頼清徳の演説の評価

 台湾の新総統・頼清徳の就任演説。

 長くはないので全文を読んでしまった。

www.yomiuri.co.jp

 日本の新聞はどう評価しているのかなと思っていたが、

(1)「現状維持」

(2)中国との対立を意識してかなり踏み込んだ表現をした

という二手の解釈に分かれたように思う。

 中国側の反応は強い非難のニュアンスを感じる。

digital.asahi.com

 (1)だと中国がなぜそんな反応になるのかがわからなくなるが、「台湾側はことをあらだてるつもりはないのに、中国が一方的にイキッている」というニュアンスが出るのだろうか。

 (2)の報道だと、中国側の反応はわかりやすくなる。

 例えば朝日は次のように報じた。

digital.asahi.com

アイデンティティーや経済の面で中国と近づくということはなく、「明確に川を渡った」という印象を受けました(松田康博・東大教授)

 相当な踏み込みようだ。

 時事通信もなかなか厳しめの評を出している。

www.jiji.com

頼氏は、蔡英文前総統と同様に「現状を維持する」と述べる一方で、中国が掲げる「一つの中国」原則の完全否定とも受け取れる表現を多用。中国が強く反発しているだけでなく、台湾内でも「事実上の独立宣言だ」という見方が出ている。

 表面上の言質を取られないように言い回しは工夫したが、内実で「独立」のニュアンスを強めた、という感じだろうか。東浩紀的な「訂正する力」とでも言おうか。

 ぼくとしても(2)的なニュアンスを感じた。まずいなあ。

 だからと言って、中国側が武力対応を強化することには何の合理性・正当性もない。

 

 明らかに対話が遠のいてしまい、日本は台湾有事に巻き込まれる時計の針をまた一つ進められたように感じた。特効薬があるわけでもないので、ぼくとしても「こうすればいい」というような明確な解決策の方向性は何も見出していない。ただ、ぼんやりと不安になるだけだ。

 

 しかし、日本の新聞各紙が社説で問題の平和解決と中台の対話を要求したように、愚直にそれを追求するしかないだろう。日本政府にもそれを要求する。

 そして、日本としては米軍の戦争に加担する形で緊張を高める「備え」を強化していく循環に入らないことである。

 

 

「台湾住民の民意尊重」と「一つの中国」原則

5月20日に台湾新総統の就任演説への注目

 5月20日に台湾の新総統(頼清徳)の就任演説がある。

 そこで何が語られるかが注目されている。

 中台関係の緊張が高まるかもしれないからだ。

頼氏の当選阻止を狙い、「トラブルメーカー」などと名指しし、警戒してきた中国の圧力強化は今後避けられそうにない。中国は台湾統一を歴史的任務とし、その対極に、過去何度も「台湾独立」を公言してきた頼氏が座る。中国の習近平(シー・ジンピン)指導部にとっては、頼氏の総統就任は最も避けたいシナリオだった。

頼次期政権との対話が不可能と判断すれば今後、武力統一の可能性をちらつかせて威嚇を強めるシナリオも排除できない。(日経1月14日付)

 緊張の高まりは、現状では日本や福岡市にも大いに関係する問題になってしまう。

 台湾有事は、日本本土への侵攻ではないにも関わらず、米軍に事実上従属している日本が「参戦」し、もしくは「味方」することで否応なく巻き込まれる問題だ。「台湾有事は日本有事」という人がいるが、確かに「台湾有事は(そのような米中紛争への軍事的な従属・加担のもとでは)日本有事」ということになる。逆に言えば、そうした従属をやめるという政治選択によって、「巻き込まれる問題」としての性格は解消する。

 

 ただ、日経記事でも

総統選では、頼氏は独立志向を完全に「封印」して安全運転に徹した。1月9日には「『中華民国台湾』はすでに主権のある独立国家だ。改めて独立を宣言する必要はない」と語った。中国が最も嫌がる「独立」の文言には今後も触れないと説明した。

とあるように、就任演説で「独立」の話が出てくる可能性が低いと見るのが一般的な見方になっている。

 

「台湾独立」について

 「しんぶん赤旗」の本日(5月6日付)には、中国の大陸側のシンクタンク・上海国際問題研究院・台湾研究所の童立群副所長の「両岸関係 楽観視できない」と題するインタビューが載っていた。

 童によれば、中台で「一つの中国」原則を確認した1992年合意、そして民進党の「台湾独立」の党綱領の「放棄・凍結」を中国政府側は期待し、実行されれば対話・交流に障害はなくなるが「頼氏がこの二つを実行する可能性はない」とする。

  頼氏はもともと「台湾独立」を主張していました。中国大陸側は頼氏への不信感が強いです。今後4年間は、両岸関係は非常に危険な状態になるでしょう。〔…〕

 この非常に危険な上来がコントロール不能となり、台湾海峡のさらなる危機や戦争に陥る可能性は否定できません。

 童がポイントとして見ているのは、二つの問題のうちの前者だろう。

台湾政府が「92年合意」に戻らなければ、両岸の公的な対話の回復は難しいです。

 後者(党綱領の凍結・放棄)がなくとも、92年合意=「一つの中国」原則の確認=台湾独立の凍結が事実上勝ち取れるからだ。

 

台湾の民意が「台湾独立」になったらどうなるか?

