近代的所産としての花街

花街

競馬に親しむようになると、三歳(かつては四歳)牡馬の三冠レースと言えば皐月賞・ダービー・菊花賞と当たり前のように出てくるが、そうでない時分は天皇賞桜花賞有馬記念などとごっちゃになっていた。
それと同じで、「三業地」と言えば芸者置屋・料理屋・待合とすんなり出てくるまでになったのも、花柳界が出てくる文学作品や映画に親しむようになったからである。ただ競馬と違って実地に親しむというわけにはいかず、体験の裏打ちがないから、なかなか知識として固定しにくい。
いま「体験の裏打ち」と書いたが、経済的事情はおいて、体験しようにも三業地という空間自体現代都市のなかから消えつつあるから、どうしようもない。そもそも「三業地という空間」として思い浮かべるのはどんな場所なのか。
そんな疑問に答えてくれたのが、文化地理学を専門にされている若手研究者加藤政洋さんの新刊『花街―異空間の都市史』*1(朝日選書)だ。
この本では、まず花街を定義づけることから始まる。「花街」といって頭に思い浮かべるのは芸妓(芸者)のいる街であると同時に、娼妓のいる街でもあるだろう。本書では売笑を行なう妓楼が連なる空間を「遊廓」とし、いわゆる「三業地」を「狭義の花街」と規定して後者を主たる分析の対象とする。
もっとも花街といっても地域や成立経緯によって千差万別で、空間的に他の場所から隔絶され上から区画が特定された場所、自然に関連の商売を行なう店が集まって形成された場所、散在した場所と三つに大別されるという。
そもそも、東京で言えば吉原や洲崎のように特定の場所に区画された遊廓と異なり、花街は町中に散在した置屋から料理屋や待合に芸妓が派遣される形態をとるゆえ、散在していても問題はない。だから遊廓とは対照的に、花街の情報が地図に記載されることは少ないと言う。花街は実際に自分の足で歩いて、空間的特質をつかまなければならないのだ。
そのうえで三業地のような花街は近代の所産だとする。これが本書のポイントである。花街は芸者の街だから、江戸以来の伝統を受け継ぐという印象があるが、実は近代の都市化が生み出した空間なのだ。花街は都市の開発発展のために、その土地に関わりがある人びとによって誘致される性質を有していた。著者はこれを「インキュベーター(孵化器)」と呼ぶ。本書では白山の三業地化が検討事例の一つとなっている。
だからそこに利権がからむ。花街が当局から指定されるために、地主、業者、政治家、警察の癒着が生じる。これも花街が近代の所産であることを裏づける。花街指定が疑獄に発展する時代、それが日本における近代都市形成史の初期を特徴づけていると言えよう。
著者のフィールドは関西なので、東京の花街形成だけでなく、神戸や大阪(松島・飛田)の花街・遊廓の形成史に触れられていて興味深かった。さらに名古屋では、「連」という独特の検番制度があって、置屋はいずれかの連に所属してはいるものの、芸妓は市中のどの待合にも自由に出入りできたという。著者は連もまた近代の所産だと論じるが、たとえば連を生み出す背景となった歴史的思想的基盤は、ひょっとしたら江戸期とつながっているのではないか、そんな予感がしないでもない。
東京の都市としての発展は、ひょっとしたら至るところに形成された花街によるところが大きかったのではないか。人間の集住が先にあるのではなく、花街が先にあってそこを中心として街が形成されていったのではないか、極端かもしれないがそんな感想すら持つ。
そうした花街はいまほとんどが姿を消している。東京の花街を論じた章は、こんなふうに結ばれている。

