* 朝鮮戦争への道
 プーチンの思惑どおり、ホワイトハウス内の混乱が増すばかり。
一年で、国務大臣、FBI長官、首席戦略官・上級顧問、首席補佐官などを
次々と罷免してきた。「凡庸な泡沫が大統領になると、この有様さ」そのままを、
私たちは目の当たりにしている。 直近から遡って、その履歴を検索すると… 
≪ ☆ ティラーソン米国務長官の罷免= 
 トランプ米大統領は3月13日、ツイッターで、ティラーソン国務長官
 解任し、ポンペオ中央情報局(CIA)長官を後任に充てると発表した。
☆ コーン国家経済会議(NEC)委員長の辞任=  
 ホワイトハウスが18年3月6日、近く辞任すると発表した。
☆ マッケーブ連邦捜査局FBI)副長官の辞任=  
 18年1月29日に辞任した。
☆ プライス厚生長官の辞任=  
 17年9月29日に辞任した。可能な限り定期便を使うよう求める連邦政府
 の内規に反し、高額なチャーター便を頻繁に利用し、税金の「無駄遣い」が
 批判された為。
☆ バノン大統領首席戦略官・上級顧問の辞任= 
 16年11月の大統領選で選対本部最高責任者としてトランプ氏を当選させた
 立役者で、最側近だった。保守強硬派の政策を推進した「黒幕」とも目されて
 きたが、強引な手法の影響で内紛も絶えず、17年8月18日に辞任した
☆ スカラムチ・ホワイトハウス広報部長辞任=、 
 17年7月21日に就任したが、同31日に辞任した。31日就任のケリー
 大統領首席補佐官が「白紙の状態から自身のチームを組めるようにする」ため。
☆ プリーバス大統領首席補佐官=
 ケリー国土安全保障長官の首席補佐官就任に伴い、17年7月31日に辞任。
 事実上の更迭とみられる
☆ コミー連邦捜査局FBI)長官= 
 17年5月9日に解任された。ホワイトハウスによると、先の大統領選中、
 民主党候補クリントン国務長官の私用メール問題に関する捜査情報を公表
 したコミー氏の判断は「重大な誤り」だったとして、司法省が長官交代を進言、
 トランプ氏も受け入れたという。
☆ フリン大統領補佐官(国家安全保障担当)=2017年2月1日 
 トランプ氏の側近の一人だったが、政権発足から1カ月に満たない17年2月
 14日に辞任した。フリン氏をめぐっては、補佐官就任前だったにもかかわらず、
 16年12月に駐米ロシア大使と対ロシア制裁について話していたことが発覚。
 民間人の外交交渉介入を禁じる法律に抵触する可能性が指摘されていた。
 事実上の更迭とみられる。

――
▼ 極めつけは、ポンペオ中央情報局(CIA)長官を国務大臣を後任に充てた
 こと。これは、戦争の可能性が更に強くなったことを示唆する重大事。
北朝鮮が到底、飲めない条件を示して決裂? そして、ここで北が衰弱した
張子の虎の実態が現われ出て、自滅か? 戦争か? 
 近く、大家の皆さんと蒟蒻問答で話合ってもらおうか。
家族経営主義を露わに持ち込んだ泡沫候補上がりの大統領と、金日成気取りの、
撲ちゃん。観てる分には面白い!では、済まない。あそこまで挑発してしまった
からには、イラク、アフガンの国家破綻への道は避けられないとみるのが順当。
秋口のアメリカの中間選挙対策にも、戦争状態は必要? 共和党の支持率は34%、
不支持率は59%。 更に大統領に不満が7割というから、何をかいわんや。
 これは北朝鮮問題で有耶無耶のようだが、アメリカ政治史に残る、大問題。
どうなっている? 日本では、安倍首相が、この失態。どうなってる?

 追) 偶然だが、5年前の黒鳥、今では朝鮮戦争? 
・・・・・・
4383, 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない
2013年03月17日(日)              
 * 不測に備えよ!
       「なぜ多重債務者がベンツに乗れるのか?」鳥巣正樹 (著)
自家用車は20年以上前に買ったソアラである。現在も、ほとんど故障する
こともなく、乗り心地もベスト。スポーツタイプもあってエンジンも劣化した
感はない。燃費はL7キロだが、遠出は少ないのでガソリンは月に1万円。
当り外れでいえば、当りの車。査定ゼロで借金のカタにもならない。ところで、
「弁護士に全面委任したがよいが、どこまで信頼してよいものか?」
「個人保証分の債権のため個人破産をすべきか?」と戸迷っていた時、知人に
この本を紹介された。しかし殆ど読まないうちに忘れていたが、先日、書棚で
見つけ出し読んでみた。破産は債権者からすれば何も回収できない最悪の事態。
今回、余裕資金があるうちに弁護士に駆込んだのも債権者からみたら善し悪し。
破産は以前と違い個人への保護ネットと、この一連の経験の過程で知った。
著者は「最後の手段として、ぎりぎり、とっておくべき」という。
事業再開の意思など更々ないので破産を避ける必要性がない。ただ
「気持ちの問題、しないで済むものなら」と、現時点では、しない方針。 
著者の論からして、それが正しいようだ。ここで、「債務者の方が債権者より
強い立場にある」というが、実感である。まずは弁護士費用を用意しておく。
それ以前に長年かけ備えをしておくこと。黒鳥は、いつ舞い降りてくるか
分からない。  ーアマゾンの内容紹介ーより
≪ 合法的に、正々堂々と、借金を踏み倒す方法があった。
「借りた金はゼロになる!」。ズバリ、これが“新・債務整理論”。
本書では、事業ローン・住宅ローンをはじめ、多重に借金を抱える債務者を
救う借金返済術を大収録。「6億円の借金を踏み倒し、手元に残した1億円で
再スタートを図った社長」「4億円の借金を踏み倒し、家を手放すことなく
ベンツを乗り回し続ける社長」「3億円の借金を踏み倒し、事業再生に成功した
社長」など、合法的に借金をゼロにして、人生を再スタートさせた事例をもとに、
目からウロコの対応策を伝授します。父親の借金が原因で苦しい幼少時代を
余儀なくされた著者が、その復活劇から学んだ“踏み倒しノウハウ”が詰まって
います。借金は返すのがもちろん大前提だが、不幸にして返せない事態になった
場合、借金のために死ぬ必要はない。自己破産だってしなくてよい(自己破産は
最後のカード)。債権者だって人間、ハートとテクニックで開ける道もある。
そのためには筆者のようなプロに相談すべしという内容。
本書は、事業の借金や住宅ローンを返せなくなった人向けに書かれた本。≫
▼ 弁護士の当たり外れはある。30年来の会計事務所のグループで、
 同じ建物内の弁護士だったので安心していた。しかし、弁護士は債務者の
利益より法的正義を優先する立場。それを踏まえて対処すべきである。
債権者である銀行は、元もと損しない仕組みができている。長期事業のため
リスクヘッジを数十年積み上げてきた。が、「自分は大丈夫!」という気持ちが
あったことも事実。9・11、リーマンショック、3・11など想定できようがない。
何とか雪崩に巻き込まれる直前に決断。辛うじて最悪を逃れた。とはいえ
準備期間を入れ45年かけた事業崩壊。 そう簡単に割り切れないのが人情。
「問題の中心を凝視し続け、弱気にならない」それが長年の経験の対処法。
中小は個人保証が前提。奥さんの連帯保証を避け、奥さん名義の給与を
与えて、預金をするのは中小企業が出来る特権。そのためには、倒産、会社
整理=悪の考えを捨てること。誰ひとり、助けてはくれないのが娑婆!
