夫の唯一の妹ジョセフィンとフランスへ十日間の旅に出た

夫の唯一の妹ジョセフィンとフランスへ十日間の旅に出た

{当時は、まだユーロースターは走行していなかったの
 で、ヴィクトリア駅から列車でフォークストンまで行
 き、そこから、フェリーでフランスのブローニュの港
 まで。ブローニュに着くとバスが待っていて、英国人
 の女性ガイドがいて、彼女が十日の旅の案内をした}

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(48)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(79)

▼△第ニ章 放射線 vs 暴力団専門ライター(25)△▼ ・白バイ隊員に逆切れ・(その1)
気分はすかっかり原発作業員になっており興奮のため眠れない

福島県 3・11 から1年4ヶ月後も県内外に16万人が避難生活

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(43)

▼△第ニ章 犧牲のシステムとしての原発、再論 〈18〉△▼ 第二の犧牲――被曝労働者・(その3)
事故に際して誰かが被曝労働の犧牲を担わねばならない現実

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(48)

◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(35)◇ ・私の義弟ジョセフィンとフランスへ十日間の旅へ(その1)
夫の唯一の妹ジョセフィンとフランスへ十日間の旅に出た
《「 ◇The Olympic Flame arrives in London (Royal Marine Martin Williams abseils from a helicopter  with the Olympic Flame into the grounds of the Tower  of London during Day 63 of the Torch Relay.) アーニーは、予定より長くインドに滞在する と言ってきた。広子さんは、わずかでも仕送 りしていた。 ロンドンの一週間分の生活費は、インドでは 一ヵ月暮らせるから仕送りは苦にならないと 言っていた。 しばらくすると、「ヒロコはマークと付き合 っている」という噂が入ってきた。夫の生徒 たちからだった。広子さんもマークもしばら く訪ねて来なくなった。 私のほうは、夫の唯一の妹ジョセフィンとフ ランスへ十日間の旅に出た。生まれて初めて の遂に行くフランス。 ジョセフィンは大学へ入ったばかりだった。 高校のとき、フランス語の成績がよかったこ とかで、フランスへ行ったらフランス語で話 すのを期待していた。 当時のい衣料スーパー、マークス・アンド・ スペンサーは土曜日一日だけのバイトもさせ てくれたので、ジョセフィンはフランスへ私 と行くために週に一日、土曜日だけ働いてい た。日曜日は全英どこの店も休業だった。 トーマス・クック旅行代理店で十日のフラン スの旅、交通費、ホテル代、三食の食費込み で一人三十六ポンドだった。 当時はまだユーロースターは走行していなか ったので、ヴィクトリア駅から列車でフォー クストンまで行き、そこからフェリーでフラ ンスのブローニュの港まで。 ブローニュに着くとバスが待っていて、英国 人の女性ガイドがいて、彼女が十日の旅の案 内をした。 七月の好天気が続き、私たちはうきうきと列 車、フェリー、バスの旅を楽しんだ。ブロー ニュに着くと、英国からの観光客ばかりが、 五十人余り観光バスに乗り込んだ。 日本人は私一人で、中国人の男性が一人いた。 初めにバスは、ナポレオンの妻だったジョセ フィーヌの居城だったランブイエ城に行き、 そこから世界三大ゴシック尖塔で有名なシャ ルトルの大聖堂へ行った。私はこの町の可愛 いらしさ、美しさに魅せられた。 」》 ◎《世界三大ゴシック尖塔で有名なシャルト ルの大聖堂へ行った》ここで、教会の尖塔に 注目したいとおもいます。 ヨーロッパの中都市を散歩しながら、街路を 行ったり来たりしていると、いつ間にか、道 に迷うことがよくあります。道に迷うという よりは、自分のいる場所の感覚を完全に失っ てしまうのです。 そんな時、助け舟になるのが教会の尖塔なの です。「自分は、いま、どこにいるんだろう」 と迷ったとき、天空を見上げると、東西南北、 いずれかに、教会の尖塔が見えます。 あらかじめ、その町の教会の位置を抑えてお くと、自分の居場所がどこかチェックできま す。