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古書ますく堂のなまけもの日記

2016-08-01

鳥取帰りのポエカフェ三好達治篇

本日は都知事選の日、もしくはポエカフェ三好達治の日。
三好達治にちなんで本日のスイーツザクロと生クリーム添えのシフォンケーキ。これまたぶち美味しくて、皆さんの自己紹介を聴きながら、聴覚以外はケーキに集中する。
三好達治1900年明治33年)8月23日大阪で10人兄弟の長男で生まれる。
10人兄弟ではあったが内、5人は夭折。家業は印刷業。だが父親がどうも一発屋で業績悪く、親類宅を転々とする。こつこつ地道にやろうという性格ではなかったようだ。6歳で京都に預けられて可愛がられても病弱でまた大阪へ戻る。7歳、今度は兵庫県祖父母の元へ行くも神経衰弱で休学し、小学5年でまた大阪へ。
11歳、漱石竹久夢二を愛好する。14歳より俳句に親しみ、自分でも作るようになる。
1915年15歳、中学を2年で中退、大阪陸軍地方幼年中学校に入学。学費が無料らしいっす。父が軍人崇拝していたからである。そこを卒業して18歳で陸軍中央幼年学校本科に入学。この頃よりフランス語を学ぶ。20歳で俳句を既に千句以上も作っていたというから驚きである。
21歳、陸軍士官学校入学するも翌年脱走。北海道へ。憲兵に捕まり、二ヶ月刑務所に。そして当然、退校処分。
この頃の達治の目の前には問題が山積していた。天皇は崇拝していたが、権威や名声欲もない自分には大義に殉ずる精神が欠けていたようにも感じていた。そして気になる家業。弟と注文をとってきても父親が版を組み印刷しなければどうにもならない。親孝行な達治や弟の思いとは裏腹にこのダメ親父は息子を軍人にという夢が断たれ、無気力になり、失踪する。子供は親の物ではない。
22歳、京都第三高等学校文科丙類に入学。この学校が凄いというか同級のメンバーが凄いんです。丸山薫桑原武夫らがいて上級に、梶井基次郎までいるという・・・達治はニーチェツルゲーネフを耽読し、丸山薫の影響で詩作を開始。朔太郎の「月に吠える」「青猫」に熱烈な感銘を受け、犀星も読み、堀口大學の「月下の一群」なども愛読。25歳で東京大仏文科へ。今の東大ですな。帝大といえば第一高等学校旧制)から入るのがスタンダードだった。アウェー京都から入った三好達治梶井基次郎らの同人誌「青空」に参加する。西原先生の解説がここでも炸裂。たわけものが仏文科に。真面目なものは英文科や独文科にと。達治はたわけものというわけね(笑)
27歳、親友梶井基次郎を見舞いに湯河原へ。ここで萩原朔太郎川端康成らと初めて会う。そしてその後、知り合った朔太郎の妹アイに一目惚れ。
28歳で北原白秋の弟のやっていたアルス社に就職するも同書店の破産で退職。アイと結婚したかったのやけど、朔太郎の母の強烈な一言「ぐうたらは朔太郎一人で十分や!」にKOされ、破談。ま、家にお金をいれないような文士みたいなんは朔太郎だけで沢山やねんと。朔太郎はん、あんた、売れっ子詩人やのに、あんたがお金を家に入れんかったせいで達治はんはふられたやんか。
破談にされ、達治、貧乏生活に耐えながら文筆業頑張る、頑張る。翻訳は10年間でなんと20000枚!!これも西原先生が分かりやすく解説してくれはりました。新書1冊が大体、500枚だそうです。新書40冊分でっせ。
30歳、ファーブル昆虫記の翻訳(2000枚)完了。この年、第一詩集測量船」も刊行してるから凄い。
31歳、淀野隆三と梶井基次郎の「檸檬」を武蔵野書院より出版。この淀野って人は三好達治や梶井にとってのキーパーソンみたいだ。
http://6426.teacup.com/cogito/bbs/673
ちょっと淀野隆三も調べてみたくなってくる。この人の観点から三好達治を眺めてみたくなる。
34歳、佐藤春夫の姪と結婚。この頃、堀辰雄丸山薫の3人で「四季」創刊。四季派と呼ばれる。西原先生曰く、四季学会というものがあるそうな。36歳、丸山薫と共に朔太郎に詩業を賞賛されるってこれ、何?朔太郎はん、ほめるより謝るのが先ちゃうの?(笑)いつ頃から朔太郎の一番弟子になったんやろな。
41歳、師匠の朔太郎が病気でふせっていたので代わりに達治、明大文芸科の講座を担当。ええど、朔太郎、もっと仕事、回してあげなはれ。
42歳、萩原朔太郎死去。全集刊行の企画で室生犀星と衝突。衝突なんかしてる場合ちゃうやん!
アイのことはあれっきりすっかり忘れていた私に年譜の44歳のくだりが衝撃を与える。佐藤春夫の姪の智恵子と協議離婚したかと思えばアイと結婚ですと!だが驚くなかれ、日本が終戦を迎えた1945年、45歳になって、もう離婚とある・・・たった10ヶ月で離婚ですか。
芸能人みたいやわ。料理もできへんお嬢さんのアイを理想化してたんかなあ。はぁ、ため息しかでてこんわ。
64歳で死去。貧乏だったらしいけど32年間の詩業で合本、全集含めて21冊市の詩集を刊行したのはすごいなあ。
詩にいきます。まずはこれから。「雪」

