京大11月祭のヤマカンこと山本寛氏講演会採録 ルサンチマン誕生秘話、ハルヒとフラクタルの失敗の反省など


11月26日、京都大学アニメーション同好会主催の山本寛監督講演会に行って来ました。「ヤマカン凱旋!〜山本寛の軌跡と奇跡〜」と敬意を込めたタイトルが書かれた看板にはフラクタルのイラストが。講演会の前は正門付近に置かれていました。


山本監督は涼宮ハルヒの憂鬱1期(監督:石原立也さん)でシリーズ演出、らき☆すた(第1〜4話)、かんなぎフラクタルで監督を務めています。ハルヒでは、EDハレ晴レユカイ絵コンテ・演出、第1話「朝比奈ミクルの冒険」第12話「ライブアライブ」脚本・絵コンテ(第12話は門脇聡さんと連名)・演出、第3・5話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅱ」「Ⅲ」脚本、第9話「サムデイインザレイン」絵コンテ、「恋のミクル伝説」作詞*1も担当しました。


京アニ制作日記の2006年5月11日付によれば、アニメオリジナルキャラのアイドル研究部員の山根(朝倉涼子の転校に一番驚いていた男子)は山本監督がモデルらしいです。



講演会は13時から15時の2時間。いつも喋り過ぎて最後の質問タイムが短くなってしまうそうですが、今回もそうなりました。公式サイトの注意事項で書かれていた身分証の提示の必要はありませんでした。ちなみに、23日の学祭初日には同じくアニ同主催でVisual Art'sの馬場隆博社長の講演がありました。


講演内容にあるNFとは、京都大学11月祭、NOVEMBER FESTIVALの略。
京都大学アニメーション同好会は、略してアニ同とも、アニ研とも言われるようです。


第一声は「山本です!w」で、早速笑いが起こりました。「炎上しないレベルに」を自ら目標にし講演開始。
観客は、女性は見渡せば居なくもないのですが、ほぼ全部男性でした。後述のY氏をはじめ、30代以上と思われるOBの方々が左前方に15人ほど座っていました。何故一人メイド服w


以下、メモと記憶を元に講演の内容を記します。山本監督の実際の言葉遣いとは基本的に異なり「しました」→「した」など簡略化しています。但し、一部は発言をそのまま記した部分もあり、統一していません。メモが追いつかなかった部分や、さほど重要と思わなかった部分、こりゃまずいなという部分が抜けて(抜かして)いるため、文脈がおかしくなっている箇所があります。

今年6回も講演に呼ばれてアウェー過ぎて、アニメのアの字から教えなきゃいけないような事もあったが、京大は居心地が良くて助かる。
NFの講演と言えば昔、岡田斗司夫が来た時に挑発的な質問をして怒らせた記憶がある。


NFに来るのは2005年、京アニの後輩の(本名)、今は拙者五郎と来て大暴れして以来。かんなぎフラクタルと冬場に仕事が忙しかったりしたけど、今は割と暇なのでこうして来られた。


昨日はアニ同の上映会の教室に行って盛り上がり、天一北白川本店まで繰り出してこってりを食うという懐かしい事をした。


講演の前日、11月25日は17時まで教室(大教室では無い)でミルキィホームズの上映が行われていたようですが、山本監督が来たのはその後でしょうか。初日にかんなぎの上映がある事に注目。

神前暁さん
・ご本人に言ったら心折れるかも知れないんでオフレコで(これは神前さんの恥ずかしい話で本当に書けないw)メンタル面が心配な頃もあったけど、今は立派な遊び人になって良かった良かった。


・高一からの付き合いで、神前に吹奏楽部に引き込まれた。吹奏楽部に入ったらアニオタの巣窟だった。吹奏楽部には、OBとして今でも時々行っている。自分は一浪だけど、同じ大学に入った。


・神前は京大で吹奏楽部に入り、ラピュタの演奏会をやるって言うから、「俺の前でラピュタやるってのはどういう事か分かってるな?」って脅しをかけた。聞いてみるとやる気が無いのは分かったので、フライングブラボー・・・演奏の最後の音が鳴り止む前にブラボーと叫ぶのは大変失礼な事だけど、大声でブラボー!!!と叫んでやったw


