* 北朝鮮の結末は
 北朝鮮の記念日の核実験はなかった。中国が原油を止める事態ともなれば、
国家の存続が出来なくなる」という理由が出来て面子も立ったからだ。
それにしても、中国が原油供給停止の恫喝とは驚き。このままでは、そう遠く
ない時期に戦争か、原因不明の病死の発表で体制が変わるか?
 韓国に米国人20万人が滞在しているため、アメリカの奇襲攻撃がないこと
位は、南北朝鮮の人たちは知っている。ちなみに、駐韓日本人は6万人とか。
 しかし目先を乗り越えても、年内か来年辺には?・・ 近未来も同じなら、
今やっても同じと考えても不思議ではない。韓国人の7割が移住希望を持って
いるというのも、理解できる。
 このところ、沈黙を保っているロシアのプーチンにとって、朝鮮戦争は、
願ったりかなったり、とすると、この男がカギを握っているのかも。
小狡い北狐、中国からロシアに原油供給を委ねる可能性もある。
 ところで、韓国内は、この手の北の恫喝には慣れたもの、5月9日の大統領
選挙の方に遥かに注目度が高いという。
 
  * 結局、今年の花見はなし
 悠久山と福島江の恒例の花見、今年は行かずしまい。 近年、悠久山の花見
に行かなかった記憶はない。(信濃川土手の公園の桜は、早朝のポタリングで、
自転車を乗りながら見ていたが)。 毎日のようにTVで、世界の絶景紀行
モノを見ているのも影響している?のか、桜の当たり年ではなかったためか?
北朝鮮の恫喝のニュースで、そんな気分になれなかったのか。(それほど、
シャイでもないか) 鶯の鳴声を一度だけ、信濃川土手河原で聞いたが、自宅
の庭と、近所では一度も聞くことがなかった。

・・・・・・
5520,閑話小題 〜寺院消滅が止まらない!
2016年04月26日(火)
   * 寺院消滅が止まらない!
 葬式といえば、今では節約対象の一番の対象で、地味葬が求められる。
葬式業者に頼んで、坊様への謝礼は、一番、削る対象になる。これまで
続いてきた葬式に対する習慣が一変し始めた。 あるレポートに、
「寺院消滅が止まらない!」があった。〜その概要とは〜
≪ 団塊世代も死期に入り、葬式、法要が増えてきたが、以前ほど、49日法要、
一周忌法要、三回忌法要、七回忌法要など言わなくなった。大都会に集中し、
地方の過疎化と、家制度の崩壊が背景にある。あと10数年もしないうちに、
寺院の三分の一が住職不在になるという。 江戸時代に、戸籍管理を委託され、
それを良いことに、好き放題に搾取してきたことに檀家が、気づき、離れて
いった歴史がある。で、今では半数近く住職の収入が300万前後。
2040年までに人口に占める若年女性人口(20歳〜39)の割合が、
現在よりも50%減少する自治体を「消滅可能とし」として全国の自治体の
将来人口を推計した。人口が減れば当然、寺も減る。
 日本の寺院の役割は大きく二つある。「寺=信仰」、「墓=供養」である。
鹿児島県では、明治初期に、全国で吹荒れた廃仏毀釈により1066の寺院が
すべて消滅、現在では490まで戻した。それでも寺院が少ないのが目立つが、
寺院の存在意義を、団塊世代以下の人たちが、見出さなくなったことが大きい。≫
▼ 寺院が食べていける「檀家」数が、最低で200軒。これでは、地方の寺院
 が消滅化は当然の流れ。何ゆえ死を恐れるかといえば、人生を充分に生きて
こなかった結果、やり残したことへの無念と、死んだら、生臭い永遠の中に、
消え去る不安からくる恐怖。更に、身近な人の葬式で、彼岸に見送る儀式をし、
重油で焼かれた骨を墓に収めて終わり!とする共同幻想の儀式。で、後は、
法要で、生きている人たちが、世間向けに亡き人の思い出話。これは形を
変えた昔のレジャー、それはそれで、残された人たちの魂の慰めになる上に、
当人の慰霊になっていた。でも、これは、別に法要をしなくとも、仏壇の前で、
心を篭めれば、毎朝、出来る習慣。お墓は、死後の世界を信じる人の祖先様の
共同住宅という幻想の場。そう思えば、心が休まる。
 後記)書き終えた後、以前、似たテーマで書いたのではと、ブログ内検索で
調べてみると、二回も書いていた。で、「没にしようか」迷ったが、これは
これで載せることにした。戦前までは大方を占めた、情報不足の人にとって、
その法話は、有難たい心の洗濯、人生を考えさせられる内容だったが、今では
