々、是、口実か。
でも、シリア性からすれば、この結末も悪くはなかった?  (>_<) おもろ!
 少し考えれば分かるだろうが、こんな面白い経験もない!
幼児の頃から子守唄代わりに聞いていた、何?を自分が現に経験している。
大体、その認識は教養と、両親の質に比例をして、洗脳された共同幻想のまま、
勝手に「決め打ち」をするが、それが鮮明に見えてくる。 カントの認識論に、
「対象に認識が従うのではなく、認識が対象を従える」が、そのまま、鮮明
に見えてくる。それも共同幻想の認識とくるから・・娑婆など、軽薄そのもの。
いや、軽薄は、私の方ですか!    (〃゚д゚〃) (*ノωノ)テッ
――――――
4744,閑話小題 ー3年前の日記より
2014年03月11日(火)
  * あれから三年経ったが
 3月11日といえば、東北大震災から三年になる。
10年日記帳には具体的な現象を記録しているので、振り返ってみる。
 震災と、倒産への、生々しい日々が書かれている。人生の大きな節目に、
こういうことが重なるのが不思議である! 忘れたいが、そうは言って
いられない。直視し、現在を見つめ直すしかない。それにしても、日本の
政治は明らかに変!
・2011年3月09日(水):昨夜半、数時間、眠れず。 正午、轡田氏、
 事務所に来訪。2時まで。 事業断念に向け具体的になってきた。
 年齢からしても、こんなものか。終わりの始まりということ。
・3月10日(木):16時〜17時45分(会計事務所と弁護士事務所の共同
 センターの一室で)支配人、副支配人、会計事務所の担当Jさん、
 弁護士と、打ち合わせ。6月か、ゴールデンウィーク明けか、秋口か? 
・3月11日(金):14時から支配人と、前日の話合いの内容をチェック。
 決断は私がするが・・ その時に、14時46分に大きな揺れ。どうも、
 揺れ具合が、普通ではない。これは何処かで大地震が起きたはずと
 TVを入れると、東北で、過ってないほどの大地震と報じている。
 そのまま見ていると、とにかく海辺の人は非難するよう絶叫。
 新幹線は不通、17時過ぎに長岡に向け、バスで帰ることにした。
・3月12日(土):昨日の地震は、時間が経つにつれ、想像を絶する惨状。
 津波で多くの街が水没していく内容がリアル。昼は近くのイタ飯屋の
 サエゼリアで食事。
・3月13日(日):報道が、福島原発の崩壊に向いている。TVは全局、
 この震災関連。福島は、かなり危険な状況。 YouTubeをみると、
 さっそく、リアルな投稿が多く流されている。
・3月14日(月):新幹線が不通のため、車で新潟に向かう。高速道路に
 車がいやに多い。新潟回りで東北に向かっている。
 11時に福島原発の二つ目が爆発、かなり危険のようだ。
・3月15日(火):福島原発、3つ目が爆発、ますます危険になってきた。
 そういえば、学生時代の友人の奥野君が、仙台の海辺に終の棲家にして
 いるはず。東京の加藤君に電話をする。奥野君とは連絡取れず!
・3月16日(水):今日予定していた林さんとのコンサルト、この混乱で、
 中止。原発事故が、差合っての大問題。もしかしたら、金沢か、山陰
 あたりに避難? それより、会社のことがある。明日か、明後日に
 決断しないと!
・3月17日(木):前日は、車で自宅に。(新潟に16年間赴任していた
 大学時代の友人)東京の三崎君に電話を入れる。東京は、平静という。
 それより、明日にでも会社存続か、断念か、の決断である。
・3月18日(金):為替介入があって、79円ー>81・4円へ。大震災から、
 まる一週間になる。これで日本は新たな領域に入る。
 今日の、二人の役員との打合せで、事業断念を決定する。
 来週、弁護士と、その手続きに入る予定!
▼ 東北震災の中での、大きな節目。何か、いま一つ、現実感が無かった。
 しかし、動物的な感覚が、茹で蛙の自分を支配して、目の前の処理案件を
 淡々と一つずつこなしているのが見て取れる。 毎月、30年間、月次
 決算に来ていた会計事務所の担当が、「楽しんでいるように見える。
 不謹慎!」と、言われたが、この事態に現実感を持って動いては
 いられない。修羅場は修羅場で違う人格が現れ出る。ただ、後悔や、
 逡巡はしていられない。身近がまず、手のひらを返すのは当然だが・・
 あるのは、節目時の隠れた野生の感覚。 3月19日以降は、後日に
 書き出すが、この内容、自分でも、面白いのだから、第三者は、
 もっと面白い? 書き残す醍醐味か、変質者か? それでも大震災の
 ドサクサに、助けられた。
・・・・・・
2014/11/06
閑話小題 ー倒産は甘塩からい味がする

    * 倒産経験もまた、価値ある人生体験と捉えると
 『倒産は甘塩からい味がした!』をテーマとして書くと、こうなる。
≪ 時どき『闘病と、倒産体験ほど貴重な人生体験は他に無いのでは?』
という考えが頭によぎる。 倒産体験をプラス面で光をあてると、具体的な要素は
幾らでもある。私のケースは、自分で立ち上げた会社を潰したため、起承転結の
「結」が、それ。元もとの立ち位置がアウトサイダーのスタンスもあるが、何事もなく
無事に後に継がせれば中途半端な起承転々。そのどちらが良いか悪いかは、
受け止め方次第である。 事業内容の悪化に比例して辛らつに変わる銀行と、
身近の人たち。予め分っていても不快だが、時間が経つにつれ、これが面白く
思えてくるから不思議。更に、あれだけ沈んでいた気持ちも、二年、三年と
過ぎると、時間薬効果で元に戻ってくる。 その直前・直後の一ヶ月間は、身体と
気持ちが宙に浮いてように動いて、それが意外と痛面白いとさえ感じていた。 
30年来、月次決算に通っていた経理事務所の担当が、
『何か楽しんでいるようですが、自分の立場が分かってないようですね。』
と、言われてハッとしたが、実は、分かってないのは御当人。この感覚は当事者
しか知り得ないこと。何事でも、無我夢中に行動している時ほど面白いことはない。 
実際、こんな貴重体験は滅多に経験出来きないし、一度は味わうのも良よい!
とは、今でこそ言えること。一日一日を区切って、一期一会と割切って乗越える
しかなかったが・・ 「この人、こう受け止めている」が、過って、様々なケースで
自分も受止めていたので、それが分かる。 ボケ役の落語家が震える声で
「バカ野郎〜、その程度か、御前さん!」と思っている自分が、そこにいる。
これも、万一のセフティネットがあったため言えることだが、敗者は敗者、
「日々、是、口実!」になる。「事前、事後とでは、これまでも違っていた」
というのが実感。「開き直り」か。 ≫ 
▼ これを冷静に?読み返すと、こう思って日々を過ごさないと精神の安定を
保てなかったが、冷静な自分がいたことも確か。 それでも大波の中、思わず
水を飲んで、窒息しそうになっていた? 『何事も、最善と思えば最善に、
最悪と思えば最悪になるから、こう捉えていた方がよい』ということか。
これは、大病、大事故にも言換えが可能? 
