上祐氏の戦略

まず上祐氏は、いったいどのくらいの信者を引き連れてmixiに来たのだろうか。

dake:

あとね、信者いっぱいmixiに呼ばないでください。
そしたら みんな使えなくなってしまう。
それはわかりますよね。
もしそゆことビジョンにあるなら
単独のSNSを立ち上げてください。

信者を連れてきているのは間違いない。だが、誰一人として信者だと名乗る人間はいない。
一人確実、という線があって、マイミクが上祐さん一人、さらにはじめての日記の日付も上祐さんが登場した頃と重なる、という人物がいる。
だが、この人は上祐日記やコミュでは発言していない。

次の戦略

naucica_c++ :
私は日記は見られないのですが、私なりに危惧していることと、私なりの分析を述べたいと思います。

まず、今の流れ、

マイミク大量確保→日記非公開→内部で主に活動

という流れ、これは当初からの計画かどうかわかりませんが、非常に上祐さんにとっては都合のいい展開だと思います。

マイミクの判断基準についてですが、これは無制限に入れたわけではないと思います。心に隙のある人、上祐さんの話に、少しでも信じられる部分を見つける人、こういう人を選んでマイミクにしたんではないか。
昨日の明け方頃に、真剣になって議論していた人たちが大勢いたといいます。ニート?わかりませんが。

そして、こうしたネット掲示板での議論では、その場にいる信者とアンチの比率が、流れを大きく定めます。
幾ら正しい事を言っていても、大勢の人から、それは違う、と言われると、人間自分が間違ってるかも、という心境になってしまうものです。

多分ひきこもり信者を大勢抱えている上祐さんの事、mixiに来るときも大勢信者を引き連れてきたでしょう。

心に隙のある人たちをまずマイミクにし、閉鎖された空間で大勢の信者のメッセージのさなかに置き、徐々に…。

非常に心配です。

3/18の時点で、上祐氏にマイミクを申請しているのは、6000人だという。
その人々が、コミュには来ていないというのは頭が痛い。
ようは、オウムに関する問題に興味があるわけではなく、上祐氏をミーハーに追っかけたい人たちだということなのだ。

SWITCH80's :
日記見ました。
りなさんありがとう。

少しあぶない感じはしますね。
実際のところmixiの参加者はサリン事件を知らない若年層が多い。
特に危険なのは遊び半分でマイミクに申請した人達。

上祐氏は真剣に誠実に受け答えするでしょう。
布教のために。

人間には人を信じたいと思う気持ちがあります。
意見交換をしていくうちに友達のような感覚に陥ります。

友達を失いたくないような感覚に陥ったら最後。
ヤラれます。
怪しい勧誘は全てそこを狙ってくるのですよ。

今一度オウム真理教が起こした事件についてよく調べて欲しい。
冷静な時に麻原ソング(You Tubeで公開中)を聴いて欲しい。
はっきり言ってありえないから。

とにかくマイミクは危険がいっぱい!!

私は現段階で、マイミクシィより、個人をねらい打ちするメッセージの方を気にしている。
メッセは他の人間は見られない。コミュなどでこういうやりとりをした、と報告されない限り、私たち批判者は介入できないのだ。

もう一つ上祐氏の狙いはあるだろう。

とーちゃん:

でも、ミクシを知らない人たちに向けて上祐はこういえるんですよ。
「僕はミクシという普通の人がいるところで日記を書き、普通の人から意見を頂いている。」
と。

naucica_c++ :
実に鋭い。もしかしたらそれが一番の狙いかも知れないと思います。
マスコミの一部いいかげんな人たちも、そういう報道をするかもしれない。しっかりしてほしいな。

上祐氏mixiに登場

上祐史浩氏がmixiに登場したのは、2007/3/7。

3/7上祐史浩氏の日記

ミクシィはじめました:
このたび、ミクシィをはじめました。
まもなく、私は、アーレフを脱会します。

それは、旧教団を乗り越えて、新しい道を
歩み始めるためです。それに先立ち、皆さ
んにいろいろなことをお伝えしたいと思い
ます。

脱会は、3月中にも行なう予定です。
私と共に、新しい道を歩むために、新団体
を立ち上げる友人たちも脱会します。
新団体は、4月から5月にかけて、立ち上げ
る予定です。