家内も含め、両親からの染付いた情報と体質が、最後の拠りどころ。
・・・・・・
4009, 昼間、何してる?
2012年03月17日(土)
 数年前の集まりで、久々の高校時代の同期に「Uターンをして毎日、
何をして過ごしている?」と聞いたことがある。それと同じ質問を現在、
自分がされた。その時、「スポーツセンターとか、図書館とか、暇を持て余す
ことはない現在の私と同じような答えであった。それでも、暇そう、としか
思えなかった。私はアウトサイダーで群れることが好きでなく、同級会以外は
一対一の付合いが多い。 それもあり、月に平均一度の飲み会以外に知人友人
との接触が少なくても平気である。ブログなどで、自分の気持ちを開放し書いて
いるので孤独感は無い。ジムで人の中で運動していることも気持ちが落ち着く。
 参考のために、昨日の一日のスケジュールを、そのまま列記すると
4:10 起床ー>随想日記の下書き修正、ネットへアップと、翌日分の荒書。
6:50  コーヒー・タイムと、新聞閲覧とTV(モーニングショー)
7:40  朝食と、TV       8:20 風呂
9:20  書斎で読書、パソコン
11:00 昼飯(牛丼店)後、   11:30アピタのシネマで映画
13:40 スポーツジムへ (ホリディSJが休日のため、公営のミニSJへ)
14:40 図書館、ドラッグストア、給油
16:00 居間で休憩後、書斎で読書
17:20 TV(大相撲)、晩酌 TV(録画)
20:00 パソコン・・・     21:20 就寝
▼ 金曜と日曜は民間のジムが使えないため公営のジムに行く。
4月〜11月は、4時半に起床、6時まで、この随想日記の書き上げと、
そのアップと、翌日分の下書きをする。その後、一時間かけて信濃川
二つの大橋を自転車で一周する。飲み会が月に平均二回。アピタのシネマに
月2〜3回。ランチが週2〜3回。図書館と蔦屋は、週一。この合間の隙間
時間に、iPadで、読書、ゲーム、ネットサーフィン、電子新聞・雑誌を
見たりする。私として充実しており、一週間はアッという間。

・・・・・・
2011年03月17日
  * 原発事故難民が新潟にも
 昨日、車で新潟から長岡までの帰り途中にラジオで、「福島からの避難民
の方は、この電話番号・・に電話を下さい」と放送していた。避難所の紹介。
東北自動車道が閉鎖されているためか、高速自動車道は車で満ちていた。
TVで、ぞくぞくと逃げてきた被災民が新潟市の体育館などに詰め掛けている
画面を映し出していた。その前に、ホテルに一泊しシャワーを浴びる宿泊客の
車が駅前に溢れている。 三人の男性の宿泊客が、「宮城から食料と、生活雑貨
の買出しにきた。街には死体が散乱していて、死臭が凄い。」と言っていた。
関東も関西方面に避難している車が多くあるという。日ごと、この災害の影響が
私たちにも迫ってきている。 避難のため、得別便を日本に飛ばす国があったり、
大使館の機能を関西に移動している国もある。我々は、ただ座して放射能被爆
を受けるしかないのか! 大して先が残されてないので、諦めがつくが、
若い人たちや、日本国家を考えると、絶望的になるのは当然のこと。 
まだ、発生より6日目でしかない。
・・・・・・
5115,吉本隆明の「幸福論」
2015年03月17日(火)
    * 老齢の幸福論
  吉本隆明の「幸福論」に、青年期、壮年期、老年期に分け、
 その老年期を更に三つ、老年期(65〜74)、超老年期(75〜84)、
 老年第三期(85歳以上)と分けている。現在の後期高齢者を二分割し、
 老年第三期を加えたもの。 私は、老年期半ばの69歳で、しっかりした
 老年になるが、その自覚はあまりに少ない。だが、歳月人を待たず!