(ニュータイプ2006年9月号のインタビューで、好きなアニメベスト3として「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」を挙げています。)


作曲一筋に導いたという事では、俺は良い事をした。今の神前があるの俺のおかげだよ?w 収入の差が遥かについちゃったけど・・・。神前ごめんな、頑張れよ!
真面目だから心折れちゃったりする、皮肉な業界だね。


アニ研怨念戦隊ルサンチマン
1994年京大入学。既にアニメを志していて、OBがいっぱい今日来てるから言いにくいけど、元々は芸大・美術大を考えていて、見学、というか本当に見に来ただけだけど、一際でかいアニ研の看板を見つけた。ゲロ甘のアニメイラスト、今で言う萌えです。これにカチンと来て、このサークルを叩き直さないといけないと思ったw ヤマカンは昔からヤマカンだったw


(現在の「ゲロ甘」な看板、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「探偵オペラミルキィホームズ」。構内じゃ無くて歩道に置かれ、公道に面していて驚きました。)


受かったらさっそく突撃して、お前らふざけんなとw 先輩(実名)に「そこまでの意気込みがあるんだったら、お前の意気込みを見せてみろ」と言われて入り、最初は尖っていたが、周りが良い人たちなので丸くなって行った。


ルサンチマンは、ニコニコ動画にはメイキングが上がっていない*2。ビデオは数刷ったはずなんだけど。


ルサンチマンの前に、まず14分くらいのアニメーションを主導して作った。色は無くて、ペーパーアニメ。


同志社の北の真向かい、今出川通沿いのマンションに住んでいた。ボックス(部室)が無く、スタジオが欲しいと思って、親騙して2Kのマンションを買った。どうして必要なの?と聞かれて困ったけどw 一部屋は居住、一部屋はスタジオで、京大生御用達のキャラバン(調べると定食屋らしい)の近く。最初は折りたたみベッドを、実に格好悪いけど撮影台にしていた。詰所みたいに皆やって来ては作業をした。


ある時、誰かがPSを持って来てときメモ合宿になった。最初は「おいお前ら何じゃー!」とか言っていたけど、結局全部クリアしたw その頃からゲロ甘なんて何じゃだった俺がおかしくなって行ったw


その作品が完成して、達成感はあったけど、堅い内容だったからか皆引いているのが分かった。ときメモやったのもあったし、何か物足りなかった。


そんな時、吉田治夫(今回講演会にも来ているOB。先に紹介がありました。ルサンチマンの企画・脚本を担当。)から特撮をやらないかと言われた。
岸和田高校の「ブツリオン」*3(タイトルは上手く聞き取れませんでした。プツリバー?)という作品を見せられて、高校生が作れるのに京大生が作れないわけがない!と意気込んだ。企画は酒の席で決めて、その場でカメラをまわす事もあった。


エヴァ18話だったかを見てて、これ実写でやったらええんちゃう?と言われてその場でリアルエヴァを撮った。これはひどいもので、出回っていない。
(ちなみに、第18話「命の選択を」は1996年1月31日放送、シンジに代わってダミープラグがトウジの乗った参号機を・・・という話)


ルサンチマン制作のきっかけのもう一つが、雪だるまプロだった。自主映画サークルで、今も残っている。
http://yukidarumapro.jpn.org/


1996年(11月)、NFの雪だるまプロ上映会に招かれた。吉田と二人で行って、客層の違いに愕然とした。アニ同は会員とオタクがパラパラという感じだったけど、雪だるまプロは女の子も多いし、客層も量もまるで違った。


吉田は「同じフィルム作ってるのに何でこんなに違うんやー!!」と叫んだ。雪だるまプロに負けているのを何とかしたい。そこから半年考えに考えて、ルサンチマンが出た。俺達には一つの賭けだった。アニメ・特撮で皆に振り向いてもらえるのか。そして女の子にモテるのかw


(ルサンチマンという言葉の意味、民衆のルサンチマンにより起きた歴史上の革命についての説明が入る)