これまでの経緯から、私や新団体に対して、
厳しい見方もある、と思います。そして、
それは、自分たちが本当に変わるために、
大切なものだ、と思います。

そのため、この場において、自分や、新団体
について、できるだけのことをお伝えし、皆
さんからも、いろいろな方々の意見を聞かせ
ていただければ、と思います。

私たちは、変わっていく決意をしました。
どうかよろしくお願いします。

実に気楽なものである。国家転覆を妄想し、無差別テロを行った団体の元広告塔が、こんなノリで登場する。なんともばかばかしい光景だ。

しかし、これを同じようなノリで歓迎する人々もいる。

うさちゃん:
わたしとしては、被害者のために精一杯生きることも当然に大事だとはおもいますけど、個人的には、上祐さんは上祐さんの人生を、上祐さんご自身が悔いのないように精一杯生きていっていただきたい!そう思っています。

ゆうき.わんころがし

こんにちは。
マイミク有り難う御座います。
私は無宗教で神の存在は信じないのですが、上祐氏の生き様や考え方にとても興味が有ります。
こんなチャンスは二度と無いと思い、マイミクリクエストしました。

この手の書き込みは、その後も途絶えていない。
信者が書いているならまだいい。
そうでないならば、事態はもっと深刻なのである。

ゲロ以下の臭い

上祐氏がmixiに登場したとたん、数々の肯定的メッセージが書き込まれた。少し紹介しよう。

そして、わたしの親友は、とっても優しくていい奴で
その子がオウムに昔入ってたって言うことで、なにげにそちらには信用があったり、ひいき目にみてしまっています(笑)

無論、麻原の起こした凶悪事件を肯定するつもりは微塵もない。
しかし、それ凶悪以外の部分に目を向けてみれば
必ずしもメディアの報道したように
オウム=麻原氏=悪とはいえないのではないかと思うのである。
この不条理な世の中でオウムが存在したことによって精神的に救われた信者もいるであろうし
そういう部分を一切無視してオウムを見ることはできないであろう。

麻原氏も人間であるからよい部分も悪い部分もあるわけであり
それを一切無視して麻原氏をみることもまた誤った見方であろう。

どんなに悪い親であったとしても親を100%捨てることの出来ないのが子供と言うものであり
それゆえに、精神的な父親であった麻原氏に帰依した上祐氏を責める事は出来ないし
上祐氏も非常に辛い部分はあるのではないか。

聖者ぼんちリンポチェ:

常々思うのですが、殺人その他の犯罪は、
被害者にのみ苦しみがあるわけではありません。
加害者にもそれなりに苦しみの背景があり、
犯行後はそれまでにも増して苦しまねばならず、
来世云々を考え合わせても、あるいは考えずとも、
結局加害者の苦しみの総和と被害者の苦しみの総和は
ほぼイコールになるのではないでしょうか。

これに対する私のコメント(旧ブログより)

いやはや、ゲロ以下の臭いがぷんぷんしますね。逝ってよし。

実際、死ぬというのは不愉快なことですよ。私、一回死にかけたことがあるんでわかります。いやー、なんで私が死ななきゃならないの?みんな明日からもちゃんと生きて、飯喰って、それなりに楽しくやってくのに、と、私が死にかけた時に抱いた感情は、まず怒りでした。
絶望とかではなくて。

それが、顔の浮腫んだ髭オヤジの命令による、インチキ宗教の狂信者どもの妄想に基づく殺戮行為の犠牲となる、というおまけがついたら、これは実際死にきれませんよ。今でも上祐さんの肩あたりに悪霊になってとりついてるんじゃないかしらん。

「結局加害者の苦しみの総和と被害者の苦しみの総和はほぼイコールになるのではないでしょうか」
ハッ。よく言うよ。あたくし、この人の言うことも、一言たりとも信じない事に決めました。

