彼岸 そして無人島を狙う中国の動きに日本領土はどうなるの?。

◆ 彼岸(ひがん)は雑節の一つで、春分秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。
サンスクリット pāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する。Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え(三途川とは無関係)、その向こう岸に涅槃があるとする。彼岸会法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられる。浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。春分秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。
天皇の詔として始められた行事であったが、いつの時代も人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至った。彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているとも言える。日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのである。仏教語の彼岸は後から結びついたものであるという説(五来重による)もある。806年(大同元年)、日本で初めて彼岸会が行われた。このとき崇道天皇早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と『日本後紀』に記述されている。

◆週刊誌で中国人企業(公安関係?)が尖閣諸島付近の西表島之購入交渉していると言う話があった。大変危険である。日本は私有財産をみとめており、西表島だけでなく、周辺の無人島、更に石垣島の所有をするようになったらいっちあどうなのであろうか。韓国も同様に竹島周辺の対馬列島を購入する動きがあるという。日本の国土をまもるために、無人島を国が所有するしかない。国防のため、日本の領土を守るためにも、うかうかしていられない。

【9月23日生まれの偉人)
◆下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23日 - 1968年(昭和43年)3月25日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。陸軍大臣(第56・57代)、教育総監(第27代)、参議院議員(1期)などを歴任した。
陸軍士官学校第20期を卒業し(同期に朝香宮鳩彦王東久邇宮稔彦王北白川宮成久王、吉本貞一、木村兵太郎牛島満、酒井隆、飯田祥二郎など)、砲兵将校となる。陸軍大学校第28期を首席で卒業(同期に板垣征四郎牛島満木村兵太郎、田中静壱、山下奉文、吉本貞一、酒井隆、原田熊吉、村上啓作など)。第二次世界大戦終戦後、陸士時代の同期・東久邇宮稔彦王が首相を務める内閣で陸軍大臣を務め、続く幣原喜重郎内閣でも留任し、日本(帝国陸軍)で最後の陸軍大臣となった。終戦時下村は満州におり、下村の帰国まで東久邇陸軍大将宮が陸軍大臣を兼務している。第5回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬、当選し参議院議員を1期務めた。その後、第7回参議院議員通常選挙全国区にも出馬したが落選した。