TV、ネットで一般人の方が数多の知識がある。法難は、寺院に吹き荒れる。

・・・・・・
2015/10/09
寺院経営の惨状とは
  * 貧困は寺院経営に顕著に現れ出る
 寺院の年間収入50万円以下が2割、100万円以下が3割の数字に目を疑った。
その3割の大方(9割)が生活困窮状態?という。 一年ほど前に親戚の
法事に参列したが、その宴席の隣席が午前様。 何気ない会話の中で、
『由緒ありそうなお寺のようですが、墓は幾つあるのですか?』と若い跡継ぎ
の午前様に聞くと、顔色がサッと変わり、『それは、言えません!』と答えた。
後で、「寺院経営の窮状を悟られたくないためか」と、気づいた・・ 
葬式や法事で聞く法話も、情報化の中で、『成るほど!』と心に残る内容は
今では皆無。 ネットで調べた内容は、衝撃的でさえある。
≪ 今年4月、『生活困窮者自立支援法』が施行。生活保護に至る前の自立
 支援が狙いだ。背景には、深刻な生活困窮者の増加がある。6月、厚生労働省
は「今年3月時点での生活保護受給者が217万4331人と過去最高を更新」と発表。
受給世帯数も、前月比3773世帯増の162万2458世帯と、こちらも過去最高。
増加に転じた平成7年時の受給者数は88万2229人。この20年で約2.4倍増えた。
増加の要因は、就労に依る自立困難な高齢者世帯の増加、更にリーマン
ショックや経済低迷の影響となれば、今後も増加傾向は容易に変わらない。
日本の高齢化は進む一方であり、6月19日に衆譲院を通過した労慟者派遣法
改正案は、労働者側からすれば生活を一層不安定にすると懸念されているから。
 ところで、この生活保護を受けられる最低ラインの生活扶助基準とは、
どれくらいか? 世帯数や地域でも変わるが、両親と就学前児童1人の3人家族
の場合では、最も高い東京23区で凡そ月16万円という。年収約200万円だ。
これに住宅扶助等の諸々が加えられる。
 では、この額に比してお寺の現状はどうなのか? 曹洞宗が10年に1度
おこなっている宗勢総合調査(平成17年)の寺院の年間収入は如何だろう? 
 先ず、年間収入50万円以下が何と2割を占め、100万円以下が3割。
確実に最低生活水準を満たしていない寺院が3割もあるのだ。平成21年に
浄土真宗本願寺派が行った宗勢調査の結果だが、こちらも2割近くが年収
100万円未満なのだ。当然、この年収では、いや、全体の半数を占める
300万円未満でも生活は厳しい。現に、本願寺派では300万円未満の寺院の
9割が「全く生活できない」「かなり切り詰めないと生活が成り立たない」
と回答。一般家庭と異なり、寺院には様々な維持管理費が必要。
布教の為の教化費もいる。収入の全てを生活費に充てる訳にはいかない。
実際、同派で300万円未満の寺院の7割が「兼業収入を寺院護持に使っている」
と答えている。 (略)・・・
 過疎や高齢化・家制度の揺らぎ・仏事に対する意識の薄れ等、お寺を取り巻く
環境の変化に依る今後の見通しは極めて厳しい。どの地域にあっても他人事では
ないことは明らかだ。そんな中、檀家の少ないお寺を継ぐことは極論すれば、
将来に“負債”を抱えるようなものという見方もあろう。現に、過疎地寺院の
後継者難が、どの宗派においても深刻な問題になっている。しかし、それでも
実は寺院数が激減していないのは、檀家は勿論、住職や寺族が物心両面で
お寺を支えているからに違いない。・・・ ≫
▼ お寺でも、その規模などによる経営格差がしているようだ。
 大都市一極化、少子化、家制度の激変の中で、仏事に対する考えも変化。
それに伴い収入も激減し、寺院経営は大きな岐路に立たされている。
「長い歴史で、情報基地の役割を果たしてきた寺院のシステムが、情報化
社会の変化に立ち遅れた結果」ということになる。特に過疎地は酷いようだ。

・・・・・・
2011/03/04
3630, 岐路に立つお寺
 3月1日のNHKのクローズアップ現代の「岐路に立つお寺」に驚かされた。
恐らく全国の寺の多くが追い詰められていると思ってはいたが、ここまで葬式
仏教への反感が強いとは! 法話も今さら何をという内容ばかり、その程度の
話はTVで聞く仏教学者の二番煎じでしかない。聞く方が、人生と死をより
深く知っている逆転現象もある。 NHKのHPより、概要を見てみよう。