中途半端に学がある奴が危ない

上祐さんの布教を邪魔しに行く!と宣言したとき、2ちゃんねるで私はさんざん罵倒された。

お前みたいな低学歴が上祐に勝てるわけがない。マインドコントロールされて取り込まれるのがオチだ。とか。

だが、オウムが大暴れしていた頃、どういう連中がころっとやられていたか思い出してほしい。有名大学を卒業した教育のある方々である。
有名大学出身のエリート達が幹部にとりたてられ、学などないグルの、数々の正気とも思われぬ妄想を嬉々として実行に移した。

組織の外では中沢新一までやられた。芹沢俊介とかいうのもいた。
オウムを持ち上げた知識人達、彼らがどうけじめをつけたのかつけなかったのかにはかなり興味がある。

私のような頭の悪い人間は、まずこういう淫祠邪教に対しては、鼻が反応する。

こいつはくせぇっ。こいつについてったら大変なことになるぞ。絶対に関わりたくねえ。

ところが中途半端に、抽象的思考に慣れてしまった人々というのは、妙に知的に誠実なので、

こいつはくさい。だがこいつの言うことには一理あるな。

こうくる。

さらに、価値相対主義に蝕まれ、現実感覚の欠如したある種のインテリにとって、「常識を疑う」というのは知的おしゃれの必須項目なので、非常識な意見により魅力を感じてしまう。



それが、「常識を覆す真実」ではなくて、「ただの妄言」だということが見分けつかないのだ。

死刑宣告された麻原の犯罪が、今までの犯罪とまったく違うところは、
日本の文化人、知識人達が犯罪が発覚するまでこぞって麻原を擁護し、
誰もその嘘や欺瞞性を見抜けなかったことである。
事件前に宗教学者中沢新一が麻原と雑誌で対談、擁護したことをきっかけに
宗教学者島田裕巳、哲学者吉本隆明、経済学者栗本慎一郎
作家荒俣宏、タレントビートたけしらも同様に
さまざまなメディアで対談したり、絶賛したりした。
そのことが若い信者を増やし、教団を勢いづかせたことは疑いようがない。
特に一般的にはさまざまな年齢層に多くのファンを持つ
ビートたけしの発言による影響力が大きいはずである。
http://yaplog.jp/bible-black/archive/156

なぜmixiで布教をするのですか

上祐さんの日記にこうある。

「長らく麻原氏から自立できなかった理由」
なぜ、これまで、麻原氏から自立できなかったのか。
これを一言で説明することは難しい。

まず、麻原氏は、私のかつての宗教的な、精神的な父親です。
麻原氏は、あれほどの悪しき事件を起こしました。
しかし、私にとっては、私を愛してくれた、
評価してくれた存在でした。

(中略)
よくよく考えたあげく、私は次のように思うようになりました。

私は、私にとって、最も私を愛してくれた存在だと思うが故に、
麻原氏を否定することができなかったのではないかと。

(中略)
もちろん、麻原氏には、面倒見の良さ以外に、
カリスマ性がありました。
いわゆる超能力とか、神秘力と言われるものです。

さらに、新教団を立ち上げる意図には、まだ麻原の影響下にある信者を、上祐氏のところでうまく引き受け、善導するというものがあるのだという。

ということで、とりあえず突撃っ♪

いやはや、あいかわらずですな上祐さん。
テレビで活躍しておられた頃の、ライアー上祐は健在というわけだ。
(あなたは嘘つきだ、と外国人記者に罵倒されたとき、胸がすっとしましたよ私は)

あなたは、麻原に絶対的に帰依する信者達を善導するための方便として、麻原を全否定しないとおっしゃる。
麻原を全否定すればするほど、信者は自分に耳を傾けなくなると。

じゃあ、なんでブログをはじめたりmixiで広報活動をはじめるんですかと問いたい。

既存の信者を善導するためだけなら、山の中にでもひっそりこもって修行しておられればよろしいでしょう。
そこまでしなくとも、ひっそりと残党だけでセミナーなりなんなりやってればいい。

ここにきて、mixiやブログで広報活動を始めたのは、なんでですか?新しい信者を獲得したい、あるいは脱会した信者、強制的に脱洗脳された信者を再び結集したい。そういうことでしょう?

