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西野神社 社務日誌

2012-10-09 鵜草葺不合命という神様について

私は、今からほぼ7年前にアップした、「豊玉姫命と鵜草葺不合命」というタイトルを付けた平成17年10月23日付の記事で、当社の御祭神三柱のうち豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)と鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)のニ柱の神様について、解説をさせて頂きました。ただ、「豊玉姫命と鵜草葺不合命」というタイトルの記事の割には、その記事で私が主に解説をしたのは豊玉姫命の事で、鵜草葺不合命については少ししか触れませんでした。

というのも、鵜草葺不合命の御父である火遠理命(ホオリノミコト)や、鵜草葺不合命の御子である神武天皇については、記紀古事記日本書紀の事)ではかなり詳細に描かれているのですが、鵜草葺不合命については、記紀では具体的な活躍・事績等はほとんど記されておらず、そのため、伝記調に、もしくは英雄譚として語ろうとすると、正直申しまして鵜草葺不合命という神様ははなかなか説明し辛い神様なのであります。とはいえ、鵜草葺不合命は当社の本殿でお祀りしている御祭神の一柱でもあるので、今回は鵜草葺不合命について、改めて解説をさせて頂こうと思います。

ちなみに、当社で使用している「豊玉姫」という表記は日本書紀での記述に基くもので、古事記では、この神様は「豊玉毘売」と記されています。また、当社で使用している「鵜草葺不合命」という表記のほうは、古事記に準じたもので、日本書紀では、この神様は「盧茲草葺不合尊」と記されています。なお、下の図は、国立国会図書館が所蔵している「万物雛型画譜」に描かれている鵜草葺不合命の御姿です。

鵜草葺不合命


前述のように、鵜草葺不合命の御父は、一般には山幸彦ヤマサチヒコ)の通称で知られる、天孫天津神の系列に属する神様)の火遠理命(ホオリノミコト)で、御母は、海の世界(綿津見国)にある龍宮(綿津見宮)に住んでおられる大綿津見神(オオワタツミノカミ)の娘神である豊玉姫命です。つまり、当社の御祭神である豊玉姫命と鵜草葺不合命の二柱は、母と子の関係にあるという事です。

古事記と日本書紀とでは神名に違いがありますが、古事記での鵜草葺不合命の正式な神名は「天津日高日子波限建鵜草葺不合命」(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)といい、これは意訳すると、「渚に鵜の羽毛を葺き合わないうちにお生まれになった、勇ましい天孫の御子」となります。古事記で最も長い名前を持つ神様は、漢字を20文字も使う「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命」(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)という正式名を持つ邇邇芸命(ニニギノミコト)ですが、鵜草葺不合命の神名は、それに次ぐ二番目に長い神名です。


ここで、鵜草葺不合命について語る際には欠く事のできない「海幸彦山幸彦」の神話を、改めて簡単に説明させて頂きます。海の世界で暮らす美しい女神・豊玉姫命は、失くしてしまった兄(海幸彦)の釣り針を探し求めて地上から海中へと下って来られた立派な男性の神様・火遠理命と出逢い、お互いに一目惚れをして結婚をされます。火遠理命は、元々は山で獣を狩る事を得意としていた神様で、山幸彦の通称からも明らかなように、山の神としての性格を持っており、一方、豊玉姫命は海の世界で暮らす海の神であり、つまり、これについては改めて後述しますが、火遠理命と豊玉姫命の結婚は、山の神様と海の神様が結ばれたという事を意味しています。

火遠理命は豊玉姫命と共にそのまま3年余り龍宮に滞在して夫婦仲良く暮らしますが、その後、見つけた兄の釣り針と呪宝を譲り受けて地上へとお戻りになり、釣り針を失くした事をいつまでも許そうとしない兄と対立するものの、呪宝の力により兄との争いに勝利して、地上の世界を統治するようになります。

火遠理命の御子を身ごもっておられた豊玉姫命は、地上の世界を統治するようになって間もない火遠理命をもとを訪ね、「私はあなたの御子を身ごもり、はや臨月を迎えました。しかし、尊い天津神の御子を海原で生むわけにはまいりません。そこで、こちらへと出向いてまいりました」と言い、にわかに産気づきます。そのため、海辺にあった鵜(う)の羽を葺草(かや)の代わりにして急ごしらえの産屋(豊玉姫命が出産をするための小屋)が渚に建てられますが、まだその産屋の屋根が葺き終わらないうちに、豊玉姫命は「異郷の者は、子を産む時には本来の姿に戻ります。お願いですから、私を見ないで下さい」と火遠理命に申上げて産屋の中で御子をお生みになりました。この御子が鵜草葺不合命で、鵜草葺不合命という神名はこのエピソード誕生の時の事情)に由来しているのです。