 少し話が変わるが、実兄が7〜8年前に倒産した時のこと、居酒屋で、慰めで、
彼の親しい友人の実名をあげて『大病で死ぬわけでなし、決して最悪の事態では
ないよ。Oさんは、無事に会社整理をしたが、実は末期肺ガンかもしれない。
これは最悪の事態でないよ!現に生きていられることに感謝をした方が良いよ』
と、慰めたが、その2年後に、本当にOさんが肺ガンになって入退院を繰返して
いるという。この年齢になると、内なる黒鳥がいつ舞い降りてきても不思議でない。
 まだまだ、当時の森の中での夢をみる。 ・・当然のことだが。
・・・・・・
4377, 「世間」の捨て方  ー1
2013年03月11日(月)
           ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや(著)
 創業は、既存の業界を根底から否定し全く新たな形態をつくること。
起業だけでなく、何かをなすということは、社会、世間に距離が出来てしまう。 
社会学を専攻した影響もあるが、内から目線(信念)と、自分を見つめる
上から目線が強くなる。この経済の大津波に押し流されても平然?として
いられるのは長年かけて作ったバイアスがあるから。世間など、とうの昔に
捨て去ってきた。しかし世間にどっぷり浸かってきた人には、新鮮で奇異
だろう。 ーまずは、アマゾンの内容紹介ー
【 景気に振り回される生き方はやめよう。世間はいつも狂ったもの。
 社会と距離をおき自分だけは愉快に楽しく暮らせばいい。
そのための考え方を 語り尽くす本。】  ーまえがきーより
≪ 「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」だと
 思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。無意識の
うちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。子どもの
ころから、わたしたちは「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」
と言われ続けてきました。「世間の人から褒められる人間になりなさい」
「立派な人になりなさい」と教えられてきた。つまり、世間の「期待」
に応えることが求められていた。しんどい生き方ですね。
 よく考えてみてください。世間の「期待」に応えるといっても、その「期待」
が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか?場合によって違っています。とすると、あなたが企業の
「期待」に応えるためには、場合場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。疲れますよ。そんなことをしていると、人間失格
になってしまいます。だから、わたしたちは世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。だいたい優等生というのは、
相手の「期待」に応えようとして、うじうじ悩んでいる人間です。
いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせていたかもしれません。
でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も予測できません。
とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。「世間中心」では
なしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
・・世間のほうがどうしてよいか分からず、われわれに気兼ねしているのです。
いまの時代をそのように読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代
の読み方に従って、われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰にも
言わなかったことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。
ぜひお読みいただきたいと思います。 ≫
▼ 学生時代の武澤ゼミでのケーススタディ。15人位で、会社内のトラブルの
 現象の問題点と背景を捉え、原因と対策の意見を出し合い円座で議論する訓練。
プリントされた問題点には、多くの要素が隠されている。その答えは思いも
よらない分析と回答が用意されている。ゼミの出した結論と、それを対比し、
更に議論する。よい経験をしたものである。そして社会に出てみると、それぞれ
の具体的構造が、リアルに見え過ぎ戸惑うほど。事業の立上げには理想的経験。
で、最後は経済恐慌など三連発で、この様。でも、悔いもない。それを選択した
のが、私なのだから。東北震災の被害者は、その世間を根こそぎ失ってみて、
絆の暖かさと、逆に無意味さを感じ取っているはず。世間消滅も善し悪し!
・・・・・・・
4003,宇宙は本当にひとつなのか ー6
2012年03月11日(日)                  
* 多次元宇宙論と多元宇宙論 ー2 「宇宙は本当にひとつなのか」村山斉著    
 ♠ 多元宇宙論とは  ー 宇宙は一つではない ー
◇「多元宇宙」= 暗黒エネルギーを説明するためには、相対性理論量子力学
 を1つにした新しい理論が必要だ。その最有力候補の超ひも理論のよれば、
 まだ未完成だが、膨大な宇宙が存在するという結果が出てしまう。
 これが宇宙は10の500乗個も作られたという「多元宇宙」という考え方だ。
◇ ー三次元のサンドイッチー
 これまでの話をまとめると、多次元宇宙とは、宇宙自身は一つで、私たちが
見ることのできる三次元空間以外にも別の方向があるというものでした。
しかし多元宇宙は、その前提が大きく変わります。宇宙自身が一つではなく
たくさんあるという考え方が多元宇宙です。多元宇宙というアイデアの一つの
例として、三次元空間がサンドイッチのように何層も存在するというものが
考えられます。これは私たちが生活する三次元空間がいくつもあるのではないか
ということですね。 しかし、この場合は、たくさんあるといっても、全体から
見ればひとくくりの空間の中に収まります。ということは、一つの宇宙の中に
私たちが実際に見ることのできる空間と同じような三次元空間がいくつもある
ことにすぎないのです。実際、重いものを、この三次元空間の中に置くと、
別の三次元空間に影響が出ます。例えば私たちの宇宙が図の「宇宙」とします。
「宇宙2」にある星や物質は私たちの星や物質とぶつかったり反応したりする
ことはできません。しかし三次元方向で近くに来ると重力では引き合います。
もしかすると暗黒物質は重なった別宇宙の物質という説がある。
▼ 暗黒物質と暗黒エネルギーは、別宇宙の物質と考えると理にあう。 
 ヒモ理論が10次元の異次元宇宙の可能性を説いている。この本でも述べて
いるが、「人間原理」という、カント哲学風の「宇宙を認識するから
宇宙は存在する」という素朴な説が立ち現れる。
・・・・・・・
3637, 「みずうみ」 茨木のり子
2011年03月11日(金)
だいたいお母さんてものはさ  しいん としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると お下げとお河童と 二つのランドセルがゆれてゆく 落葉の道
お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を
持つべきなのだ 田沢湖のように深く青い湖を かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも
減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖の
あたりから 発する霧だ早くもそのことに 気づいたらしい 小さな二人の 娘たち
 ーー
 みずうみとは、 内省する時間、孤独の時間、過去を省みている時間。
この畔で水面にうつった周囲の景色や現在の自分の姿を眺めて、我を忘れ
佇んでいる静粛が永遠に通じる。

   * 3・11から6年
 6年前の地震の瞬間を今でもリアルに憶えている。
NO2だったO氏と、会社を継続すべきか詰めた話し合いを終えて立ち上がった
瞬間、大きな横揺れが続いた。「これは何処か遠くのタダならぬ地震か?」と
TVをつけると、何か異様な速報が次々と現場から報じられていた。 ことも
あろうに、会社を閉じようかの時に… そして、NHKのアナウンサーが、
『東北地区の海岸線の皆様、その場から近くの高台から逃げてください!』の
絶叫のような呼掛け。新幹線は東北新幹線上越新幹線は全面ストップ。
 県内の被害はさほど無いようだ。自宅のある長岡へ帰るにはと、急遽、バス
乗場に行くと、普通通りに運行していた。17時過ぎたばかりで、サラリーマン
系の帰宅時間前もあり、空席があった。その時は、只ならぬ大地震だが、東北
のため、人口密度が低いので、大惨事には至らないだろうと… で、18時半
頃に家に帰ってTVを見ると、TVで「逃げろ逃げろ!」の声が甲高く聞こえていた。
 その時には、福島原子炉の深刻な惨事は、知らされてなかった。「そういえば、
学生時代の友人が、仙台の飛行場近くに終の棲家に決めて、ゴルフに釣りを
楽しんでいた」ことを思い出していた。そして… 
 そして会社は、その日を境に25%の売上ダウン。一週間後に、迷うことなく
会社整理の決断をすることになる。その奇妙な偶然の一致に何か不思議な感覚
になっていた。6年間、長くもあり、短くもあった。中越地震、柏崎・刈羽地震
東北大地震の三つの立て続けのブラックスワンの到来。それ以前のバブル崩壊
2001年の9・11テロ、2008年の9・15リーマンショックの大激震を含めた一連。
「次々と続くブラックスワンの到来、これも有りですか」と、事業への未練は
一切無くなってしまった。面白かった手ごたえと、充実感があるのが救い!