もっとも、GPS機能つきのスマホが普 及した昨今では、これは、単なる昔話しに過 ぎませんね、年取ったもんだ、ったく。 しかし、シャルトル大聖堂は、単なる目印な どではなく、シャルトルの街の最重要な建造 物であり、かつては、経済の中心地でもあり、 著名なランドマークでした。 中世において、シャルトル大聖堂は、北端側 で織物を売り、南端側では燃料・野菜・肉類 を扱う市場の場として、機能していました。 大聖堂といえば、まだお読みでなければ、ぜ ひ、お薦めしたい小説があります。いままで、 お薦めした誰からも、感謝された読み物です。 『大聖堂』(The Pillars of the Earth)。 ケン・フォレットの大歴史小説。1989年に発 刊され、日本では1991年に新潮文庫から、矢 野浩三郎訳により出版されています。2005年 にはソフトバンク文庫により再版されました。 長編読み物ですが、おもしろいこと、請け合 います。 ケン・フォレットは、この小説を書く以前は スリラー小説のジャンル(出世作『針の眼』 The Eye of the Needle)で活躍していました が、『大聖堂』は、全世界で 2,000万部を売 り上げ、フォレットの代表作となりました。 ◇シャルトル大聖堂、西側ファサード「王の扉口」 ◇大聖堂 (上) (ソフトバンク文庫) 大聖堂 (上) (ソフトバンク文庫) ※大聖堂(中)(下)の三部作。 (つづく) (Y348-153) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(48)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(79)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−  「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第ニ章 放射線 vs 暴力団専門ライター(25)△▼ ・白バイ隊員に逆切れ・(その1)
気分はすかっかり原発作業員になっており興奮のため眠れない
《「――6月5日、日曜日――。 翌日の造血幹細胞採取のため虎の門病院に向かった。G―CSFの 副作用……めまいやだるさ、腰の痛みなどはは皆無で、体調の変化 が感じられなかったので1980年製のホンダB750に乗って出 かけた。 東組という指定暴力団幹部からもらった骨董品で、とりあえずは走 る状態にするまで30万円以上かかったが、パーツの欠品が多くあ ちこちワンオフ、他社流用のため、都内走行専用だ。 虎の門病院の駐車場は旧式のタワーパーキングで、車高が155セ ンチ以下の車しか停められない……というか、正直寝坊した。この 頃、私は原発に専念するため、毎晩身辺整理に追われていた。 造血幹細胞採取前夜もそうだったうえ、気分はすかっかり原発作業 員になっており、興奮のため眠れない。 だったらたまった原稿を書けばいいのだが、朝方まであれこれ考え、 居間の食卓の横で倒れ込むように寝てしまったのだ。遅刻ギリギリ だったので、渋滞とは無関係のバイクを選んだ、が正しい。 明治通りを走り、明治通りを過ぎたころ、隣のリッターバイクがす ぐ傍にやってきて、ヘルメットのシールドを開け、話しかけてきた。 「さっきねずみ取りやってたよ。まっすぐ行ったら捕まっちゃう。 ここ右折したほいがいい。絶対まっすぐ行っちゃ駄目だよ!」 振り返ると、植え込みの陰に速度を計測する警察官がみえた。右折 しようと思ったら、白バイ隊員がサイレンもならさず、赤色灯もと もさず、歩道を逆走してきた。 「ちょっといいかな。ごめんね。スピード違反の取り締まりやって んだ。来てくれる?」 100メートルほど先に戸塚署の交通隊が10人近く隠れていた。 「晴天の休日はねずみ取りに要注意」というバイク乗りの鉄則を私 はすっかり忘れていた。 「30キロオーバーだね。急いでたの? どうしたの?」  ――」》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◎原子力ムラは、ここから始まった。 一九五四年三月ニ日のこと、突如として「原子力予算」が浮上した。 この日、東京駅のステーションホテルで開催の講演会「新しいエネ ルギー源 原子力」の講師の一人茅誠司(のちに東大総長)が、原 子力予算の上程に驚愕して、講演会が終わるや否や、国会に飛んで いき、中曽根康弘と面談し、「すぐに研究は出来ない」と反対を申 しいれたが、中曽根は拒絶し、「学者がボヤボヤしているから札束 で学者のほっぺをひっぱたいて目を覚まさせれるのだと」と言い返 したと伝わる。これから、原子力ムラに札束が乱舞することになる。