 ところで、日本において台湾有事を考える際に、「台湾の民意を尊重すべき」論がある。

 例えば日本共産党志位和夫の講演で次のように述べている(4月17日)。

台湾海峡の平和と安定は、地域と世界の平和と安定にかかわる重要な問題です。この問題がどういう過程をたどるにせよ、日本共産党は、平和的解決を強く求めます。そのさい、台湾住民の自由に表明された民意を尊重すべきであります。

 「台湾住民の自由に表明された民意を尊重すべき」。

 日本共産党はこれまで「一つの中国」原則を「日中関係の五原則」として支持…というか非常に重要な立場として堅持してきた。事あるごとに強調してきたのである。

私どもは、中国と台湾の問題に関しては、日本は「一つの中国」という国際法の枠組みを守らなくてはいけないと、確信しています。

 「一つの中国」というのは、国連でもその立場で中国の代表権を台湾の政権から今の中国の政権に交代させたのだし、日本と中国の間でも、アメリカと中国の間でも、「中国は一つ」という原則が確認されています。破るわけにはゆかない国際的原則です。(不破哲三の講演より)

 しかし、もし台湾住民が「台湾独立」という民意を表明したらどうするのだろう?

 「一つの中国」原則と「台湾住民の民意の尊重」という原則の間には矛盾があるのではないか。

 台湾の世論状況は、

台湾の民間シンクタンク・台湾民意基金会が1日発表した世論調査で、「台湾独立」を支持すると回答した人が今年2月の前回調査から4.9ポイント増え48.9%に上った。

とある(2023年9月5日記事)。

 ただし、今すぐ独立すべきかどうかについて言えば、状況が一変する。

台湾世論において「台湾独立」は主流でなく、「現状維持」が主流であることを意識したためとみられる。台湾の政治大学選挙研究センターによれば、現時点、あるいは永遠に両岸関係の「現状維持」を望む見方が6割を占める。これに対し、「台湾独立」という意見は5%にも満たない(鎌田晃輔「台湾総統選挙は与党が政権維持」/みずほリサーチ&テクノロジーズ/2024年1月18日)

 どちらにせよ、現在の世論状況とは別に台湾住民の多くが「独立」を表明した場合に、日本共産党は「一つの中国」論を貫くのか、それとも「民意尊重」を貫くのか。同党は志位提言を使った対話に取り組んでいる。対話では様々な意見も出ることだろう。このあたりも聞いてみたいところである。

 

 

台湾有事は「起こりえない」のか?

 ところで、他の左翼と話していると「台湾有事を煽るな」ということを言う人がいる。

 それは正しい。

 だけど、「アメリカが台湾有事をはじめとして中国との戦争を念頭において、日本での戦争準備が行われている」という告発*1をしても「それも台湾有事を煽るものだ」と批判する左翼の人がいるのにはどうにも閉口する(あくまで一部の人だけど)。

 そういう人たちからすると、台湾有事など影も形もない現実性であって、台湾有事というフレームで問題を口にすること自体がタブーであり、戦争を煽るものだというわけである。どうかすると平和・安全保障問題の学習会で「台湾有事など現実的にはありえないと思いますが、考えをお聞かせください」と講師に質問する左翼の人もいる。

 いやあ、いくらなんでもそれはおかしいだろう。

 「台湾有事は日本有事」というのは明らかにごまかしのレトリックであるが、それを否定するために「台湾有事など起こりえない」というロジックに踏み込んだら間違いだろう。

 共産党赤嶺政賢が台湾有事をめぐる論戦を国会でよくやっているけど、「台湾有事など起こりえない」という立場には立っていない。「台湾有事は起こりえない非現実性だから計画するな」という告発をしてはおらず、対米従属下で米中の戦争に巻き込まれる危険性を告発している。それが正しいとぼくも思う。

www.jcp.or.jp

www.jcp.or.jp

 

*1:日本は事実上アメリカの軍事的従属下にあるので、アメリカの戦争計画、とりわけ先制攻撃戦略に無批判に付き従って戦争準備態勢を整えてしまい、とんでもない目に遭う危険性が高いわけだが、それは台湾をめぐって起きる紛争がアメリカよって始められるということだけを意味するのではなく、中国側が先に台湾へ武力侵攻して「内政問題だ」と言い張る可能性もある(現実的にはむしろその可能性の方が高い)。

伊集院静『海峡』

 原爆の写真を子どもに見せるべきかどうかについての話題。

digital.asahi.com

ジョージア駐日大使のティムラズ・レジャバさん(36)は2月末、家族で広島平和記念資料館広島市)を訪れました。原爆で黒く焼け焦げた弁当箱を見つめる長女(当時4)の写真を、X(旧ツイッター)に投稿したところ、Xでは「子供にはまだ早いのでは。可哀想」とのコメントが寄せられました。子どもが平和や戦争について学ぶとき、残酷な事実は見せない方がいいのでしょうか?(前掲朝日)

 

“恐れ本”

 先日リモート読書会で読んだ伊集院静の自伝的長編『海峡』に「恐れ本」の話が出てきていた。

 

 

 一学期の終業式の日、真ちゃんが、

「英ちゃん、“恐れ本”があるぞ」

と休み時間に言って来た。

「恐れ本?」

「ああ、恐れ本じゃ。図書館にあるんじゃ」

「何それ?」

「ピカで死んだ者の本じゃ」

英雄は真ちゃんを見た。

「昼休みに見に行こう」

 英雄は窓辺に頬杖をついているツネオを見た。ツネオはあの日以来、元気がなかった。

 “恐れ本”は図書館の奥の棚の、それも最上段にあった。

 高い書棚に囲まれた場所は、外からの陽差しが届かずひんやりとしていた。踏み台を運んで来た真ちゃんが、一番上に乗って、一冊の分厚い本を指先でようやく取り出すと、飛び降りた。

