「宮中某重大事件」の真相

闘う皇族

先日世間は紀宮黒田慶樹氏の結婚で沸き、またこのところは女系・第一子優先を答申した皇室典範改正論議が連日報道されている。現在の天皇や皇太子、さらに紀宮の結婚の場合、自分たちが選んだいわゆる「恋愛結婚」(に近い形態)だろうからだいぶわかりやすいが、それでもなお、皇族の結婚とはどういうふうに決められてゆくのかという疑問は払拭できない。
そもそも皇太子が雅子妃と結婚する前は、あれこれと「お妃選び」の話が出ては消えていたわけで、そのとき実際「お妃候補」に取り沙汰された女性(および家)には、宮内庁から何か接触があったのか、なかったのか、あるいは報道されずわたしたちにはまったく知らされていない別の候補者がいたのか、すべて藪の中なのである。
天皇の結婚にかかわる歴史的事件としてまっ先に思い浮かぶのは、「宮中某重大事件」だ。昭和天皇久邇宮良子女王(香淳皇后)の婚姻が内定していたところに、元老山県有朋が女王の家系に色盲の遺伝があるとして横槍を入れたものの、結局山県の反対論は失敗したという事件。
宮中某重大事件」という謎めいたうえにごく無機質な呼び名と、なぜ山県有朋はこんなこと(というのは失礼だが)に口を出す必要があったのかという動機の不鮮明さで、授業で習っても何だか得体の知れない事件だったという印象ばかりが残っている。
浅見雅男さんの新著『闘う皇族―ある宮家の三代』*1角川選書)は、そんなもやもやを吹き払うような明快な実証で「宮中某重大事件」に対する背後事情を明らかにし、事件の中心となった久邇宮家三代の特異なキャラクターを浮き彫りにした好著だった。
本書の前半半分くらいは、「宮中某重大事件」の発生から終息までを、関係者の日記を中心とする一次史料にもとづき跡づけた。そこから浮かび上がってくるのは、当事者良子女王の父親で陸軍中将だった邦彦王の押しの強いキャラクターである。破談を懸念した邦彦王は大正天皇の皇后(貞明皇后)に直訴したり、右翼らを煽動して山県を誹謗する怪文書を流したりなど、近代天皇制の確立以来天皇のお飾りに過ぎなかった皇族の分を逸脱する行動を取る。
宮中某重大事件」の背後関係をすっきり理解するためには、この久邇宮邦彦王の人間形成、邦彦王という人物を生み出すに至った久邇宮家の歴史を遡らなければならない。そうすると、興福寺一乗院門跡・青蓮院門跡などを経て明治維新のときに志士にかつがれ、維新後その活動を咎められて広島に流謫の身にあった父朝彦親王の行動がクローズアップされてくる。
またなぜ山県有朋がこのとき天皇家久邇宮家の王女が入ることを取り消そうとしたのか、その理由を知るためには、この時期における皇族の行動を知る必要がある。明治に入り皇族は政府の統制下に置かれることになる。ところが大正になって皇族たちは発言力の強化を目論見、政府・枢密院に対して反旗を翻す行動を取ったのだという。
この「宮中某重大事件」が発生する直前、宮家の臣籍降下令準則の制定が皇族会議の議題とされたものの、主たる皇族の反対により表決は見送られたという。これを受けて浅見さんは次のように結論づける。

皇族会議と某重大事件はたしかに密接に関係している。この皇族会議がなければ、多分、某重大事件も起きなかっただろうとさえ思われる。ただし、この二つを結びつけたのは山県の不敬、不遜な人間性ではなく、元老や政府首脳の邦彦王を始めとする皇族たちに対する懸念であるというのが、本書の解釈である。(271頁)
発言力を増してきた皇族たちに掣肘を加えたいという山県ら政府上層部の思惑を実行するために餌食とされたのが久邇宮家であり、この「某重大事件」だったわけだ。論理的に導かれているだけに説得力がある。
本書を読んで強く感じたのは、当時総理大臣だった原敬をはじめとして、こまめに日記を付けている人の多さだった。それらは現在国立国会図書館憲政資料室などに所蔵され、一般に公開されている。とりわけこの時期宮内官僚の任にあった倉富勇三郎は克明に日記を記しており、浅見さんをして「世の中にはヒマな人間もいるものだ」「度を越した几帳面さ」と言わしめている。
また、頭山満杉山茂丸のような右翼の大立て者はともかく、その周辺にも素性がよくわからないような有力者が宮中や政府議会のまわりを蠢いているということにも一種奇異な感想を抱いた。こういう人間たちが絡んでいるから「某重大事件」が謎のままでいたのかもしれない。