 〜で、数年分の、同月同日の内容に続いていく〜 そういうこと!
・・・・・・
5474,閑話小題 〜昨日の早朝の夢
2016年03月11日(金)
   * 東北大震災から5年
 忘れもしない大震災から5年経つ。その時、会社整理の判断、決断についての
社内会議を終え、立上がった直後に大きな揺れがきた。それがスローで大きい。
これは並みの地震ではないとTVをみると、アナウンサーの絶叫が聞こえてきた。
『東北地区の沿岸の御住まいの方は、直ぐに逃げてください!』と。それでも、
千年に一度の大地震とは思わなかった。しかし時間が経つにつれて、尋常で
ないことに気づいた。新幹線が不通のため、新潟から長岡までバスで帰える
しかない。17時になれば通勤客がバスに殺到するから、直ぐに帰れば乗れると
判断しバス停に行ったら何とか乗れたが・・ その間に大津波が、東北沿岸部に
襲っていた。その騒動の最中の一週間後の18日に会社清算の決断するに至った。
 あとは会社抹消のための手順の実行にまっしぐら、大地震など他山の出来事で
しかなかった。それもこれも、今では懐かしい出来事でしかない。早かったのか、
遅かったのか。あれだけの震災も、そろそろ風化をしてきている。 
 私にとっても、事業清算を時を一にしてむかえた。それが重なったのも何かの
因縁だろう。私にとって、その重なりがあったことで、自分も震災者のような
気持ちがあった。そのせいにすることもできたが、明らかに、リーマンショック
が直接原因で、間接原因は、新潟駅前での過剰投資と、情報化による価格競争の
激化と、ビジネス客の日帰り圏に新潟県が入ったことである。 逆に言えば、
丁度よいタイミングに、リーマンショックと東北大震災がおきてくれたといえる。 
無念とか、悔しい、惜しいなどの気持ちが、殆どないのは、あまりに社会が激変
したため、これでは仕方がないと諦めがついている。

   * 一昨夜半の変わった夢
 今朝方、変な夢をみた。 創業したての頃、ある月刊雑誌に感銘し、
愛読者の会、「もっけいクラブ・新潟支部」の会を立ち上げた。そこに、
面白い男‘T’なる人物が顔を出していた。飲食関係の経営コンサルタント
だったが、時々、理屈に合わないことをいうが、それでも真っ当な部類?
だった。 現在は、長年の飲酒過剰で糖尿病で入院していると、聞いていた。
夢の内容とは、自宅の近所の運動場のような所に、ストレッチのような
スローの運動を子供も含めた人が10人ぐらいでしていた。自分も参加したが、
これは中々良いが、スポーツジムに通っていることもあって、その一つと
みていた。 「誰かが背後で指導しているのでは?」と、周りをみると、
その‘T’なる人物が、顔色がツヤツヤして、そこに元気で立っていて、
携帯電話で仕事関係の話をしている。「確か、入院しているはずだが何故?」
と思ったが、一言二言会話を交わし、「私の家でお茶でも」と思いつつ、
自宅に帰りかけると、車で私を追い越していったところで目が覚めた。 
そこで、「もしかして、死んだのでは?」と、一瞬思ったが、私の勝手な
思い込みだろうと、次の瞬間、寝入ってしまった。 ところで、今朝方も
面白い夢を幾つかみたが、一番面白いのが思い出せない。

・・・・・・
5109,閑話小題 〜一ヶ月足らずで、4年ですか!
2015年03月11日(水)
   * あと一ヶ月で、4年になる!
 『咽喉過ぎれば熱さ忘れる!』だが、日々好日を心かけ過ごしている。
もう、債権機構からの弁護士への問合せもなくなり一年近くになる。
あと一年の5年が一つの目安。去年の今頃は、消費税の未払い分の件で、
弁護士事務所で国税の調査を受けたり、住友系債権回収機構から、郵貯
個人年金を数十万を差し押さえられたりしたが、その後は何も無し。
 この稀な経験のない人や、社会は、倒産=悪と勝手に決め付けるが、
この経験を通し分かったことは、何事も±の両面、いや多面があること。
病と同じで良質の内に先手を打つことで、悲惨な結果を避けることが出来る。
それには事業設計段階から、万一の備えを組み込んでおく必要があった。
 事業整理の目安を、資金繰りに追われる下ライン(中小企業の3分1)か、
装置産業もあるが)営業赤字に陥った段階を自主清算?と予め決めていた。
そしてリーマンショックから二年半、そのラインに触れた瞬間に決断。
そのため、準備段階を含めた45年間の事業人生で、資金繰りの苦労を
一切なしで終えることが出来た。一般債権、労務債権は、ほぼゼロ。
これらも一般常識からみて不思議のようだ。その上に、そのまま自宅に住んで、
何も変わらない状態が憶測の世間話をつくっている?のだろが、それを許す
ほど現実は甘くないのは周知のこと。何とか軟着陸だったが、15年の準備
期間と30年間の新潟駅前事業、合計45年間のエネルギー体(会社)を、
自ら潰すのは自殺に似ている。その苦悩、恐怖、痛さ、辛さが分かる筈がない。
それぞれが、そのレベルの価値感を講釈をするだけ・・ 得たもの失った
ものが多いが、その間、魂が被植民地化されてなかったことも事実。
 ニーチェが、『価値は、全てある観点から見たものに過ぎない。
確かな真理などというものはない。ただ、様々なパースペクティヴ
(=観点、見方)があるだけ』と述べている。 という、この論も、
私の枠内の価値の羅列で、身勝手な論法でしかない。日々、是、口実か。
でも、シリア性からすれば、この結末も悪くはなかった?  (>_<) おもろ!
