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死に至る病

(読書)
しにいたるやまい

「絶望」の意。
新約聖書ヨハネによる福音書11章4節《ラザロの復活》においてイエス・キリストが言った「ラザロは死にたり、されどこの病は死に至らず」に由来する。
ここで言う死は肉体的な死ではなく精神的な死である。

宗教哲学書として

【Sygdommen til døden*1

  • 著:キルケゴール(1813年-1855年)
  • 出版年:1849年
    • 第一編:死に至る病とは絶望のことである
    • 第二編:絶望は罪である

人間は精神である。精神とは何であるのか。精神とは自己である。自己とは何であるか。自己とは自己自身に関わる一つの関係である。

この「死に至る病」を重要視した宗教思想家キルケゴールは、アンティ・クリマックスという偽名を用い、絶望と真相たる罪の分析、人間心理の奥深くを考察しこの哲学書を著した。1800年代のキリスト教会批判書でもある。

  1. 絶望して自己をもっていることを自覚していない場合(非本来的な絶望)
  2. 絶望して自己自身であろうと欲しない場合
  3. 絶望して自己自身であろうと欲する場合

「死に至る病」即ち絶望には以上の三種があり、根本的にはいずれも絶望の対象が自己自身に向いている。しかし自己自身に絶望したところで、自己自身からの完全な逃避が可能かといえば、人間が自己である以上不可能である。一般的な病が肉体の死で終結を迎えるのに対し、精神に起因を持つ「死に至る病」は肉体の死によって終結することは出来ない。つまり「死に至る病」の恐ろしさは完全な逃避が不可能で、終わりが見えない(死ぬことができない)ということである。
また彼は絶望を犯すことは神の拒絶に等しく、罪であるとする。
処方として彼は、絶望を自覚することによって絶望から脱出し、神の前に立とうとするのが望ましいと説いた。

*1:【Sygdommen til doden】"o"は「o」にスラッシュ

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