 『広島原爆の記録』と背表紙に記された茶褐色の本だった。(伊集院静『海峡【海峡 幼年編】』新潮文庫、p.385-386)

 広島の隣県である山口県で、まだ戦争が終わってからそれほど経っていない時期に、被爆者差別とすぐ隣り合わせになる形で被爆の実態を伝える写真が「怖い本」という扱いを受けていた。

 ただ、「被爆者や被爆の実相を写した写真集が恐ろしい」という感覚は、伊集院の世代よりも20年ほど後に生まれたぼくにとっても同じだった。ぼくはたぶん『少年朝日年鑑』だったと思うのだが、一度開いて見入ってしまい、その後、その本に近づきたくない、開きたくない、見たくないという感覚が強かった。身近に被爆者がいたという認識がないので、それがストレートな差別感情にはつながらなかったけども、「被爆の写真を見るのは怖い」という感覚は小学生の間は抜けなかった。

 本自体に恐ろしさがあるというか、忌避感があって、伊集院の世代でそれを「恐れ本」と呼んでいたと知った時に、その感覚が蘇り、言い得て妙だと思った。もちろん、それは被爆者差別につながる表現でもあったのだろうが。

 

伝書鳩

 『海峡』(幼年編)を読んだ時、ただちに五木寛之青春の門』を思い出した。しかし、『海峡』の場合、主人公はまだ主人公が子どもであり、覚醒していないせいもあるのだろうが、主人公本人というよりも、その周りで起きている事件や登場人物に強い色彩があり、しかも彼らをめぐる事情はまるで子どもの心象風景のように、ぼんやりとしている。

 鮮やかに描き出されるいくつかの事件の事実性だけが、読む者にも迫ってくる。

 主人公が伝書鳩をうらやましく見に行く場面がある。

 ぼくは、小学生の時、飯森広一『レース鳩0777』を読んでいて、どうしてもレース鳩が欲しくなり、遠くにいる父親の仕事先の知り合いから譲ってもらって飼っていたことがある。

 

 結構まめに、かわいがって世話をしていたのだが、家族はおろか近くにレース鳩を飼っている人もおらず、ネットもない時代でどうやって鳩を訓練するのかわからず、一度家の近くで放したらそれっきり戻ってこなくなった。

 間抜けなエピソードで、子供心に自分のやったことの愚かさを嘆き、大いに傷ついた。親にもあまり真相が言えずに逃げてしまったということにした。

 

隣の校区に行ってそこの子どもたちに追いかけられる

 また、主人公が、バッタを捕まえるために岬の方に友達と出かけ、そこでその土地の子どもたちに取り囲まれるシーンがある。

「この木から先が岬になるぞ」

 樫の木の下で真ちゃんが声をひそめて言った。二人とも岬の領分に入ることの怖さを年長者から聞いて知っていた。

 そこはただの原っぱだが、その先をずっと行くと岬口と呼ばれるちいさな漁港になっていた。岬口の漁師は荒っぽいことで有名だった。…荒っぽいことは岬口の子どもたちも同じで、街の子供も岬口へ行くことは危険だと知っていた。この夏も古町の時計屋の兄弟が、岬口へ鰻を突きに出かけて、頭に大怪我をして戻って来たことがあった。(p.144)

 ああ…ぼくも隣の校区に行って、そこの子どもたちに自転車で追い回されてめちゃくちゃ怖い目に遭ったことがあるなあ…と思い出した。自分たちの町内に戻って来たのに、「どこへ行った!」みたいに探されて…。

 その時、うちの町内の、さらに年長の子どもたちがいて、その人たちに言いつけると今度は逆に隣の校区の子どもたちがシメられていた(暴力を振るわれたわけではない)。

 

 そんなことをいろいろ思い出すエピソードが多い…と感想を言ったら、参加者の一人(Aさん)からびっくりされた。

「この小説を読み始めた時、最初は戦前が舞台なのかと思った。というのは、全然戦後民主主義の匂いがせず、時代設定や原爆の話を読んでようやく『え、これ戦後の話なの?』とわかったからだ」

とAさんは言った。

 Aさんの親は教員で活動家だったし、都会であったこともあるのだろう。

 逆に、ぼくなどは、周りにそうした知識人的な人間や左翼っぽい人がおらず、父親や母親から戦後民主主義的なものを感じたことはほとんどなかった。彼らはそうした理念ではなく、何事もリアルな感情で動いた。

 本作で、在日コリアンたちが祖国から逃れて密航してくるのを主人公の父親たちが手引きするシーンがあるが、そういう感覚も何か運動やイデオロギーではなく、同胞的な感情とか同情心とかあるいは金銭とか、そういう要素で動いている感覚が伝わって来て、それはぼくが生まれた環境とよく似ているなと感じた。

 

初・伊集院

 伊集院静の本はこれまで1冊も読んだことはなかった。

 その1冊目がこれであった。初・伊集院。

 28日付の読売には読者にとっての「思い出の伊集院」を語る特集まで組まれていて、「『人は悲しみを抱えて生きていくものだ』と教えてくれた」とか「哀切さの中に、凛とした生き方があったのではないでしょうか」とか「伊集院さんの言葉は、つらい時や迷いのある時の指南書」だの想像もできないような賛辞が並んでいた。