 少し考えれば分かるだろうが、こんな面白い経験もない!
幼児の頃から子守唄代わりに聞いていた、何?を自分が現に経験している。
大体、その認識は教養と、両親の質に比例をして、洗脳された共同幻想のまま、
勝手に「決め打ち」をするが、それが鮮明に見えてくる。 カントの認識論に、
「対象に認識が従うのではなく、認識が対象を従える」が、そのまま、鮮明
に見えてくる。それも共同幻想の認識とくるから・・娑婆など、軽薄そのもの。
いや、軽薄は、私の方ですか!    (〃゚д゚〃) (*ノωノ)テッ
――――――
4744,閑話小題 ー3年前の日記より
2014年03月11日(火)
  * あれから三年経ったが
 3月11日といえば、東北大震災から三年になる。
10年日記帳には具体的な現象を記録しているので、振り返ってみる。
 震災と、倒産への、生々しい日々が書かれている。人生の大きな節目に、
こういうことが重なるのが不思議である! 忘れたいが、そうは言って
いられない。直視し、現在を見つめ直すしかない。それにしても、日本の
政治は明らかに変!
・2011年3月09日(水):昨夜半、数時間、眠れず。 正午、轡田氏、
 事務所に来訪。2時まで。 事業断念に向け具体的になってきた。
 年齢からしても、こんなものか。終わりの始まりということ。
・3月10日(木):16時〜17時45分(会計事務所と弁護士事務所の共同
 センターの一室で)支配人、副支配人、会計事務所の担当Jさん、
 弁護士と、打ち合わせ。6月か、ゴールデンウィーク明けか、秋口か? 
・3月11日(金):14時から支配人と、前日の話合いの内容をチェック。
 決断は私がするが・・ その時に、14時46分に大きな揺れ。どうも、
 揺れ具合が、普通ではない。これは何処かで大地震が起きたはずと
 TVを入れると、東北で、過ってないほどの大地震と報じている。
 そのまま見ていると、とにかく海辺の人は非難するよう絶叫。
 新幹線は不通、17時過ぎに長岡に向け、バスで帰ることにした。
・3月12日(土):昨日の地震は、時間が経つにつれ、想像を絶する惨状。
 津波で多くの街が水没していく内容がリアル。昼は近くのイタ飯屋の
 サエゼリアで食事。
・3月13日(日):報道が、福島原発の崩壊に向いている。TVは全局、
 この震災関連。福島は、かなり危険な状況。 YouTubeをみると、
 さっそく、リアルな投稿が多く流されている。
・3月14日(月):新幹線が不通のため、車で新潟に向かう。高速道路に
 車がいやに多い。新潟回りで東北に向かっている。
 11時に福島原発の二つ目が爆発、かなり危険のようだ。
・3月15日(火):福島原発、3つ目が爆発、ますます危険になってきた。
 そういえば、学生時代の友人の奥野君が、仙台の海辺に終の棲家にして
 いるはず。東京の加藤君に電話をする。奥野君とは連絡取れず!
・3月16日(水):今日予定していた林さんとのコンサルト、この混乱で、
 中止。原発事故が、差合っての大問題。もしかしたら、金沢か、山陰
 あたりに避難? それより、会社のことがある。明日か、明後日に
 決断しないと!
・3月17日(木):前日は、車で自宅に。(新潟に16年間赴任していた
 大学時代の友人)東京の三崎君に電話を入れる。東京は、平静という。
 それより、明日にでも会社存続か、断念か、の決断である。
・3月18日(金):為替介入があって、79円ー>81・4円へ。大震災から、
 まる一週間になる。これで日本は新たな領域に入る。
 今日の、二人の役員との打合せで、事業断念を決定する。
 来週、弁護士と、その手続きに入る予定!
▼ 東北震災の中での、大きな節目。何か、いま一つ、現実感が無かった。
 しかし、動物的な感覚が、茹で蛙の自分を支配して、目の前の処理案件を
 淡々と一つずつこなしているのが見て取れる。 毎月、30年間、月次
 決算に来ていた会計事務所の担当が、「楽しんでいるように見える。
 不謹慎!」と、言われたが、この事態に現実感を持って動いては
 いられない。修羅場は修羅場で違う人格が現れ出る。ただ、後悔や、
 逡巡はしていられない。身近がまず、手のひらを返すのは当然だが・・
 あるのは、節目時の隠れた野生の感覚。 3月19日以降は、後日に
 書き出すが、この内容、自分でも、面白いのだから、第三者は、
 もっと面白い? 書き残す醍醐味か、変質者か? それでも大震災の
 ドサクサに、助けられた。
・・・・・・
2014/11/06
閑話小題 ー倒産は甘塩からい味がする

    * 倒産経験もまた、価値ある人生体験と捉えると
 『倒産は甘塩からい味がした!』をテーマとして書くと、こうなる。
≪ 時どき『闘病と、倒産体験ほど貴重な人生体験は他に無いのでは?』
という考えが頭によぎる。 倒産体験をプラス面で光をあてると、具体的な要素は
幾らでもある。私のケースは、自分で立ち上げた会社を潰したため、起承転結の
「結」が、それ。元もとの立ち位置がアウトサイダーのスタンスもあるが、何事もなく
無事に後に継がせれば中途半端な起承転々。そのどちらが良いか悪いかは、
受け止め方次第である。 事業内容の悪化に比例して辛らつに変わる銀行と、
身近の人たち。予め分っていても不快だが、時間が経つにつれ、これが面白く
思えてくるから不思議。更に、あれだけ沈んでいた気持ちも、二年、三年と
過ぎると、時間薬効果で元に戻ってくる。 その直前・直後の一ヶ月間は、身体と
気持ちが宙に浮いてように動いて、それが意外と痛面白いとさえ感じていた。 
30年来、月次決算に通っていた経理事務所の担当が、
『何か楽しんでいるようですが、自分の立場が分かってないようですね。』
と、言われてハッとしたが、実は、分かってないのは御当人。この感覚は当事者
しか知り得ないこと。何事でも、無我夢中に行動している時ほど面白いことはない。 
実際、こんな貴重体験は滅多に経験出来きないし、一度は味わうのも良よい!
