「マクベス」

藤原竜也がとうとうマクベスを!というだけでなんかエポックな気がしてしまう。どうしてもハムレットから育ってきた子というイメージがあるからかな。ロミオもやりマクベスもやり、そのうちリア王もやるのかな。たっちゃんがリア王やるまで元気にシアターゴアーでいたいもんです。

私たぶんシェイクスピアの戯曲でいちばんたくさん見ているのがマクベスなんじゃないかと思うけど、王道の演出でありつつもやはり主演のカラーが色濃く出た上演ではあった。マクベスは山師というか一発どでかいのを当てたるというような気分のときと、そうでないときのネガティブさ満開のときの差が激しい人物だけど、山師というよりも欲望に対して真面目、というニュアンスが出たのはたっちゃんのマクベスだなあという感じ。彼の世界を構築していたのが夫人だったというような見せ方も興味深かった。今回見たかった理由のひとつが、マクベスといえば、な名セリフ「消えろ、消えろ、束の間の灯火…」から始まる台詞を聞きたかったからっていうのがあるんですが、驚くほど淡々と、すべてを失った、漂白された人物の告解のように言わせてたのは意外だったな。

吉田鋼太郎さんの演出、「ジョン王」が壊滅的に気が合わなかったので、それが気になりすぎて今回も足を運ぶの迷ったくらいなんですが(事程左様に演出との気の合わなさは致命的)、さすがに今回は手堅くまとめていて安心しました。ご本人も魔女で楽しそうでしたし。

たくさん芝居を観てきてますます実感することは、シェイクスピアのあの長セリフを藤原竜也のように言える人、演じられる人は実際のところそんなにたくさんいないのだということ。オーバーアクトというのではなく、本当に魂が乗っかっているとしか言いようのないあの激しさとセリフを聞かせる技術を高次元でドッキングさせてる感ありますね。お見事でした!

「ずれる」イキウメ

  • シアタートラム E列20番
  • 作・演出 前川知大

イキウメ新作。イキウメは本公演後、劇団としての活動はいったん区切りとなるようで、この「イキウメンズ」による公演はしばらく見られなくなるとのこと。寂しい限りですが、劇団というシステムの難しさを考えれば、今まで本当によく継続してくれたなという感謝の方が先に立つ。この公演に客演を入れず、劇団員だけでの上演としたのも前川さんのイキウメへの愛を感じた。

本当にそうなのかわからないが、「そうなのかもしれない」と思わせるラインの設定が前川さんは絶妙にうまく、今作は「魂」が大きなテーマとなっているけれど、幽体離脱とか単語だけを聞くと眉唾になってしまいがちだが、移動やストレスによっておこる魂と肉体の「ズレ」とか言われると思い当たる節が誰しもあるだろうし、その延長線上に魂と肉体の分離があるのでは…と思うと物語世界にスッと入っていけるのがすごい。こういうのって実はものすごく大事で、これはリアルな世界じゃないという前提で客に飲み込ますのならともかく、現実世界と乖離させないまま、でも我々観客に拒否感を与えずに物語に誘導していくのって言うほど簡単じゃない。前川さんはその点において達者も達者すぎるのだ。マジで他の追随を許さない領域だと思う。

登場人物5人の関係性がどれも一筋縄じゃいかないのもよかったなあ。翻弄される安井さんなんてそんなのみんな大好きに決まってるが、大窪さん演じる弟・春との関係も、単純に困った弟として切り離せない部分を感じるし、厄介な環境活動家である佐久間との噛み合わなさ、盛さんの軽薄なようで一筋縄でいかない感じもすばらしい。でもなんといっても浜田さん演じる山鳥との関係性よね~!ひえーーーこんな大好物頂いちゃっていいんですかって感じだった。山鳥の思惑に気が付いてからの「満足か?」「まだまだこれからですよ」、「俺を殺してくれてもいいんだよ」「そんなことしませんよ」、マジ滾った。信頼しているようで命のやりとりをしているような、そこに憎しみがあるのに別のなにかもあるような、ああいうヒリヒリした関係とか好きに決まってるじゃんかー!じゃんかよーー!!

