I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

そろそろ王子の話をしよう

東京都北区

それは私にとって特に関心のない地域だった。



王子駅って山手線だっけ?ていう(違うから)

JR京浜東北線東京メトロ南北線都電荒川線

アクセスがいいのは知っていてもなかなか行く機会がなかった。



で、今年の3月にとりあえず自転車で行ってみた。

面白そうだったので4月に桜を見に再訪した。



そろそろ王子の話をしよう。



テーマ

1王子北とぴあ展望ロビー id:horikita800:20110523

武蔵野台地のキワ id:horikita800:20110523

都電荒川線 id:horikita800:20110605

4三つの博物館 ★

5王子の神社 id:horikita800:20110709

(★は、本日の記事)




テーマ4 三つの博物館


王子 飛鳥山公園には三つの博物館がある。


・紙の博物館
・北区飛鳥山博物館
・渋沢資料館
http://www.asukayama.jp/index.html


また、飛鳥山公園内には、都電やSLの展示もある。
新幹線が見える場所もある。
あ〜全部ホームページに載ってる〜私が書くことない〜


聞かれたらこう答えよう。
「そうですね、全部行きましたけど、一館あたり1時間はみた方がいいですね」
「渋沢資料館は、国の「重要文化財」建物の見学も希望する場合日時が限られているから要確認です」




一 紙の博物館


世界有数の紙専門のユニークな博物館
明治時代、王子製紙が立地したことで「洋紙発祥の地」とされている。


中にはいると、ガイドの方が話しかけてくれて、説明してくれる。
大きな設備も展示されていて、紙のいろはが分かり易い。


紙は食物繊維が原料


食物繊維とは、

・草、バナナ、竹
・ゾウのフン
・コウゾという木の枝(和紙)


食物繊維を取り出す
食物繊維を溶かす
3漂白する(塩素、過酸化水素
4すく(すくい上げシートにする)
5圧縮乾燥


紙が日本に伝わったのは、610年に現在の朝鮮からとされている。


現在、製紙のスピードは、1時間に100Km。




二 北区飛鳥山博物館


北区のことがなんでもわかる博物館
江戸で山といえば、
芝の愛宕山
上野のお山、
飛鳥山
標高25m程度とはいえ、
当時は高層ビルがないから、
富士山が見え、
江戸も一望できたはず。


飛鳥山は、
将軍家の54の高場の一つとされ、
1千本の桜が植えられ、
名高い桜の名所となった。


博物館には、縄文時代のその前からの歴史が分かる展示・映像がある。
江戸時代に到っては、花見の時期のお弁当箱が再現されている。
そして、荒川。この前の記事(5/23)で書いたように、荒川が削り取った地形と生態系、人の暮らしが分かるはずだ(よく見なかった、また見に行こう)。


スタッフの方々も、操作で困ったりしていると助けに来てくれたり親切そうだ。




三 渋沢史料館


近代に日本を創ったリーダー・渋沢栄一の志を伝え続ける史料館


史料館の建物とは別に、
国の重要文化財
「晩香廬」
「青淵文庫」
が庭園とともに公開されている。
(土曜 12:30〜15:45)


史料館の入口付近に貫禄たっぷりの支配人風の人が立っていて、自転車で行くと「自転車はあっちに停めてくるように」と指示したかと思えば、「今の時間だと、先に晩香廬を見てきた方がいい」など、キメ細やかな応対をしてくれるだろう。




渋沢栄一の実業家としての理念

  1. 株式会社組織により、多くの人々の知恵と資金を集め道義に則した活発な企業活動を展開して、豊かな社会を実現する。
  2. 国境を越えて、自由で活発な市場経済を実現し、人類全体を豊かにする。
  3. 市場経済の中で、取り残されがちな弱者を支援する社会福祉や、社会の基盤としての大切な教育にも力を入れる。