  〜印象に残った箇所を抜粋すると
・「老年では、1年先のことなんか考えない、考えたって無駄。幸、不幸を
 ちいさく刻んで考え、ちょっとしたイイ気分でも、それで幸せ。な感覚」
・「一般に日本の場合は、孫と親と自分の三代は、理想的には同じ家にいて、
 老人は子供とうまくいってなくても孫とはそんなことないから、孫の相手を
 してる間は楽しいよ、ということです。」
・「老人っていうことは、心身両面が慢性的うつ病である」
・「嬉しいとか、辛いとかを、縮めて考えること。
  どっちも、そう長く続くものじゃないってね。」
・「人間の幸福・不幸とか、人生の目的は何とかは、若いときに考えるもの。
  年をとったら、長い周期で考えるのをやめることじゃないかな、何事も
  短い周期で考えればよい。」
・「自分の主治医は、自分。自分が良いと思ったことを自分でやるしかない」
▼ 一日一日をかみ締めて日々是好日で生きるしかない。老いてきた実感は、
 長生きは、思いの外、厳しい!ようだ。以前、身近な誰かが言っていた言葉、
『まさか、自分が年をとるとは考えてもいなかった!』が、言いえて妙である。
老いは誰もが通る道。『子供しかるな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ』
が老いの先。父のように71歳で逝くか、母親のように88歳を目指すか? 
 やはり、想定を75歳が? 「良いこと3に、悪いこと1」を目指し、
日々是好日、ということか。 探すと、確かに幾らでも面白いことはある!
四苦八苦に、十二楽二十四楽で対処するしかない。「老いの愉楽」ですか。
 私の場合、傷口が深いから、その二倍、二十四楽四十八楽でいくしかない!
・・・・・・
5845,号砲一発、北越第四銀行経営統合
2017年03月17日(金)
  * 号砲一発、北越第四銀行経営統合
 昨日の夕方、TVのニュースで「地元NO・1と、NO・2の地銀の統合合併の
ニュースが報じられた。 6年前に一線を離れた身としても、驚きは大きい。
実際にあるとすれば、元・第二地銀大光銀行北越銀行と思って当然。
まさか殿様?の北越第四銀行とは鳩に鉄砲の組合せ。
「合併に対等はなし」の通例からして第四の吸収になるが、目的は人員と
関連会社の整理。機械化と、ネット化などの合理化で、人員の三分の?が
不要になるという。ニュースであまり取上げられてないが、2年前の
北陸新幹線開通のマイナス効果。それと、二つの地元の大地震の損害と
原発停止による経済の弱体化も大きな要素。 
 〜ネット記事から
≪・新潟県地方銀行で最大手の第四銀行(新潟)と二番手の北越銀行
(長岡)が経営統合する方向で最終調整に入ったことが、16日分かった。
4月にも基本合意を交わした上で、2018年春をめどに統合を目指す。
統合の形態は共同持ち株会社を設立して、2行が傘下にぶら下がる方式を検討。
将来的な2行の合併も視野に入れる。2行は統合による規模の利益の追及など
によって経営効率を高め、今後の生き残りを図る。
2016年9月末時点での2行の連結総資産額を単純合算すると、8.2兆円。
統合が実現すれば、全国の地銀約100行・グループの中で10位台に浮上
する、大規模な地銀グループが誕生することになる。
・2行を経営統合へと突き動かした要因は大きく二つ。
一つは、ここ数年で相次いでいる他の地銀再編と同じく、地元地域の人口減少と
超低金利環境だ。 国立社会保障・人口問題研究所によると、2行が地盤を持つ
新潟県における25年時点での15〜64歳人口は、10年時点と比べて約2割も減少
するという推計結果(13年3月推計)が出ている。
2つめは、足元の経営環境も16年2月の日本銀行によるマイナス金利政策の導入
以降、一層厳しさを増している。超低金利の状況において、預金と貸出金の
金利差である利ざやの縮小が進んでいるためだ。
対前年同期比で見た、2行の16年4〜12月期決算における業績がそれを示唆する。
一般事業会社の営業利益に当たる実質業務純益では、第四が26.7%減の117億円、
北越銀行が18.9%減の65億円。さらに、連結経常利益では2行共に3割以上の
減少という苦境に陥っている。この状況が長く続けば、将来的に地元である
新潟県の地域金融を支えられなくなるかもしれない。そんな危機感が2行を
統合交渉のテーブルに着かせた。≫
――
▼「15〜64歳人口は、2025年と2010年時点と比べて約2割も減少」は、この記事で
知ったが、深刻な事態である。常識的にみれば、中越地区は3割減?。これからして、
この合併は、当然といえば当然。第四にとって第二地銀との合併は避けて当然。
その結果が第四+北越銀行の組合せ。「地方経済の弱体化モデル地区の象徴」
として、越後長岡は取上げられる。全体エネルギーが、3分の2に落ちている
感はあったが… それでも合併で何とかなる?から、よいのか。
 今後10年で第四の3分の1、北越の2分1の人員と店舗の整理があって然るべき。
いや、5年か。目的は時代に即した合理化。 地銀の整理淘汰の号砲一発。
今夜と明日の殿町の巷は如何なることに? 金融関係者は青い顔、中小・零細
経営者は赤い顔で。今さらだが、「毒喰えば皿まで」。県知事は建設省出身者
の選択しかなかった? 床柱だった北海道拓殖銀行の倒産は、地元道民が乾杯
をあげたという。地元は、如何なることに? 倒産でもないし… 
越後新潟も、新潟市一極化は、ますます顕著になる。ここというより、地方の
常識は非常識。負け犬の遠吠えでしかないが… ワオ〜ン。 いや、キャン!
