入試過去問と著作権を考えるblog このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-06-17 高校生のための現代思想エッセンス-ちくま評論選 このエントリーを含むブックマーク

著作権の問題によって現代文の問題集や過去問集のいくつかが書店から姿を消していく中、新たな潮流とも言うべき動きが出て来ている。

これまでに僕は書き下ろしによる文章集についての提案を行なってきたが、それに近い形で編集された本を見つけたのでここに紹介する。

ちくま評論選―高校生のための現代思想エッセンス

この本は大学の先生の書き下ろしではなく、既存の本から抜粋する形で編集されているものの、僕の理想と考える、今後の時代に相応しい文章集であると思う。

堀江敏幸黒崎政男西垣通斎藤環斎藤美奈子吉見俊哉多木浩二内田樹大橋洋一、川田順三、野矢茂樹大澤真幸、茂木健一郎、福井憲彦小浜逸郎永井均小池昌代上野千鶴子、尼ケ崎彬、竹田青嗣前田愛、若林幹夫、石原吉郎丸山真男藤田省三西谷修北田暁大東浩紀見田宗介岡真理市村弘正大江健三郎

この本に収録された筆者の名をあげてみた。いずれも、入試現代文ではお馴染みの筆者だ。

この本の注目すべき点は、まずは何と言っても「文章のセレクトの良さ」だろう。「現代思想エッセンス」と言うように、入試で取り上げられる現代思想の重要テーマをことごとく網羅している。また、それらは必ずしも過去の入試問題で出題されたものではなく、「これから入試で出てもおかしくない文章」を、選んでいるように思われる。

さらに各文章には設問も施されているのだが、これも変に選択肢でひねったりするタイプのものではなく、指示語の内容を問うたり、文章の論理展開上で核となっている部分を記述説明型の問題で問うものであり、まさに「正統派」のものばかりだ。(東京大学の設問に近い印象を受けた。)


また「筑摩書房」に問い合わせたところ、ここに収録された文章の全ては著作権をクリアしているものであるとのこと。例えば、塾などで、生徒全員が購入してテキストとして使用するという使い方をしても、塾が文章の筆者から訴えられることはないとのことだった。むしろそういった形で使ってもらうために作ったとのことだった。

筑摩書房の方がおっしゃっていたことによると、進学校東大京大などの国公立難関大を目指す、生徒さんを担当している先生方から「授業で使いたい」との問い合わせも多いとのことだ。(逆に通常レベルのクラスでは少し難度が高いと思われる。)

確かに、高校生が自学自習するには、やや荷が重い感もある。僕もこの本は授業の中でテキストや副読本の形で使うのが一番よい形のものであると思う。

文章の筆者の方、先生、生徒、皆にとってこういう本が増えることは非常に望ましいであろう。また、大学の先生も、こういったもので勉強してきた学生と共に学問をすることができるのは喜ばしいことではないか。

著作権の問題はいろいろな立場の者がぶつかりあう非常に難しい問題だ。だが、この対立を止揚して、皆が幸せになれる道が開けるのであれば、それに越したことはない。筑摩書房の今回の取り組み、そしてこの本を編集された先生方(岩間輝生先生、坂口浩一先生、佐藤和夫先生)の努力を僕は大いに評価している。

schizo-08_08schizo-08_08 2007/09/12 16:55  勉強のためにこの本を買ったのですが、読み物としても普通に面白かったです。収録されている著者の他の作品に興味がわきました。まさに、「生きた」内容の参考書だと思います。

2007-04-23 「芸術」の利用と「営利」の利用は別物? このエントリーを含むブックマーク

以前に、センター評論文第1問を各所から「削除」に至らしめた別役実氏が著作権の保護期間の延長に対して「慎重論」の立場から団体を結成した件を取りあげた。

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20061110

僕は入試での使用について厳しい立場を取っている別役氏の行動と、この保護期間への慎重論という点に違和感を感じ上記の記事とした。(「マスコミ不信日記」さんや、「エンドユーザーの見た著作権」さんでも、とりあげられている。)

この件についての別役氏の見解が「日本ビジュアル著作権協会」のwebに掲載されている。

http://www.jvca.gr.jp/news/news05/jvcanews05_08.html


この記事について僕が気になったのはこの部分だ。

>芸術の分野と営利の分野はまったく別のものだと思います。

と別役氏は述べている。「芸術と営利」という対立軸の設定の仕方がそもそも納得いかないが、今回の入試過去問の著作権問題の文脈の中にそれを受け入れてみるなら、「演劇は芸術だから著作権については自由な方がよい。問題集は営利だからとにかく著作権を守れ!」という理屈になるのか。では別役氏の舞台も含めて演劇活動というのは、全て非営利で行なうものなのだろうか? また逆にセンター試験などの公の機関が行なうものも含めて教育活動は全て営利目的で行なわれるものなのだろうか?

僕は別役氏の論から「芸術という言葉をあたかも水戸黄門の印籠のようにかざして特権を訴えている」というような印象を受けた。この別役氏の論の立て方は、「教育という言葉をあたかも水戸黄門の印籠のようにかざして特権を訴えている」などと予備校や教育出版社が非難される際の論と構造上は全く同じではないのか?