ところが、好奇心に勝てなかった火遠理命は、「見ないで下さい」と言われたにも拘わらず、豊玉姫命が出産をする時、つい産屋の中を覗き見てしまいます。すると産屋の中には、八尋(やひろ)もある巨大なワニ(但し、古事記及び日本書紀の一書では「鰐」と記されているものの、日本書紀の本文では「竜」と記されています)に変身して這い回る妻・豊玉姫命がおり、驚いた火遠理命は思わずその場から逃げ出してしまいました。そのため、豊玉姫命は遠理命に覗き見られた事をとても恥じ、出産したばかりの我が子・鵜草葺不合命を地上に残したまま、海の世界へと帰ってしまわれました。しかし豊玉姫命は、その後も夫である火遠理命と地上に残してきてしまった我が子を愛しく思い、自分の妹である玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)に火遠理命への恋歌を託して、地上の火遠理命のもとへと遣わし、更に玉依姫命を乳母として鵜草葺不合命を養育させます。

ちなみに、日本書紀の一書(日本書紀の本文ではありません)には、異伝として、豊玉姫命は鵜草葺不合命をお生みになった後、我が子を渚に置き去りにする訳にはいかないからと、自分で抱いて海の世界へと帰り、長らくして後に、「天孫の御子を海の中においてはいけない」と言って、玉依姫命に抱かせて火遠理命のもとへと送り返したと記されています。

そして、立派に成長した鵜草葺不合命は、乳母であり叔母である玉依姫命と結婚をし、玉依姫命との間に、五瀬命(イツセノミコト)、稲氷命(イナヒノミコト)、御毛沼命(ミケヌノミコト)、神倭伊波礼琵古命カムヤマトイワレビコノミコト)の4柱の御子をもうけました。その4柱の御子の末子、神倭伊波礼琵古命こそが、のちに橿原の地で初代天皇として即位される神武天皇です。

豊玉姫命と鵜草葺不合命に関する略系図

ちなみに、鵜草葺不合命が叔母と結婚をして御子までもうけたというのは、現在の日本人の感覚からはかなりの違和感を感じてしまうかもしれませんが、記紀が編纂された当時の古代の日本では、近親婚は然程のタブーではありませんでした。さすがに当時でも、親子同士や、母を同じくする兄弟姉妹との恋愛・結婚は禁じられていましたが、母親が異なれば兄弟姉妹に対する恋愛は自由で、また、第40代・天武天皇が、同母兄である第38代・天智天皇の皇女、鸕野讃良皇女(後に第41代・持統天皇として即位)を皇后とされたように、伯父と姪の結婚なども珍しい事ではなかったようです。


以上の経緯をみると、鵜草葺不合命という神様は、海の霊力と山の霊力とが合体して誕生した、というところに特に大きな特徴があります。邇邇芸命は、皇祖神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)の神勅により、天上の世界である高天原から地上の世界にある日向国高千穂へと天降り、山の神である大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘・木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を娶って、海幸彦・山幸彦と呼ばれる兄弟の御子をもうけます。そして、山幸彦、即ち火遠理命は、海の神である大綿津見神の娘・豊玉姫命を娶り、鵜草葺不合命をもうけます。その鵜草葺不合命の御子が、初代天皇として即位されるのです。邇邇芸命が、高天原から地上へと天降って来られてから、鵜草葺不合命に至るまで(邇邇芸命 → 火遠理命 → 鵜草葺不合命の3代)の伝承は、主に日向舞台としている事から「日向三代」と呼ばれているのですが、こういった一連の流れを見てみると、この日向三代の伝承は、天皇の祖先が海も山も支配し、名実共に地上世界の統治者となった事を象徴しているのです。

日向三代の最後を締めくくる神様である鵜草葺不合命は、海と山の霊力が結集した、海山の恵みをもたらす偉大な力を持った神様であり、そして、神武天皇が皇室(所謂“天皇家”)の初代であるならば、神武天皇は高天原から天降って来られた天津神の子孫の中では最初の「人間」となるのですが、という事は逆に、鵜草葺不合命は神代最後の神様であり、「最初の人間」の父に当たる神様という特別な立場でもあるのです。結集した海と山の霊力を、そして地上世界の統治者としての立場を、最後の天津神として、天津神の子孫の中では最初の人間であり最初の天皇である神武天皇へと引き渡した、というところに、鵜草葺不合命という神様の性格・意義・業績等が凝縮されているのではないでしょうか。ちなみに、当社を含め各地の神社でお祀りされている御祭神としての鵜草葺不合命は、五穀豊穣、夫婦和合、安産守護などの御利益があると云われています。