とは、今でこそ言えること。一日一日を区切って、一期一会と割切って乗越える
しかなかったが・・ 「この人、こう受け止めている」が、過って、様々なケースで
自分も受止めていたので、それが分かる。 ボケ役の落語家が震える声で
「バカ野郎〜、その程度か、御前さん!」と思っている自分が、そこにいる。
これも、万一のセフティネットがあったため言えることだが、敗者は敗者、
「日々、是、口実!」になる。「事前、事後とでは、これまでも違っていた」
というのが実感。「開き直り」か。 ≫ 
▼ これを冷静に?読み返すと、こう思って日々を過ごさないと精神の安定を
保てなかったが、冷静な自分がいたことも確か。 それでも大波の中、思わず
水を飲んで、窒息しそうになっていた? 『何事も、最善と思えば最善に、
最悪と思えば最悪になるから、こう捉えていた方がよい』ということか。
これは、大病、大事故にも言換えが可能? 
 少し話が変わるが、実兄が7〜8年前に倒産した時のこと、居酒屋で、慰めで、
彼の親しい友人の実名をあげて『大病で死ぬわけでなし、決して最悪の事態では
ないよ。Oさんは、無事に会社整理をしたが、実は末期肺ガンかもしれない。
これは最悪の事態でないよ!現に生きていられることに感謝をした方が良いよ』
と、慰めたが、その2年後に、本当にOさんが肺ガンになって入退院を繰返して
いるという。この年齢になると、内なる黒鳥がいつ舞い降りてきても不思議でない。
 まだまだ、当時の森の中での夢をみる。 ・・当然のことだが。
・・・・・・
4377, 「世間」の捨て方  ー1
2013年03月11日(月)
           ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや(著)
 創業は、既存の業界を根底から否定し全く新たな形態をつくること。
起業だけでなく、何かをなすということは、社会、世間に距離が出来てしまう。 
社会学を専攻した影響もあるが、内から目線(信念)と、自分を見つめる
上から目線が強くなる。この経済の大津波に押し流されても平然?として
いられるのは長年かけて作ったバイアスがあるから。世間など、とうの昔に
捨て去ってきた。しかし世間にどっぷり浸かってきた人には、新鮮で奇異
だろう。 ーまずは、アマゾンの内容紹介ー
【 景気に振り回される生き方はやめよう。世間はいつも狂ったもの。
 社会と距離をおき自分だけは愉快に楽しく暮らせばいい。
そのための考え方を 語り尽くす本。】  ーまえがきーより
≪ 「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」だと
 思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。無意識の
うちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。子どもの
ころから、わたしたちは「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」
と言われ続けてきました。「世間の人から褒められる人間になりなさい」
「立派な人になりなさい」と教えられてきた。つまり、世間の「期待」
に応えることが求められていた。しんどい生き方ですね。
 よく考えてみてください。世間の「期待」に応えるといっても、その「期待」
が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか?場合によって違っています。とすると、あなたが企業の
「期待」に応えるためには、場合場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。疲れますよ。そんなことをしていると、人間失格
になってしまいます。だから、わたしたちは世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。だいたい優等生というのは、
相手の「期待」に応えようとして、うじうじ悩んでいる人間です。
いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせていたかもしれません。
でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も予測できません。
とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。「世間中心」では
なしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
・・世間のほうがどうしてよいか分からず、われわれに気兼ねしているのです。
いまの時代をそのように読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代
の読み方に従って、われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰にも
言わなかったことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。
ぜひお読みいただきたいと思います。 ≫
▼ 学生時代の武澤ゼミでのケーススタディ。15人位で、会社内のトラブルの
 現象の問題点と背景を捉え、原因と対策の意見を出し合い円座で議論する訓練。
プリントされた問題点には、多くの要素が隠されている。その答えは思いも
よらない分析と回答が用意されている。ゼミの出した結論と、それを対比し、
更に議論する。よい経験をしたものである。そして社会に出てみると、それぞれ
の具体的構造が、リアルに見え過ぎ戸惑うほど。事業の立上げには理想的経験。
で、最後は経済恐慌など三連発で、この様。でも、悔いもない。それを選択した
のが、私なのだから。東北震災の被害者は、その世間を根こそぎ失ってみて、
絆の暖かさと、逆に無意味さを感じ取っているはず。世間消滅も善し悪し!
・・・・・・・
4003,宇宙は本当にひとつなのか ー6
2012年03月11日(日)                  
* 多次元宇宙論と多元宇宙論 ー2 「宇宙は本当にひとつなのか」村山斉著    
 ♠ 多元宇宙論とは  ー 宇宙は一つではない ー
◇「多元宇宙」= 暗黒エネルギーを説明するためには、相対性理論量子力学
 を1つにした新しい理論が必要だ。その最有力候補の超ひも理論のよれば、
 まだ未完成だが、膨大な宇宙が存在するという結果が出てしまう。
 これが宇宙は10の500乗個も作られたという「多元宇宙」という考え方だ。
◇ ー三次元のサンドイッチー
 これまでの話をまとめると、多次元宇宙とは、宇宙自身は一つで、私たちが
見ることのできる三次元空間以外にも別の方向があるというものでした。
しかし多元宇宙は、その前提が大きく変わります。宇宙自身が一つではなく
たくさんあるという考え方が多元宇宙です。多元宇宙というアイデアの一つの
例として、三次元空間がサンドイッチのように何層も存在するというものが
考えられます。これは私たちが生活する三次元空間がいくつもあるのではないか
ということですね。 しかし、この場合は、たくさんあるといっても、全体から
見ればひとくくりの空間の中に収まります。ということは、一つの宇宙の中に
私たちが実際に見ることのできる空間と同じような三次元空間がいくつもある
ことにすぎないのです。実際、重いものを、この三次元空間の中に置くと、
別の三次元空間に影響が出ます。例えば私たちの宇宙が図の「宇宙」とします。