別役氏の論から「芸術家であるボクって特別だよね」というおごりのようなものを感じる。じゃあ僕らも言っていい?「教育者であるボクらも特別だよ」って。

かつて様々な入試問題で別役氏の文章を読んで、時にその着眼点や発想の面白さに唸らされることもあっただけに、正直言って別役氏の今回の「自己の矛盾した行動のつじつま合わせをしようとしておごりを露呈したコメント」は期待外れだった。続編を期待します。

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2007-04-22 “入試問題、作者がらり一変”ってホント!? このエントリーを含むブックマーク

「asami.com」に“入試問題、作者がらり一変 小説家に「世代交代」”と題された記事が掲載されている。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200704180129.html

>国語の入学試験によく出る作家といえば、かつての大学入試なら小林秀雄唐木順三、と言われたもの。だが、今年の出題を眺めてみれば、養老孟司、茂木健一郎、斎藤孝……と、ずいぶん様変わり。小説家の「世代交代」も進んでいる。

予備校講師や、入試問題の研究をキチンとやっている高校の先生方からすれば、「何を今さら」という印象の記事だろう。小林秀雄や唐木順三なんて今年に限らず、もうとっくの昔に出なくなっている。また、早稲田大国際教養学部の入試で、綿矢りさの『蹴(け)りたい背中』が登場した事などを取りあげているが、僕としては、それほど注目するほど大きな動きとも思われない。

記事のタイトルが“作者がらり一変 小説家に「世代交代」”などと題されていることには違和感を感じる。この記事でもふれられているように、

>906学部を対象に代ゼミの集計がまとまっている昨年度の上位7人は、上田紀行(14件)、茂木健一郎(13件)、鷲田清一(11件)、山崎正和(8件)、夏目漱石(8件)、斎藤孝(7件)、正高信男(7件)。特に受験関係者から「困ったときの鷲田清一・山崎正和」と言われるほど、この2人は入試問題での「流行作家」。6件組も、養老孟司、内田樹山田昌弘ベストセラーリストそのままだ。

現在(ここ10年程の傾向も含め)の大学入試において小説の出題がさほど多いわけではない。最近2、3年は少しずつ小説復活の兆しも見えるにせよ「がらり一変」とか「世代交代」とか、述べるような動きが起こっているとは思われない。

むしろ、僕が着目しているのは、例えばここ数年上智大で夏目漱石の「草枕」「それから」「我が輩は猫である」が出題されるなどしている動きの方だ。上智は今年度は西田幾多郎の文章からの出題なども行なっており、明治から昭和初期の書き手への回帰が見られる。

それから僕がこの記事について気になった点。代々木ゼミナール国語編集部の土生(はぶ)昌彦さんの言葉として述べられているこのコメント↓。

>流行の新しい本を入試に採り入れる理由は、まずは「過去の問題とのだぶりを避けるため」と土生さん。新しい文章を探そうとすると、話題の作品やベストセラーを選びやすいようだ。「それに、新しい本にも関心や問題意識を持って読んでほしいという受験生への願望からでしょう」と見ている。

「新しい文章を探そうとすると、話題の作品やベストセラーを選びやすい」などということが本当であれば、入試出題者は不勉強であり怠惰である。過去に書かれた書籍や、ベストセラーになっていない作品にも新たな出題に値するものは充分あるだろう。

また、大学の先生は本当に受験生に対して「新しい本にも関心や問題意識を持って読んでほしい」などという願望を持っているのだろうか? 「問題意識を持って」という部分は一応納得できるが、「新しい本」ということがそれ程重要なのだろうか。たとえば、「現代の高校生は岩波文庫に収録された古典的名著ばかりを読んでいてケシカラン!」などと大学の先生はお考えなのだろうか。まさか…。

まあ、僕がこの部分が気になってしまうのは最近の新書ブームにあまりいい印象を持っていないせいもあるかもしれない。

observerobserver 2007/05/18 00:31 まぁそぅいぅことは言えるでしょうね。
たとえば『バカの壁』から恥ずかしげもなく入試問題出したような大学が
少なからずありましたが、いずれもその程度の知性の教員しかいない
ような大学でしたから。

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2006-11-10 別役実氏「著作権保護期間の延長、議論を尽くせ」 このエントリーを含むブックマーク

興味深い記事を見つけた。あのセンター評論文第1問を各所から「削除」に至らしめた別役実氏著作権の保護期間の延長に対して「慎重論」の立場から団体(「著作権保護機関の延長問題を考える国民会議」)を結成したということだ。

itmedia Newsは別役氏の言葉を掲載している。


「著作権保護期間の延長、議論を尽くせ」――クリエイターや弁護士が団体発足」

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0611/08/news103.html

>別役さんは、「銀河鉄道の夜」の戯曲化の経験から、延長に反対する理由をこう語る。

>「銀河鉄道の夜はかなり以前から戯曲化したいと思っていたが、宮沢賢治作品の中でも特にガードが固く、許可がもらえなかった。死後50年経ってやっと使えるようになり、まずアニメのシナリオにし、戯曲にした。このように活用されることで、作品も活性化されたのでは。著作権法保護期間が切れるということは、私財が公共の物になるということ。自分の戯曲も含め、公共物になる時期は早いほうがいいと思う」(別役さん)


asahi.com」にも同様のニュースが掲載されている。↓

>著作権の保護期間延長に慎重論議を 別役実氏ら申し入れ

 評論家の山形浩生氏や劇作家の別役実氏ら文化人や弁護士64人が8日、小説や音楽などの著作権の保護期間の延長を性急に決めないよう訴える団体を結成した。日本文芸家協会などが死後50年から70年への延長を訴えていることに対抗する動きで、同じ著作権者側がまとまって「慎重論」を表明したのは初めて。同日、代表者らが国民的な議論を尽くすよう文化庁に申し入れた。