≪  〜問われる宗教の役割〜
「葬式仏教」と批判されて久しい日本の寺が追い詰められている。都市への
人口流出と檀家の減少、「直葬」に代表される宗教離れよって、衰退してきた
寺が経営難に陥り、数億円の負債を抱えるケースも出てきている。
原因は“墓ビジネス”の失敗だ。葬儀会社に「葬式」さえも奪わつつある寺が、
存続をかけてビル型納骨堂や巨大霊園を建設したものの売れ残ってしまった。
一方、危機的状況のなかで、信者の心の苦しみに寄り添う宗教の本分に立ち
返ろうと、自殺や高齢者の孤立の問題に向き合う僧侶も現れている。岐路に
立たされるお寺の現状を見つめ、宗教の役割と可能性について改めて考える。≫

 以上だが、番組中、仏教に対して良いイメージを持っている人90%、
お寺には25%、僧侶に対してはなんと10%、とあった。いかに、坊様に対する
不信感が強いかが出ている数字である。 現在の私の気持ちが、そのまま、
数字に出ていたのに驚かされた。私が厳しいのかと思っていたが、この数字を
知ってホッとした。 まとも?な坊様なら愕然としただろう。葬式時の御経代
の高さに、心の底では怒り心頭ということが見えないのである。霊園に墓を
移す流れは、もう止められない。江戸時代から特権階級の立場を利用して庶民
から貪りとってきたシステムに若い人たちは気づいてきたのが、この隠れテーマ。
コンビニの二倍も寺院があるというから、いかに庶民から搾取してきたかが、
窺い知れる。

・・・・・・
5155,理性と感性と悟性
2015年04月26日(日)
   * 理性とは何か
 学生時代のゼミで何気なく私が発した言葉が。「理性とは何ですか?」
あまりに唐突だったので、誰もがポカンとしていたが、それを簡潔に解釈した
内容を47年後にネットで見つけた! ネットと暇な時間は便利である・・
≪ カントやヘーゲルによって展開された「ドイツ観念論」を理解するためには、
 まず、感性と悟性と理性という三つの能力を区別する必要がある。
 主体としての人間が対象に働きかける仕方である。
・「感性」は「直観」の能力であり、時間と空間という形式を持つ。
(「直観」とは、カントの場合、見たり、聞いたりする感性的(=感覚的)
な直接知を意味する。)我々が何かを見たり聞いたりする際には常に、その条件
として、時間と空間という形式が先行しているはずである。我々は物(あるいは
何かのイメージ)を空間(および時間)なしに考えることは出来ないのだから。
・「悟性」と訳される「フェアシュタント(Verstand)」というドイツ語は、
「解る」「理解する」という意味の動詞(verstehen)から来ていて、
「理解する力」「常識」(英訳は、"understanding")を意味する。
その純粋な形式が、カントが「カテゴリー」と呼ぶ、判断の論理的形式である。
(これには、肯定や否定という判断の「質」、存在や全称という判断の「量」、
実体や因果性という判断の「関係」、必然や可能という判断の「様相」がある。)
・これに対して、「理性」は、より高次の、悟性の判断を総合的に関係づける、
推理の能力である。例えば、「人間は死ぬ」という命題は、「生物」という
媒概念を介して、「人間は生物である」「生物は死ぬ」という二つの判断を
総合したものである。英語でいうと、リーズン。つまり、「理由」「根拠」
「道理」を意味するのが「理性」である。なぜ?と問いかけたとき、
「なぜなら〜だからだ」と答える力が理性になる。≫
▼ 「感性」は直感能力、「悟性」は理解能力、「理性」は「高次の推理能力」、
 つまり高次の理由づけ、根拠づけになる。世間の噂話レベルは、身近な世界
の空間・時間が先行するため、一般的には「あの世界」に埋没する。
理性の真逆の世界。理性を高めるには、「ぼんやり時間」を意識的に持たねば
ならない。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子になっている状態。その5文字は
1、「闇」―蛍と星とダークマター
2、「独」―独りでいること
3、「閑」―逆茂木に囲まれて
4、「怠」―「1日4時間労働」の夢
5、「懶」―心の余白 である。
 いっけん、理性の世界とは真逆のようだが、この状況から、感性も、
 悟性も、理性も研ぎ澄まされる。高次の道理の追求ということ!