「宇宙2」にある星や物質は私たちの星や物質とぶつかったり反応したりする
ことはできません。しかし三次元方向で近くに来ると重力では引き合います。
もしかすると暗黒物質は重なった別宇宙の物質という説がある。
▼ 暗黒物質と暗黒エネルギーは、別宇宙の物質と考えると理にあう。 
 ヒモ理論が10次元の異次元宇宙の可能性を説いている。この本でも述べて
いるが、「人間原理」という、カント哲学風の「宇宙を認識するから
宇宙は存在する」という素朴な説が立ち現れる。
・・・・・・・
3637, 「みずうみ」 茨木のり子
2011年03月11日(金)
だいたいお母さんてものはさ  しいん としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると お下げとお河童と 二つのランドセルがゆれてゆく 落葉の道
お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を
持つべきなのだ 田沢湖のように深く青い湖を かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも
減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖の
あたりから 発する霧だ早くもそのことに 気づいたらしい 小さな二人の 娘たち
 ーー
 みずうみとは、 内省する時間、孤独の時間、過去を省みている時間。
この畔で水面にうつった周囲の景色や現在の自分の姿を眺めて、我を忘れ
佇んでいる静粛が永遠に通じる。

つれづれに

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  今日のYoutube

 明日から大相撲が始まる。 特に、リタイア後辺りから、暇もあってか
興味を強く持つようになった。 立会いの一瞬が面白い。 
 
 野球のワールドカップも始まり、春の高校野球も、来週の日曜日から始まる。
そして翌週からはプロ野球の公式戦も開幕。 この年齢になると、有り余る時間
が財産となる。




・・・・・・
4003,宇宙は本当にひとつなのか ー6
2012年03月11日(日)
           「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
  * 多次元宇宙論と多元宇宙論 ー2
 ♠ 多元宇宙論とは  ー 宇宙は一つではない ー
◇「多元宇宙」= 暗黒エネルギーを説明するためには、相対性理論量子力学を1つにした
新しい理論が必要だ。 その最有力候補の超ひも理論のよれば、まだ未完成だが、膨大な宇宙
が存在するという結果が出てしまう。これが宇宙は10の500乗個も作られたという「多元宇宙」
という考え方だ。
◇ ー三次元のサンドイッチー
 これまでの話をまとめると、多次元宇宙とは、宇宙自身は一つで、私たちが見ることのできる
三次元空間以外にも別の方向があるというものでした。しかし多元宇宙は、その前提が大きく
変わります。宇宙自身が一つではなくたくさんあるという考え方が多元宇宙です。
多元宇宙というアイデアの一つの例として、三次元空間がサンドイッチのように何層も存在
するというものが考えられます。これは私たちが生活する三次元空間がいくつもあるのでは
ないかということですね。 しかし、この場合は、たくさんあるといっても、全体から見れば
ひとくくりの空間の中に収まります。ということは、一つの宇宙の中に私たちが実際に見る
ことのできる空間と同じような三次元空間がいくつもあることにすぎないのです。 
実際、重いものを、この三次元空間の中に置くと、別の三次元空間に影響が出ます。
例えば、私たちの宇宙が図の「宇宙1」だとします。「宇宙2」にある星や物質は私たちの星や
物質とぶつかったり反応したりすることはできません。しかし三次元方向で近くに来ると
重力では引き合います。もしかすると暗黒物質は重なった別宇宙の物質という説がある。
▼ 暗黒物質と暗黒エネルギーは、別宇宙の物質と考えると理にあう。 ヒモ理論が10次元
の異次元宇宙の可能性を説いている。 この本でも述べているが、「人間原理」という、
カント哲学風の「宇宙を認識するから宇宙はそんざいする」という素朴な説が立ち現れる。
・・・・・・・
3637, 「みずうみ」 茨木のり子
2011年03月11日(金)

だいたいお母さんてものはさ  しいん としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると お下げとお河童と 二つのランドセルがゆれてゆく 落葉の道
お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を持つべきなのだ
田沢湖のように深く青い湖を かくし持っているひとは 話すとわかる 二言 三言でそれこそ
しいんと落ちついて 容易に増えも減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけ
ない魔の湖教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖のあたり
から 発する霧だ早くもそのことに 気づいたらしい 小さな 二人の 娘たち
 ーー
 みずうみとは、 内省する時間、孤独の時間、過去を省みている時間。この畔で水面に
うつった周囲の景色や現在の自分の姿を眺めて、我を忘れ佇んでいる静粛が永遠に通じる。
 ・・・・・・・・
3272, 裏読み日本経済  ー2
 2010年03月11日(木)
  * 9・11テロを予測していた投機筋
 為替のディーラーをしていた人の著書「新・マネー敗戦」に刺激的な文章があった。
「・・・2001年の7月からスイス買いが始っていたのである。それは、何らかの危機が迫って
いるを察知していた投機筋がいたからだ。当時、北米からの資金がスイスに大量に流れている
という構図があった。 さらに、欧州通貨でみてもスイス買いが進んでいるのが英国ポンド。
ユーロではスイス売りが進んでいるのに、ポンドでスイスが買われているということはつまり、
欧州通貨内でみる限り、米ドルに何かが起こることを示唆しているともいえるのだ。
以上の理由から、米国発、あるいは北米発の金融危機が起こるかもしれないとう漠然とした
予測が脳裏をよぎり、ドル・スイスに関しては「ドル売り・スイス買いにしたままで、
二ヶ月後の9・11を迎えた。これは偶然の一致の域を超えていた。明らかにスイスは
ニケ月前から危険信号を発していた。このトレードセンターの崩壊を明らかに察知し、
それで儲けようとした一団がいたのである。 9・11の夜ほど、肉食系投資家という
見えない存在の恐ろしさを感じたことはなかった。」 ところが、先日に購入した
「ドル亡き後の世界」にも、「・・この日の一週間前から航空会社の株式の出来高が10倍に
なり、航空会社株には大量の空売りが入っていた。このテロ後に、これらの投資家は
天文学的な大儲けとなった」とあった。誰がいったいテロが起こることを知っていたのだろうか。 
当時、週刊誌に一時取り上げられたが、その後、何時の間にか、そのことを取り上げなくなった。 
世の中には、私たちの知らない世界があるようだ。あのテロはアメリ軍事産業の業界に
膨大の需要を発生させた。 数日前に民主党の国際局長の議員が、
9・11陰謀説を取り上げたことに、アメリカが異常な反応を示した。陰謀説の仮説は充分に
説得力があるからだ。更にいえば(私の説だが)リーマンショックも、「100年に一度、