 別役氏らは都内で会見を開き、保護期間の延長によって、過去の作品を元に新たな作品が生まれるという文化創造のサイクルが断たれてしまう恐れがあることなどを指摘した。団体には他に作家の佐野眞一氏、批評家の東浩紀氏、劇作家の鴻上尚史氏、映像作家の高城剛氏らが参加している。

http://www.asahi.com/culture/update/1108/018.html

この著作権保護期間の問題については、入試問題での文章使用に対して比較的柔軟な日本文芸家協会が「70年」派、入試問題での文章使用に対して厳しい立場を取っている別役氏の方が「50年」派というわけだ。両者の立場を考えると、

別役氏=生きている作家の文章は入試で使うな! でも死後は自由に使っていいよ。

文芸家協会=生きている作家の文章も亡くなった作家の文章も「金を払って」使ってね。

ということになるのであろうか?今後の動きに着目したい。

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http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201

2006-06-19 著作権問題が市場に及ぼす歪み このエントリーを含むブックマーク

著作権問題によって国語の過去問集が入手しづらくなっている。例えば、赤本で有名な教学社からこれまで出版されていた「東大現代文」「京大の国語」シリーズが絶版となってしまっている。23年分とか25年分に渡って東大や京大の過去問を網羅して収録してくれている国語教師としては非常に有り難い本だったのだが、おそらく著作権の問題で出版できなくなってしまったのだろう。現在、これらの書籍を入手するためには中古を利用するしか手がなく、オークションや古本屋では定価の2倍近くの値段で扱われてしまっている。こんな所にも著作権問題による歪みが現れて始めている。

赤本に続き、センター試験の国語第一問は旺文社の「全国大学入試問題正解」においても「省略」されている。もはや、どの出版社もこの別役実氏の文章を掲載することができなくなってしまったかと思っていたら、なんとZ会の「平成19年用センター試験過去問 英数国 」では、この別役実氏の文章を使用したセンター国語の第一問が完全な形で収録されているのだ! Z会と言えば「著作権を侵害していたとして、作家ら約80人に謝罪を申し入れ、和解金約6000万円を支払った」という記事が記憶に新しいところだ。Z会は6000万円という代償を払って「日本ビジュアル著作権協会」の作家の文章を掲載できるようになったというわけか。

もし僕が受験生であったのならば、「評論の載っていない赤本」よりも、「評論の載っている緑本」を買うだろう。当然、「日本ビジュアル著作権協会」に従わない出版社は市場のおける競争において、決定的に不利な条件を背負うことになってしまう。現在、教育・出版の世界では「日本ビジュアル著作権協会」様に跪き、膨大な金額を上納したものだけが、商売を許される状況が今生まれつつあるのだ。

さて、3大予備校によるセンター過去問集「白本(代ゼミ)・黒本(河合塾)・青本駿台)」は、センター国語の第一問を収録できるのだろうか? 6月後半現在、青本は他教科は出版されているが、国語だけはいまだに店頭に並んでいない。他の予備校はどう出るのか、今後も注目していきたい。

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http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201

ねこぱんだねこぱんだ 2006/08/26 01:50 私も、この問題は気になっていたのですが、〈著作権〉ということを隠れ蓑にして、自分の文章を設問という形で分析されるのがいやだという、身勝手な感情があるのではとかんぐっています。
しかし、これが続くと、教育現場は何もできなくなりますよ。自主教材として何かを使うことも不可能になるし。
ところで、河合塾のページから、早稲田の解答速報をひらいて、PDFで印刷しようとすると、ページが欠けるということが今年あったのですが、なにかごぞんじないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/nekopanda_tare/
です。

ねこぱんだねこぱんだ 2006/08/27 08:10 「日本ビジュ・・」のここで下線をひかれているページが閉鎖されていますが、何かご存知ですか?

2006-05-28 遠藤周作氏の受験産業屋批判 このエントリーを含むブックマーク

遠藤周作氏が『狐狸庵閑談』(PHP文庫)という著書の「受験産業屋を批判する」という章で、自分の小説の一部が入試に出題され、自分の解答と模範解答が違っていたとのエピソードを書いている。「文中の主人公の次の行為を、どのような心理で行なったか」という問で、四つの選択肢があり、遠藤周作氏は四つすべてに丸じるしをしたとのこと。深層心理まで含めて複雑に交錯しあった人間心理を「ひとつ」に決めさせる画一的な読み方に対して「抗議したい」と怒っている。

残念ながら何年度のどの大学の設問か不明なので検証できないのが残念だ。僕はこれは設問の作りにどこか問題があったのではないかという気がしている。(情報お持ちでしたら、どなたか教えて下さい。)

