「悪人正機」とは「悪人こそが阿弥陀如来の救いの本当のめあてである」という意味で、これは阿弥陀如来の慈悲のこころを表わす言葉です。
阿弥陀如来は、平等の慈悲心から、
すべての生きとし生けるものに同じさとりを開かせたいという願いを発(おこ)されました。
だからこそ、この慈悲のこころは、今現に迷いの中で苦しんでいるものに注がれるのです。
ですから、「悪人正機」という言葉を聞いて、
悪事を犯してもかまわないと開き直ったり、
悪いことをしたほうが救われると考えるのは、誤った受けとめかたです。
経典には、この如来の慈悲が、〈病に苦しんでいる子に特に注がれる親の愛情〉に例えて説かれています。
親鸞聖人は、このような阿弥陀如来の慈悲に出遇い、
その慈悲が注がれているのは、他でもない煩悩に満ちあふれた自分自身であると受けとめられました。
私たちは毎日いろいろな生き物のいのちを奪いながら生きています。また、めぐり合わせによってはどんな恐ろしいことでもしてしまいます。
このような私の姿に気付かせ、同時にそのまま救い取ってくださるのが阿弥陀如来の慈悲であり、
その心を表すのが「悪人正機」という言葉です。