ところで、国家としての公式な歴史書である記紀に於いては、鵜草葺不合命は具体的な活躍はほとんど何もしておりませんが、偽書とされている各種の「古史古伝」では、一転して鵜草葺不合命は驚く程の活躍を見せています。古史古伝とはいかなるものか、という事については平成19年2月24日付の記事で詳しく説明しましたので、ここではその詳細は割愛しますが、簡単に言うと古史古伝とは、「記紀以前の歴史書と称してはいるものの、来歴が不明瞭であったり内容の検証ができず、その内容には明らかに後世の筆と推測される固有名詞や記述が出るなどしていて、多くの学者達による検証の結果偽書と断定された、歴史的・資料的な価値は無いとされている文書」の総称です。古代よりも更に古い時代(数万年から数十万年)の歴史的記述が見られる事から、「超古代文献」とも呼ばれています。

古史古伝とされる書には、「上記」「竹内文献」「秀真伝」「宮下文献」「九鬼文献」などいくつもの文献が存在しますが、(全てではないものの)その多くに共通しているのは、記紀では親子とされている鵜草葺不合命と神武天皇との間には72代という長い王朝が存在していたと語られている点です。ウガヤフキアエズ王朝と称されるこの王朝に於いては、鵜草葺不合命は王朝を開いた始祖であり、神武天皇はその73代目という立場になるのです。

古史古伝の中でも、ウガヤフキアエズ王朝が存在していたという事を最大の特色としている「上記」(源頼朝の庶子・大友能直が編纂総裁となって鎌倉時代に執筆され、江戸時代後期の天保9年に発見された、と云われる文献で、明治以降に流布しました)によると、当社の御祭神である鵜草葺不合命と同一神と思われる、王朝初代のウガヤフキアエズは、高天原におられる神々をお祀りするための年中行事を定め、更に、日本列島行政区分を設け、自ら東北まで巡幸しております。2代目は、コトシロヌシに命じて新しい文字(神代文字)をつくらせ、また、医薬の研究も行い、動物による実験まで行なっております。4代目になると、宮殿や神社の建立を進め、更に、この時代には北方の国との戦争が始まり、7〜10代は女帝が続き、そして33代目の時には、度重なる侵攻に対抗するため国民軍が編成されます。

古史古伝の中では恐らく最も知名度が高いと思われる「竹内文献」(武内宿禰66代の後裔を名乗る竹内巨麿が、家伝の神宝として大正10年代から公開を始めた文書等)では、物語スケールは更に大きくなり、ウガヤフキアエズ王朝の58代目の頃には中国の神話に登場する伝説の王、フッギとシンノウが来日し、69代目の時代には、何と、旧約聖書に登場するモーゼが、そして70代目の時代には、仏教の開祖であるシャカまで日本に来ています。竹内文献著者の筆の勢いは止まらず、大和朝廷の時代に入ると、孔子徐福イエスムハンマドまで、優れた日本の文化を学ぶために日本に来ており、他にも、何億万年にも及ぶ壮大な紀年、度重なる天変地異による人類滅亡と新たな人類誕生の繰り返し、UFOを連想させる天空浮船に乗座した日本の神々が世界を巡行したとする記述などがあり、竹内文献は数ある古史古伝の中でも、もはや荒唐無稽という表現を通り越した、かなりブッ飛んだ内容になっています。ちなみに、ノンフィクションライター藤原明さんが著した「日本の偽書」(文春新書、平成16年刊)によると、偽書である「竹内文献」は、同じく偽書である、前述の「上記」をもとに造作された事が容易に想像される、との事です。


なぜ、古史古伝の各書ではウガヤフキアエズ王朝なるものが存在したと書かれ、そして、一部の人達にその説が支持されているのかというと、それは恐らく、日本書紀の巻第三(神武即位前記)に「天孫が降臨されてから、百七十九万二千四百七十余年になる」という途方もない年歴が記されているためではないかと思われます。天照大御神の御孫にあたる邇邇芸命が高天原から日向国の高千穂に天降って来られてから、神武天皇が東征を始めるまでの間に流れたとされる、その179万2470余年という気の遠くなるような年数の記述が、「邇邇芸命 → 火遠理命 → 鵜草葺不合命 → 神武天皇の4代だけで179万以上も経っているなんて有り得ない。という事は、この4代の間のどこかに、きっと記紀では省略されてしまった王朝があったに違いない。事績の記述がほとんど記されていない日向三代最後の神様・鵜草葺不合命から、初代天皇である神武天皇に至るまでの間が怪しい!」と、一部の人達の想像力をかきたててしまったのではないでしょうか。

現在、大多数の人達は、日向三代はあくまでも神話なので、この年数については然程異とするに足りない、と解釈していますが、日本の国体を賛美する戦前の国家主義者達の中には、72代に亘るウガヤフキアエズ王朝の存在こそが、日本書紀に書かれている179万2470余年という不可解な記述を解く解答であるに違いないとして、上記やその他の古史古伝で描かれているウガヤフキアエズ王朝の存在を信じる人が意外と少なくはなかったのです。もっとも、これはちょっと考えれば分かる事なのですが、仮にウガヤフキアエズ王朝なるものが72代続いたのが事実だったとしても、その代数だけではとても179万2470余年という壮大な年数は埋まるものではありません…。


(田頭)

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