この手のエピソードはよく耳にするが、意外と実際の出典はあまり見つからなかったりもするので、この本の記述は貴重だ。僕は「過去問の著作権について様々な視点」というリンク中心のコンテンツに、実際に自分の作品が入試に出題された方々の声を集めている。インターネット、そしてblogが普及することによって、こうやって著者自身の感想を聞くことができるのは面白い。

ところで、この章を読む限りでは遠藤周作氏は「受験産業屋」にかなり憎しみを持っているようだ。特に5歳になる自分の孫が塾通いをさせられ疲れきっている姿を見て、激しく憤っている。

実は、いわゆる「お受験」についての僕の感想は遠藤周作氏とかなり一致している。またこの本を読む限りにおいては、遠藤周作氏のお孫さんの通っていた塾の先生の指導方針にも確かに疑問を感じた。

だが5、6歳の子のお受験のための塾通いと18、19歳の青年の大学受験のための予備校通いとは別問題として扱うべきなのではないか。遠藤周作氏は同書の次の章「日本の学校は間違っている」では塾批判とともに学校批判を行ない、「受験教育」を叩いており、受験ということそれ自体に、かなり批判的だ。

この本は初出「THIS IS 読売1992年5月号〜1994年4月」となっており、まさに大学受験の最も厳しかった時期のものだ。それゆえに時代の空気として「受験批判」が活き活きと書かれているのは理解できる。また今となっては「ステレオタイプ」と言いたくなる記述も多い。

もし遠藤周作氏が現在の日本の「学力低下」「教育格差」などの問題を目の当たりにしたならば、どのようなことを書いたのだろう? あの独特の切り口、視点で我々をうならせてくれたのであろうか? 興味深いところだ。

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yohakuyohaku 2006/07/02 00:57 両方の気持ちと置かれた状況が分かりますが、たぶん作家と国語の問題の出題者との間で受験というものがある限り永遠に繰り返される議論だと思いますよ。

どうとでも取れる文章を書くお前が悪いと言われたら、それまでですが(笑)

2006-05-27 所得格差・学力格差・著作権 このエントリーを含むブックマーク

評論の載っていない赤本?」という記事の中で僕は、入試過去問集に著作権料が上乗せされれば、受験生の経済的負担が増すことへの不安を記した。また、「やはり評論の載っていない赤本が出た!」という記事の中で、デジタルディバイドの問題についてもふれた。できることならば入試過去問は平等に受験生の手に渡るような環境が望ましい。

学力二極化、6割感じる 大半が「所得格差が原因」

http://www.excite.co.jp/News/society/20060527171019/Kyodo_20060527a464010s20060527171021.html

「所得格差による学力二極化」という問題は、僕も日々現場で感じている。だが、まだ塾や予備校に通える子はいい方だ。

正直言って、僕ら講師は激しい競争の中で授業技術を磨かざるを得ない世界にいる。実力無き者は生き残れない世界で、「受験指導」という事についてはそこらの学校の教師とは比べ物にならないノウハウを持っている。(学校の先生の中にも受験技術指導に長けている方がいらっしゃると思いますし、また学問的・人間的に優れた方もいらっしゃることかと思いますが…。)

金銭的理由で塾や予備校に通えず、このノウハウに触れることができない子は、正直言ってハンデを課せられていると僕は実感する。僕自身は不幸にして、学校の先生から「学問的」にも「人間的」にも「受験技術」においても、全く感銘を受けることはできなかった。浪人して通った予備校で初めて開眼したのだ

実は当時の僕は「特待生」という特権を使って、たまたま金銭的負担が限り無くゼロに近い予備校生活を送る事が出来た。もしあの時に「特待生」になれなかったら、今頃は大学にも行けぬまま全く違う人生を送っていたかもしれない。

所得格差は少なからず、学力の格差に結びつくと思う。だからこそ、もうこれ以上受験生の経済的負担を増すことがない方向で「入試過去問と著作権」の問題が解決することを僕は望む。

【このニュースについて論じているblog

当blogの主旨はこちら↓

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201

2006-05-25 運用するのは人間 このエントリーを含むブックマーク

著作権問題で、昨年度出題の評論文をweb上から削除せざるを得なくなるなど、苦労の続く大学入試センターだが、こんなニュースも。

<受験番号記入ミスを救済 大学入試センター>

http://www.excite.co.jp/News/society/20060525113255/Kyodo_20060525a414010s20060525113258.html

受験番号の記入ミスなどをした受験生を零点とはずに、きちんと割り出して採点してくれていたとのこと。とかくマークシート型のテストはコンピュータを使用することからか、人間性をないがしろにするものであるとの批判を受ける事もあるが、やはり運用するのは「人間」なのだ。

