市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「半数が「授業料上がる」 法人化で、国立大学長」 @yahoo

寝不足なのか、栄養 (Ca?) 不足なのか、感情の消化不良なのか、 怒りっぽい mode を未だにひきずっている


  • 6/20/2003| 6/9/2003

  • こういう時期は太郎ちゃん (amazon) に同調してしまう。以下、引用 taro
    絵をまだ見もしないうちに、 「だれだれ先生の作品ですか、それはたいしたものだ」が、 つい口に出たり、 りっぱなものだと説明されたりすると、 わからぬままに大いに関心ぶりを発揮する。(p.231)

    なるほど、今日の権威を見わたしても、 大義名分の立つときとか、あるいは同調者のあるばあいには 純情なまでに腹の底を見せますが、 こと自分自身にかんしたり、または自分ただ一人によって 守らなければならないもの、つまり、おのれだけが責任を負わなければならない、 そして、それによってこの日本でたった一人に孤立してしまう というようなことがら――そういうことは、じつに 時々刻々に、われわれの目の前にあるのです――にかんしては、 まったく謙虚になり無口になってしまいます。
     そのように自分個人の責任にかんしては身をひく人こそ、 順番さえ待てば権威、つまり一流人物になりあがることができるのです。 おめでたい国がらです。(p.233)

    この瞬間に徹底する。 「自分が、現在、すでにそうである」と言わなければならないのです。 現在にないものは永久にない、というのが私の哲学です。 逆に言えば、将来あるものならばかならず現在ある。 だからこそ私は将来のことでも、現在全責任をもつのです。
     そこで私は、きわめて朗らかに、「私はすでにピカソをのりこえている」 と卑屈なインテリどもをくやしがらせているのです。…
     自分がそうであると公言することは、けっして得することではありません。 およそ、その反対です。 ことに日本では、自分では言わないで人に言わせるというのが 権威になる条件だからです。 … 本人が言ったのでは――しかしこれが一番正しいはずなのですが―― けっして信用したがりません。 なまいきだと反感をもつか、せせら笑うか、いずれにしても、あとは意地わるく、 いつ、つまずくかと楽しみに見物しているやつらばかりです。 ここらが、いちばん日本的です。(p.235)

     もし責任がとれなかったら、たいへんなアホウ、笑われ者になり、 たちまち社会的信用を失ってしまいます。 … だから、うぬぼれていられるどころではありません。(p.236)

    おのれ自身にたいしては逆に残酷に批判的で、 つまり謙虚でなければならないのです。(p.236) (cf. 定理, 7/19/2005)

    個人個人に会ってしたしく話をすると思いのほか純粋で、 情熱的に、「やらなくちゃいけない。あなたのような人こそ大事なんだ」 と言う。しかし、ほんとうに社会的に、効果的に発言し、 力をあわせた人が、いったいあったでしょうか。 こちらが公認されるまではおそらく、 けっして危険なコトアゲはしないでしょう。 きわめて誠実に、そして謙虚に、 みんな時機を待っているのです。(p.239-240)

    (パリ、ニューヨークでの個展に)出発するまえ、 私はある場所で講演をしたのですが、… 聴衆の一人から、「こんどあちらへ行かれて、何を得てこられるのでしょうか?」 という質問が出ました。 「いや、こちらが与えにゆくんです」と、私が返事をしたら、 満場がドッと笑いました。 私はきわめてマジメに言ったのに、 意外にも大笑いされて腹立たしくなりました。(p.240)

     いまだに、そのときの私の言葉は、逸話のようになって残っている ということです。 「やっぱり岡本式だ」とか、何とかいって、 なにか私の専売特許のように考えてしまうのは 情けないと思います。(p.243)

  • これは聞いた話……

  • サマリー: 岡本太郎

これは聞いた話。


  • ある建築学科の学生が友人と岡本太郎邸を (勉強として) 外から見たり写真を撮っていたら、 家の中から女性が出てきて、 今岡本は不在だがしばらくすると戻るので中で待つか、と言われたことが あったそうだ。

  • 何で「いえ結構です」と言っちゃうかなぁ…もったいない、 一期一会 once-in-a-lifetime thing

  • cf. こういう時期は太郎ちゃん

  • 10/17/2003: 岡本敏子