脱洗脳を受けた元信者も、マントラや宗教用語を聞いたり、麻原や幹部の顔を見たりすると、まるで覚醒剤のフラッシュバックのように、再び信仰心(笑)が沸々と出てくるそうですね。

mixiのトップにお顔を掲載しているのも、そういう計算があってのことなんでしょう?

ま、私はあなたの詭弁家っぷりを笑いものにするのが結構楽しいんで、これからもせいぜいがんばってください。
あー言えばじょうゆうさん。

加えて、麻原さんが持っていた超能力ってなんですか、とお聞きした。これに対する答えはいまだ出ていない。

さっそく信者の方のコメントがきた。

いろいろな雑音がありますが、気にせず説法を続けてください

ここは説法会の会場だったのか。びっくり。

naucica_c++:

おやっさん、とおっしゃる方も明らかにサクラですね。

悲しき愚かな対話者を設定して、彼の誤りを慈悲の顔でもってただし、それで自分の言いたいことをより説得力を持って訴えかける。

これはソクラテス以来の有効なプロパガンダ方法でございます。

あんたら笑えるよ。

実はここに、おやっさん、というHN(ハンドルネーム。ネット上でのニックネームのこと)の方が、上祐さんといかにも打ち合わせ通りのやりとりをしていたのだが、現在は消えている。明らかにサクラであろう。

自己愛は自然な物ですよ

上祐さんの日記の続き

もちろん、麻原氏が私を愛してくれた、という言葉の意味には、
今思えばですが、麻原氏が私のエゴを満たしてくれた、
という部分が多分にあることに気づきます。

自己の存在意義を求める欲求。
愛情、名誉、地位・権力への欲求。
超能力や神秘的な体験、宗教的な瞑想体験への欲求。
そして、世紀末世界の救済といった、一種のロマン。

自分が最も愛する「自分」の
様々な欲求を充足したのが「麻原氏」でした。

私のコメント

過去との決別、というのを強調されているようですが、広報担当の大幹部だったあなたが、あの当時にオウムがやったこと、やろうとしたこと、リアルタイムで関わってないとでも言うつもりですか。
知っていたし、関わっていたのに決まってますよね。
そのあなたは、今こうやって娑婆の飯を食っておられる。
こんな団体が過去との決別などとおっしゃられてもね。

それから、「自己愛」というのを批判されておられるようですが、これからどういう論理展開をするかは明白ですね。
自己愛を捨て、真理の為に粉骨砕身せよ、と。

こう持って行こうとされたんでしょう?

あなたはルックスもいいし、頭もいい。弁も立つ。
対外的な顔と内向けの顔を使い分ける事もできて、その対外的な顔では、いかにもバランス感覚のとれた、狂信者とは対極にある方のように見える。

麻原の後継として、あなたを残そうとした教団の判断は実に正しかった。

しかし、当時を知っている人間は、あなたが毎日テレビでどういうことをやっていたか知っています。

無知な子供達(over 20含む)が、うっかりあなたの広報活動に乗っからないように、これからも時々寄らせていただきます。

>>無知な子供達へ。
お父さんお母さんにオウム事件の事を聞いたり、GOOGLEで検索したりしてみて下さいね。上祐さんやそのお友達がどういう方々かちょっとは分かるはずです。

2ちゃんねらーのしゃれを笑って許容する、懐の深い、謙虚な方だなんて勘違いは一切しないこと。
それはオウム復活への布石です。

「あいつ結構話せるし、面白いな」ここから人間関係を築いていって、再び信者獲得に持って行こうというのが狙いなんです。

これに対して信者の方がコメントを下さいました。

聖者ぼんちリンポチェ:
>naucica_c++ さん

随分と単純なお方ですなあ。
しかも「無知な子供達へ」って・・・。(苦笑)

何を根拠に、そうまで断定的にきめつけを
書き込むことが出来るんです?
もう少し良くも悪くも「疑う」ということをされては如何?
まずご自分を疑ってらっしゃらないのでは?

しかし、その一方的な、知性や理性を無視した断定で、
「子供達を守る」と称して、
その実、一体何を守ろうとされているのですか?