・・・・・・
5480,人生で最も大切な技術 
            ー30 人生を豊かにするために死を心に刻む 
2016年03月17日(木)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著
  * 人生を豊かにするために死を心に刻む
 メメントモリ(死を忘れるな)。 心理療法に、臨終のワークがある。
生き方に迷った時に、自分の臨終を想像し、何に価値を置くべきか、もう一度
判断しなおす方法。50歳を過ぎた頃から、知人が次々と亡くなっていった。
しかし心の中では、「ひと(他人)は先、我は後」の気持ちが強かった。
ところが、いつの間にか70歳の現在に至って、他人事でなくなってきた。
そこで数年前、75歳辺りを目安に設定したが、さて? ーその辺りからー
≪ 人生に背を背くことなく、死に直面するにはどうすべきか。
 絶望や恐怖に 駆られることなしに、死を考える方法はあるだろうか。
エティ・ヒレスムの言葉を引用しよう。「人生から死を排除することで、
完全な人生を送ることはできない。反対に、死を歓迎することで、人間は
成長し豊かな人生を送れる」。死をどのように捉えるかが、人生の質を大きく
左右する。ある人は恐れおののく。無視することを選ぶ人もいる。過ぎ行く
どの瞬間にも真価があることを認め、生きる目的をしっかりと認識するため、
死を熟視する人達もいる。死を人生の一部として受容することが、不断の努力
を続けるための気力を養い、無益な気晴らしに時間を時間を浪費することを防ぐ。
 誰もが死に直面する一方、そのための準備の方法は千差万別である。
12世紀のチベ・トの聖者、ガンポーパは次の言葉を残している。
「初めは、罠から必死に脱け出そうとして、もがく雄鹿のように死を恐れる。
中間点に着くと、丹念に畑の手入れをしてきた農夫のように、`何も悔やまなく
なる。最終段階に至ると、偉業を成し遂げた人のように、幸福になる」。
 死を恐れるほうが、死を無視するよりも遥かに学ぶことが多い。死に付きまと
われて生きることはないが、人間の存在の脆さに気づいていることは大切である。
このように死を理解するのは、人生で残された時間を十分に味うのに有益である。
死は、しばしば警告なしに訪れる。たとえ、健康に恵まれ、友人と美味しい
食事を楽しんでいたとしても、最後の瞬間を越えて生き延びることはできない。
友人を、中断された会話を、半分の食べ残しを、未完の計画を、残して去らねば
ならないのである。 その瞬間に何も悔いはないだろうか。とてつもない人間の
可能性を最大限に引き出した人で、悔いを残した人がいるだろうか。
天気が良かろうが悪かろうが、来る日も来る日も汗水流して種を撒き、作物を
刈り取って働続けた農夫は、最善を尽くしたのだから何も後悔することはない。
その瞬間に、自分自身を責めるのは、成すべきことを怠ったからである。
より優れた人間として自分を向上させ、他者の幸福に貢献するため、あらゆる
瞬間を使い切った人にとって、死は平安となる。≫
▼ この20数年、死とは何かを考え続け、多くの本を読みあさってきた。
 一番、心に残ったのが、「死後は生前に戻るだけ」。生とは、その間の
一瞬の間である。その間、宇宙、地球、世界、大自然、社会、人間世界の
光を可能な限り見ることではないか。死んでしまえば、それまでよ。
生きているうち、元気なうち。そのためには、現在なすべきことを、元気な
うちに、なすべきだが・・ 歳のせいにし、漠然とした日常をこなすだけ。
 意外なことは、思ったより、死の恐怖感が少ない反面、押しとどめていた
苦い記憶のフラッシュが多いこと。若い時にみた年寄りの内面が、これほど
複雑で、膨大の過去に覆われているとは思いもしなかった。ことに臨んで、
後悔しないかを自問自答してきたが、「後悔しないことなど無い」と、
何ゆえ、思わなかったか? 「これを後悔したとしても、それは仕方ない」
である。でも、実際は、そう考えていた? 「そのまま結構!」ということ。
・・・・・・
4750,閑話小題 〜マレーシア機不明はテロとすると
2014年03月17日(月)
  * マレーシア機不明で、謎深まる
   ー まずは、断片的ニュースより
《 マレーシア機不明 乗客のうち2人が盗まれた欧州連合EU)加盟国の
 パスポートを悪用して搭乗していた可能性があることが、当局の発表や
 関係者の発言で8日に明らかになった。3月8日 》
《 ナジブ首相は、首都のクアラルンプールを離陸したマレーシア航空機の
 通信手段が離陸からほどなくして、意図的に切られたことを明らかにした。
 機体はその後、マレーシア東海岸の上空で航空管制のレーダーから外れ、
 西に向きを変えたという。そして、マレー半島を横切り北西へ向かった。
 離陸から約1時間25分後には、軍のレーダーからも姿を消した。
 こうした機体の動きについてナジブ首相は「こうした情報は(操縦士でない)
  何者かが航空機を操縦したと考えて矛盾しない」と述べた。
 また通信衛星のデータを解析した結果、軍のレーダーから消えた約6時間後
 の午前8時11分に機体の信号が衛星にとらえられていたという。レーダー
 のスイッチを切った上で当初のコースを外れ、6時間も飛行していたことが
 明らかになったマレーシア航空機。3月15日)》
《 機長は反政府派のアンワル・イブラヒム元副首相の熱烈な支持者であり、
 元副首相は先日3月7日、同性愛罪で禁固5年の実刑判決を受けた。
 消息不明になったのは翌日。なんらかの抗議か? 3月16日 》
▼ 当時、中国の全国人民代表大会全人代=国会)が開催されていたが、
 それに対するメッセージの可能性がある。「3月1日に発生した雲南省
 昆明駅でのテロ事件」や、「北京・天安門毛沢東肖像画汚す」事件も、
 党への不満。その一連とすると、非常に恐ろしい事件になる。
 消息が不明とすると、既に自爆をしたと見るべきか?それとも、何処かの
 国に侵入して撃ち落とされた?か。もし、機長がテロ犯としたら、北京の
 全人大に突っ込むことも可能だったが、その防御体制が出来ていただろうか?
 もし、実行されていたら「ソ連と同じような崩壊過程に入るほどの事件。 
 真相は、まだ分からないが、機長そのものがテロの実行犯としたら、
 「事実は少説より奇なり」になる。 中国の政治・経済バブル崩壊
 チョットしたキッカケで起こる可能性を含んでいる!