 ピンとこないのである。だって1冊しか読んでないんだもの。

 そもそも作詞家であったことさえよく知らなかった。どんだけ知らないんだよ。

 「『ギンギラギンにさりげなく』は伊集院の作詞ですよ。最初に買ったシングルが『ブルージーンズメモリー』で映画まで観に行ったマッチファンの紙屋さんこそ伊集院に大きな影響を受けているんじゃないですか」

とAさんが宣う。

 いや…「ギンギラギンにさりげなく」を処世にしたことはないし、むしろ「ギンギラギンにさりげなく」でニセ・マッチを演じた鶴太郎が出た「ひょうきん族」の回の方が、心に刻まれてるんだけど…。

ケアの社会化

 記事は、斎藤真緒(立命館大学教授)のオンライン講座の概要を伝えるものだ。『福祉のひろば』(総合社会福祉研究所編集)2023年7月号に掲載されていた。

sosyaken.jp

 「ケアラー支援」と聞けば「あ、ヤングケアラーへの支援の話ですね?」と思ってしまう人もいるだろうけど、そうではない。

 そうではないけども、ヤングケアラー問題を考えると、ケア全体につながる問題が見えてくることも確かなのだ。

 そこでまず、この講座ではヤングケアラーの問題を入り口にしている。

 ちなみにヤングケアラーとは何かについては、以下の記事を見てほしい。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 ヤングケアラーの話を聞くと、「小さい子どもにありえないケアの仕事をさせている」というイメージがまずやってくるので、そこから「虐待」「育児放棄」というイメージに飛びやすい(そういう場合もある)。

 しかし、斎藤はそこを「安直」につなげるとケアラーの望まない支援につながってしまう危険性を指摘する。相談した少女がお前の家庭はネグレクトかもなと言われたことについて次のように書いている。

事実、彼女はその言葉を聞いて、「二度と学校の先生には相談しないと思った」と話しました。彼女は、お母さんを責めたくて相談したのではなく、お母さんも自分もふくめて支えてほしかったし、生き抜く方法を知りたかったわけです。(p.32)

 これは後で斎藤が主張する「家族まるごと支援」という視点につながっていく。

 ヤングケアラーの発見とは、むしろ困難の起点になっている大人を見つけ、その家族全体の抱えている困難を社会が支えていくことへと発展させることが一番大事なことなのだろう。

 精神疾患や障害で苦しんでいるシングルの親がいたとしよう。そこの家庭に家事をしたりする人間を派遣したとしてもそれは子どものケアラーをヘルプすることにはなるだろうが(そしてそれで十分なケースもないとは言えないだろう)、根本的な解決にはならないのではなかろうか。

 

 また、ケアを「家事」「介護」などに分解したとき、その一部を子どもが担うことは、ふつうによくある話である。「お手伝い」だ。

 その線引きについて、斎藤は少しだけ触れている。

その点では、親・保護者の見守りがあるかどうか、ほかの活動を圧迫しない範囲内にコントロールできているか、今日はやりたくないということが選択肢として保障されているか、ということが見極めのポイントだろうと思います。(p.33)

 これは行政における支援の問題を考える際に直接は必要な線引き議論だろうが、後で触れるように「社会としてケアを支える」という視点へと発展させる場合にもその支えをどの程度にするか考えるポイントとなる。

 さらに、家族によるケアが一番だという言説が、知らず知らずのうちに入り込むことがあることを斎藤は批判的に見る。「家族思いのいい子ね」「すごいね」「えらいね」などの声掛けだ。

 ただ、これは「ヤングケアラー」という角度で問題を見ている人には、なかなか出てこないだろう。むしろ「虐待」「問題家庭」としての視点の方がおきやすい。

 しかし、先ほど述べたように、ケアラー支援を、ケアラー個人への支援に終わらせてしまうような場合に、無意識に「家族がケアするもの」という視点が入り込んでいる可能性はある。社会が家族まるごと支えるという観点にまで及ばないというわけである。

 

 そして、ヤングケアラーは支援されるべきだが、大人のケアラーは支援されなくていいか? という問題へ入っていく。大人のケアラーは自己責任でどうぞ、という発想。

 

いま国は、ヤングケアラーは支援するといっていますが、ケアラー支援については明確に言及していません。しかし、介護職やダブルケアラーの問題など、いまの日本の社会では、すべての世代にとってケアと自分自身の人生を両立させることが非常にむずかしいということに目をむける必要があります。(p.34)

 例えば、自治体で「ヤングケアラー支援条例を作ろう」というのは合意できても、「ケアラー支援条例をつくろう」が果たして合意できるかどうかということだ。

 ヤングケアラー支援条例を作っている自治体はある。

www.city.warabi.saitama.jp

www1.g-reiki.net

 他方で「ケアラー支援条例」を作っている自治体もある。

www.asahi.com

www.city.kamakura.kanagawa.jp

 

 大人のケアラーについても支援すべきだという視点は、しかし、では主に家族が担っているケアラー個人を支えればそれでいいのか、という問題にもつながる。

 大切なのは、ケアを必要としている人も、その隣にいるケアをになっている人も、いまは具体的にケアを担っているわけではないけれどケアがつねに身近にある人も、すべてのケアにかかわる人たちを、社会全体で支えていく、問題解決の単位を家族にとどめることなく社会に広げていく、ということではないでしょうか。

 これは、ケアが必要な本人への社会的支援を補うものとしてケアラー支援があるのではない、ということにもつながります。これまでの介護者の支援は、負担軽減やレスパイトなど、どうしても要介護者を媒介とした、家族がケアを継続するための支援として語られることが多かったと思います。