俺達もルサンチマン革命をしよう。俺達が作るのだから、オタクの怨念を晒さなければならない。そこで参考にしたのが庵野さん達の「愛国戦隊大日本」(大阪芸術大学の学生を中心にして1982年に制作されたアマチュア特撮作品)。

ルネの灯(ひ)が消えるまで話し合った。吉田の怨念にとり憑かれたようなアイデアの出方が凄かった。後悔は吉田を(本職の)ライターに出来なかった事で、あの時を越える興奮には巡り合っていない。


(撮影の詳しいエピソードは語られず)


そして上映の日。雪だるまプロみたいに老若男女大入りになって、女の子は一杯来るし。子供にこんなもの見せて良いんだろうかと思ったけど、親の方が感動しちゃってビデオ無いんですか?と言われたw 予備のダビングがあったので、無料であげた。これは売れるな、と感じ総動員でダビングした。


それから、先の親から幼稚園で上映しました、大ウケでした、ルサンチマンのオープニングテーマをお遊戯でかけたいので音源を下さい、と言われ、さすがにまずいので本気でとめたw

ルサンチマンの成功、それが僕にとっての大きな礎となった。多くの客に認められた喜び、あの瞬間をまた味わいたいという。
実は編集は間に合わなくて不完全な状態で上映したのだけど、前夜に初号試写をした。審判の瞬間。俺達は革命を起こせる作品を作れたのか。


上映が終わって、豊川さんだったか「やったー!!」と握手を求めて来て、握手の連鎖になった。教室を一周まわって来たんじゃないかな。これも快楽の瞬間だった。あの後でスタッフと握手したのはハルヒかな、それ以降はありません!w あれが無ければ、フラクタルばっかり作っていたかも知れないw


14年前の神前が見られる貴重な映像です(パンピー帝国のコムーロ大帝役で出演)。



愛国戦隊大日本は5〜6年前に見ていたのですが、恥ずかしながら、ルサンチマンは講演会の後で初めて見ました。幼稚園児に見せちゃダメでしょうwww

 
最初の話なんて実に馬鹿らしい、良い意味でw パンピー=一般人(今で言うリア充)に対するオタクの恨みとは、今でも使えるテーマです。イッパン、イッパンは吹きましたw 愛国戦隊大日本の露骨なパクリ場面に苦笑。


エヴァの真似やときメモの登場も講演を聞くと納得出来ます。

2/3で聞けるチープなBGMは、神前さん作曲だけあって「朝比奈ミクルの冒険Episode00」そのものです。敵戦闘員が琵琶湖に落とされる撮影でのサークルメンバー大変だったろうなあ、みくるの受難を思わせます(谷川さんの原作で既にある場面だから直接の影響は無いはずですが)。


元ネタの電撃戦隊チェンジマンOP・ED


今回の講演では言及していませんが、山本監督はルサンチマンでの経験を朝比奈ミクルの冒険に生かしたそうです。オトナアニメVol.1 P22〜23では朝比奈ミクルの冒険と絡めて怨念戦隊ルサンチマンが紹介されています。山本監督自身も最初の話にルサンチマンに襲撃されるリア充役で出演しています。


ルサンチマンの構想を練ったという京大の「ルネ」。二階に学食があります。先月出た京大出身の森田季節さんの小説「エトランゼのすべて」では、主人公の入った京大のサークル「京都観察会」はここを活動拠点としています。


そう言えば、同じく京大を舞台にした森見登美彦さんの小説「太陽の塔」もモテない学生のルサンチマンに溢れています。

ヤマカン関係無いしw

庵野秀明さんとエヴァンゲリオン
庵野さんの信者だった。ナディアからエヴァまで4年あいている。その間庵野さんはアニメ雑誌で毒を吐いたりしていたけど、当時ネットがあれば、どうだったろうなあ。


エヴァは、1、2話で「あれ?ただのロボットアニメじゃん」と。僕が完全にノったのは、最後の2話です。あー、とんでも無いのが出てきたー!?と!そこから劇場版に至るまでがルサンチマンと並ぶ衝撃だった。