金子信雄と柳永二郎の乱闘

「銀座の沙漠」(1958年、日活)
監督阿部豊/原作柴田錬三郎長門裕之芦川いづみ南田洋子柳永二郎金子信雄/小高雄二/白木マリ/大坂志郎西村晃/佐野淺夫

最近は気になる映画があればとりあえず録り溜めておくため、だんだんハードディスクの残り容量が乏しくなってきた。DVDにダビングして保存するような作品はひとまず後回しにして、観たら即削除という映画を先に観ることにしている。
たまたま妻が幼稚園ママさんたちの飲み会があり近所の飲み屋に出かけたのを幸い、子どもたちが寝静まった夜更け、一人で映画鑑賞タイム。
気になる女優芦川いづみ南田洋子二人が出ているという理由だけで、本当に「とりあえず」録画しておいた「銀座の沙漠」は、さすがシバレン原作、エンタテインメントの骨法を踏まえているというのか、展開が意外で面白く、日活にはこういう作品が埋もれているから油断できないなあと興奮した一作だった。いま、DVDに保存しておこうか迷っている。
主人公は大阪から上京してきたばかりのチンピラ長門裕之。銀座のキャバレーでいちゃもんをつけ、そこで働かせてもらうことを画策する。支配人の金子信雄は叩き出そうとするが、居合わせた姉貴分南田洋子の取りなしで入りこむことに成功する。金子も南田も、背後にある大きな組織の一員で、大ボスの命令でいろいろな仕事をしている。金子の悪役ぶりが抜群。謎の美女というおもむきの南田の気品も上々で、やはりいい。
キャバレーの向かいにある喫茶店に入った長門は、量の少ないスペシャルコーヒーが300円もするのに文句を言っていたら、マスター登場。このマスターが亡父の知り合い柳永二郎だった。喫茶店で働く女の子が芦川。柳は長門に、芦川を「娘分」と紹介する。温厚で頼りがいがありそうな柳の貫禄。芦川は長門に好意を抱く。
金子の部下で長門と親しくなる小高雄二夫婦*1をめぐるいざこざなどが間に挟まり、南田はボスが外国に渡ったので全権を一任されたと金子の上に君臨しようとし、逆にあっさり金子に殺されてしまう(殺されたのは青山墓地?)。
そして驚きの結末。そのボスとは柳永二郎だったのだ! ラストに近く、ピストルをかまえた柳と金子がおこなう取っ組み合いの大乱闘は見ものだ。さすがに緩慢な動きで苦笑を禁じえないが、わたしは柳永二郎といえば「本日休診」の温厚篤実な医師の印象しかないのでこれですら意外だった。
ところが濱田研吾さんの『脇役本』*2(右文書院)を参照すると、同書には「いわゆる「大悪」ではなく、ちょっと気弱な小悪党の似合う名悪役」「紋切り型の悪役のイメージ」とあって、この映画のイメージが意外でも何でもないものであることを知った。たぶん観巧者がこの映画を観れば、“謎の大ボス”が柳であることに勘づくに違いない。わたしがたんに知らないだけなのだった。
ちなみに「沙漠」というのは、具体的にはキャバレーの地下に設けられた殺人装置がある密室のことを指すとおぼしく、ただっ広い空間に砂が敷き詰められ、人を閉じこめるとどこからか煙が出てきて中の人を苦しめる。毒ガスのようなものかと思ったら、最初に閉じこめられた小高夫妻は死なないのだ。小高も、次に閉じこめられた長門も、煙が出てしばらくするとシャツを脱ぎ始めるから、きっとあれは蒸気、つまりサウナのようなものなのだろう。むろんそのまま放置すれば脱水症状で死に至ることには違いないけれど、真相を知って激しく脱力する。
芦川の兄で、「男爵」というニックネームで呼ばれている貧相な(失礼)売れない画家に西村晃。彼は長門の身代わりになって警察に捕まり、連行されるところで佐野淺夫に毒物を注射され、取り調べの最中にぽっくり死んでしまう。西村−佐野という「黄門コンビ」が被害者−殺人者になるという取り合わせの妙。
うーん、やっぱり保存しておくことにする。

*1:奥さん役が中村主水の奥方役のあの白木万里だと知って驚く。

*2:ISBN:4842100559