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

  今日のYoutube

 昨日は、ディズニー映画、『リメンバー・ミー』をみてきた。
面白かったが、小・中学生向きで、ミスマッチの感が残った。
しかし、映像だけでも充分に価値を感じられた。





・・・・・・
・・・・・・
5480,人生で最も大切な技術 
            ー30 人生を豊かにするために死を心に刻む 
2016年03月17日(木)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著
  * 人生を豊かにするために死を心に刻む
 メメントモリ(死を忘れるな)。 心理療法に、臨終のワークがある。
生き方に迷った時に、自分の臨終を想像し、何に価値を置くべきか、もう一度
判断しなおす方法。50歳を過ぎた頃から、知人が次々と亡くなっていった。
しかし心の中では、「ひと(他人)は先、我は後」の気持ちが強かった。
ところが、いつの間にか70歳の現在に至って、他人事でなくなってきた。
そこで数年前、75歳辺りを目安に設定したが、さて? ーその辺りからー
≪ 人生に背を背くことなく、死に直面するにはどうすべきか。
 絶望や恐怖に 駆られることなしに、死を考える方法はあるだろうか。
エティ・ヒレスムの言葉を引用しよう。「人生から死を排除することで、
完全な人生を送ることはできない。反対に、死を歓迎することで、人間は
成長し豊かな人生を送れる」。死をどのように捉えるかが、人生の質を大きく
左右する。ある人は恐れおののく。無視することを選ぶ人もいる。過ぎ行く
どの瞬間にも真価があることを認め、生きる目的をしっかりと認識するため、
死を熟視する人達もいる。死を人生の一部として受容することが、不断の努力
を続けるための気力を養い、無益な気晴らしに時間を時間を浪費することを防ぐ。
 誰もが死に直面する一方、そのための準備の方法は千差万別である。
12世紀のチベ・トの聖者、ガンポーパは次の言葉を残している。
「初めは、罠から必死に脱け出そうとして、もがく雄鹿のように死を恐れる。
中間点に着くと、丹念に畑の手入れをしてきた農夫のように、`何も悔やまなく
なる。最終段階に至ると、偉業を成し遂げた人のように、幸福になる」。
 死を恐れるほうが、死を無視するよりも遥かに学ぶことが多い。死に付きまと
われて生きることはないが、人間の存在の脆さに気づいていることは大切である。
このように死を理解するのは、人生で残された時間を十分に味うのに有益である。
死は、しばしば警告なしに訪れる。たとえ、健康に恵まれ、友人と美味しい
食事を楽しんでいたとしても、最後の瞬間を越えて生き延びることはできない。
友人を、中断された会話を、半分の食べ残しを、未完の計画を、残して去らねば
ならないのである。 その瞬間に何も悔いはないだろうか。とてつもない人間の
可能性を最大限に引き出した人で、悔いを残した人がいるだろうか。
天気が良かろうが悪かろうが、来る日も来る日も汗水流して種を撒き、作物を
刈り取って働続けた農夫は、最善を尽くしたのだから何も後悔することはない。
その瞬間に、自分自身を責めるのは、成すべきことを怠ったからである。
より優れた人間として自分を向上させ、他者の幸福に貢献するため、あらゆる
瞬間を使い切った人にとって、死は平安となる。≫
▼ この20数年、死とは何かを考え続け、多くの本を読みあさってきた。
 一番、心に残ったのが、「死後は生前に戻るだけ」。生とは、その間の
一瞬の間である。その間、宇宙、地球、世界、大自然、社会、人間世界の
光を可能な限り見ることではないか。死んでしまえば、それまでよ。
生きているうち、元気なうち。そのためには、現在なすべきことを、元気な
うちに、なすべきだが・・ 歳のせいにし、漠然とした日常をこなすだけ。
 意外なことは、思ったより、死の恐怖感が少ない反面、押しとどめていた
苦い記憶のフラッシュが多いこと。若い時にみた年寄りの内面が、これほど
複雑で、膨大の過去に覆われているとは思いもしなかった。ことに臨んで、
後悔しないかを自問自答してきたが、「後悔しないことなど無い」と、
何ゆえ、思わなかったか? 「これを後悔したとしても、それは仕方ない」
である。でも、実際は、そう考えていた? 「そのまま結構!」ということ。

・・・・・・
4750,閑話小題 ~マレーシア機不明はテロとすると
2014年03月17日(月)
  * マレーシア機不明で、謎深まる
   ー まずは、断片的ニュースより
《 マレーシア機不明 乗客のうち2人が盗まれた欧州連合EU)加盟国の
 パスポートを悪用して搭乗していた可能性があることが、当局の発表や
 関係者の発言で8日に明らかになった。3月8日 》
《 ナジブ首相は、首都のクアラルンプールを離陸したマレーシア航空機の
 通信手段が離陸からほどなくして、意図的に切られたことを明らかにした。
 機体はその後、マレーシア東海岸の上空で航空管制のレーダーから外れ、
 西に向きを変えたという。そして、マレー半島を横切り北西へ向かった。
 離陸から約1時間25分後には、軍のレーダーからも姿を消した。
 こうした機体の動きについてナジブ首相は「こうした情報は(操縦士でない)
  何者かが航空機を操縦したと考えて矛盾しない」と述べた。
 また通信衛星のデータを解析した結果、軍のレーダーから消えた約6時間後
 の午前8時11分に機体の信号が衛星にとらえられていたという。レーダー
 のスイッチを切った上で当初のコースを外れ、6時間も飛行していたことが
 明らかになったマレーシア航空機。3月15日)》
《 機長は反政府派のアンワル・イブラヒム元副首相の熱烈な支持者であり、
 元副首相は先日3月7日、同性愛罪で禁固5年の実刑判決を受けた。
 消息不明になったのは翌日。なんらかの抗議か? 3月16日 》
▼ 当時、中国の全国人民代表大会全人代=国会)が開催されていたが、
 それに対するメッセージの可能性がある。「3月1日に発生した雲南省
 昆明駅でのテロ事件」や、「北京・天安門毛沢東肖像画汚す」事件も、
 党への不満。その一連とすると、非常に恐ろしい事件になる。
 消息が不明とすると、既に自爆をしたと見るべきか?それとも、何処かの
 国に侵入して撃ち落とされた?か。もし、機長がテロ犯としたら、北京の
 全人大に突っ込むことも可能だったが、その防御体制が出来ていただろうか?