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

この詩は2行しかないから口ずさんでる間に覚えてしまう。朗読するにはぴったりな詩。この2行の間に沢山、いろんなものが降り積もっていそうで、いろいろ想像させてしまう。眠らせって使役なんですよ。誰が眠らせてるのか。太郎と次郎の関係は?とか好きなだけイメージをふくらませてほしい。

文庫の三好達治詩集を読んでて強烈な印象を私に与えたのが「鴉」
詩というよりは面白い外国文学の物語を読んでいるような気がしていた。
とまれ、裸になれ、飛べ、啼けと、命令形の表現が突き刺さる。

Enfance finie
という詩がまたいい。日本語だと過ぎ去った少年時代とか失われた少年時代という訳になるようだ。


鳥籠に春が、
春が鳥のゐない鳥籠に。

約束はみんな壊れたね。

空には階段があるね。

 今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と
訣れよう。


僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

記憶の旗ーこの表現にまずぐさっときた。何故か竹内浩三を思い出す。
この詩でいくつかあるリフレインが上手い。
鳥籠から飛び立つ少年。空には階段があるときた。もううなってしまう。
階段をふっとイメージして次を読むと急降下していく。旗が落ちてしまうから。この上下させる展開が巧み。そして最後の行。
自分に言い聞かせるかのように。決意を固めるかのように。
〜ねの表現が複数回出てきて、この詩を柔らかくしている。優しく語りかけているようだが、決別したものに対して優しく、そっと置いていくかのように。

長いと最初にひいた詩にいちゃもんをつけて代わりに朗読したのが
「路上」
親友、梶井基次郎への追悼詩の一部だけなんだが。

巻いた楽譜を手にもつて 君は丘から降りてきた 歌ひながら

ーある雪は夕焼けのして春の畠
それはそのまま 思ひ出のやうなひと時を 遠くに富士が見えてゐた

これ、初見で読むとめっちゃ読みにくい。難読漢字はひとつもない。
でもいきなりある雪はと俳句が挟んであるのだ。
勿論、そんなこと気づかずに読んだ私はスムーズに読めず、気持ちを込めることもできず、四苦八苦した。
巻いた楽譜という表現が素敵で、俳句も素敵なんだけど、難しいっす。
詩の中に俳句を入れるとかどんだけ裏技使うねんと言いたいけど、
そうか、難しいからいいんだ。何回も読もうと思うから。

朗読しなかったけど、これも気になる詩である
「土」

蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ

残酷な風景の筈やのにどこか美しく思ってしまうのはヨットのせいである。一瞬の美しさを切り取ったというべきか。

リフレインの上手さが『山果集』拾遺の「雪」でも発揮される
最後の行が特にいい。

十一月の夜をこめて 雪はふる 雪はふる

私の窓にたづね寄る 雪の子供ら

息絶える 私は聴く 彼らの歌の静謐 静謐 静謐

雪がしんしんと降る。雪が玻璃戸を敲く。その情景が見事に浮かんでくる。息絶えてその静謐を聴くと。言葉そのものがもう、絶品ですといいたくなる。究極の言葉を使ってくれましたねと。

こんな長い詩は絶対、読みたくないやと思ったのが
「昨日はどこにもありません」
抜き出すのもたいぎいわ、これ(笑)でも、これ上手いねんよなあ。
繰り返しの表現がうざいと思わせるか、巧いと思わせるか。悔しいが巧いと思わせる三好達治
これを読んでいて「さよならのあとで」(夏葉社)の隣にこの詩を書いてみたくなった。
昨日はどこにもありませんと否定で始まるこの詩。
昨日は昨日で、今日は今日だよと。
最後の2行
そこにあなたの笑つてゐた
昨日はどこにもありません

亡くなった人に対しての詩ともいえるかもしれない。
過去を振り返ってばかりのくよくよ人間にええかん、前を向けよとはっぱをかけているのかもしれない。

テキストの中で一番好きなのがこれ。朗読はされなかったけれど。
「枕上口占」
私の詩は
一つの着手であればいい

私の詩は
三日の間もてばいい

昨日と今日と明日と
ただその片見であればいい

こういう詩を口にだして、声にだして覚えてしまって
好きな詩はこれですとそらんじたい。