その後、これらの花街はどうなっているのだろう。わたしのこれまでの探訪から言えるのは各花街には往時の雰囲気――種村氏が述べる「多少の面影」――だけでなく、建築物も思いのほか残っているということである。少なくとも、大阪などとは比べものにならない。(194頁)
ここに登場する「種村氏」とは種村季弘さんのことで、その著書『江戸東京《奇想》徘徊記』(朝日新聞社)中の一章「森ヶ崎鉱泉探訪記」において、高橋誠一郎が一時逗留していた「大森海岸のM旅館」を森ヶ崎の二業地に比定していることを批判し、そのもの「大森海岸」の三業地だったのではないかと推測している。
このなかでは、著者と種村さんの町歩きにおける視点の違い(花街を感じとるアンテナの違い)にも触れられており面白い。「ないと思っていて痕跡を発見するのと、あると思っていてわずかな痕跡や雰囲気しか感知できない」という違いで、種村さんは前者、著者は後者に該当する。種村さんは森ヶ崎を歩きながら、「こんな場末にはめずらしい呉服屋、帯屋」を見つけ、あたりがかつて芸者町だったことを推測している。
三業地の「三業」が何かわかっても、「検番」という制度まではなかなか理解が及ばなかったが、少しずつわかるようになってきた。本書によって、今後花柳小説を読んだり花柳界を取り上げた映画を観るときの理解度はだいぶ高まるに違いない。それに、東京に残る花街の「往時の雰囲気」を探しに町歩きを行なう楽しみも増えて嬉しい。

はじめて観る雷蔵映画としては

大菩薩峠」(1960年、大映
監督三隅研次/脚色衣笠貞之助市川雷蔵中村玉緒山本富士子本郷功次郎笠智衆/見明凡太朗/島田正吾

先日の川本三郎さんの講演会(→10/1条)で、市川雷蔵ファンの多さ、熱心さを目の当たりにしたら、やはり出演映画を観なければ気がすまなくなる。読んだことはないけれど、何かと耳にすることが多い「大菩薩峠」を一番最初に観ることにした。
結論から言えば、この映画は市川雷蔵の魅力を味わううえでは適当ではないかもしれないということと、映画自体も上出来とは言えないのではないかと感じた。
川本さんの講演会でも、時代劇における中里介山大菩薩峠』という作品の重要性が指摘され、また主人公机龍之介の虚無さが時代劇ヒーローとして際立っていることが語られていた。『時代劇ここにあり』*1平凡社)にも「大菩薩峠」は取り上げられているけれども、岡本喜八監督版(仲代達矢主演、橋本忍脚本)の作品のほうだった。
このなかで川本さんは、「大菩薩峠」には、内田吐夢版(片岡千恵蔵主演)・岡本喜八版・三隅研次版(雷蔵主演)の三つがあるとしたうえで、内田吐夢版を「傑作の誉れ高い」、岡本喜八版を「圧倒的な迫力」とするものの、この三隅研次版は「ストーリーを追うだけで精一杯、面白みには欠ける」(91頁)と評価は低い。
たしかにそのとおりで、三部作ではありながらも、大長編を無理やり圧縮したためにストーリーが飛躍してしまい、場面転換の直後戸惑う部分が少なからずあった。この第一作も、狂気に陥った机龍之介がいざ宇津木兵馬(本郷功次郎)と対決といういい部分で終わってしまい、その作品単体で完結せずに「あれれ」とがっくりきてしまう。
雷蔵の魅力という点でいえば、この映画だけでは何とも言えない。ただ、やはり雷蔵は時代劇の主役がぴったりだという気はする。ちなみに川本さんは、雷蔵机龍之介は、とくに仲代達矢とくらべ「動かない市川雷蔵は冷静すぎて、剣に取り憑かれた感じがしない」(93頁)とこれも辛い。
チャンバラ映画としては殺陣の魅力も欠かすことはできないだろうが、この映画の殺陣が素晴らしいかと言えば、観る者をうっとりさせるような鮮やかさとまでは言えないかもしれない。
冒頭祖父を雷蔵に叩き斬られた山本富士子を助ける盗賊の七兵衛がけっこうおいしい役どころで、この映画では見明凡太朗だった。あとで本郷功次郎が入門する御徒町の道場主島田虎之助役の島田正吾と似ていて、島田正吾の二役なのだと勘違いしてしまった。まだ時代劇に馴れきっていない。
映画を観て、「大菩薩峠」という小説は幕末、新撰組と関わりがあるという事実をいまごろ知った。原作をいずれ読むことができればなあと思う。