今期ポストエヴァを要求された作品が一本出て来ました。「魔法少女まどか☆マギカ」です。ニコニコ動画で課金して全部見ました。
僕にとってまどマギは、エヴァで言うならば最後の2話が無い、カヲル君の所で終わってしまっている。


宇宙戦艦ヤマト以来、十年に一度大ヒットするアニメが出てくるという説がある。業界的には絶えず10年に一本くらい世間を騒がせる作品が無いといけない。エヴァからもう十数年、そのまずいぞ、という空気で、エヴァの代わりが無いならまた俺がするぞ、と庵野さんがリメイクを始めたと語っていた。十年なら「涼宮ハルヒの憂鬱」(ここはフニャフニャした発音で、笑いが起きる)で当てておかないといけなかったんだけどねw


ハルヒエヴァほどの爆発的な力を持っていなかった。・・・谷川さんごめんなさい、また謝りに行かんと。
不完全燃焼を引きずった上で、今求められてるのはまどマギだと思う。


●司会:もう一回ポストエヴァを作ってやろうとは思いませんか?


ハルヒフラクタルで僕自身の仕事で2回失敗していて、ブームを作れなかった廃者の汚名を着せられる事は諦めている。業界でハミゴにされて隅に追いやられても、自分の中ではまだやる事はある。ブームを作る作らない以前にアニメは色々な問題を抱えていて、抜本的な見直しが必要。例えるなら、宮崎駿さんに対する高畑勲さんみたいな立ち位置になるのかなあ。


高畑さんもとなりの山田くん以来13年作品を作れていない。山田くんが最後の作品になるはずが無いし、作りたいものも有るのだろうけど作れない。でも、未だに必要とされる存在でありたい。どことなく自分と似ている気がする。

(高畑さんに偶然会った話、省略)


シネマトゥデイ2011-9-2 スタジオジブリの高畑勲監督、ウワサの新作は2年後?12年間沈黙後の新作に注目集まる ウェブ魚拓


京アニ
4年で卒業しました。アニ同は4年で卒業すると飛び級なんですよw (観客笑)
ルサンチマンを撮った時既に4回生で、翌年も撮れたら面白かったかもとも考えるけど、アニメを志していたのでこれで正解。


司会:京アニの他はどんな所を受けたんですか?ジブリとか。


ジブリは落ちました。絵は描けないから動画試験なんて無理。他にサンライズ東映とか。
ある会社で、「ジブリの滑り止めで受けさして下さい」って言っちゃって、落とされて当然だと思っていたけど、内定が出た。それが京アニw 


ここまで言って入れてくれるというのは、縁があるのかな、人が人に惚れる瞬間って言うのかな、背を向けるわけにはいかないと思って。それから他の会社を全部断り、ジブリに落ち、98年京アニ入社。後に、俺はお前らの仲で一番京アニを愛してる、とスタッフに言ったほど素晴らしい会社。


木上益治さんという師匠に出会った。アニメのゼロから10まで彼に教わった。
ヤマカンは京アニで改心出来たはずだったけど、木上さんのお陰で出来なかったw


ハレグゥに参加して8話(2001年5月放送)のAパートのコンテを描いて、自分としてはとても良く出来たつもりだったんだけど、木上さんに怒られ、シナリオ無視して描けと言われ、それを提出したら水島(努)監督に怒られたw 監督にはうちの師匠がやれと言ったんです、と話したけどね。それからシナリオを無視する癖がついたw


木上さんは「AKIRA」「火垂るの墓」「(超時空要塞マクロス)愛・おぼえていますか」などで、必ず原画のクレジットで上の方にいる。今度確認してみて下さい。一番上は本当に量を描いている人で、一番下は、凄く上手いけど量は少ない人などになる。


旋風の用心棒」(2001年10月〜2002年3月放送、全25話、スタジオぴえろ制作)のローテ演出に入り、10話のコンテをほぼ直された。一度は耐えたけど、16話で同じ事になってブチギレて、師匠に何がいけないと見せたら、「上に言いに行け、オレはお前を支持する」と。