・・・・・・・
4790,閑話小題 ー父親のこと
2014年04月26日(土)
   * 父親のこと
 これまで母親について語ってきたが、父親について殆ど書いてなかった。
父親が42歳時の時に8人の末っ子として生まれた為、父親が孫のように特別扱い
され育った。それもあって、直ぐ上の兄に陰湿に虐められてもいた。 御陰で、
気が強く、常に自分の身を守ることに、人一倍の知恵が身についていた。
今回の一連も含めた危機管理などの用心深い性格は、この辺りからきている。
 大家族の中、父親が絶対的存在で、母親も、兄姉たちも、常に緊張の中で
父の顔色を伺っていた家庭環境であった。父親は骨董商の二代目。祖母が
婿取りで、母が結婚した時には、当時の資産で七万ほどあったと、母の晩年に
なって語っていた。母が結婚当時、父に「うちは金持ちなの?」と、聞いた
ところ、「金持の目安が10万で、どうだろう?」と答えたというが、その後、
数倍に増やしたというから、資産家の部類だったようだ。プチブルレベル?
 太平洋戦争前まで、当時のトップセールスを思い立ち、津上製作所社長や、
野本互尊など上客を持って、年に数回の取引で、かなりの利益を上げていた。
そして、大戦の勃発で、骨董は売れなくなり、地元からも多くの戦死者が
出ていた。その中、仏壇販売で戦中の生活を凌いでいた。それも終戦を向え、
次に考えたのが古着販売。食えなくなった人の古着を他より高い値で買取り、
欲しい人に、安い値で販売することを思いつく。それが拡大したのが、
衣料量販店である。これも、問屋からの仕入れでは安く売れないため、岐阜、
名古屋、岡山、広島などの生産地に直接行き、仕入れることを考えついて、
繁盛店として、全国的に知られるようになった。商売人の基礎の質実剛健
モットーに、明治気質の、真面目な人であった。顔つきも、性格も、私が、
そのまま、受け継いだが、酒は、殆ど飲まないところが、私とは違う。 
趣味は、旅行と、骨董収集と、茶道と、住宅の建設。自宅や、姉たちの新築
建設に金も口も出して、そのプロセスを楽しんでいた。家も、店でも、チリ一つ
でも落ちているのを嫌い、徹底的に掃除をさせていた。学歴コンプレックスが
強く、自然に娘婿には高学歴の人がなっていた。 友人の持てない人で、
株屋や、保険屋の営業などしか、傍には寄せ付けなかった。兄姉も、怖れて
近づかない中、末っ子の私だけが何時も父の傍にいて、何かペットのような
存在であった。法事などは、何時も私だけが出席をしていた。父親は、太平洋
戦争を挟んだ激動期を、乗り切ったが、私は、結局は、飲み込まれてしまった
甘い三代目になる。 この随想日記も〈売り家と唐様で書く三代目〉の
‘唐様で書いた’で、しかないのか。 ゙(。ノω<。)ァチャ- (-_-)ウツタ
【(後記)これを書いて、分類の<堀井誠作・シマ ワールド>を開いた
 ところ、父親の命日などに、多く取り上げていた。今さら、我ながら
 驚いてしまった! 結局、父親は私の大きな後楯の人だった、ということ。
 それにしても! 呆けか 】

つれづれに

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  今日のYoutube

 今日の夕刻から、長岡駅裏の居酒屋で、中学校の同期会。 
何時も20人前後が集まる。分類される前の中学校の人たちだが、
以前は黙っていれば良かったが、歳のせいか、いらない一言が出てしまう。
 今日は、早々、帰えることにするが、酒が入ると、どうなることか。
70歳を過ぎると、「一期一会」になる。




・・・・・・
4049, 一時停止 ー7
2012年04月26日(木)
                「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955~2010
  * 公共広告「あなたが大切だ」について  (ふくろう通信一二〇○八年春)
≪  命は、たいせつだ。  命を、たいせつに。
   そんなこと、何千何万回言われるより、 「あなたが、大切だ」
   誰かがそう言ってくれたら、  それだけで生きて行ける。
 不思議ですね。このコピーは不特定多数に向けられた言葉なのに、まるで誰かが私に向かって
言っているかのように感じられる。この短い文章の中で「命は大切とい一般論が、「あなた」という、
ただ一人の人間に向けられた言葉に変換されたからでしょうか。コピーに添えられた写真の少女は、
もう何かを訴えかける元気もなく、孤独で病的な表情でこっちを見つめています。この少女にとっては、
一対一で自分と向き合ってくれて、自分のことを本気で気に向けてくれる誰かが言う「あなたが大切だ」
という言葉が、「魔法の言葉」なのではないでしょうか。「元気になる魔法の言葉」は、もしかすると
本や雑誌やテレビ番組の中にも見つかるかもしれませんが、何よりも身近な人の言ってくれたこと、