500年に一度の大恐慌になることを見越した陰謀」という仮説も成り立つ。これは私が当時
から疑問に思っていたことである。 6千兆円以上の返す当てのない国債を、毒入債権を
アメリカ国内だけでなく世界中にばら撒くことにより、一度、現在の通貨をチャラにする
チャンスになった。グリーンスパンに「百年に一度の世界恐慌」と言わせ、フレーズに
してしまい何度も流し、それなら新しい貨幣制度もいたし方あるまいと洗脳させ、まずは
新しいドルに替えて裏にもぐった金を表に叩き出し、その後、踏み倒しのための新ドル、
それも交換価値の数分の一に一方的に下げる。 9・11も、リーマンショックも、元もと
仕組まれていた借金チャラのための大芝居という仮説が、生々しく筋として通ってくる。
 ・・・・・・・・・
2897,自民党はすでに死んでいる
2009年03月11日(水)
 ー自民党はすでに死んでいるー 上杉隆 (月刊SITGHT)
「STGHT」という雑誌に、政治ジャーナリストがインタビュー形式の「自民党はすでに
死んでいる」が、正しく現在の自民党の姿を浮き彫りにしている。すでに死んでいるのなら、
「あの連中」は、ゾンビの集団ということになり彼等の信じがたい政策と右往左往の理由が
理解できる。 戦後の大部分の間、色いろあったにせよ、一応国民の支持を受けて日本の
舵取りをしてきた。 小泉も含めて20年間、日本を彷徨える船のように衰退へ導いてきた。
最後の締めは、安部、福田、麻生という二代目、三代目が政権を放り出しを含めて未曾有の
無策を露呈してしまった。それを一番身近にみてきた政治ジャーナリストが、彼らの崩壊
過程の姿を辛らつに切り捨てているため往生際の悪い醜態が漫画のように思えてくる。 
結論の「自民党はすでに死んでいる」の理由を、本の末尾で以下のように述べている。
 《2001年4月に、小泉首相が誕生した時に、山本一太さんと会う機会があった、
その時彼は「自民党は、小泉という奇人が登場して、たまたま助かった。だけど、小泉が
いるから助かったので、この人がいなくなったら自民党は終わる」と。 
その時に喩えたのが自民党は恐竜だったと。その恐竜は、森政権が最後で、倒れて
しまったけど、小泉が一人出てきて、それが支えてきただけ。 それがいなくなれば
倒れるだけと。7年前の山本さんの話は、そのとおりであった。》
 ーここで上杉隆自民党の現状を冷たく以下のように切り捨てているー
麻生内閣の支持率が下がるのは、今さら驚くことではない。問題は、自民党がまだ古い
自民党の手法、政治体質を維持している麻生に「ノー」といっていることに、気がついて
ないことである。
・麻生は、小泉が体現した総理の権限、官邸主導の強さを一番真近で見てきたので、
それを在任期間で使わないと死ぬに死ねない。もう全ての人は彼を見捨てていている。
彼は死んだまま存在しているに過ぎない。
  (字数制限のためカット 2011年3月11日)
・・・・・・・・・
2533, 人間魔界図鑑 
2008年03月11日(火)
この事業を始めて28年になるが親戚縁者は、一人も入れてない。実家の会社で子供
の頃から父と兄との葛藤や、親戚の従業員のイザコザを見てきたからだ。親戚の場合、
首を切りにくい。彼らは親戚の立場を利用しようとするから歪みが出るし、これほど
使うほうからして、タチの悪い相手はいない。その逆も言えるのである。立場違えば、
これほど微妙な相手はいない。姉の舅も20年近く勤務していたこともあるが、・・・ 
まあ、やめておこう。次の文章が、人間の本性を辛らつに書き表わしている。
「金と口の出し方」
Pー25
「君はまだ若いから、わしの意見をきいておけば、何かの参考にはなるだろう。
わしはね、これでもずいぶんひとの面倒をみた。ぽんぽん金もやった。たくさんんの
人間を一人前にしてやった。ー君、君もすこしは人に知られるような人間になってみなさい。
蟻やら蝿みたいな奴が、ウヨウヨとたかってくるよ。そんな奴にかぎって、みんな
面倒をみられ、金をもらい、一人前にしてくれるのを当然と思ってるな。
そうした意味でいちばん不愉快なのは、あかの他人より、知人親戚という奴だな。
わしがこうなるまでには、血の小便を出すほど奮闘した。しかし、むろんわしひとり
の力とは思わん。恩になったひとはずいぶんある。しかし、そういう知人親戚と称する
奴とは何の関係もないな。なかには、生まれてから、いちども顔をみず、名も知らな
かったような親戚が続々と現れてくる。叔母の従兄の細君の妹が嫁にいった先の義弟
なんて連中だ。 あの安藤も、わしを叔父さんと呼んどるが、その口だ。
むろん、わしには一切合切みなたかるがままにしておいた」 「・・・・・・」
「ところがだ、それが、ちっともありがたがらんのだ。いや、ありがたがってもらい
たくないが、恩を仇でかえす連中が多いのだな。これをわしの不徳のいたすところなんて、
ていさいのいいことをわしはいわん。かんがえてみると、はじめからただで人に
たかろうなどという気を起こす人間は、所詮それだけの人間なんだ、むろん、それは
それでよろしい。そういう連中にかぎって、あまりものにならん。そいつらはたかった
だけの勘定を、どこかでじぶんで支払うことになっとるようだが、それはわしの知った
ことじゃない。ただ、よくよく見ていると、はじめわしが金をやり、面倒をみてやった
ことが、かえうて害をなしておるのだね。世の中はこれで通ると甘くみる根性をうえ
つけたらしいのだな。そうと知ってからは、わしは一切無意味な金は出さんことにした。
人間は、自分のカだけで生きてゆくべきものだ」「・・・・・・」
損得をいえば、はした金をやって悪口をいわれん方がトクだよ。しかし、わしも
この年になれば、死んだあとで馬鹿者の悪口がのこることより、この世にじぶんの
養成した馬鹿者をのこすことの方がいやだ。ーしたがって、わしは、わしにちかづく
人間はだれでも、その人間の値打ちだけの待遇しかせんのだ」、『極悪人』
・・・・・・・・、
2007年03月11日(日)
 2168, 池田晶子が亡くなった!ー 2      おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
先日、8年前に出版された『考える日々』の中古本をネットで買ったが、最近の本を
読んでいるためか、一つピンとこない部分があった! 哲学者も8年で大きく成長する
ようだ。彼女を偲んで、印象的な彼女の文章を幾つか書き出し考えてみる。
  『人生のほんとう』 ー人の死は悲しいのかー 
 ・・・親しい人が死ぬと、当然「悲しい」という感情が起こります。
ただ、なぜ悲しいのかなと少し距離を置いて考えてみると、第一に「もう会えない」
という思いがあります。その次がたぶん、「かわいそう、気の毒だ」「死んだひとは
悲しいんじゃないか」そういう思いもありますね。でも、これはよく考えてみると、
わからないんですよ。ひょっとしたらそれも思い込みではないかと考えることもできます。
死んだ人が悲しいと思っているかどうかはわからない。死ぬのが本人にとって悲しい
ことなのかどうか、われわれにはあくまでもわからないんですよ。だって、われわれは
死んだことがないわけですから。(略)けれど、たいていは、「もう会えない」という
感情のほうが、悲しみの内容としては強いのでしょう。でも、その「もう会えない」
とはどういうことかと考えてみると、裏から言えば、会えたこと自体が、そもそも
奇跡的なことだったと気がつくことになる。つまり、なぜ存在するのかわからない宇宙に、
なぜかわれわれは存在していて、なぜだかわからないけれども、その人と出会ってしまった
