「Century books 人と思想」シリーズの本 既刊本リスト (清水書院) その7
大人の教養 / リベラルアーツ。
既刊本一覧 目次
I | 1-10 | 11-20 | 21-30 | 31-40 | 41-50 |
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II | 51-60 | 61-70 | 71-80 | 81-90 | 91-100 |
III | 101-110 | 111-120 | 121-130 | 131-140 | 141-150 |
IV | 151-160 | 161-170 | 171-180 | 181-190 | 191-200 |
「人と思想」 既刊本一覧 No.61〜70
61 | マイネッケ | マイネッケ (センチュリーブックス 人と思想 61) 西村貞二 清水書院 2000 売り上げランキング : 1460240 |
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62 | エラスムス | エラスムス (センチュリーブックス 人と思想 62) 斎藤美洲 清水書院 2000 売り上げランキング : 1063835 |
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63 | パウロ | パウロ (センチュリーブックス 人と思想 63) 八木誠一 清水書院 2000 売り上げランキング : 569612 |
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64 | ブレヒト | ブレヒト (センチュリーブックス 人と思想 64) 岩淵達治 清水書院 2000 売り上げランキング : 560239 |
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65 | ダンテ | ダンテ (センチュリーブックス 人と思想 65) 野上素一 清水書院 2000 売り上げランキング : 889064 |
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66 | ダーウィン | ダーウィン (センチュリーブックス 人と思想 66) 江上生子 清水書院 2000 売り上げランキング : 1216054 |
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67 | ゲーテ | ゲーテ (Century Books―人と思想) 星野慎一 清水書院 2014-08 売り上げランキング : 825539 |
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68 | ヴィクトル・ユゴー | ヴィクトル=ユゴー (Century Books―人と思想) 辻昶 丸岡高弘 清水書院 2014-09 売り上げランキング : 567558 |
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69 | トインビー | トインビー (センチュリーブックス 人と思想 69) 吉沢五郎 清水書院 1982-02 売り上げランキング : 948157 |
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70 | フォイエルバッハ | フォイエルバッハ (センチュリーブックス 人と思想 70) 宇都宮芳明 清水書院 1983-01 売り上げランキング : 499632 |
《内容》
63 | パウロ (wikipedia:パウロ) パウロは原始キリスト教史上最初で最大の神学者・伝道者であった。パウロの著作は新約聖書の約2割を占め、後代への影響も大きく、パウロを除外してキリスト教を語ることはできないほどである。パウロは十字架につけられて死に、復活したイエス・キリストへの信仰を求める。パウロの宣教と神学は、歴史的な意味は大きくても、現代の私達にはなじみ難い。しかしその外殻を破ってみれば、パウロは私達にのっぴきならぬ問いを突きつけているのだ。あなたとして感じ、考え、行動している当のものは何か。そのあなたでよいのか。人間とはふつうにいう自我よりずっと深いところから生かされて生きるものなのだ、ということである。 (表カバー) |
64 | ブレヒト (wikipedia:ベルトルト・ブレヒト) ブレヒトは、「われわれはシェイクスピアを変えられる。もしわれわれがシェイクスピアを変えられるなら」と言った。この挑発的な文章は、「もし」以下に大変な含みがある。シェイクスピアを変えられると言いきれる人は、変えられるだけの確固とした立場を持っていなければならないのだ。ブレヒトから学ぶべき態度はブレヒトを変えられると言いきれるようになることなのである。しかしわたくしにはブレヒトを超えるまで知ることがすでにとほうもない課題のように思われる。本書は、わたくしの試みのひとつの小さな里程標のつもりである。 (表カバー) |