 そうではなく、ケアラー個人の生活や人生に焦点をあてたケアラー支援が、要介護者本人のへの支援も徹底させたうえで、車の両輪として必要だということです。家族によるケアから、家族まるごと支援へ。これがケアラー支援の大きな狙いであるし、ポイントだと思います。(p.34-35)

 

 ケアは誰でもするものだ。定義めいたものはあるけども、まずわかりやすくイメージしてもらうために、「家事・育児・介護・看護」のようなものをケアと考えてもらうといいだろう。そのほか、このカテゴリーに一見入らないようなこと(たとえ高齢女性の話を聞くとか、中年男性の肩を揉むとか)もあるので「誰かのお世話をすること」くらいにまずは考えてもらっていいのではないだろうか。

ケアは、私たちが生まれてから死ぬまで必要不可欠なかけがえのない営みですが、いまの日本の社会では、そのほとんどを家族が担っています。ケアラーになることは、自分のからだ、時間、感情をだれかのために差し出すことであり、ケアラー自身の活動や人生に大きな影響をおよぼします。(p.30)

 つまり、家事・育児・介護・看護のようなものを支援すること。

 育児の一部は、保育園や学校が社会として担っている。介護は介護保険の形で社会が担っている。看護も医療機関がその一部を担っている。

 家事はどうだろうか。

 例えば食事は、貨幣購入を媒介にして外食・中食で社会的に一部が担われている。

 しかし、多くは家庭の無償労働によって担われている。

 もし、公営食堂のようなものがあれば、あるいは、10世帯くらいの家族で共同で食事を作って、お金を払う仕組みのようなものがあれば、どうだろうか、と思う。

 ケアの支援ははじめは「困難事例」への対処として現れる。ヤングケアラーはその一例である。

 しかし、そもそもケアは社会全体で担っていくようにすべきだ、という視点を持った人たちが持続的にそれを改良することができていけば、ケアの社会化は次第に発展していくことになるだろう。

 

 ちなみに「ケア=負担だけではない」という視点も本誌で斎藤が語っている。

 ケアはどうしても負担軽減という話だけがされるけども、ケアはそれだけではない、という主張です。

 というのも、私自身、二人の子どもを育てる母であり、長男にはダウン症があります。自分自身をふりかえって、長男が障害をもって生まれてきたことでたいへんなことももちろんありますが、それ以上に、彼らは生まれてきてくれて、私自身の人生がすごくゆたかになりました。人が平等に生きるとはどういうことかということを、つねに考えなければいけない立場になって、そのことで学ぶこともとても多いです。(p.35)

 「そんなことはないだろう。負け惜しみだろう」と思う人もいるかもしれない。ぼく自身は、障害をもった子どもがいたことはないので、斎藤の言っていることの深いところは確かにわからないかもしれない。

 ただ、子どもがいるということは、確かに負担である一方で、子どもを育てる過程でぼく自身が大きく変化し成長させられたということは間違いなくあるので、斎藤が言っていることは、そのレベルでよくわかるのである。障害をもった子であれば、ケアについても負担が軽くないだろうが、反作用として自分が教えられたり成長することも大きく深いだろうということが。

ケアというものが、私たちの社会にかならず必要で大切な活動であることを、もっと正当に評価して、ケアを真ん中において、もっとケアを大切にする社会に向かうべきではないかと、自分の実体験から強く思うことがあります。(p.35)

 

 

『明日、私は誰かのカノジョ』と『青にふれる』の主人公の母親

 をのひなお『明日、私は誰かのカノジョ』が完結した。

 本作はテレビドラマにもなったが、自分なりのコンプレックスを抱えている女性(あるいは男性)が登場し、パパ活、美容、ホスト狂い、スピリチュアルなどにハマりそれと格闘する、オムニバス形式の物語だが、顔に大きなヤケドの跡があり、「レンタル彼女」をしながら学費を稼いでいる雪の物語が主軸となっている。

 最終巻17巻に、雪が母親と海辺で話すシークエンスがある。

 

 

 雪は幼少時に母のせいで顔にヤケドを負い、母に捨てられた。十数年ぶりに戻ってこようとする母親に、雪は振り回され、母親を拒否できないでいる。

 雪は「レンタル彼女」をして「何も考えず 演じて お金をもらって 心が平坦だと どうでもよくなるんだ」と思うようになる。「こんなに楽なんだ」と。

 母親に捨てられたという自分。再度期待してまた捨てられた自分。母親という一番自分を大事にしてくれるはずの存在に何度も捨てられるほど自分は価値がないのだとかみしめさせられる瞬間を繰り返し繰り返し味わわされる。そのことに雪は耐えられない。

 人(他人)も変えられない。世界も自分には優しくない。

 変わるなら自分が変わるしかない。

…という決意に雪は到達する。

 なんだ、そんなものは「世界は変えられない」とあきらめるただの絶望ではないか。絶望が生み出す陳腐な主観主義ではないか。と唯物論者たるぼくは思うのだが、とてもそんなお気楽な非難を加えられないほどの深刻な絶望が雪にはある。

 だから、貴重な自己革命の宣言の迫力を、気圧されるような気持ち読む。

 浜辺で出会った母子。雪の好きなものでも食べに行こうよなどと全く雪の決意とは程遠い能天気な提案をする母親。ところが雪は、なんで私を捨てたの? なんで何年も放置したの? この顔のヤケドの痕を見てどう思うの? などと知りたかった本質的な問いを次々発する。それを聞いて、およそその深刻さを理解しない表面的な回答に終始する母親。

 母親は、逆に雪をなじる。なんでも他人のせいにしてウジウジして、私のように自分の力で生きてみれば? と自己責任論と自助をうたいあげるのだ。

 雪は、

私だって 全部お母さんのせいにしている自分も

お母さんのことも 大っ嫌いだよ!!