書いてくれたことにひそんでいるのではないかと私は思います。 たとえば大切な人と別れなければ
ならないとき、別れの悲しみと苦しみが深ければ深いほど、どんな言葉も自分を元気づけてはくれないし、
慰めてもくれないと思いがちです。でも、もう言葉が何の役にも立たないと感じられたときにも、
私たちのこころとからだの奥底で言葉はもがきながら生きています。だから言葉にならない自分の悲しみ、
苦しみが言葉になったとき、私たちは元気になるきっかけをつかむことができる。 同じように、
誰かが苦しみ、悲しんでいるとき、私たちはその人のこころとからだにひそんでいる言葉と共振する
言葉を探します。それはとても微妙で繊細な作業ですから、場合によっては言葉を探さずにただ黙って
その人のそばにいて、その人を抱きしめるだけのほうがいいこともあるでしょう。辞書には載っていない
「魔法の言葉」は、変幻自在ですから。   ≫
▼ 本を読むということは、書き手の意図を、自らに対する言葉に切り替える作業でもある。 
一人も「あなたが大切だ」と、言ってくれなくても、著書を通して書き手から、私にとって自分自身が
最も大切だと受け止められれば良いのではないか。とはいえ、それが出来る人は僅かとすると、やはり
直接、誰かに言われたいもの。幼児期に両親から愛情を多くそそがれた人は、「あなたが、大切だ」
という気持ちがシッカリと根付いて、その人の人生の土壌になる。 両親の愛情は大切である。
 ・・・・・・・
3683, 自己を見つめる -7
2011年04月26日(火)
                 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 昔ほど、生甲斐という言葉を言わなくなったが、そのかわり、「好きなことを見出し楽しめ」という
ようになった。生き甲斐は、それなりの覚悟と追求のエネルギーを要するが、「好きなことはを楽しむ」
には、それほどの重さはない。 生き甲斐について、著者は以下のように納得できる説明をしている。
  * 生き甲斐の探究
【 私たちは、この世の中を生きるとき、なんらかの形で、生き甲斐を求めている。生き甲斐のない
人生を好んで求める人は、考えることができない。 生きるということは、みずからが、そこに意味を
見出し、なんらかの有意義性の成り立つことを信じることのできる道程を発見して、そこに自分の人生の
基盤を据えて、自己の時間的な生成過程と、振幅を含んだ多様な遍歴の道を、辛苦や労苦を越えて、歩み
進もうとする覚悟にもとづいて初めて成立する。 それを可能ならしめるものが、生き甲斐にほかならない。
 むろん、その生き甲斐という問題は、さまざまな局面を含んでいて、けっして単純ではない。けれども、
生きる意味を信じ、自分の人生を肯定できる道程を発見し、そこで自分の人生の充実を図って生きる、
という構造を含まないような人生設計や人間活動というものは、人間の生き方として、考えることが
できない。意味や有意義性は、ディルタイがすでに指摘したように、私たちの生を構成する最も基本的な
カテゴリーなのである。 そうした生き甲斐とは、それを最も強い形で言い表せば、自分の死に場所を
発見することと同じだと言えるであろう。 その道を突き進んで、その果てに自分はもう死んでもよいと
 言えるような生き方とその内実を発見したときに、その人は自分で自分の人生の充実を図って生きる、
こういう構造を含まないような人生設計や的活動というものは、泰然自若、自己であることに安らうはずで
ある。 たしかに、「人生、いたるところに青山あり」である。しかし、ほんとうに死んでもよいと思える
場所と生き方を、最終的に見出すことは、けっして容易ではない。何人も迷いを免れがたいもの。けれども、
人間は、最後には、自分を捨て、 そこに自分を埋めてもよいと覚悟できる人生の住処を求めている。】
▼ 「生き甲斐とは、自分の死に場所を発見することと同じ。その道を突き進んで、自分はもう死んで
もよいといえる生き方と、その内実を発見したときに、泰然自若、自己であることに安らう」は、納得する。 
本当に自分の好きなことを見つけ、全霊を傾けて自分のエネルギーを叩きつける時に、生甲斐が生じる。 
それがない人生は、空虚な喪失感が付きまとう。 しかし生甲斐は、そう簡単に得ることはできない。
極限の中にこそ、生じてくる。生甲斐を感じているときが、自分の心の芯にいる時であり、自分である時。
家族の為に我を忘れて必死に働いている時、振り返ってみた時に、生き甲斐を見出すのである。そこには、
意味も意義も充分にある。 全身全霊をかけて対象に取り組んでいる中に生き甲斐が生まれてくる。
・・・・・・・・
3318, 悲しみ、苦しみは人生の花
 2010年04月26日(月)
 「悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花咲かせ、楽しむことの発見、