 もし、実行されていたら「ソ連と同じような崩壊過程に入るほどの事件。 
 真相は、まだ分からないが、機長そのものがテロの実行犯としたら、
 「事実は少説より奇なり」になる。 中国の政治・経済バブル崩壊
 チョットしたキッカケで起こる可能性を含んでいる!

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3278, 哲学者は神について、どのように語ったか ー6
2010年03月17日(水)
  * ニーチェの「ルサンチマン
「財力や権力より、魂の美しさに価値があり、他者を愛し、他者のために尽しなさい。貧しき者は幸いである。」
と説くキリスト教。 その道徳も、弱者の自己防衛にすぎないと主張したニーチェ。弱者同士が欲望を否定し、
弱者同士が慰めあう考えに矛盾を感じ「死後の天国」という幻想のため善行を積むことを「奴隷の道徳」と否定、
天国のことを考え、この世の生を否定することを、死への意思と非難した。神、天国が幻想と暴いたニーチェ
「神が死んだ」と宣言をした。宗教そのものが弱者がつくり出した幻想と堂々と当時、言い放ったのである。
キリスト教を教会、権力者、弱者を「貧しきものは幸いである」で、納得させるに都合が良かったのである。
彼は人間の生の原動力を「力への意志」と考えた。誰も自分をパワーアップして生きたいもの。しかし、大部分の
  人は挫折をし恨みや憎悪(ルサンチマン)を抱えて、小さく生きている。要は、この世の生に向き合わず、宗教の
天国や来世を幻想して生きるのである。その幻想をキッパリと捨て去り、今の、この世を生きることを肯定せよと
主張したのである。 神が死んだことで、神によって規定されることなく、無限の可能性を持ったともいえる。
キリスト教で絶対的な神は、人間を創造する存在だったが、神が死んだことで、人間こそが真の創造者になった。
人間は何を創造するのかというと、「超人」である。超人とは、「人間は神なしですませる為に、勇気、頭脳明晰、
自負、独立性と苛酷性を持った人間」である。超人は、そうした強靭と知恵とを持って、その生を生きます。
生の苦痛に耐えて、それを肯定することは、自分の運命に堪えることになる。
悲惨でも、その「運命を愛すること」のみが必要にとされるのである。
人間は、「生まれ、生きて、死んでいく」、この意味のない有為転変が永遠に続くだけだが、
自分に与えられた運命を良く生きることで、この永劫回帰の苦痛を克服できるのである。
各々の運命を愛しながら生きることが大事なのである。一応、彼で近代が終わったといってよい。
 権力者や、それにつながる聖職者にとって大多数の弱者をコントロールするに宗教ほど都合良いものはない。
ヨーロッパ人が、アフリカやアジアに進出する前段階に、キリスト教の普及をしたのは、そのためである。
アーリア人がインドを占領し、ヒンズー教をつくり、カースト制度を植えつけたのも、それである。
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2903, 日本は輸出立国か?
2009年03月17日(火)
 野口悠紀雄は、その著書「世界経済危機」で、「アメリカの金融立国に対応して円安にして資金を供給し、
かつ円安メリットを最大限利用して輸出立国をつくりあげた日本はアメリカと同罪である」と断じている。
ところが果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。
そこで他国のGDPの輸出比率はどうなっているか調べてみたところ、意外な数字であった。
・中国 37パーセント    ・韓国 37パーセント
・ロシア 30パーセント   ・欧州平均 50パーセントの数字であった。
原油輸出国のクエート 56パーセント。他の産油国では90%以上だろう。
これからみると日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。しかし輸入が13~4パーセントになるので、
輸出をしなければ国が成り立たない。特に資源輸入国なので、それを稼ぎ出さないければならない。
石油などのエネルギーを20兆円、食料6兆円の輸入をしているから、少なくともそれだけの輸出を
確保しなければならない。食料自給率が40パーセントを割ったことも、日本にとって不利である。
とはいえ、日本は中国など世界中に工場を移転してるので、一概に輸出立国を否定はできないが・・。
世界はグローバル化している中で、企業も国際化しないと生存できない時代である。
アメリカのサブプライム問題で、日本の産業をリードしてきた輸出産業の崩壊は、国の存亡の危機。
特に今年が最重要の年である。 現在の日本の政治は、それに対応しているのだろうか?と考えると
暗澹とした気持ちになってしまう。 非常事態には、非常体勢が必要なのに、何をしているのだろうか?