と泣きながら、大ゴマで叫ぶ。

 “なんで全部他人のせいにしているわけ? お前自身はその不幸から脱出して、幸福になるためにどんなふうに努力したんだよ?”というありがちな批判に対して、「私だって 全部お母さんのせいにしている自分」も「大っ嫌い」だと雪に述べさせるのは、確かにそう言わないと雪が全てを他人のせいにしているような存在に見えてしまうからなのだろうが、それは「ありがちな批判」をかわすための武装であって、雪は明確に自分の境遇が他人——主に母親から押し付けられたものであることを告発しているのである。そして、それで全く構わないのだ。

 雪の人生は母親によって振り回されてきたのであり、母親から解放されることこそ雪にとって喫緊の課題なのだから。

 だから、雪は、全部他人=母親のせいにしていいのである。

 少なくとも今この瞬間は。

 そして、雪は自己革命においてできる唯一の、重大な決断を下す。

 すなわち、自分が主体的に母親を捨てることを宣言するのである。

でも 私は 私自身の意思で

今度は 私が

お母さんのことを捨てる

 自分の意思で、自分の人生を変えるという主観主義的な、しかし重要な瞬間があり、その時に「私の人生は他人によってめちゃくちゃにされてきた」という世界像を描いても全く構わないのである。

 

 同じように作品が完結し、ラスト付近で母親との対決を描いている作品に鈴木望『青にふれる』がある。

 

 こちらも、主人公(青山瑠璃子、高校生)は顔に大きなアザがある。

 瑠璃子がそのアザとどんなふうに付き合っていくのかを描いた物語だが、母親は特に物語の中で「悪役」的に登場してきたわけではない。しかし、ラスト近くに来て、母親がのべる言葉に瑠璃子は批判的な気持ちを吐露するようになる。

 瑠璃子の母親は、雪の母親とは全く違って非常に開明的である。瑠璃子が不信感をもった会話を投げかけている時、率直に言ってぼくは「これで瑠璃子に不満を言われるの…?」とさえ思ってしまった。

 

 最終巻7巻では、瑠璃子が行きたいと思っている大学のオープンキャンパスに、母子で旅行する。

 瑠璃子の母は先進性を気取っている風ではおよそない。ぼくから見てごく自然な振る舞いをしている。

 しかも母親は、自分の言い方が瑠璃子に押し付けをしているのではないのかと自己反省してみたり、自分の感情を我慢させているんじゃないかと瑠璃子に指摘されてそれも自己検討してみせるのである。

 瑠璃子は旅行先で食事をしながら、母親にこう述べる。

だからこそ 正直な気持ち 言ってもらえる方が

あたしは嬉しい

 母親としてよかれと思っていることが、母親自身や自分(瑠璃子)をも苦しくさせていないだろうかという提起を受けて、母親は「“瑠璃子のため”“さーちゃんのため”って思ってやってたことが間違ってたのかな…」とやはり自分を見つめ直す発言さえするのである。

 そしてホテルで「女子会」と称して母子で飲み会(瑠璃子はアルコールは飲んでない)。母親は、瑠璃子のアザは生まれつきではないという話をする。生まれつきではないとすれば自分が責められるのではないかと思って怖くて話せなかったと述べる。

 しかし、そうした真情を口にした後、母親は

あーやめやめ こんな話!

と切り上げてしまう。

璃子はもうアザのこと乗り越えたんだしね

璃子不登校になって 向き合えてよかったのね

と発言する。

ほんと今日は夢みたい…

母娘2人で旅行できて

深い会話ができて

よく乗り越えてきたよね!

私達!

と笑顔で総括する母親。

 ところが、瑠璃子はそんな母親の話を聞いて、ホテルから出て行こうとする。

 一人にならないと全てをぶつけてしまいそうになると不安を述べる瑠璃子に対して、母親はぶつけていいんだよというが、何も言えないのはママがそうさせちゃったかもねと先回りで反省をする。その先回りを瑠璃子は強く詰る。

「いつもあたしが話そうとするとママが先に話す! 本当は怖いから聞きなくないんでしょ!?」

「そんなこと… 怖いって何が?」

「あたしの本音が! “ママは何もわかってない”って知るのが怖いんだよ 本当はずっと怖くて逃げてる 怖がってる人には話せないよ…」

「…っ じゃあどうしたらいいの?」

「だからしばらく一人に…」

「どうせ瑠璃子は…っ こんな私が嫌だから 遠くの大学に行くんでしょ? あんたに嫌われてることくらい とっくの昔にわかってたわよ! 瑠璃子こそ私の何が…っ」

と涙を流し始める母親。

 飛び出していった瑠璃子

ごめんね 私 母親失格だった

お願い 今度こそちゃんと ママにママやらせて…!