 これはあるいは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ。」これ坂口安吾の言葉である。それなら喜び、
楽しみは果実というところか? 60数年の人生を振り返り肯定的に眺めれば、そうかもしれない。 
私の実感は、悲しみ、苦しみ人生のレッスン=学びである。 近代の発見とは、目標の発見と解釈できる。  
また花咲かせるとは、目的、目標の達成である。目的達成のプロセスこそ人生の花というのも肯ける。
「花も嵐も踏み越えて」という歌の文句があるが、人生とは挫折を乗り越えてこそ、その先の喜びも
大きくなるもの。「悲しみ、苦しみは人生の花!」は、なかなかいえない言葉だからこそ、心に響くのである。 
自分の子供に先だたれた親に、この言葉が当てはまるのだろうか。 それも運命と割り切って受けとめること
も人生なのだろうか。 「災い転じて福と成す」これが人生の真髄というが。大きな時代のウネリの中でこそ、
味わいたい言葉である。 過去を振り返ると、一番のどん底の時ほど、周囲の人の苦しみや悲しみに対して
鋭敏になり、優しい言葉をかけていた。 その時ほど多くの人と心が通いあっていた。 言い換えると
どん底の時期は人生の花の時期」。「一番苦しかったけれど、一番楽しい時だった」と、気づくかどうかである。 
私の場合は「人生、面白かった~!」が実感。「喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる」で、それなりに人生、色いろある。
 「人生、当たり!」と自己暗示するしかないか~ 
「悲しみ、苦しみは人生の花」と、心の底から思えたら、それは一種の悟りだろう。   あれが花?
 ・・・・・・・・
2943電動式ステッパー
2009年04月26日(日)
 スーパーやホームセンターで、「自力式のステッパー」を見ていたが、知人が毎日使っているが、非常に
良いとは聞いていた。ところが電動式ステッパーを家電店でみつけたので売り場で使ってみたが、なかなか良い。 
足の部分が勝手に動くものだが、しかし13万円もする。数ヶ月前に電気ウエーブ・マッサージを見つけたが、
12万円もする。そこでネットで廉く小さいのを探したら1万4千円のものがあった。さっそく買って使っているが、
これが大当たり。 朝晩使っているが腰と胃腸と血流に非常に良い。 それなら電動ステッパーも廉い簡易式
のがあるはずと「電動ステッパー」と検索を入れたら、アマゾンやビックカメラのネットで、29800円のものが
あった。さらに価格ドット・コムで調べたら最低価格が7665円(送料別)があったので、さっそく注文した。
   (字数制限のためカット 2011年4月26日)
・・・・・・・・
2579, 連鎖する大暴落 -2
2008年04月26日(土)              (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 サブプライム問題は、予測できることであった。だから、逆張りも出来たはずだが、それも振り返って
みればの話。オバマが大統領になると断じているところが面白い。民主党は(クリントンは新鮮味がないので)
オバマとしても、共和党のマケインとは互角だろう。しかし民主、共和党が10年ごとに交代することに話が
ついている、というのも肯けること。この本の通り、日本がアメリカの属国と割り切ってみると、日米関係が
改めてシビアに見えてくる。世界中の物資を、ドル、アメリカ国債などの紙切れの偽札モドキで交換している
に過ぎない。特に日本などは、それで高い兵器を言値ねで買わされているのだから哀れなもの。この本を読むと、
ドルが60円台、株が3000ドルも、なんら不思議ではない。ー前著同様に、この目次だけでも内容が
充分に要約されている。
[目次]
第1章 私の予言はなぜピタリと的中したか
 ・サブプライムローンの破綻はすでに2007年の5月にははっきりしていた
 ・アラン・グリーンスパンFRB議長は2005年に警告を発していた 
 ・ニューヨークもこれから三ヶ月ごとに大暴落していく
 ・返せそうもない人々に無理矢理お金を貸し付けたのがサブプライム  
第2章 大暴落がこれから3カ月ごとに襲い来る
 ・専門家と称する詐欺師たちが金融の八百長をやってきた
  (字数制限のためカット 2011年4月26日)
・・・・・・・・・・・
2007年04月26日(木)
2214, 中国人移民の話       <(_ _)>  オハヨウゴザイマス            
 去年、新宿周辺を知人の車で案内してもらった時、青梅街道などに韓国人商店街や、中国人商店街が
出来ていたのには驚いた。アメリカをはじめ、何処の国の首都には中国人街がある。 朝鮮人街も時には
見かけるが、日本人街は殆ど見かけない。中国人街を見るたびに、中国人の海外居住者は何人いるのだろうか?