機械のように完璧な、ちょっと非人間ぽい佇まいの浜田さんもみんなの大好物だし、いったい何年前から生きてるんだよお!というような森下さんも勿論だし、本当にみんなのみたいイキウメを見せてくれているなと思った。それだけでなく描かれた世界がしっかり現在と向き合っているのも素晴らしかったな。われわれ人間はいつか野性に逆襲されるのだろうか?ほんの数年前、手に負えないウイルスに全世界が翻弄されたことすらもう、みな忘れかけていることを考えたら、そういう日も遠くないのかもと思わせる。

ともあれ、作品としても、劇団員の輝かせ方としても、間違いなく劇団としての最高到達点といって間違いない作品だと思いました。見られてよかったです。そしてまたあまり遠くない時期に、このメンバーに会えることを祈っています。

「リプリー、あいにくの宇宙ね」

ニッポン放送主催でヨーロッパ企画上田誠さん作・演出のプロデュース作品。昨年でしたっけ?「たぶんこれ銀河鉄道の夜」が上演されましたけど、テイストとしては似てる。でもって、今回もタイトルがうまいのよ。リプリーで宇宙とくればもうあの「エイリアン」しかない。上田誠さんが公演ホームページのごあいさつで「YouTubeで、アメリカの高校生が「エイリアン」を文化祭で完コピ上演して、喝采を浴びているのを見たのです。劇とはこれだと思いました。アメリカの高校生に負けてられないマジで、と思い、全力でスペースオペラやります。そしてどコメディです。」って書いてるんだけど、もはやこれが全あらすじといってもいいぐらい。

いつのまにか宇宙船内に侵入しているエイリアン、胸から出てくるお約束のやつあるけどどっこい生きてるシャツの中、這う這うの体で追い出したら次から次へとトラブル満載、そこに乗り込む吟遊詩人、あげくに神。いやー笑ったな~。「11人いる!」とかSFの名作のお約束を意識した台詞も多くて楽しかった。確かにかの「エイリアン」を手作り再現しようとしてて、それもコメディで手作りしようとしてて、ずっと面白かった。

ただこれ「銀河鉄道の夜」のときも思ったんですけど、歌(ラップ)が入ると途端に私の心がしぬという、これはもういかんともしがたい問題がありまして、ちょくちょく差し挟まれるのでちょくちょくしんでたな。これは歌い手がどうこうとかじゃなくて、ただただ私の方に器が足りないってだけなんですけどね。思うに、台詞を聞いているときに処理している脳の部分と、歌を処理している部分が私の場合まったく違うんじゃないかな。だから脳が「コレ ドウシタライイカ ワカンナイ」って感じになっちゃうんだと思う。

全然ないことないこと自信持って言い切る野口かおる嬢、いつもながらに最高。男性ブランコのおふたり、そしてかもめんたるのおふたりともに安心して観ていられました。ヨーロッパ企画の面々がはまっているのは言わずもがな。楽しい2時間でした。

「アンジェントルマン」


ガイ・リッチー監督の新作!MI6の前身だったり007のモデルとなった人物と言われてたりという特殊非公式部隊を描いた作品。ど派手な打ち上げ花火的映画かと思いきや、実話ベースなのでやっている作戦自体は地に足ついてるというなんか不思議な映画だったな。

第二次世界大戦下の英国で、チャーチル首相はナチスドイツに対抗すべくアメリカを参戦に引き入れたいが、Uボートにより大西洋の覇権をドイツに握られていてアメリカの参戦を促せない。そこでUボートの補給路を断つべく補給船を沈没させる作戦を立てるが、英国内ではドイツとの講和に傾く声も多く、大っぴらに軍部を動かせない状況にあった。そこで特殊作戦執行部に非公式部隊を結成させ、「たとえ捕まっても当局は一切関知しない」という誓約のもと、一癖も二癖もある凄腕たちが集まるというあらすじ。

ガイ・リッチーの映画で安心してみられるのは無駄にロマンス成分を入れてこないところで、今作も史実によればガス(ヘンリー・カヴィル)とマージョリーエイザ・ゴンザレス)は結婚したらしいのに、マージョリーを危機に陥れて間一髪ガスが助けて感激のキス!みたいなアホなシーンを作らないところが本当に推せる。マージョリーは危機に陥るけど当然自力で事態を打開しますが何か?っていうね。

部隊のメンバー全員キャラが立ってて魅力的で、こういうテレビシリーズあったら見るのにな~と思うほど「ちょうどいい」アクション映画という感じ。ちょっと特攻野郎Aチームみたいなニュアンスあるよね。アップルヤードとガスとか、なんか対立構造になりそうなのに全然そういう雰囲気にならないのも良いし、ラッセンみたいなキャラって昔は怪力=頭が弱いみたいなキャラ付けされがちだったけどそういうのもない。みんなプロ、みんな信頼できる、こういうのでいいんだよこういうので。

しかしカヴィルさんとアラン・リッチソンが並んだ時の画面筋肉量やばかったな。上腕二頭筋でスクリーン埋まってたのでは。エンドロールにそれぞれモデルとなった人物の実際の写真とその後のエピが流れてたけど、アップルヤードが軍功立てすぎて「また君か」と言われた話とか面白かった。いつものガイ・リッチー印という感じの映画で、それ以上でも以下でもないというところだけど、個人的には満足です!