などと抱きしめながら瑠璃子に訴えるのだが、瑠璃子は本当にわかっていないと母親に対して呆れるのである。

 このやりとりは、なかなか難しいなと思って読んだ。

 母親は母親としての責務から先回りして瑠璃子にかぶせてしまおうとしていたが、瑠璃子が求めていたのは、そのような役割を全ていったん解除して自分の話を聞いてもらうことだった。その上で、母親にどういう感情が生まれようともそれを直視してほしいということだったのだろう。

 しかし…。

 いやあ、それってめちゃくちゃ難しいことじゃないのか? って思わざるをえなかった。瑠璃子の母親は小さい時の瑠璃子を「保護する」観点から必死だったろう。青いアザをその子の人生にとって負にならないようにと思って先回りし、責任感でいっぱいいっぱいだったのではないか。

 雪の時と違って、瑠璃子がそこまで母親に厳しい態度をとっている理由…というか気持ちがよくわからなかった。

「あたし…ママがつらいのはあたしのせい あたしがなんとかしなきゃって思ってた でもさ 変えられるのって自分だけなんだよね 当たり前なんだけど」

「…私は瑠璃子を 自分のいいように変えようとしてたわ」

 ここで変えられるのは結局自分自身でしかない、という「自分」に帰ってくるのは、雪の時と同じである。

 しかし、これができるようになるのは、子どもが大人になろうとしている時であって、子どもと親がそれぞれの役割を生きざるを得ないのは、子どもが小さい時はやむを得ないだろうとしか思えなかった。

 だから

「あたしもママに期待しちゃってた」

「それはいいでしょう 子供が親に求めるのは」

「…ううん “親だから”“子供だから”許されることなんて 本当はないんじゃないかな 近い関係さだからこそ ちゃんと“違うこと”を認めるっていうか… 尊重できた方がいいんだよね」

 

というやりとりには、ううむ、難しいなあ、そうかなあ、それはずいぶん後になってからでないとできないんじゃないかなあ、としか思えないのである。

 瑠璃子の母親はよくやっているよ…と感じてしまうぼくがいる。

 だから、瑠璃子と別れた後にしばらく散歩をする瑠璃子の母親が流す涙は、喜びというよりも、苦労の涙のように思えたのである。

 母親との会話の微妙さは、この種の問題を「難しく」してしまう恐れがある。ここはかなり自由に母親と瑠璃子のやり取りを批評するような気持ちで読むべきではないかと思った。

 作者・鈴木望有村藍里との対談の中で

私も、有村さんや瑠璃子と同じで、怒りを出せなかったんですよ。「こういうこと言われてさ、傷ついてさ」って、ずっと周りに言えなかった。だから、怒ってくれる人がいたらすごく幸せだったなと思って描きました。

ということが伝わることがまずは大事ではなかろうかと思って読んだ。

 

 

Central Japan Railwayと『テツぼん』

 英語の勉強…というほどではないが、毎週水曜日の日経の夕刊に載る「Step up English」の経済記事をわりと楽しみに読む。経済ニュースってあまり読まないので英語を読みがてらその種の話題を知ることになり、「へえ、そんなことが流行ってんの」とか素直に感心するからである。

 4月17日付の記事で水素列車の話が書いてあった。

asia.nikkei.com

 その中で

East Japan Railway aims to commercialize the first hydrogen-hybrid train, Hybari, in fiscal 2030. The train will undergo testing on local lines in Kanagawa prefecture near Tokyo and elsewhere. Central Japan Railway is also developing hydrogen-powered trains.

という段落があった。

 East Japan RailwayはJR東日本とすぐわかるが、「Central Japan Railway」って…?と思っていた。

 その矢先。

 

 「ビッグコミックオリジナル」(5月5日号)で永松潔・高橋遠州『テツぼん』を読んでいたら、“JR東海と取引しようとしているアメリカの会社がJR Toukaiと書くのはおかしいのではないか”という話が出てきていた。

bigcomicbros.net

 実は、この話は前号からの引きで終わっていて、ぼくにとっては謎のまま。「なぜだろう」と思ったままで放置されていたのである。

 その答え合わせが今号だった。

 主人公の鉄オタ国会議員・仙露鉄男は次のように解説した。

JR東海は海外ではJR Centralという略称を使っているんです。

東海地方と日本の中部地方の太平洋沿いを指す地名で、日本人ならわかりますけど海外の人にはわからないでしょう。

JR東海が社名を英語表記する時は、Central Japan Railway Company.

略してJR Centralにしてるんですよ。強いて訳せばJR中日本って感じですかね。

とあって、「あっ!」と思った次第である。

 JR東海のことだったのか。

(最初、「ああ…『JR中央』ってあったんだっけかなあ。確か中央本線とかを所有しているんだっけ…」と真顔で考えていた)

政治家としての大局観・歴史観

 「読売」はウクライナ戦争について識者に意見を聞いているのだが、今日(2024年4月17日付)載っていた横手慎二のインタビューが面白かった。

www.yomiuri.co.jp

 横手の本については以前感想を書いたことがある。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 横手のインタビューは、プーチンと、エリツィンスターリンの思想的・政治的な視野の広さ、射程の大きさを比較するものだ。

 その視野の広さ(狭さ)によって、政治的手法の違いが生まれていることを簡潔に解き明かしている。

 

 このインタビューは言い回しの「面白さ」がある。

 たとえばこうだ。

旧ソ連は植民地帝国だった。…旧ソ連の崩壊は、戦争をしなかったという意味で上手に壊れた。

 本質を短く言い表すという鋭さが生み出す表現の「面白さ」だ。

 その上で。

 プーチンエリツィンスターリンの比較をする。

 エリツィンとの比較はこんな感じ。

99年まで在職したエリツィン・ロシア大統領は、クリミアをロシアに取り戻したかっただろうが、我慢した。ウクライナに「返せ」とは言わなかった。「国境に手をつけないようにしよう。それしかロシアが生きていく道はない」と考える程度に、政治家として成熟していた。