わけです。これはすごく不思議で、これ自体が奇跡的なことだったと気がつくと、
悲しんでばかりでもなくなる。驚きとともに、感謝にも似た感情も起こってきますね。
また、会えたこと自体が奇跡ならば、なぜまた会えないことがあるのか、という
考え方もできますね。さきほど「無というものはない」といいましたが、いなくなる
ということは、実は無がないかぎり「ない」のですから、いなくなるということ、
無くなるということはないともいえる。おそらくそれが、われわれがなぜだか出会って
しまったという奇跡の意味でしょう。 「一期一会は存在の構造です」
▼ 解)昨年末に義母が亡くなった時に悲しんでいる家内に、{亡くなったとしても、
自分の生きてきた過去が消えるわけでなく、母親が生きているより身近な存在になっただけ。
「いま・現在のここ」で母親を思い出せば、会っていると同じではないか。もう会えない
ということ自体、将来のことで今のことではないか。いま、キッチリと母親と心の中
で会話ができれば、それでいいじゃないか。}と諭したところ、「それでも会えない
という事実は事実。」と言い張る。「それでは、貴女が明日、来月生きている確証が
どこにある?灰になってしまった母に会いたいというのはセンチメンタルな感情。
それはそれで良いが、悲しいという気持ちは、死という在りもしない言葉に縛られた
感情でしかない。そこを早くしないと、『母の死というイメージ』に降りまわされて
いるだけ!死のイメージを早く払拭すればよい!」
 ーー
『あたりまえのことばかり』
ー言葉はそれ自体が価値であるー
生きるために必要なものは、言葉であって、金ではない。なぜなら、金のために
生きる人もまた、なぜ金のために生きるのかを問うためには、言葉によらなければ
ならないからである。生きている全ての人は、問わなければならないからである。
「なぜ人は生きるのか」。したがって、言葉はそれ自体が価値である。人がそのために
生きるまさにその価値である。価値とは思わないもののために人は生きることをしない。
それなら、「真善美」という言葉は、われわれの全生活をその根底において衝き動かして
いる価値そのものではなかろうか。価値ではないものを間違えて価値だと思うためにも、
これらの価値による以外にないのだから、われわれの人生とは言葉そのものなのである。
「売れなければしょうがない」、そう言う彼らが間違えているのは損得という価値と
善悪という価値だ。しかし、値段は価値ではない。逆に、言葉に値段がつくと思う
それがその人の生の価値だ。だから、安い言葉を大量に売り飛ばして平気なのである。
「読まれなければしょうがない」、言葉を仕事に選びながら、なぜそう言うことが
できないだろうか
解)言葉自体が価値とは、自分が絶対と信じていることそれ自体が、言葉の羅列
としてこびり付いている絶対確実言明でしかない。その絶対確実言明(信じきって
いる価値)自体も小さな自分の体験か、親か世間様の価値をそのまま信じた結果でしかない。
 頭の良し悪しは、言葉がストンと脳に入るかどうかで決まってくる。 他人事ではないが、
「本を読まない人は、ストンと言葉が脳に落ちない」のだ。 体験を経験に落とし込む
には、そこに言葉を介して脳に刻み込む作業が必要になる。
 その為にも言葉への変換能力と、逆に言葉から脳への変換作用が必要となる。   
 ~~ヾ(´ω`●)バイ(●´
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2006年03月11日(土) 1803, 閑話小題
 (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○
 ー日曜日の殿町
先週の話になるが、家内が所用で留守なので日曜の殿町にウオーキングを兼ねて
行ってみた。日曜日に飲み屋街に行くのは十年に一度あるかないかである。 
17時半の殿町の実態は! スナック・バーは殆んど休み。駅前のチェーン店の
居酒屋は全て営業。個人の居酒屋の三分の一が営業。 
ピンク系はホボ休み。そこでマンションの1Fにある古びた居酒屋に入ってみた。
40年営業を続けていて、マンションなどの立ち退きなどで、この店で三店目という。
居酒屋にしては、ネタがそろっていたが、客単価は居酒屋として上の下?ー4000円位。
「開いていて客が来てくれれば、それでよし」で、用が無いかぎり店は開いているという。
何軒か店を覗いてみたが、その時間帯でも数人の客が入ってきた。 コーヒーいかが?
 C□^(゚◇゚;)ノ゙ アチチ!
 ー道州制についてー
道州制について以前にも書いたが、最近になって新聞に大きく扱われだした。
市町村大合併の次に、道州制も流れだろう。47の都道府県を五分の一にして、
思い切った権限委譲は、日本国をスリムにするベスト?の方法である。情報化が
進んだ現在、県そのものの機能は遅かれ早かれ必要はない。時代の変化に対応して
いく為にも必要なことである。反面、州都の所在地以外は間違いなく寂れるだろう。
ある新聞の全国知事調査で、道州制賛成の知事が47人中27人。反対が二人。 
どちらでもないが18人という。知事のかわりに首相制度にして、現在の日本の
首相制度を大統領制度にすれば、役割がハッキリする。
その位のことをしなければ、この日本の行革は追いつかない。
 ー自民!どうしたー
自民党ライブドアの送金指示メール問題で、前原民主党代表への風当たりが
あまりにも弱い。
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2005年03月11日(金)
 1438, BOSEのステレオ
先週の店舗ショーのあるブースで立ちすくんでしまった。今まで聞いたことのない
生演奏のような音楽がコンポから聞こえてきたのだ。立体的な音響効果がきいた上に、
それぞれの楽器が分かれて聞こえてくるようであった。(好きな人なら、格別取り
立てる音ではないだろうが、音の世界には全く無粋な人間の話である)
看板を見ると「BOSE」という名前が目に入ってきた。立ち止まって聞いて
いると、セールスの人が話しかけてきた。 その内容をリアルに再現してみる
ー凄い音でしょう!
これこそ音響マニアが百万円以上をかけて部屋に音響機器をセットした音です。
誰もここで‘信じられない’と立ちすくんでしまいます。新商品で、まだ一般
には売られていません。コンサートの音を解析したボーズ博士がある発見をした。
(字数制限のためカット 2010年3月11日)
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2004年03月11日(木)
1072.つれづれにー今日はお笑いの日ー3
 ーお笑い   ジョーク・ユーモア辞典より
(字数の関係でカット2009年03月11日) 
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 2003年03月11日(火)
706, スーパーTV-コンビニ戦争
 昨日の21時のスーパーTVの番組が面白い。私の初めの事業の立ち上げが、
郊外型貸しビルであった。ところがドルショックがカウンターパンチになってしまった。 
誰もテナントが入らないのだ。これが良かったのか悪かったのか?! いかなる場合
でも最悪を想定しなくてはならないことが、骨の髄まで知ることになった。
その一角で養老の滝のフランチャイズに参加して、日本で初めての郊外型居酒屋を
始めた。日経流通の記事に大々的?出た。
(字数制限のためカット 2010年3月11日)