前項で述べたとおり、ゲロ以下の臭いがぷんぷんする方である。

私のお返事

>知性や理性を無視した断定

こういう件には知性や理性なんて必要ないんですよ。
知りませんでした?

私には学歴なんてないです。知性も理性の持ち合わせも頼りないです。
でもくさいんです。上祐さんやあなたはね。

これからも断定的な書き込みで、元気に突撃をかましていこうと思います。よろしくね。

これに対するお返事

聖者ぼんちリンポチェ:
わはは、痛快痛快。
なるほど、ちょいと開き直り派ですな。
(中略)
うむ、あなたのことは認めましょう。
ガンガン断定的に書いてみて下さい。
彩り豊かで楽しいミクシィになるでしょう。

もしかしたらこの人、信者じゃ無いのかな。そうだったとしたら余計怖ろしい。
信者以外で、オウム事件を経験してもこんな世迷い言を述べられる人間がいるということは。

Hetzer:
>聖者ぼんちリンポチェさん

みんな必死でスルーしてるんだからかまっちゃいけませんw

聖者ぼんちリンポチェ:
>Hetzerさん

すいません。(笑)
あまりに面白いものだから、
出来たら自分のとこに引っ張ってきて、
引っ掻き回してもらえたらなあ、なんて考えて
つい相手してしまいました。

微妙に揉め事好きですので。(苦笑)

どうやら、信者の方には、私は「荒らし」だと認識されたようである。
これ以降も「荒らし」と「批判」を混同する人には何度も悩まされることになる。

後日、私の決意(こいつの言うことは一言も信用しねェ)が正しかったと証明された。

賠償なんてやめちゃえば?

上祐日記、オウムの反省に立ちつつ、新団体を立ち上げた理由について
(無駄に長いので飛ばして読んでも結構です)

 二つめは、被害者遺族の方々に対する賠償契約の履行です。2000年において、私自身が、一連の事件の被害者賠償を担当する破産管財人の方と話し合い、宗教法人オウム真理教の賠償債務を引き受けることにしました(2005年に更に3年間の更新の契約)。

 これは、管財人の方が、被害者遺族の方と話し合われた結果でありますから、その意味で、教団の解散を求める被害者遺族の方々の心情は当然のことと考える一方で、現実に賠償金の支払いを必要とする被害者遺族の方々がいらっしゃり、その意味で、苦渋の決断であった、と考えております。

 この賠償契約は、教団側では私が主導し、団体として締結したものですから、賠償契約の履行が終わるまでは、教団を解散するという選択をすることができる立場には、法的にありません。私どもとしては、賠償と解散という矛盾を苦しむ被害者遺族の方の葛藤をできるだけ理解し、できるだけの賠償に努めて参りたいと思います。

 なお、どうして、解散して、個々人が賠償をすることが出来ないか、という疑問をお持ちの方に対して、お答えしたいと思います。

 まず、現実として、これまでに教団を脱会した人たちの中には、当時の幹部信者も多く含まれていますが、教団時代の事件の謝罪・反省に立って、実際に個人的に賠償金の支払いを行なっている方は、皆無ではないにしても、額としては、非常に少ないという現実があります。

 脱会した人たちが賠償を行わない理由は、本来、一連の事件に刑事責任があり、民事上の賠償責任を負っている当人達と違って、一連の事件が発覚するまで何も知らず、ある意味で、教団に騙された、と主張し得る人たちの場合は、教団を脱会することで、それ以上は一切責任がない心境になると推察しております。

 個人的には、一般信者は別にしても、幹部信者については、脱会をもって、賠償する道徳的な責任もなくなるのかどうかは疑問です。中には、事件当時の教団の最高幹部であり、長期の服役に値する重大事件には関わっていなくとも、教団のヴァジラヤーナ活動の存在は熟知していた者達がいます。一方では、元から幹部でもなく、事件も全く知らないが、しかし、脱会せずに、賠償負担を背負っている者達がいます。