「アマチュア」


ラミ・マレック主演のサスペンス映画。CIAのサイバー捜査官であるチャーリー・ヘラーは最愛の妻と幸せに暮らしていたが、ロンドンで起きたテロ事件に妻が巻き込まれ、テロリストに殺害されてしまう。妻を喪った悲しみに耐えきれないチャーリーは妻を殺害したテロリストグループへの復讐を図るが…というあらすじ。監督はジェームズ・ホーズ。

情報扱うプロ中のプロ、だけどスパイとしては素人中の素人(アマチュア)という設定は面白かったし、ならではの場面の楽しさもあったんですが、なんというかこの…ちょっと登場人物とエピソードが有機的につながってないという感じがしてしまったかな。

チャーリーには「インクワライン」というコードネームの情報提供者がいて、その人物からCIA内部に関するとんでもない情報を入手するんだけど、その事件が妻の殺害事件とエピソード的には関係のないまま進み、テロリストたちへの復讐を果たすための交渉材料として使われるのも、ん?って感じだったな。あのタイミングで妻が殺されたんだからチャーリーの入手した情報を巡る陰謀かと思いますやん。あと、今回はいい人なの?そうじゃないの?と毎回見ているものの心を揺らすことでおなじみバーンサルさんが出てるけど、
観た後思わず「それでバーンサルニキはなんだったんだ…」という疑問が脳内をぐるぐるしちゃいました。どっちでもいいからもうちょっとあのロシアの地で話に絡んで欲しかった!それを言ったらローレンス・フィッシュバーンのやった教官もいまいち立ち位置不明だったな…。

今時、腕っぷしだけじゃどうにもならない、情報戦を制するものが世界を制すと言わんばかりのデジタル世界におけるチャーリー無双は見ていて楽しかったし、youtube見ながらピッキングすな!とか笑っちゃいましたけど(笑い事じゃない)。あとあの高所のプールを破壊するやつはステイサムもやってなかったか…?と思いました。テロリスト達みんなわりと悲惨な死を迎えるけど、アナフィラキシーショックで殺されそうになるやつが地味に一番いやだったかもしんない。インクワラインを演じたカトリーナ・バルフがむちゃくちゃ素敵だったのであの結末にはちとがっかりでした。

「教皇選挙」


ローマ教皇死去後、新たな教皇選出のための選挙「コンクラーベ」を題材にした映画。監督はエドワード・ベルガー、脚本ピーター・ストローハン。今年度のゴールデングローブ脚本賞、アカデミー脚色賞を受賞。ピーター・ストローハンは「裏切りのサーカス」の脚本書いた人ですね。何を隠そうわたくし、塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」を思春期に愛読していた人間ですからして、コンクラーベに興味がないわけがない!公開を楽しみに待っておりました!

ローマ教皇急死の知らせを受け、首席枢機卿であるローレンスはコンクラーベを主宰することとなる。気の遠くなるほどの手続きと慣習、システィーナ礼拝堂という最高に絵になる場所が文字通り「次の教皇が決まるまで出られない部屋」(現実にはちゃんと宿舎に戻れるが)となり、ここで投票を繰り返すこととなるが、得票の趨勢と次期教皇を狙う思惑が巡り巡り…。ある意味最高の密室劇、心理劇を最高の役者と最高の美術で見られる喜びがつまった作品でしたねえ。

カトリックの総本山であるバチカン内部の、しかもコンクラーベという非常に限られたシチュエーションを丁寧に丁寧に描写しているので、それだけでも観ているものにとっては楽しいの一言。亡くなった教皇の部屋の封印、漁夫の指輪を外す描写、緋色の衣を纏う手順。コンクラーベのために招聘された数多の枢機卿たちの人間くささ、野心、蠢く権謀術数とか、カトリック教会のトップという、場所やお国柄によっては最高最大の影響力を持つ人物をたった120人かそこらの人間が紙に書いて決めるというこのアンバランスさがたまらないですよね。

リベラル派のベリーニが保守強硬派のテデスコを蛇蝎のごとく嫌う中で、3分の2の獲得まであと一歩だったアディエミについてこう発言しているのが印象深い。「彼はテデスコ以上に保守派だ、アフリカ系黒人でなければもっと…」。「初のアフリカ系教皇」という、歓迎しかされない物語の前にリベラル派が矛先を向けられないの、現実世界の縮図すぎる。こういう時いつも思い出す、「ザ・ホワイトハウス」というドラマでのやりとり。ゲイの共和党員が民主党の次席補佐官にこういう、ゲイであることが僕の人生のすべてではない。