法律も権利もコンピュータも使うのは人間だ。0と1だけで全てを白黒つけるだけならば、人間は不要になってしまう。0と1だけのデジタルな思考を超えた発想ができることに人間の価値がある。入試過去問と著作権の問題も同様だ。そもそも0と1を超えた何かを表現するのが劇作家さんや詩人の目指す所だったのではないですか…? この入試過去問の著作権問題を考え、評論の削除された赤本を眺めながら、このニュースを耳にした僕は、ふとそんなことをつぶやきたくなった。

blogの主旨はこちら↓

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201

【このニュースについて語っているblog】

*僕が共感できた方々中心にリンクします。

koichiwbkoichiwb 2006/05/26 10:33 まったくその通りですね。コンピュータのせいにするのはよくないです。運用するのは人間ですから。

梅田さんの本にもGMailの広告についてのGoogleの人の話が書いてありましたが、悪さをするのは人間であってコンピュータじゃないって。

phenotexphenotex 2006/05/26 10:50 コメントありがとうございます。koichiwbさんのblogは客観的かつ論理的に、また独自の視点でこの問題を論じていらしゃって面白く読ませて頂きました。今後ともよろしくお願いします。

ふるやんふるやん 2006/05/27 01:52 トラバありがとうございました!
もしかして、今回の救済には賛成意見の方が多いのでしょうか?
まあ、新聞が反対意見を載せるのは「うちは偏ってないよ」という
アリバイみたいなものですからね^^またよろしくお願いします!


またよろしくお願いします〜

phenotexphenotex 2006/05/27 02:36 >今回の救済には賛成意見の方が多いのでしょうか?
いろいろと検索してみたところ、反対意見も多いですよ。特に「甘い!」と一言で切り捨てている方が一番多い印象です。(これが社会の趨勢かもしれませんね。)ですが、賛成意見を書いているものの方が着眼点や発想、論証においてblogとしての読みごたえを持つものが多いと僕は感じました。

けいけい 2006/06/01 12:24 トラックバック、ありがとうございました!
『ソラ色だいありー☆ れっつごー!!!』のけいといいます。
今回のことに関しては、多くの方がブログに自分の意見を書かれているので、
読んでいると、本当にいろいろと考えさせられます。
共感していただいたということで、嬉しかったです☆

http://blog.goo.ne.jp/kei_sorairo33/

2006-05-24 早稲田政経で大学作成の文章が出題! このエントリーを含むブックマーク

以前に「書きおろしの文章集は作れないのか?」という記事の中で、入試のために大学側が文章を書き下ろすべき旨を書いたが、2007年度版の赤本で確認したところ、どうやら早稲田大学政経学部は遂に「大学作成の文章」を入試に出題したようだ。

入試に向けて書き下ろされたと思われる文章は全3問中の3問目。「知のあり方」「科学史」「真実の相対性」などについて、論じた文章で、まさに入試現代文の頻出テーマを扱っている。

今回の早稲田政経においては、さらに「長谷川天渓が大正三年に執筆した文章」が出題され、これまた僕が以前に書いた「没後五十年の作家を中心とした出題を」を満たしてくれる傾向となった。

早稲田政経は従来、現代作家による、やや難解な評論文を出題の中心にしていた。だが、2000年以降、明治期の文章が出題されるようになり、そして今回遂に「書き下ろし」での出題が行なわれた。この傾向の推移にはどのような理由があるのだろうか。著作権問題が関連しているのだろうか?

いずれにせよ、この早稲田政経の出題傾向は今後の入試現代文の姿の一つの型と成り得るものであると思う。このような出題傾向が大学入試全般に強まっていけば、入試問題の著作権をめぐって作家と無駄な争いをする必要はなくなり、教育現場における混乱も避けることができるようになるだろう。これはこれで歓迎すべきことだと思う。

ま さ ひ ろま さ ひ ろ 2007/03/10 09:34 某予備校の国語[解答例]で、{著作権法の関係により問題を省略し、解答のみ掲載します。}とあり、著作権問題について知りました。でも、新聞では入試問題文を、平気で掲載していますよ。

タイゾータイゾー 2008/09/10 23:16 >>まさひろさん
>新聞では入試問題文を、平気で掲載していますよ。

それはたぶん、時事の事件の報道ということで、著作権法41条を根拠に著作権を制限できると考えて掲載していると思われます。
しかし、この利用はあくまで「報道の目的上正当な範囲内」でのみ、報道に伴って利用できるだけであって(例えば、大学入試センター試験という事実をニュースにする場合など)、入試問題の内容自体に着目して利用する場合には、著作権を制限することは困難であって、著作権法の原則どおり、許諾を得て利用する必要があるとも考えられます。

詳細は次の記事をごらんください。

ピリ辛著作権相談室 Q21:大学入試問題をニュースサイトに掲載したいのですが
http://urheberrecht.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/q21_db35.html

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2006-05-14 センター国語第1問はネットでも入手不可? このエントリーを含むブックマーク

やはり評論の載っていない赤本が出た!」という記事の中で先日、センター国語第1問をインターネットでダウンロード可能との旨を書いたのだが、あれこれ調べてみて驚愕の事実に出会った。

本家「大学入試センター」のwebサイトにおける「平成18年度センター試験問題・正解」のページから、国語の問題をPDFでダウンロードしてみたのだが…。

http://www.dnc.ac.jp/center_exam/18exam/mondai_pdf/18kokugo_q.pdf

なんと33ページ中の2ページ目から4ページ目にかけて、本来、別役実氏の文章が掲載されているべき部分が「この部分につきましては、著作権の問題により、公開できません」とのコメント付きで「白紙」となっていた!!