という、素朴な疑問を感じていた。 ー先日の毎日新聞に中国人の移民の記事があった。
 それによると、海外在住移民の数が3500万人! こんなもの?と思ってしまった。
 シンガポールや、インドネシアが果して入っているかどうかは、この記事には無かったが。 
総国民の3%が多いか、少ないかだが。「イタリアのミラノ市で、移民と警官隊が衝突」という見出しであった。
これによると、ミラノでは1平方?の地区に500軒以上の店がひしめき、20年前の500人のミラノ在住中国人が
13000人と、26倍も膨れ上がったという。イタリア人は欧州でも働かない国民性で、中国人の「勤勉・活気」
に妬みと軽蔑の気持ちが強く、互いの軋轢が出てきている、という。 その横の関連記事として、中国人の
移民の実態のレポートがあった。 ~その内容を要約すると、
・大陸出身中国人は、151ヶ国に3500万人              
・2000年から2005年間だけで、アメリカへの移住者が35万人。
・カナダ在住中国人は1988年の3万人から、2002年に30万人に激増。  
・日本では、韓国、フィリッピンについで28000人
・観光などの旅行により中国本土からの出国者は昨年で3450万人で、2001年の3倍近く拡大したという。
 旅行先では、「世界中には、何処にいってもネズミと中国人はいる」と言われていて、飲食街では
殆んどの都市で中華料理店を見かける。それが、また美味しい店が多いの。(日本料理は外れが多いが、
中華料理店は外れは少ない)
いずれにしても、世界の人口の2割を占めていて、バラバラの国民性が携帯などでネット化すれば、
侮れない存在になっていくだろう。人口が多いほど、個人の存在が小さく思われがちだが、逆に個性的で
なければ、生きていけない。没個性的な日本人とは、相性が悪いのは致しかたがないことである。    
                                 Σ( ̄∇ ̄|||  バイ!           
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2006年04月26日(水)
1849, ローマから日本が見える?6      ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
第三章 共和制は一日にしてならず
 ー王から執政官へー
紀元前509年、尊大なタルクィニウスを追放し、王政を廃止するに至った中心人物はルキウス・ユニウス・
ブルータス。これより460年後にカエサルを暗殺したマルクス・ブルータスとは血縁は全く無い。王を追放した
ブルータスは、ローマ市民を集めて「今後一切、ローマ人はいかなる人物であろうとも王に就くことを許さず、
いかなる人物もローマ市民の自由を侵させない」と誓わせた。ーここからが面白い!ブルータスが考えたのが、
「執行官」という最高指導者である。王と同じく、市民集会で選ばれて、ローマ内政の最高権力を握ると同時に、
有事では指導者として軍隊を率いる。とはいえ、アメリカの大統領とは違い、当時は実際に最前線で指揮を
とるのが常であった。このような大きな権力を与える一方、執行官が将来の王にならないように歯止めをかけた。
その制度とは「執行官はかならず市民集会によって二人選ばれ、その任期を一年とする」ということであった。
これでは王のように振舞えないと考えた。 しかも、執行官を二人にすることで、更に保険をかけた。
二人の執行官には上下がなく、それぞれに拒否権が与えられていた。 しかし、これには弱点もある。 
任期が一年なので、長期の政策ができなくなる。そこでブルータスが考えたのが、元老院の機能の強化であった。
100人の元老院を三百人に増やした。当時、三百人まで増やすということは、殆どの有力者を網羅することになった。
                   まあ、茶でも!~~旦_(-ω-`。)
 ー「ノブレス・オブリージュ」ー
 著者の塩野は、ローマ帝国1000年を支えた根本は「ノブレス・オブリージュ」だったと強調している。
 ローマの貴族は社会的責任を負わなければならないという考えが強かった。戦争が起これば貴族は率先垂範して
 最前方に出て戦い、公共の利益をためには貴重な財産を社会に快く提供したという。ローマの元老院は真の意味で
「貴族精神」の持ち主であった。「知性ではギリシャ人より劣り、体力ではケルト人やゲルマン人より劣り、経済力
 ではカルタゴ人より劣っていたローマ人が、永らく巨大帝国を維持できた原動力は社会指導層の役割だった」
と主張した。
    辞書にはノブレス・オブリージュの意味を
  ・身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、
