木走日記

場末の時事評論

「カミソリ後藤田」逝く〜信念貫いた武骨漢

kibashiri2005-09-21


 悲しい訃報が飛び込んできました。



●訃報:後藤田正晴さん91歳=元官房長官、副総理・法相

 毎日新聞の速報から・・・

訃報:後藤田正晴さん91歳=元官房長官、副総理・法相

 中曽根内閣で官房長官、宮沢内閣で副総理・法相などを歴任し、引退後も政界の御意見番として発言が注目された後藤田正晴(ごとうだ・まさはる)氏が19日夜、東京都内の病院で死去した。91歳。葬儀・告別式の日程、喪主などは明らかにされていない。自宅は東京都渋谷区広尾4の1の17の506。

 1914年、徳島県美郷村(現吉野川市)生まれ。東大法卒後、39年旧内務省入省。69年警察庁長官。退官後の72年、田中角栄首相(当時)に請われて田中内閣の官房副長官を務めたあと、76年から衆院議員(徳島全県区)に7期連続当選。96年に政界を引退した。

 大平内閣で自治相、中曽根内閣で官房長官(通算3期)、初代の総務庁長官を務め、宮沢内閣では副総理・法相。

 田中角栄元首相の「懐刀」、中曽根康弘元首相の「知恵袋」と呼ばれ、歴代政権から頼りにされてきた。鋭い洞察力や歯にきぬ着せぬ発言から「カミソリ後藤田」の異名をとった。

毎日新聞 2005年9月21日 10時41分 (最終更新時間 9月21日 10時52分)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20050921k0000e060021000c.html

 私が戦後の日本の政治家の中で最も尊敬し支持してきた「カミソリ後藤田」こと後藤田正晴さんが一昨日亡くなられたそうです。

 政治改革推進派の代表格でもあり、中曽根内閣の元で国鉄民営化で辣腕を振るい、憲法改正論議では護憲派の姿勢を貫いた人物です。引退後も政界ご意見番としてイラクへの自衛隊派遣に一貫して反対し、小泉純一郎首相の政治手法などについて苦言を重ねていました。



●信念貫いたリベラル武骨漢〜厳格なまでの法律の正確な解釈とその遵守の徹底

 私が彼の最も尊敬し敬愛した政治理念は、自らがその渦中に居たときも、権力・為政者に対し、ぶれることなく一貫して批判的に対峙する姿勢を貫いてきたことであります。彼の論理は厳格なまでの法律の正確な解釈とその遵守の徹底を求めた事であります。

 彼の高校時代の有名なエピソードがその信念を見事に顕わしています。

旧制高校陸上競技大会の運営責任者となった際に>

後藤田の友人:

「短距離で日本記録を更新しそうな選手がいるんだが、そいつがまだグラウンドに来ていない。客はみんなそいつを見にここへ来てる。あの選手がくるまで待とう。」
後藤田:

「競技の進行は予定通り。あの選手が来なくても、予定通りに行う。」
後藤田の友人:

「いや、しかし…。みんな新記録が出るのを楽しみにして、そいつを見に来てるんだぜ。」
後藤田:

「記録なんかどうでもいいんだ。そんな事より約束の方が大切だ。規律の方が大切なんだ。」

 後藤田は五・一五事件の時にも反乱将校達の熱情にうなされて共鳴する友人達を一喝しています。

五・一五事件の際に>

後藤田の友人:

「この事件は国を想う軍人や農民が一途な気持ちでやったことだ。彼らは立派だ…」
後藤田:

「お前、何を言っているんだ。海軍の軍人が、昼間に軍服を着たまま首相官邸に侵入して、首相を殺害する事が、なんで立派な行動なんだ。そんな事が許されると考える方がおかしい

 彼は自民党リベラル派の重鎮としても有名でありましたが、私の見るところ彼の姿勢・政治理念は、法の下で的確に論理的に思考した帰結として護憲派に至ったのであり、イデオロギー的には極めて柔軟な方であったと思います。

 彼は何事も極論を嫌い、主義主張に隔たりがあっても相手の話をよく聞き理解に努めることを怠りませんでした。

マックス・ウェーバーが唱える資本主義の合理性に対して>

マックス・ウェーバー

共産主義のように分配が平等であると、個人の創意や工夫や努力は押し殺されてしまう。資本主義は個人のそういったイニシャティブが存分に働くので、こちらの方に合理性がある。」

後藤田:

「その説はその通りだと思う。言ってる意味はわかる。しかし、共産党内にも地位争いがあるではないか。経済的には平等で、例え賃金が同じ額であっても、地位に対する権力闘争があるではないか。そこにはイニシャティブが発揮される余地がある。一概にイニシャティブが阻害されるというのは誤りだ。」

 彼は共産主義にさえ、「共産党一党独裁は必ず没落する。言論の自由は保障されなければいけない」と、現実の一党独裁体制は厳しく批判したモノの、冷静に評価することも忘れていませんでした。

 また、中曽根首相と彼とは、政治理念も政治手法も水と油でしたが、それでも彼は中曽根内閣の「懐刀」として、経団連名誉会長の土光敏夫らとともに、国鉄の民営化など、行政の範囲を抜本的に見直す行政改革を推進していったのです。

後藤田:

「私は、中曽根さんとは全く肌があわない。好きとか嫌いとかいう表現を使えば、決して好きではない。でもその事と、ともに仕事をすることとは別問題だ。その点は僕は割りきっている。…それにね、あの人の行政改革は歴史的偉業だよ」

 そのロジカルで切れ味鋭い論法とずば抜けた行動力から「カミソリ後藤田」との異名までもらった後藤田ですが、実際の彼は相手をおもんばかる柔軟思考も併せ持っていたわけです。



●にわか急造「改革派」に信念はあるのか?

 今日の毎日新聞から・・・

森前首相:新人議員の行動にクギ 森派パーティー
 自民党森喜朗前首相は20日夜、東京都内で開かれた森派所属議員のパーティーであいさつし、衆院選で83人の自民党新人議員が誕生したことについて「歳費がこれだけもらえて良かったとか、議員宿舎がこれだけ立派でありがとう、とか言っているおろかな国会議員がたくさんいる」と指摘。「選挙もせずに、ただ(比例代表名簿に)名前だけ入れて当選した人もいる。しっぺ返しがあるような気がしてならない」と述べ、新人議員の行動にクギを刺した。

毎日新聞 2005年9月21日 0時05分
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050921k0000m010144000c.html

 今回の小泉郵政劇場選挙大勝利の結果、自民党内には、にわか急造「改革派」が大量生産されたようです。

 個別の発言内容をうんぬんするつもりはありませんが、彼らにかつての後藤田が国を憂い国のためと身を粉にして政治・行財政改革を推進させたときの気概は、残念ながら感じられません。

 後藤田が貫いた信念は、絶えずまず自らに厳しくそして他者にも厳格にルールを守らせるということでありました。

 さてこの国に後藤田の志を継ぐ政治家は現れるのでしょうか?

 私が市民記者登録させていただいているインターネット新聞JANJANに、おそらく最後の勇姿でありましょう後藤田氏の動画インタビュー記事が掲載されています。

いま何を考えるか 戦後60年の夏
http://www.janjan.jp/special/interview/gotoda.php

 平成17年9月19日、
 後藤田正晴(ごとうだ・まさはる)氏、肺炎のため死去。91歳。
 座右の銘『一日生涯』



 合掌。



(木走まさみず)