ついにここまでやるようになったのか!! 幸い僕はセンター実施時点で問題自体は自分のコンピューターのHDに保存してあったので、自分の研究材料としては2006年のセンター国語第1問を捕獲することはできている。

しかしながら、今度ばかりは担当している生徒達の不安そうな顔が容易に想像ができる。2006年度は新課程の1年目であったので、参照できる問題は2006年のものしかないのだ。

「先生、去年のセンター試験ってどんな問題だったんですか?」

そんな質問に僕は答えなければならないのか。ただでさえ不安に陥りがちな受験生達。特にセンター試験をもって、その年の入試のスタートとする者も多く、また「センター試験での失敗」によって、自信を喪失し、それ以降の入試において自分の力を発揮できない生徒もいる。

このblogは入試における著作権問題を主題としている。でも今の僕の頭の中は「努力はしている、頭もいい、けれども気が弱いあの子」をいかに不安に陥らせないかという事に、占領されている。僕は日々現場で生身の人間達にむかって授業をしていかなければならない。あの子らに「これまでのベスト」を出させてあげたい。

大人の都合は早く終わらせよう! そこまで要求するなら「日本ビジュアル著作権協会」は早く「大学入試センター」でも「文部科学省」でも訴えて決着つけたらどうだ!? 大手予備校や出版社は団結して「日ビ」と闘うつもりはないのか? 教育産業の端くれとしての自負を持って、堂々と闘うことは出来ないものか。受験産業界にできることが「たかが一講師がblogでグチをこぼす」だけではあまりに悲しい。

下記サイトを情報元とさせて頂きました。

http://blogs.dion.ne.jp/yohaku/archives/3265630.html

当blogの主旨はこちら↓

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060201

yohakuyohaku 2006/05/15 21:52 TBどうもです。顔文字という雰囲気ではないので割愛しますね(笑)
大学入試センター内部の様子が分かりませんので、どういった判断から掲載を取り止めたのかは分かりませんが、大学入試センターも国の機関の端くれですから、何らかの国からのリアクションはあると思います。まして、センター試験問題の不掲載というのは業界にとっては大きな問題ですので、年内に動きがあると思っていてよいでしょう。
それがどういう結論で落ち着くかには注意してゆかないといけません。なにしろ、不思議にことに、この問題にはマスコミはまったく無関心ですから。

yohakuyohaku 2006/05/15 21:54 あっ、ハテナって削除できないんですね(汗)
ミスタイプがありますが、脳内変換して下さいね。

nekopanda_tarenekopanda_tare 2006/08/26 01:55 今年は追試験が全面非公開ですよ。これはいったいなんでしょうね。
これも、誰も問題にしていない。困ったものです。

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2006-05-11 やはり評論の載っていない赤本が出た! このエントリーを含むブックマーク

以前に「評論の載っていない赤本?」という記事で予想した通りに、2007年度版のセンター国語の赤本から、評論の第一問の別役実『言葉への戦術』が「編集の都合により」というコメントと共に省略されてしまった。(ちなみに本文と問題は割愛されているが、解答・解説だけは収録されており、なんとも奇妙な作りとなってしまっている。)

同様に学燈社の「全国大学国語入試問題詳解」でも同じく、センター国語の第一問は掲載されておらず、「第一問は非公開」とのコメントがつけられている。

いよいよこの日が来てしまった。多くの受験生が本格的に過去問を購入して演習をするのは、夏から秋にかけてだと思うので、まだ現時点で大部分の受験生はこの事実に気づいてないだろう。混乱が始まるのはもう少し後になるであろう。

一応、ネット上ではダウンロード可能なので、評論第1問が全く手に入らないわけではない。

http://www.yomiuri.co.jp/nyushi/center/06/1/exam/342/1.htm

だが、インターネットの使えない環境の受験生はどうなるのだ? 過去問の入手も演習もできないのか? まさにデジタルディバイドの問題が起こって来る。

一方、ここまでの事態が起こったことによって、この著作権問題の深刻さが、幅広く人々に認知されることにつながるかもしれない。もしテレビなどが積極的にこの問題を取りあげていくことになれば、現在のいろいろな意味で極めて歪んだ状況が世間に知られることになるだろう。

ただ、もしマスコミ報道することにでもなった時には、世論を特定の方向に操作するような形での取り上げ方だけはして欲しく無い。作家側、塾・予備校・出版社、さらに受験生などの見方をそれぞれ冷静に極力客観的に報道してくれることを望む。

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UMAUMA 2006/08/19 18:08  実は、センター試験に限らず、小学・中学の国語の問題集の編集もずいぶん大変なことに・・・。
 ひどいモノになると、国語の問題集なのに、漢字と文法だけだったり・・・。
 教科書準拠のモノもビジュ権絡みの作家のモノは「教科書を読んで答えなさい」という設問形式にせざるおえなくなっているし・・・。
 作家たちには国語の問題集や教材も自分と読者をつなぐ道筋なんだと言うことを気付いてもらいたいモノです。こんなことしていると、国語の授業時間、減ってしまいますよ。きっと。

2006-02-20 早稲田一文の問題が… このエントリーを含むブックマーク

河合塾が早稲田一文の国語をweb上で公開していません。代ゼミは第一問以外は公開しているので、第一問の出題作家に著作権上問題が? 出典だけでもどなたか、教えて下さい!