   欧米社会における基本的な道徳観。
  ・高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者には
   それに相応した重い責任・義務があるとする考え方。
    (字数制限のためカット 2012年4月26日)
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2005年04月26日(火)
1484, 24歳の日記ー2         
  ー1970年3月22日
朝11時に、実家の店に手伝いに行き、17時まで手伝う。よく売れるのに驚かされる。
今日、大鵬を見ていておどろいてしまった。再起不能といわれながら、努力で再起をして優勝をしたのだ。
ただ驚きである。人間の一番美しい姿を見せてもらった。今日、一年の設計図の大枠を考えるつもりが何も
考えられない。どうしたことか、例の手紙のせいか気持ちが揺らいでいる。明日は病院に行って、精密検査
をしなくては。
ー3月23日
午前中は、病院で検査である。 午後は設計図を書いたが、いい加減である。
早々簡単に書けるわけがないが。 焦りだけあって、何もできないのだ。 こういう時間をもらって
いながら、何もできないのが情けないが。といって時間だけは過ぎていく。一日、一歩、歩むしかない。
走ろうとしても無理、歩くしかないのだ。自分と直面して解るのは自分の甘さと、いい加減さである。
ー 3月30日
今朝、急に父が8時半に居間に集まるように言われた。両親に、家の裏に住んでいる姉夫婦、
兄の三郎、そして私である。遺言の内容の言い渡しという。 急なことで全員が、吃驚する。
ー内容の概略は以下の通りであるー
 (字数制限のためカット 2010年4月26日)
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2004年04月26日(月)
1119, 北朝鮮の怪?
 今回の北朝鮮の大爆発の事件,何か不可解な事件である。数百メートルが瞬時吹っ飛んでいたのに、
どうして電線から引火をしたのが解るのだろうか?組織的な大掛かりのテロ?TVで「近くの中国側
の街での噂で、今回の事件は暗殺未遂といわれている」とか、「金総書記が通過する近くに、危険物を
乗せた貨車があること自体不自然だ」とか、報じていたが、異常な事件であることは間違いはない。
北朝鮮は単純なミスと報じていたが、そんなわけがない事件である。
(字数制限のためカット 2012年4月26日)
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2003年04月26日(土)
752, SARSの不安
 もしアルカイダーか北朝鮮のテロなら!と考えると、背筋がゾッとする。発生源が特定している
からまだよいが、そうでなかったらテロと疑われパニックになるところであった。単純な自爆テロ
なら、その範囲で済むが、火薬を細菌に置き換えたテロを彼らが始めたら大変なことだ。
(字数制限のためカット 2011年4月26日)
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2002年04月26日(金)
388, 温度差
3~4年前の将棋の米長棋士の講演会で聞いた話だが、丁度北海道拓殖銀行がつぶれた直後で彼の講演が
そこの主催で入っていた。当然のことながら急遽中止なった。急なことで時間もとっていたし、飛行機
の切符も送られてきたし,他の人との予定も入れていたので、そのまま行ってきたという。
それと札幌の雰囲気がどうなっているかみたかったという。飛行場からのタクシーの運転手に話を聞いて
思わぬ内容に耳を疑った。北海道中、特に札幌の道民は内心皆、喜んでいるとか。彼らは北海道では
超エリートで、威張り尽くしていた。永年のその鬱憤が一般の中に蓄積されていた。確かに北海道経済
にとってマイナスで、喜んでいられないが、道民感情は拍手喝采だという。そして数日札幌滞在中、
会う人全員がそういっていたという。これは実際現地に来てみなくては解らない情報である。
彼が言いたかったことは、実際マスコミに流れる情報と、そこの情報の差である。「何事も現場の声を
実際聞いてみなくてはわからない」ものだという事だ。反面ITの時代は、こういう情報が瞬間流れる。
「それにしても、あれは何だったんだ?」ということだった。そこまで嫌われる理由は?マスコミは
こういう情報は間違っても流すことは出来ない。こういう情報は現地で直接しか聞けない。どこかの
県市でも、同じことが生じている。 気がつかないのは当事者だけ、破綻したときそれが表面化する。
何処かの城下街のそれは時間の問題という。 リストラにあった元管理職や街の中から?? 
という話が生々しく聞こえてくる。