俺のコンテは間違っていないという確信があるから、お上=京アニ社長に「なら俺を下ろして下さい」と言ったら、剥き出しの3万円パッと渡されて、戦えと背中を押してくれた。まるで映画みたいに格好良くて、鳥肌がたってきた。分かりましたと新幹線で東京へ飛んで行って、ぴえろの4階に響き渡るような大声でやり合った。理論武装で。伊達(勇登)監督、気違いが来たみたいな感じで諦めて、「もうお前好きにやればいいよ・・・。」と。
今はNARUTOのプロデューサーの朴谷さんがその横に座って、伊達監督に思う所があったのか、「やれやれー」って煽ってるのw


A-1(Pictures)の清水(暁)プロデューサー。フラクタルの時言った事全部が揚げ足を取られる時期があった。委員会から黙らせろという要求があったけど、清水さんはヤマカンがどんな人物か知っていて使ったはず、やらせてやれと言って守ってくれた。その事は別のスタッフから後で聞いた。


珍しいでしょこんなに感謝の意を表してる山本監督なんて。いつもまとめサイトで切られちゃうんですよ、こんなたくさん喋ったからトリミング出来ないだろ、やれるもんならやってみろー!!(肝心な感謝の意の強い箇所がメモ出来てないですごめんなさい・・・)

京アニの面接については、2011年6月5日の一橋大学「ヤマカン×山本貴光講演会」の記録によれば、


「何着てきてもいいよー」って言うから、それでも普通リクルートスーツで行くじゃない? あ、何着てもいいんだ、と思ってTシャツとジーパンで行ったんだ。
わーい、って行って、面接をホイホーイって受けて、まあいいやーと思ったら
受かっちゃったんだよね


という事だったそうです。失礼な事は滑り止めと言った事だけじゃなかったんですw

フラクタル
司会:フラクタルで名前は挙げませんが東大出身の方と仕事をしたはずですが、どうでしたか。比較されると思うんですよ、京大と東大って。(と、遠回しに話を引き出す)


敗因は三つ。*4
1、黙っちゃった事
ゴダールが言う通り、自分にとって作る事と語る事は大事で、語る事をやめると調子が崩れちゃう。


2、迷いがあった事
アニメに対してどうアプローチをして良いかさっぱり分からない時期だった。


3、アニメを知らない某ド素人をメインスタッフに据えた事


フラクタルを最近見直したら、やっぱり良く出来てました。これが分からんかー・・・。時間の無駄かも知れないけど、Youtubeででも見て下さい。フジテレビに怒られるか。


ブラックロックシューター
1月から放送します。
吉岡(忍)、後輩に預けた作品。「BRSのカントクヤマカンm9(^Д^)プギャー!」とか言われるけど、お前ら日本語読めんのか、監督じゃなくて監修だよ、ググれよ、ググレカスだよw 貶すのは良いけど、捏造はやめて下さい。そういうわけで、名前は出しません。ヤマカンという名前がこんだけウザい、悪い影響を及ぼすのなら、会社の経営者として責任は持つけど直接制作には関わりません。


●司会:ツイッターで「プロットが来てる」「でかい話が来たなう」と呟いていますが?


前者は、書くかも知れない小説。後者は、本当に言えない映画でもテレビでも無い小さな仕事。でもでかいので、ノった方がええんかな〜と悩んでいる所。


やらおん(2chまとめブログ)はプロデューサーの殆どが見ています。気にしています。周りの意見に流される事なく、色眼鏡なしで画面を見て下さい。


●観客からの質問:押井守をどう思っていますか。
押井嫌いと言われているけど、愛憎相半ばというか、近親憎悪かな。「天使のたまご」を愛していて、当時理解出来なかった観客はおかしいと思っている。その前のビューティフル・ドリーマーは押井がやりたいものを出していたと思う。天使のたまごの失敗で変格し、原作付きの作品で自分の主張を盛り込むやり方になった。諦めが出たのが「イノセンス」、でも実は好き。妄想ノオトでイノセンスの事を書いたけど、一見ディスっているように見えてそうじゃない。


●観客からの質問:京大時代にやり残した事は?
京大生を口説く事です。昨日久々にルネに行ってたむろして、アニ同の頃の事を思い出して。その頃、隣に女の子連中がいた。今だったら口説きに行ってるな〜。「映画監督やってるんで」って口説き文句でw「私の優しくない先輩」やったし。アニメとは言えない。
女性に対して積極的であるべきだったなーと思っています。


●観客からの質問:ツイッターエゴサーチをしていると先程仰っていましたが、批判のツイートをリツイートした後それに一切言及しないのはどういった意図なんですか?