ベリーニも、そしてこのコンクラーベが終われば身を引きたいと考えているローレンスでさえ、ローマ教皇という絶大なる権力に引き寄せられているし、テロ事件を受けて治安の悪化を移民の増加のせいだとぶち上げるテデスコに「戦いというがお前は本当の戦いを見たことがあるのか、枢機卿団は俗物しかいない集団だ」と手厳しい言葉を浴びせるベニテスでさえ、「自分の教皇名」を考えたことがあるのだと思うと、「自分ならそれを正しいことに使う」という形の権力欲というものの底知れなさを思い知らされます。

最後にベニテスの出自が明らかになる展開も含めて最後まで観客を安心させず、今、そしてこれからどうあるべきか?と考えさせるところも含めて観た後の満足感が高かったな。奇しくも映画公開中の2025年4月21日、フランシスコ教皇が亡くなられ、コンクラーベが開かれることとなるという、なんというタイミング。現実のコンクラーベにも映画のコンクラーベにもまた注目が集まりそうですね。

「ウィキッド」


事前に劇団四季の「ウィキッド」も観劇して、満を持しての映画版鑑賞。字幕版を見ました。吹替え版もすてきなキャストを用意されていて力が入っていて観たかったけど、やむなし。監督はジョン・M・チョウ、エルファバをシンシア・エリヴォ、グリンダをアリアナ・グランデが演じています。

160分とそれなりの長尺なのに舞台版でいうところの第一幕しか終わってない(第二部は全米で今年公開予定)。つまりどういうことかというとエルファバがDefying Gravityを歌うシーンで終わるってことなんですね。
いやもうそんなん勝ち確じゃん。
と思ってしまうし、確かにあの楽曲のあとに暗転してじゃあ第二幕冒頭始めますか…ってなるかと言われると難しいよな!わかるよ!舞台で見ている分にはそういうもんだなと思ってるので気にならんけど、映像で見るとあまりにもクライマックスすぎる。

映画版はかなり丁寧に風景描写・心情描写をやっていて、だからこそ舞台版よりも尺が長くなっているんだけど、大きく改変しているわけではぜんぜんない(むしろ忠実すぎるほどに忠実)。このあたり、舞台は演出で何を見せたいか、をかなり絞り込むことができるし、映画は逆に舞台ではできない細部を事細かに表現することで全体のトーンを培っていくというのがよくわかって面白かった。

20年以上前に初演されたミュージカルながら、「ポピュラー」で政治家が能力で尊敬されるんじゃない、ただ人気があったからと歌ってみせたり、ルッキズムによる差別、異端への迫害、共通の敵を作り出すことによって国民の意思をあやつる腐敗政治など、テーマが今日的なのも素晴らしいし、アメリカの政権交代で世界がぐらんぐらんする中での公開になったのもなんか運命的なものを感じますね。

アリアナによる「ポピュラー」があまりにも彼女の魅力がつまりすぎてて好きにならざるを得ないとか、あのクラブでのエルファバとのダンス(あの涙…!)、エルファバと仲良くなったからといってべつに「いい人」になったわけでもない、けど憎めないグリンダの魅力が存分に発揮されててよかった。

しかし何と言ってもDefying Gravityがすごい。シンシアの歌がまずすごいし、この楽曲のパワーを存分に活かしきるんだ!という演出も見事。マジでSo if you care to find me Look to the western skyのところ、完全に腰が浮きかけた。楽曲と歌唱の力で物理で人を立ち上がらせることができるんじゃないかあの曲。ミュージカルの楽曲にはマジでパワーとパワーを足してパワーで割りました!みたいな楽曲がたまにあるが、Defying Gravityもそういう底知れぬ力がある。本当、あの瞬間を味わうためにもう1回観たい、って思うし、その衝動を舞台でも映画でも同じように感じさせてくれるということは、この映画が原典の舞台への深い理解と敬意で成り立ってるからという気がします。

敬意といえば、エメラルド・シティの舞台劇で初演キャストであるイディナ・メンゼルとクリスティン・チェノウェスが出ていて、画面上に4人が揃うショットがあるのも、舞台版のファンへの嬉しい贈り物という感じがしてよかったです。

いやーしかしこれ、二幕どうするんだろうな。ドラスティックな改変はしないだろうと思うんだけど、これもし今初演されたらもっとシスターフッドに全振りした展開になったよなー(そっちも見たいなー)という気がしており、でも今作の製作陣はそういうことをしなさそう。いずれにしても第二幕にも弩級の名曲が控えているだけに公開が楽しみです!日本もどうにか今年中に公開とかなんねーっすかね!どうですか!