徳川慶喜に仕え、ヨーロッパを訪れ、大蔵官僚(次官)を経て、実業家として、銀行、証券取引所、工場、鉄道会社等をつくり、東京商工会議所初代会頭などを務めた「資本主義の父」。
実業家としての彼のポリシーは、企業の社会的責任すなわち「論語とソロバンの一致」。これを生涯貫いた。
三井高福・岩崎弥太郎安田善次郎・住友友純・古河市兵衛大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者と異なり、財閥をつくらなかった。
公益に尽力し、日本赤十字社や病院、一橋大学東京経済大学の創設、女子教育のための女子大の創設に携わり、特に東京養育院長を長く務めた。
関東大震災の復興にあたっては、被災者の施設設置を進め、寄付集めに尽力、帝都復興院の諮問機関で港湾整備を唱えた。
さらに「精神の復興」、すなわち国民の心が弛緩し、道徳心の頽廃(たいはい)著しく、贅沢で軽率な世の中になったことを指摘し、質実剛健にして再起することを説いた。


明治時代、製紙に代表されるような欧米に伍して輸出できるまでの産業を短期間で興し、かつ弱者に対する視線も忘れなかった、渋沢氏の理念と行動は今に学ぶところ多である。
ちなみに「銀行」という言葉は彼がつくった。


痛恨の江戸東京史 (祥伝社黄金文庫 あ 7-1)
先人の苦労話。
例えば、関東大震災後の復興を担った後藤新平氏は考えた十分の一しか予算がつかなかった。
東京府知事由利公正氏は東京の幹線道路を西洋並に広くしたかったが、その半分の幅の道しかつくれなかった。
おそらく、渋沢氏だって思ったことの全部やれたわけじゃないだろう。また、道路の拡張に関して渋沢氏は商店が減るという理由で反対の立場だったという。
このように、先人が現実との折り合いに苦慮した事実もまた、くじけない心のしなやかさを与えてくれる良き教科書。


現代の日本に目を向けると、他に手本のない高齢社会、成熟社会、東日本大震災であり、正直、こういう時に日本は弱い。
太古の昔から日本は中国や朝鮮から文明を吸収し、西洋の外圧で社会体制を変革させて今がある。
文明を生み出し、内部から社会を変革させるのが苦手だ。
加えて土地の所有権など私有財産がきっちり守られ、参政権が確保され、国民一人ひとりが意見を公に表明できるほど情報化も進んでいる。
だから、逆に物事を進めるときに利害調整がつかず、物が進まない可能性がある。
でも、一人ひとりの意見や人権は守ってもらいたい。


その葛藤を乗り越える方法の一つが、地方分権
例えば、国の震災復興構想会議からは「特区制度を導入すべき」など地域の実情に応じたやり方を尊重すべきとの方向性が出される見込み。
復興施策の具体化にあたっては、幅広い項目について、現状の調査分析、企画立案、財源確保、議会・住民説明、効率的な執行などに見識を持ち根気よく処理する実務の場面が増えてくる。
そのためにはマンパワーが必要で、地方公務員の増員とか、臨時に民間の人が一時的に公務に就くとか、処遇を良くして人材を集めるなどに踏み込んだ提言が必要だ。
特区の内容も、法人税ゼロにすれば、国内外から資金や人材が集まる可能性があり、渋沢氏の理念に近づく。
少なくとも、許認可が少なくなるのはいいことだ。許認可を待つ間、民間の資本の人材もストップする。これは渋沢氏の理念に反する。
ただし、地方の政治は与野党逆転自民党が圧倒的だから、復興は地方の自主性に任せる、国の関与も無くすと言ったとたんに、自民党に任せるという意味になると思うけど、民主党的にOKなのかな?
まあ、いいか。


関係ないけど、先月にエベレストに多くの日本人が登頂したのだそうだ。
エベレストは登山客が多く、渋滞解消のためにクサリを二列に張ったりしているそうだ。
標高8千メートルを越える世界最高峰であっても、道がありガイドがいて危険な箇所にクサリが整備されていれは、特別に能力を高めた人に限られるだろうけれど、登頂は可能だ。
一方、ボルダリングという岩登りは、数メートルの高さの岩に、難度が高く「人類未踏の頂」があるというから世の中は、人間は面白い。




白い紙面にどんな未来を描き、実現させていくのか、そのヒントが王子の3つの博物館にある。




「晩香廬」大正6建築


「青淵文庫」大正14建築


いずれも田辺淳吉氏設計http://inaxreport.info/no170/feature1.html
青淵文庫の内観は、鳩山会館 (大正13年築/設計:岡田信一郎)の白や階段の感じが似てると思った。