 なお、先ほど、宗教団アーレフが、「賠償債務を引き受けた」と表現しましたが、本来の民事上の賠償責任は事件の犯行者と、その者達が中心となった宗教法人オウム真理教にあるところ、彼らが拘留・服役中のために、全く賠償をすることができない状況の中で、事件に対する刑事責任はなく、民事上は賠償責任がない信者達で構成される、宗教団体アーレフが、自分たちと同じ信仰を共にした者達の犯行に対する責任や、事件自体が教団の組織的な犯行であったという点をふまえ、彼らの賠償債務を引き受ける新たな契約を締結した、ということを意味します。

 こうして、現実として、脱会した人たちは、一般信者から、教団の裏を元最高幹部に至るまで、自発的に個人的に賠償に協力する動機が乏しく、さらに、一部の人に、その動機はあったとしても、その財力は限られており、結果として、これまでに脱会者から破産管財人に届いた賠償金は、宗教団体アーレフが支払った額に比較すれば、残念ながら極めて少額である、という状況があります。

 そのため、仮に教団が解散し、これまでように、団体の目的・目標として賠償推進を掲げ、組織の力をもって信者から集金し、支払いを進めることがなくなった場合は、賠償は事実上全く進まなくなる、と思われます。

 三つ目は、教団の中の高齢者、障害者、病人の生活扶助の問題です。

 オウムに出家した人は、全ての財産をなげうって出家しました。それは、財産だけではなく、家族との関係や、友人知人といった、出家しなければ自分を助けてくれた人脈も切る、という意味がありました。

 個人的な能力が一定以上ある場合には、事件発覚後に、脱会してやっていくことはできますが、相対的に乏しい人たちの場合は、脱会しにくい状況もあると思います。

 そして、教団発足以来20年が経ち、事件発生以来12年が立った今、出家した信者も、かつての若者の集団のイメージはなくなり、平均年齢も40を超えて、就職するにも難しい年齢に到達してしまいました。そして、その中には、60、70を超えた老人や、重度の障害者や病人、そして、精神病理的な人たちが存在します。彼は、実質上、身寄りがなく、教団を解散すれば、彼らの生活を扶助する人たちは見あたりません。

 3月7日に私と共に集団脱会した者達は、集団生活の共同生活体を形成していますが、その中に、70代以上が4名、60代以上が5名、障害者が3名おります。そして、脱会しなかった者達の中には、それ以上の老人、病人、精神病患者がおります。将来的に、故言う人たちの受け皿となる組織がなければ、彼らが放り出されることになります。

 さらに、今後、ますます高齢化が進むだけなく、麻原氏の死刑執行等によるショックがあれば、信者の心身の障害は加速すると思われ、現状以上に厳しい状態が予想されますが、この問題も、教団を解散する選択をしなかった理由の一つとしてあります。


 こうして、過去の一連の事件を見ると、団体の解散も一つの道である、ということは理解しつつも、信者が元代表信仰を脱却して真に事件を反省する上で抱える精神的な困難や、公の義務となった被害者遺族の方々に対する賠償の履行、そして高齢化・弱体化する出家信者達の事を考えると、現実として、解散せずに、団体組織を維持しながら、旧団体の反省を深めるために、新団体を立ち上げていくことが、唯一現実的な道であろうと考えたことをご理解いただければ幸いです。

 説明しますと、今の教団には、法的に裁判所と管財人と契約した賠償義務がありながら、実質上、ほとんど、事業はできない状態にあります。

というのは、事業をやれば、それが教団の収入となり、賠償に回らず、教勢が拡大して、別のことに使われるのではないか、という国民の不安から、治安当局は、教団の事業活動に様々な形で圧力を加えてきました。それはマスコミ報道による圧力から、教団でなければ恐らくは摘発されないような軽微な刑事事件の捜査などを行なうことも含めてです。

 99年までのパソコンショップは既に実質上解体して、10名規模の収益力の低い企業しか残っていません。ソフトウエアの会社も実質上つぶれ、その結果、プログラマーとしての個人の就労に切り替わりました。

 教団信者の中で、事業担当をしていた者は、今や、教団が社会に受け入れられ、当局の圧力がなくなるまで、事業をやってもまたつぶされて無駄になる、ということで、事業活動から皆退き、個人で仕事をしています。もうやっても無駄だと思っているのです。