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2539, 閑話小題  2008年03月17日(月)
 *三月の風景
三月は何ともいえない雰囲気で好きである。節目の時だからだろう。「誰々が、どこそこの大学に合格した、
入社した」とか、駅には卒業式の羽織袴の姿と、小・中・高校を卒業した少年少女のエネルギーが街に
溢れかえる。近くの散歩コースの土手の雪が融け、小さな犬の散歩の姿が見られるようになる。
春の到来ということだ。 企業は退社する人と、入社する人の交差の不安定の。時期になる。
野球のオープン戦と開幕戦が始まり、サッカーの開幕、大相撲春場所が始まり、春の高校野球
そして卒業式の学生の姿が初々しく微笑ましい。 一年の節のの時節ということだ。
 *サブプライムローンと毒入り餃子
タイミング的に丁度良く、サブプライムローンと毒入り餃子問題が重なった。悪質な不良債権をミックス
した債権を餃子とみると、あまりに似た問題である。それもサブプライムアメリカの格付け機関の保障入り
ときている。世界の金融機関にばら撒かれていて、気づいていないところが多いから始末が悪い。
中国の冷凍餃子も、中国当局がまだまだ、ことの重大さを認識してないので、問題は更に拡大する。
これを切っ掛けにアメリカのドル本位制に近い通貨への不信が拡大し、ドル暴落はさけてとおれない。
それからくる大混乱が生じはじめ、ドル本位制度から資源本位制度がいわれてきている
 *骨美人と水美人
(字数の関係で中略ー2010年3月17日)
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2007年03月17日(土)
2174, 14歳からの哲学ー 2
          オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。
以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、死について述べている。(いや、彼女のあらゆる
著書の中で述べているが・・)最近、「死」について考えると心地良いのはどういうことだろう。
死を考えることは、生を考えること、人生そのものを考えることだからである。いや、歳をとったと
いうことか。「あたりまえのことばかり」の中の、?章 生きているとはどういうことかーの一節から・・
 ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。
もう一つの勘違いは、死体を見て、それで死を見たと思う。ここが大事なことですが、死体は死ではない
ことに気づくと色いろなことがわかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。
それでは「死とは何か」の一般的な答えは、「無になる」ことです。無というものは無いから無なわけです。
無は存在しない。存在しか存在しない。したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、
言われている無というものは無い。すなわち死はない、ということになります。にもかかわらず、なぜ無い
死を在ると思って人は生きていくのか。その視点を手に入れると、死があると思って生きているこの世の
光景が、可笑しく見えてくる。
 無いものを在ると思っているのですから。思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、
これは面白い。ですから、死が存在しないと気がつきますと「人生」という言葉の意味するところが
まるっきし変わってくる。やがて死ぬ、どうせ死ぬとは言えなくなる。なぜなら死は無いのだから、
人生の意味はまるっきし変わってくる。
 「あたりまえのことばかり」よりー
しかし、この[14歳からの哲学」の中の死についての説明も、なかなか含蓄が深い。
  まずは、その部分を抜粋してみよう。
ー7、死をどう考えるかー P51
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。人は、「死」という言い方で「無」ということ
を言いたいんだ。でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということなんだね。
無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。
死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。君はたぶん、死ぬことを恐ろしいと思って
いるだろう。死んだら何もなくなるんじゃないかって。でも、何もなくなることは「ない」はずだ。
なぜって、「ない」ということは、「ない」からだ。じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いのだろう。
ないものを怖がって生きるなんて何か変じゃないかと思わないか。 逆に、死んでしまいたいという気持ちに
なることもあるだろう。 死んだら何もなくなって、すっきりするだろうなって。
でも、やっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは「ない」のだから、それなら、
 死ななくたって同じじゃないか。 あるいは、他人を死なせたい、殺したいという気持ちがよぎることがある。
でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする? 生きている人が死のことを知らないのは
当たり前なんだ。なのに、世の中の人はほとんど、この知らないことを知っていると思って生きているんだ。
じゃあ、誰もが知っていると思っているこの「生きている」 ということは、死を知らないとしたら、
何を言っていることになるのだろう。
 ーー
評)「存在と無」の論証ということになるが、これは難しいといえば難しい。死は生前に戻ること!という、
道理が好きだが、生は生前と死後を取り巻いている無に浮かぶ一点という、小さな球状のイメージである。
それは誰にも取って変えることができない自分だけの宇宙の一点である。
そう思うと、自分の人生をもっと大切にしなくてはと、おもうのだが。
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2006年03月17日(金)
1809, ずっとやりたかたことを、やりなさい-2   
           才八∋ウ_〆(∀`●)  ー 読書日記
 ーモーニング・ページー
この三日間、起き掛けに大學ノートに筆の向くまま書いて驚ろいた。思ったままそのまま、大学ノート3p
に何の起承転結など制約せずに書く。 だいたい30分位である。著者は、十年間これを続けているという。
この随想日記に似ているが。
 ーまずは「モーニング・ページとは何か」を、私の主観で集約して書いてみるー
モーニング・ページとは朝起きて書くノート3P分の日記のことをいう。
創造性を開発するためのツールである。寝起きの潜在意識がむき出しの脳で、ノートを3P埋める。
テーマなどなしに思いついたことを「排水」のように、とにかく書き続ける。作文とさえいえない代物でよい。
ただ手を動かして、心に浮かんでくる、愚かなこと、奇妙なこと、何でも、どんなことでもかまわないから、
  そのまま書き続ける。 書き始めの八週間は、それを読み返さないほうが良い。
続けていると、だいたい2P目、3P目には思いもつかなかった新しいアイデアや、自分の中に隠れていた
気持ちやアイデアが次々と現われる。こんなことを考えていたのか。こんなことが好きだったのか。
毎朝、発掘されるのは自分という潜在に隠されていたアイデアと気持である。
続けているとダンダン面白くなる。誰にも邪魔されない静かな時間の中で一人書き続ける。
マイナスの言葉ばかりが飛びかう日常的世界から離れのがよい。早朝座禅を組んでいるのに似ている。