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ripsrips 2006/02/20 18:24 とりあえず駿台のを待ってみなはれ。
http://www.sundai.ac.jp/yobi/sokuhou/index.htm

hajihaji 2006/02/21 17:37 駿台HPに一文の総括が掲載されています。
現代文第一問の出典は、
小森陽一「法、暴力、民主主義」(『変成する思考 ーグローバル・ファシズムに抗して』岩波書店)
です。

phenotexphenotex 2006/02/22 00:42 皆様ありがとうございます。駿台出ましたね! (問題文自体はMSNに逃がしてある形ですが。)代ゼミ&河合がダメなのは、やはり著作権問題なのでしょうかね?

phenotexphenotex 2006/02/24 23:30 http://hiw.oo.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/06/w08.html
気がつけば、河合塾でも国語出てました。良かった。
でも代ゼミはやはり出てません。

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2006-02-01 入試過去問と著作権 このエントリーを含むブックマーク

大学受験を体験した者ならば誰でも知っていると思われる入試過去問集「赤本」が訴えられた!

http://www.jvca.gr.jp/news/news04/jvcanews04_06.html

これは塾・予備校などに携わる者には非常に大きな衝撃となった。だが実は既に赤本が訴えられる以前にその予兆となるような動きはたくさんあった。下記URLを見れば、赤本に至るまでに様々な塾・予備校・教育系の出版社が訴えられていたことが確認できる。

http://www.jvca.gr.jp/news/index.html

この動きのせいで、長文の削除された国語過去問集が作られたり、また国語の入試問題集の出版を取り止める出版社も出ている。また塾・予備校では受講者に対して過去問対策を行なうこともままならず、指導上で様々な問題が生じてきている。

「日本ビジュアル著作権協会」という団体の主張をひと通り読んだ上で、僕はこの問題については、「日本ビジュアル著作権協会」は、「やり過ぎだ」という感を持った。下記ブログでも同様のことを思っている方がおられるようだが、

http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2005/04/post_7f94.html

正直言って、「そんなところからも金取りたいのかよ?」というのが、僕の「感想」だ。あんまりケチなこと言わないで、使わせてやればいいじゃないのかなと思う。入試問題で作品と出会ったことによって、実際に本を買うという動きをする者は多いが、それによって本来売れるべき本が売れないという事態は想定しづらい。宣伝にこそなるが、著書の販売を妨げる要素はないと思われる。

だが、これまでの裁判の動きなどを見る限りでは、塾・予備校側の旗色はあまり良くないようだ。確かに「法律・権利」ということを考えてみれば、資本主義のこの世界では仕方ないことだ。僕は「著作権を放棄せよ」などと言うつもりはない。

だから、これが時代の趨勢であるならば、それを受け入れた上で、この機会に大学入試の国語の出題の形式を抜本的に改革してしまってはどうだろう。(ここが僕の「主張」だ。)もしこのまま「入試で出題された文章が過去問として入手できない」という事態が続けば今後の日本の国語教育の根幹を揺るがすこととなってしまう。ならば、いっそのこと、もう著作権侵害の可能性を含む現代作家の文章を出題することを止めてしまえばいい。それを補い、より教育効果の高い他の出題形式を取ることも可能だと思う。学力低下、教育格差、ゆとり教育愛国心、美しき日本語…などの昨今の日本の教育における諸問題と合わせてこの問題を解決して行ければそれに越したことはないではないか。

以下にこの問題における僕の思う所を記してみた。引用、リンク、賛同コメント、反論コメント、トラックバックなど自由にしてもらって構わない。(大学、塾・予備校、出版社、受験生、作家、政治家…、皆が真剣に考え、よりよい方向を模索すべきひとつの"社会問題"として様々な人達に認知してもらうために、僕はこのblogを立ち上げたのだ。)


没後五十年の作家を中心とした出題を

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060124

小論文の出題、哲学を高校の必修科目に

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060125

明治・大正・昭和初期の小説を出題せよ

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060126

勝手な解釈をするな!というなら…

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060127

塾・予備校は学校教育の補完として機能してきた

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060128

評論の載っていない赤本?

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060129

漢文、明治文語文の出題を増やせ

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060130

書きおろしの文章集は作れないのか?

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060131

過去問の著作権についての様々な視点(リンク中心)

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060120

ハラナ・タカマサハラナ・タカマサ 2006/01/31 21:54 トラックバック、ありがとうございました。
試論かきましたので、ご参考まで(http://blog.drecom.jp/tactac/archive/362)。

phenotexphenotex 2006/02/01 00:39 読ませて頂きました。僕の気づいていなかった視点がいろいろと述べられていて、勉強になります。ここに立ち寄った皆様も是非ご覧になって下さい。

福福福福 2006/02/07 00:49  コメントありがとうございました。お陰で、深く考えられるチャンスをいただけました。私も長年、学校や塾で国語の指導をしてきました。だから、このままでは、小学生から中学生までが、まったく本を深く読めない事態が来るのではないかと危惧しています。

phenotexphenotex 2006/02/07 01:16 ありがとうございます。何もなかったようにコメント削除してしまうだけの人もいる中、ここまでいらしてコメント下さったことに感謝します。皆さんで真剣に考えていきましょう。

福福福福 2006/02/07 21:41 丁寧に、一つ一つのコメントに返事を書かれることに感心しました。もし、良ければ、私のブログ「読めば国語力がつく」の最初の1回から150回位までを読まれたら、従来のどこにも無い読み方を手に入れられると思います。明治時代であろうとも、古典でも、同じ基準で読めますから、現代文でなくても、自由に読めるようになれると思います。私の卒業生達のために書いたものだからです。ただし、150回以降は、蛇足です。

phenotexphenotex 2006/02/08 01:09 >明治時代であろうとも、古典でも、同じ基準で読めますから、現代文でなくても、自由に読めるようになれると思います。

そうであればこそ、いろいろな文章を利用できる環境が望ましいですね!