 もちろん、これは、当局が悪いのではありません。これまでの団体の中では、麻原元代表とその時代の反省が、信者に根深い心理的な問題のために、なかなか鮮明に出来ないがために、教団が、いつまでも危険で怪しく見えてしまう、ということがあります。そして、その結果、賠償というものに対して、ある程度の額はやっているのですが、本当の意味で、真剣になることに、何らかの障害を作っています。

 この問題を緩和するために、麻原元代表の色を払拭した新団体を立ち上げ、社会に理解を求めると共に、自分たちの意識も切り替えて、賠償を含めた、贖罪と社会貢献に心を本当に向けていこうと考えています。

 もちろん、公安調査庁が、自分たちの組織維持=仕事の維持のために、教団を実際より悪く言っている部分がある、という見方もあります。しかし、それは教団側に様々な隙があり、変わりきっていないから起こる問題であることも間違いがありません。

 こうして、当局・社会は、教団の賠償に関して、ある意味で、矛盾を抱えています。

 教団が、事業などで、収益を上げる事態は防がなければならない。一方で、賠償をさせなければならない。だから、生かさぬよう、殺さぬよう、賠償をある程度させつつ、しかし、大きな収益をあげるようにはさせないで、ということです。

 実際は私は、治安当局の人たちと話したときがありますが、教団には圧力をかけなければならないが、かけ過ぎれば、賠償が全く出来なくなるから、そのさじ加減で苦労している、と言っていました。

 よって、私たちは、社会から、なぜ賠償をもっと出来ないのか、と言われつつ、多額の賠償ができるような資力を持ってもらっても困る、という団体なのです。そして、この矛盾を少しでも緩和しようとするのが、新団体です。

 ともかく、賠償のためでも、信者の生活扶助のためでも、事業を含めて、教団活動が本当の意味で認められるようになる前には、麻原元代表から脱却した新団体を作らないことには、その最低条件さえクリアーできません。

長い。もうちょっと短く書けないものか。
要約すると、「被害者への賠償の金を稼ぐためには宗教団体を維持しなくてはダメ」「出家信者の中には、外の社会では生きていけない人が沢山いるんです」
くらいであろうか。

突撃♪

naucica_c++
補償問題に困っておられるようですが、いっその事、補償なんてあきらめたらどうですか?
遺族の方にとって、一番頭に来ること、それは今日も上祐さんが、テレビやネットで殊勝ぶって「再出発」などと平気でおっしゃる、その光景ですよ。
あの上祐が、私の家族の命を奪った上祐が、今日もちゃんと寝て、飯を食って、テレビにまで元気な姿を出している。社会的にも再始動などと言っている。これほど頭に来る話はありません。

いくらお金を貰っても、死んだ人は帰ってこないんです。

そしてなにより、死んだ人に対しては、補償はもちろん謝罪も不可能です。

今後遺症や障害に苦しんでいる方に対してはお金は有用でしょうが、その補償費用を稼ぐために、あなたは宗教活動のあがりでやろうと思っておられる。これは殺した人に涙金を払うために追い剥ぎをやろう、という類の話だ。新たな被害者から搾り取った金をもらって、被害者はどんな気分になりますか?

金より大事な事はこの世にあります。

いっそのこと、残党引き連れ、どこかで農業でもおやりになったら?ひたいに汗して雑根を取り除き、新たな耕地を開拓して、商品価値の高い作物を栽培する。
最低限の生活費を除いた金を補償にまわす。被害者が受け取って納得する金というのはそういう金です。

naucica_c++
とはいえ、後遺症で苦しむ人にとってはお金は必要です。
教団に支払い能力がないなら、国がたてかえておくべきではないか、とどこかの識者がおっしゃっていました。
私も賛成です。

ace:

賠償金40億は国の負担で言うと戦闘機一機分にもならない。

上祐よ、サリンで死ぬって世界で一番苦しい死に方らしいぞ。
今も寝たきりの被害者たちがいる。解脱したくてもできない人らだ。


フロイトは表層から内面の心理状態を覗く方法を教えてくれる。オウム時代から上祐は清潔感(ヘンな服)と知性と謙虚さとハッタリがウリだった。変わってないね。イメージ戦略とゲーム感覚。