ツイッターでの発言は全世界の人に向けてのものだという事を知らしめたい、問題提起。晒されているという事を自覚して欲しい。アニメの感想をまともに言えなくなっている現状を知って欲しい。僕が晒しているのでは無く、元からネット上で晒されているものです。


(あと、質問が延々と長い割にいつまでも論点が見えて来ず、要約すると「今のアニメスタッフは「哀しみのベラドンナ」を見るべき」と質問ですら無くて、早く話をまとめさせようと山本監督が慌てる場面もありました*5。山本監督は「クレオパトラ」は見たが、「哀しみのベラドンナ」は残念ながら見ていないとの事。)


皆さん賢明であって下さい。そうで無ければアニメが終わる瞬間が来るかも知れません。僕の信者になって、なんて言えないけど、出来ればDVD買ってね!


講演会終了時

http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-5502.html

このような反応を受けて、山本監督は「まだ『フラクタル』引きずってるのか」えええ!?自作の話してはいけないの?じゃあ俺はなんの話をすればいいの?他人事のようにアニメ批評していればいいの??」とツイートしています。


ハルヒは私としては十分成功だったと思うのですが、そこまで責任を感じていたとは。ハルヒについては、それとルサンチマンの時のように握手をした事で話に出て来た程度で、かんなぎ、勿論らき☆すたについても全く話が無かったのが惜しいです*6。たった2時間では仕方ないかも知れません。


山本監督はツイッターの発言から思い描いていた気難しそうなイメージとは大分違っていました(ツイッターで判断するのが間違っていると言われるでしょうが)。時々刺々しい発言もありますが、笑いが良く起きる、楽しい講演会でした。アニ同時代と旋風の用心棒事件の話が特に面白かったです。


私が書いていない事は、以下のブログなどで補完して下さい。


京都大学 山本寛氏講演会 「えっ!?そこ?」/ウェブリブログ
適当な日常を綴る 第53回京都大学11月祭 ヤマカン凱旋!〜山本寛の軌跡と奇跡〜



計14ページのメモのうちの冒頭2ページ。


大阪デザイナー専門学校での「いとうのいぢの講演会」レポ - きーぼー堂
森田季節「エトランゼのすべて」舞台探訪@京大構内・オマケに西宮 - きーぼー堂

*1:恋のミクル伝説」作詞のエピソードは「涼宮ハルヒの公式」を参照。山本監督はOVAMUNTO 時の壁を越えて」主題歌、 かんなぎOP・ED(以上、「辛矢凡」名義)、第10話カラオケ回の劇中歌も2曲「イチバンボシ」(歌:青葉つぐみ=沢城みゆき)「Delicateにラブ・ミー・プリーズ」(歌:ざんげ=花澤香菜)の作詞もしています。全て神前さん作曲。

*2:ルサンチマンのメイキング映像(25分)は6月4日に京都三条でのイベントで上映されたようです。見たいなあ。Cartoon Houseにようこそ! 【イベント】「ヤマカン大いに語る」【レポート】

*3:ブツリオンは、ここにしか記述が見当たりません。http://www.osaka-c.ed.jp/shiroyama/fullmember/CLUB/HOUSOU/WORKS/SRYMAN.HTM

*4:三つあると言って一つ目を話し、ずっと後になって一つ目はさっき話したけど忘れた、と残りの二つを話しました。

*5:山本監督は彼の話を聞きながら、自分が岡田斗司夫にした質問を思い出すなあ、とコメント。彼は別に挑発的では無いですが、アニメの歴史にとても詳しい事は分かりました。

*6:公式サイトとパンフレットは「『フラクタル』『かんなぎ』など数多くのアニメ作品に関わって来た事でも知られ、」という書き出しでした。