65 | ダンテ (wikipedia:ダンテ・アリギエーリ) われわれは普通、ダンテ、シェクスピア、ゲーテに近代文学の三つの頂点をみる。この評価はゲーテの死後の世紀にやっと確立したものであるという言葉は、有名なルネサンス学者エルンスト=ロベルト=クルティウスのいったものであるが、彼の名著『ヨーロッパ文学とラテン中世』の第一章に、次のようなT.S. エリオットの言葉がある。「私たちは次のように感じる。もし古典作品や古典作家がほんとうに価値ある理想であるなら、ダンテの中世的な精神に十分現れている普遍性や広大性を示すことができなくてはならない。何故ならば、『神曲』の中に近代ヨーロッパ語で書かれた古典を発見するから」と。シェクスピアもゲーテも十分研究されている日本では、今度はダンテを研究すべきである。 (表カバー) |
66 | ダーウィン (wikipedia:チャールズ・ダーウィン) 1834年4月、25歳のダーウィンは航海の途上にあった。ある日、ビーグル号はパタゴニアのサンタ・クルツ河口で浅瀬に乗りあげてしまう。日記に「午後には……再び安全に繋留された」と記す。 24年後の1858年7月、リンネ学会で自然選択による進化学説を発表。翌年には主著『種の起源』を出版する。さらに24年後の1882年4月、夕食のときに倒れる。一時、実験の記録をとれる程に回復したが、ついに不帰の人となる。73年にわたる一生であった。ダーウィンの生涯を区切ってみたときのそれぞれの象徴的な出来事である。博物学者として立とうとする青年期、理論家として苦闘する壮年期、そして進化理論を発展させる晩年。本書では、日記・自伝などを手がかりに、4分の3世紀近くを生きぬいたダーウィンを新たに捉えなおすことを試みた。 (表カバー) |
67 | ゲーテ (wikipedia:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ) ゲーテが6歳のとき、ポルトガルの首都リスボンに大地震が起き、6万もの命があっという間に奪われた。この大事件は少年ゲーテに大きなショックを与えた。天地の創造者、聡明で慈悲深いと言いきかされてきた神様が、なぜ、正者不正者の区別なく、多くの人々を一瞬に破滅させてしまったのか、どうしても納得がいかない。このつよい印象に抵抗して立ち直ろうとしたが、とてもできなかった。ゲーテは深い敬虔な心情を持っていた。だが、彼が狭くるしい宗教心にしばられることなく、闇と光のあいだにつまずきながら、崇高なものを求めるようになったのは、少年時代のこの体験にもとづいている。彼の文学や思想が世界の人びとから広く愛される大きな理由の一つは、この人間的なゆたかさのためである。 (表カバー) |
68 | ヴィクトル・ユゴー (wikipedia:ヴィクトル・ユーゴー) ヴィクトル=ユゴーは、わが国ではこれまで小説「レ・ミゼラブル」の作者としてのみ知られてきた嫌いがある。しかし、彼はフランスの大詩人の一人であり、本国のみならず世界の各国でもそのように評価されてきた。われわれは、行くとして可ならざるはなき大才にめぐまれたユゴーが、詩壇をはじめ、小説、劇、論文などの分野において、どのように多彩な活動をくりひろげたかを、この書で明らかにしたいと心がけた。恋愛、革命、亡命生活という変化にみちた詩人ユゴーの人生は、その作品と同じように多彩で波瀾万丈なものであった。この点でもユゴーは、世紀の巨人と呼びうる人物であったのである。 (表カバー) |
69 | トインビー (wikipedia:アーノルド・J・トインビー) トインビーが記念碑的な大著『歴史の研究』を書いたのは、世界史の全体像とその意味を解き明かすことにあった。今日のように「一つの世界」を迎えた時代には、なによりもグローバルな視野と展望が必要である。長年の孤独な歩みに耐え、人類の運命を問う「新しい世界史」への道をひらいたトインビーの知的遺産に学ぶところは大きい。トインビー自身、たえず西洋人としての傲慢と偏見に心を痛め、その克服に全力をつくした。終生変わらぬ自己超克の精神こそ、トインビー史学の原点である。世界的に高名となり、晩年におよんでも、なお真摯に学的公正と歴史的真実を期したトインビーの姿は感動的である。わたくしたちは、アイスキュロスの「悩みを通して智はきたる」という現代の証人を、トインビーにみることができよう。 (表カバー) |
70 | フォイエルバッハ (wikipedia:ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ) フォイエルバッハの思想を一行で要約するとすれば、「人間は自らの姿に似せて神を創った」ということになろう。だがこの言葉を安易に受けとめて、フォイエルバッハは無神論者であったとか、唯物論じゃであったといった工合に、簡単に割り切ってしまうことは禁物である。フォイエルバッハが神の存在をたんに否定するだけの無神論者であったなら、人間と神との関係をあれほどまでに徹底して追求しはしなかったであろうし、『キリスト教の本質』という大部の書物を書く必要もなかったであろう。私は本文のなかで、これまでフォイエルバッハに貼られていた無神論者とか唯物論者といったレッテルをまずはがした上で、フォイエルバッハをひとりの個性的な思索家として画き出そうと努力した。読者もどうかレッテルや簡単な標語に惑わされないように注意してほしい。 (表カバー) |