 巨大な植民地帝国が崩壊しても、国境問題は残り、それは紛争の火種となるはずだが、ヨーロッパの一員として生きていこうという視野があったエリツィンは、そこを問題にすることを我慢した。

 エリツィンは1991年12月、つまりソ連が崩壊した時にNATO加盟を要請する発言をしている(NATO側は「申請しているとは認識していない」と反応した)。97年7月のパリ首脳会議では、NATO・ロシア基本文書を調印し「お互いに敵とはみなさない」ことを確認し、NATOとロシアの「常設合同理事会」をも設立している。

 97年の基本文書の合意の後にも、ロシアは確かに東欧諸国のNATO拡大には反対の態度を取ったのだが、ポーランドハンガリーチェコなどに事実上拡大していくのにも抑制的な態度を貫いていた。

 プーチンもこの路線を継いだかに見えた。

 2002年にはプーチンNATO特別首脳会議に招かれ、「NATO・ロシア理事会」が設立されている。*1

 しかし、東欧へのミサイル防衛システム配備や2004年のさらなるNATOの東方拡大を契機に、NATOとの関係は悪化していく。

 プーチンNATOとの対立・敵対に舵を切っていくのである。軍事同盟という思想そのものに立脚するようになってしまう。

 こうした路線転換を、横手はプーチンの政治家としての射程の大きさ(小ささ)から解明する。

 プーチン氏はクリミアを取るような局地的な作戦は得意だ。また、いかにも頭がよさそうにしゃべる。しかし、大局観がないのは明らかだ。

 それがはっきり表れたのが北大西洋条約機構NATO)拡大への対応だ。プーチン氏は、NATOの東方拡大がロシアを脅かしていると主張した。

 プーチン氏は、ロシアが東欧諸国などに与える脅威感をほとんど理解していなかった。本来、それを踏まえてどの辺で妥協ができるかを考えるのが政治家の仕事だったのに、しなかった。

 そして、思想家としてのプーチンスターリンの対比をする。

プーチンは〕大統領になって(20世紀前半の民族主義者)イワン・イリインやドストエフスキーソルジェニーツィンといった、ユーラシア主義的な傾向〔欧州の一員という立場と対比し、ロシアの独自性を強調する立場〕を持つ思想家の本を読んでいるが、付け焼き刃だ。

外交史家、ジェフリー・ロバーツ氏がスターリンの蔵書の書き込みを研究して明らかにしたように、スターリンはものすごい勉強家で大知識人だった。第2次世界大戦当時、スターリンが世界情勢について考えたスケールは、ルーズベルト米大統領チャーチル英首相と比べて全く遜色ないレベルだった。

 横手は、かつて出した新書では、スターリンの「知性」の特徴を次のように規定している。

この指示は、スターリンの蔵書がきわめて実務的性格を持っていたことを示している。また同時に、彼の関心が非常に広かったことを示している。明らかに彼は、国家統治に関わるあらゆる分野に通じたいと考えていた。さらに言えば、高等教育を受けていなかった彼は、まさに独学で、役立つと思われる知識を貪欲に吸収していたのである。(横手『スターリン中公新書p.146)

スターリンはどう見ても権力者になる以前の時期から、人文・社会科学の広範な領域での当時の専門的知識を求めており、高度な書物を読むだけの知的能力を発揮していたからである。ただ、彼の場合にはあくまで実践的姿勢が優勢で、抽象的な論理に終始する理論的著作を読む知的訓練(高等教育)を受けていなかったというのが実情に近かったと思われる。彼が原理的演繹的に考えることを得意としたトロツキーブハーリンに知的劣等感を抱いていたすれば、おそらくこの程度のことであった。(前掲p.147)

 レーニンから続く西欧知識人的な伝統=抽象的概念を操る思考訓練は受けていなかったものの、実務・実際的視点から知識を貪欲に吸収し、それが彼の政治思想のバックボーンとなり、欧米の知的指導者に伍する力(大局観・歴史観)をもつに至ったという分析である。

 

 聞き手の森千春は、このインタビューを受け、エリツィンは局地作戦に長けているという実務的成功が仇となったという分析をしている。

 小さな実務的な成功の体験に縛られたプーチンは、それに執着するようになる。その小さな成功への執着を起点にして、大きな戦略を組み立てようとするのだが、その戦略の射程や視野が狭ければ、歴史観や大局観による修正が効かずに大失敗をしてしまうことになる。

 

 先日、岸田文雄の米議会での演説を(英語の勉強を兼ねて)読み、聞いた。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/pageit_000001_00506.html

www.youtube.com

 導入の柔らかさ・個人的なエピソードから日米間の戦略的な問題に迫っていくという構成はスピーチとしては聞きやすいものだった(「フリントストーン」って「ギャートルズ」のヒントになる先行作品だったんだと改めて知ったよ…)。

 ただ、そこで示された内容に大局観・歴史観はあまり感じなかった。新聞記事レベルのことを装飾しているだけのように思われた。

 そして今晩、共産党志位和夫の外交での講演がある。

 政治主張としての立場ではなく、岸田と比べて大局観・歴史観を感じられるものになるかどうか、楽しみにしている。

www.youtube.com

*1:これらは森原公敏「ウクライナ侵略と国際秩序の行方」参考にした。「前衛」2022年5月号所収。