福島県 3・11 から1年4ヶ月後も県内外に16万人が避難生活

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(44)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第ニ章 犧牲のシステムとしての原発、再論 〈18〉△▼ 第二の犧牲――被曝労働者・(その3)
事故に際して誰かが被曝労働の犧牲を担わねばならない現実
《「――原発事故において、大量被曝を覚悟しながら働かざるをえ ない人々を英霊予備軍としてたたえることは、自分たちは安全な場 所にいて彼らの犧牲から利益を引き出す人々の責任をみえなくして しまう。 彼らの犧牲から利益を引き出す人々とは、まず第一に、電力会社や 原発関連企業の幹部たち、中央政府の政治家・官僚たち、原子力委 員会、原子力安全委員会などに名を連ねる学者・専門家たち、要す るに、この事故の収束に最大の責任を負う人々である。 原発推進にかかわってきた地方の政治家(そのトップは県知事)と 行政幹部も、またここに連なる人々であろう。 佐藤栄佐久・前福島県知事が証言するように(前章参照)、原発危 機では県ですら、結局は二の次にされるという現実があるにせよ、 原発推進に邁進した自冶体の首長たちの責任は曖昧にされてはなら ない。 確認しよう。事故に際して破局を防ぐためには、だれかが被曝労働 の犧牲を担わなければならないというのが、原発というシステムな のだ。 ――」》 ◎危惧は、元請けの東京エネシスが東電のグループ企業という事 →作業員が自作 線量計鉛カバー装着問題 東京電力福島第一原発事故の収束作業を下請けした建設会社「ビル ドアップ」(本社・浪江町)の作業員が線量計に鉛カバーを装着し て作業に臨んでいた問題で、鉛カバーは作業員の自作だったことが 22日、元請け企業の東京エネシス(本社・東京)の話で分かった。 (2012/07/23 福島民報◆記事全文へ
福島民報社のニュースサイト
犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔夏〕 天文  夏星のかけらが一個児のリック
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
一人居の老婆が缶をけっている梅雨の晴れ間にカランカランと
園部美智子(62歳)茨城県

◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆

アンブローズ ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、 西川 正身 (翻訳)
略奪する(plunder v.)
窃盗に普通見られる慎みのある沈黙を守らな いで、人様の財産を頂戴する。ぬけぬけとブ ラスバンドを伴奏しながら、所有権の変更を 成しとげる。Aの富をBから奪い取り残る三 人目のCに機会の消え失せたことを嘆かせる。 新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

私の妻はものすごくきれい好きなんだ。
My wife is extremely tidy.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> Wikipedia:岩村圭南 ※この番組の放送は4月1日で終了しています。

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆

J.W. Waterhouse“オルフェの頭部を発見するニンフたち”
(1900年・個人蔵) (Nymphs Finding the Head of Orpheus) ◆ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (Jhon William Waterhouse〈1849-1917〉) ・イギリス ラファエル前派・ ウォーターハウスは、父が画家でたびたびローマに滞在して いた関係で、ローマで出生。この年、イタリアではガリバル ディのシャツ隊がローマを占拠する統一戦争が起こり、イギ リスでは、アカデミズムに反旗を翻したラファエル前派の作 品がロイヤル・アカデミーなどの美術展に初めて出品された ました。 ウォーターハウスは、父親のアトリエで絵を勉強し、1870年 にアカデミー美術学校に入学。アルマ・タデマの影響もあっ て、古代史に題材を取った絵が多い。ロイヤル・アカデミー でも成績がよく、「魔法の円」が国に買い上げられたり、多 くの賞を取っています。後期の作品にラファエル前派的な作 品が多い。バーン・ジョーンズのように詩情にあふれていま すが、ウォーターハウスの方がより造形性、素描力が優れい ます。古典と新風がよく調和した画風を世におくりました。