オウムが日本を牛耳ることに失敗したことを反省しているだけで、テロについては反省してないんだろ?幼稚な『罪と罰ごっこもいい加減にしたまえ。ラスコーリニコフを気取ってるんだろうが、君たちにはソーニャなどいない。

みほ:

61、63のnaucica_c++さんの意見に賛成です。
新しい宗教団体を作っても、世間から不審の目で見られるだけです。
前にもどこかに書いたと思いますが、新団体を作るより、解散に向けて動いた方が、世間が納得すると思います。
もちろん、すぐには無理だろうし、大変なことだろうけど。

不審の目で見られることのない、オープンなものなら良いかもしれません。
ですが、どれほど自由でオープンな団体を作っても、過去にしてきたことが人殺しにテロ、そして被害者の家族や、いまだに後遺症に苦しんでいる被害者たちのことを思いやるのなら、解散して、naucica_c++さんの言われるとおり、賠償金は「国にたてかえてもらう」ほうが良いのではないでしょうか。

この、国がたてかえる、というのは私だか誰だかの思いつきではなくて、そういう法案を通そうとしている人がちゃんといます。

オウム被害者救済のための法律を!

「求めている二法案」

上祐氏が自分で働いて賠償せよ、という事をおっしゃる方は多数いる。

むじな
順番が間違ってる気がするんですが
ほかのトピックでも書きましたが、MIXIで遊んでる間に自分で働いて被害者に保障するという意思はありませんか?
MIXIで得た新しい信者にそれを求めるのは・・・

参考資料
http://info.aleph.to/index.html
あれだけの事件で38億とは。
めちゃ安いような気もするのだが・・・
ここには書かれていないけど松本サリンとかも入れるともう少し多くはなるのかな?
しかもここ最近ほとんど払われてないやん
普通の企業で取締役4〜5人分ほどの給与ですね

今のペースだと60年はかかりますよ
被害者どころか上祐氏ももう死んでいる時期です。

これらの保障をすべて終えてから新しい団体ということを考えるべきでは?
新団体立ち上げにいくらかかるのでしょう、その分そちらにまわしてください。

賠償のためにお布施を稼ぐのはおかしい、というのは色々な人が指摘している。

UM@外神田:

宗旨があり、教義があって人が集まるのが宗教なのであって、金を集めやすいのが宗教だからってのが第一義じゃ、麻原と何が違うのか理解に苦しむところですね。

守るべき信仰のために教義を多少軌道修正してでも新団体を新設しようというのであれば意義があるけれど、賠償金を払うために抱えている集団を繋ぎ止め、新しい金づるを引き込むために宗教団体の体裁を作るってんじゃ本末転倒もいいところ。

心のよりどころを求めて入ってくる新しい信者に賠償責任を少しでも転嫁しようという考えはね、卑怯ですな。卑怯。

出家信者の身の振り方については、極めてシャープな指摘をした方がいた。

精神的弱者・障害者・高齢者・就職難の問題、私から言わせてもらうと「甘えるな」の一言に尽きると思いますけど。
実際、内外を問わず共通の問題ですよ。何も、教団に入ってるからじゃなくて、外部だって同じ。
厳しさ辛さ、様々あって、それから自殺者・殺人・心中、そんな事件がいくつも発生している。
皆苦しい中でも必死になって生きている。
大体、入ってる人達が教団に入ったのも、いつづけたのも自分の意思では無いわけ?自分の人生を自ら選択して生きてきたのではないのかしら?

確かにその通りである。だが、マインドコントロールされた信者にはこの言葉はやや酷であるかも知れない。

さらに、後になって驚愕の事実が判明した。
麻原氏の妻子に、教団が年1500万の援助をしていて、彼女らはその金で海外旅行まで楽しんだという。

麻原妻子に年間1500万円 オウムや元信者、生活費など支援

もうお分かりだろう。「被害者への賠償責任」は、教団を維持し、金を稼ぐための方便なのだ。
すべては金だ。