座禅は始めた当初、表面と違って心の中は雑念で騒々しい。このモーニングページは、その雑念を言葉に
して一人書きだす作業であろうか。そのうちに雑念の向こうにある創造的活動が出てくる。
この本では毎週課題が出ていて「あなたが他人がばかげてると言わなければ是非やってみたいことを
10個取りあげなさい」とか「あなたが取りあげた10個の中から一つ始めなさい」等、わかりやすい。 
  自由に日記を書いていたつもりでいたが、自分の左脳の検察官がチェックをしていた事実を、たった
  数日のモーニング・ページで気がついた。
  この本の基本的ツールは
・毎日3P書くノート「モーニング・ページ」と、
・週に最低2時間は「自分一人で自分のココロや魂の喜ぶ行動をとりなさい」という
「アーチスト・デート」の二つである。まだ始めたばかりなので、経験を重ねた後に再び書く。
 始めて数日だが続けたら、何かが根本的に変わってくるだろう。                       
                   ーつづく         バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ               
  ・・・・・・・
2005年03月17日(木)
1444, 孤独について-5
 孤独は心の問題をそのものをズバリ語っている。絶望の果てに突詰められる心の状態は、
   人生で何度もある。孤独は絶望感の果てに到達するケースが多い。
   「孤独であるためのレッスン」ー諸富 祥彦 (著)の本の内容で考えさせられる部分を書き出し、
   更に考えてみる。
・「ひとり」と「孤独」についてムスターカスによると、彼の孤独について考えを語るうちに、様々な反論を
   受けました。孤独というものは、人間関係の失敗であり、挫折の印に他ならない、と言われ続けてきたのです。
 彼によると、孤独の真の意味を理解できない人の多くは、
・ひとりでいる体験と、
・深い孤独との区別ができない ゆえに誤解を生じているのです。両者の区別について、いずれも大切なものだ
   と断りながら、次のように言っている。「孤独とは対照的に、ひとりの時には、私達は意識的なコントロール
   働かせて、意図し、考え、決断している。ひとりでいると、私達は必要な休息を得られる。一方、孤独でいると、
   私達はギリギリの状態に追い込まれる。ひとりの時は、私達の体験に、展開と継続性がもたされる。一方、
   孤独の時は、全体的、革新的な変化を私達にもたらしてくれる。 ひとりの時は人の中に帰っていく。
   孤独な時は自分に帰っていく道を開いてくれる。」
 また、別の箇所では、「ひとりとは、たいてい過去や未来にまたがった中間的な状態であるが、孤独とは、
   常に生命に直接、今、ここでかかわっている状態である。ひとりとは、自分に没入していることである。
 孤独とは、自分とともにありながら、さらにそれを越えて、新しい自己を創造しようと激しく一瞬に生きる
   ことである。」と説明を加えている。ムスガーカスのいう孤独な時とは、「人生の一大転機点の時であり、
   孤独に浸っている時、人は、もっとこの激しさが続けばよいと願ったり、永久に離れたくないと思ったり、
   あるいは、底なしの絶望感に捕らえられたり、信頼が裏切られたり、さんざん打ち砕かれてしまうことがある。
   このような強烈な驚きに震え、深いショックに身を砕かれた時に『私はひとりだ』と言っても、その体験を
   伝えるには不十分である。それでは孤独の肯定的部分も否定的部分も伝えられない。
 一方、『私は孤独だ』と言うと、独特のニュアンスが付け加えられ、引き裂かれた状態が示される。」
   過去と未来を断ち切り、新たな自分に生まれ変わりを余儀なくする、有無を言わせぬ一瞬の体験を意味するのです。
次に、ムスターカスは「孤独に対する不安」と「実存的な不安」を区別します。
「孤独に対する不安」はー生と死の重要な問題に直面するのを避けるために、絶えず他人とかかわりを求めて、
 忙しく立ち働いて、本質的な孤独を打ち消そうと防衛から生まれる。 一方、「実存的な孤独」とは、
  ー人間の本質に目ざめていることの証であり、生の動乱や悲劇、変転に直面していく際に育まれるものである。
   この世に生まれて、激しく生き、ひとり死んでいくことの本質にある孤独が実存的な孤独である」さみしさは、
  しばしば、人と人とのつながりが拒否されたり、離れ離れになることによって体験されているものである。
  一方、孤独とは、自然の静けさの中で無言で木や雲や波に語りかけたり、静かに詩をひとり読んでみたり、
   音楽に聴き入ったり、芸術作品をひもといていたときに去来する。
孤独になる勇気を持つこと。 孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間にしか、これからの時代、ほんとうのしあわせを獲得はできないはず、である。
 ーーー
孤独は誰も何時も直面している問題である。だから教養とての知識の必要性が出てくる。
社会通念としての「孤独はさびしいもの、避けるもの」を、まず疑ってみることだ。
特に、携帯を持った猿にとって! 「自覚のないゴミ」になり下がる前に。 去年の同日の、
  永六輔がいう「虚しさ」を知った孤独こそ永遠への扉の「いま、ここ」を覗いていることになる。
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2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記
図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。
 東京新聞編集局 (編集)
ーレビュー
 (字数の関係で中略ー2008年3月17日)
 ーー
この随想日記に「私の遺言」「死について」を書いてきた。ラストメッセージにはチト早い気がしたが、死は
  直視し続けると逆に生がみえてくる。私の場合、父が亡くなった時は喪失感、母が亡くなった時は自立感であった。
ただ、寂しさは無かった。二人とも自分の中でしっかり生きていたからだ。母は今でも月に数回夢にリアルに出る。
二人から学んだことは、死ぬのは生きることと同様、そう簡単なことでないことだ。「最後の言い分」も生きて
  いる内の戯言でしかない。でも、戯言が死んだ後のシミにもなる。 残すか残さないかはその人しだいである。
・・・・・・・・
2003年03月17日(月)
712, 光ファイバー導入半年の実感
 以前も光ファイバーのことを書いたが、導入後半年の感想を書く。強引に営業に入れられてしまったが、
それでもよかったと思えるようになった。月に一万円もするが、この4月から6千円に値下げの予定とか?
電話代が一切かからないから、5~6千円あたりが適正プライスだろう。ADSLでもよかったのではないかと
  疑問が今でも残っている。今までの100倍、ADSLの10倍に近い速度だ。時間が経つほど、その能力の
  凄みを実感している。特にホームページが映像に移行しているしているのがよく解る。古館伊知郎のホームページ
  「トーキングブルース」8本が3ヶ月で5千円とか。この普及はホームページだけでなく、IT電話など根こそぎ
  時代を変えるだろう。実際どうなっていくか誰も解らない。先日も書いたが、本の読み方が変わってしまった。
1度目を通し後に、その本の題名をキーワードにいれて書評を読むのだ。その後読んだ方が効率的になる。
たまたまネットウエーブで知った人の読書日記を読むと、今のベストセラーの概略と書評を読むことができる。
  8割がたは?内容を把握できる。 それができるのも瞬時にホームページが出てくるからだ。
まだブロードバンドの入り口しか立ってないが、想像すらできない時代に入ってしまったようだ。
  ・・・・・・・
ー以前に書いた文章をコピーしておきます。
2002年09月20日(金)  525,-光ファイバー
(字数制限ためカット09年03月17日)