福福福福 2006/02/08 14:59 まったく同感です。私も、従来とはまったく違う、現代国語の読み方を紹介したかったのですが、著作権の壁を感じて、書くことを断念しました。50年前の作品では、現代国語とは言えそうもないからです。そして、刻々と変化している現代文を、その新しい助詞と助動詞などの表現を用いて、生き生きとした解説が出来るように、新しい読み方を紹介したかったのです。

親父親父 2006/02/12 17:05 トラックバック有り難う御座いました。
著作権侵害には当たらないだろう(紹介するだけで、金銭的利益を得るのではないのだから)と考えていたのですが、研究してみます。

phenotexphenotex 2006/02/13 07:12 少なくとも「全文引用」は不可でしょう。

なつきなつき 2006/02/13 12:22 トラックバックたどってきました。僕としては、全然罪の意識がありませんでいした。恥かしいことです。僕の浅い教養では、この問題は頭が飽和してしまいます。友達に詩を紹介することも、ブログで「こんなイイ詩があるんです。」って伝えることも、すべて法的にはNGなんですよねぇ。うーん。考えるきっかけになりました、ありがとうございました。

phenotexphenotex 2006/02/13 16:59 「いい詩を紹介したい」という気持ちはごく自然なものだと思います。でも今の時代は自然なことをやっているつもりでも悪い事になるようです。インターネットが普及し、特に著作権に関しては、創作者も享受者も、これまでの常識を修正しなければならない時期が来ているように思います。「入試過去問と著作権」の問題もそういった流れのひとつの現れだと思います。お友達にもこの問題を教えてあげて下さい。皆が自分の問題として考えていかないと”誰も納得いかない常識”が出来上がってしまうことになりかねません。

親父親父 2006/02/14 08:29 先日はTB有り難う御座います。本日は、また幣ブログにコメントを頂き重ねて御礼申し上げます。TBを頂いてからの私の考えを、本日つけのエントリーにUPしておきましたのでご一読頂ければ幸いです。

通りすがり通りすがり 2006/02/19 15:09 私も塾・予備校関係の仕事をしているので、気持ちはよく理解できます。しかし、作家の方々が自身の「著作権」を守るのもまた当然の権利であると、私は思います。「読まれるきっかにはなっても、埋もれていくきっかけにはならない」という趣旨の意見がありましたが、それは、やはりこちら側の立場からの意見に過ぎません。また、作家の方々の主張としては、別にケチって著作権などということを言い出しているわけではなく、このような状況を招いた背景には、我々塾・予備校関係がこれまであまりにも作家の方々の著作権を蔑ろにしてきたという経緯があり、それに対して自身の権利を守るために作家の方々が主張をはじめたのではないでしょうか?

phenotexphenotex 2006/02/20 00:00 >こちら側の立場からの意見に過ぎません。
この点なのですが、本当にそうでしょうか? もちろん「こちら側の立場から」であることは間違いないですが、他の立場の方々、一般の感覚でも「塾・予備校側の非」が強いと考えられてしまうのでしょうか? 僕はそうではないと思っています。主張すべきことを主張するのは、作家側だけでなく、塾・予備校・出版社側も同様であると思います。(学校や入試作成者も。)

親父親父 2006/02/20 11:16  私のブログに、貴ブログにリンクをはらせた頂きました。ご報告させて頂きます。簡単な解説書を手配致しました。徐々にですが、先ず、現在の著作権で許されていることと、許されないこととを知ることから始めたいと思います。

phenotexphenotex 2006/02/22 00:48 リンクありがとうございます! こうやってブログで繋がりあっていくことは素晴らしいことだと思います。今後ともよろしくお願いします。程よいタイミング&コンテンツが揃ったら何らかの形でこちらからも紹介しますね。(ちょっと時間置いた方がいいですよね。)

2006-01-31 書きおろしの文章集は作れないのか? このエントリーを含むブックマーク

これまで、入試現代文の出題は既存の書物から抜粋を行なう形で作られてきた。だからこそ著作権の問題が生ずるのであり、根本的に仕組みを変えてしまえば、良いのではないだろうか。つまり、各大学において、入試のために文章を書き下ろすのだ。この文章を基にして現代文や小論文の設問を作り、入試終了後は、それを各大学が受験生にむけてインターネット上に載せたり、または入試文章集として製本して販売すればよい。これならば大学が、どのような知識や問題意識を受験生に期待しているのかが解るし、受験生も真剣にそれらの著作物を読むだろう。たとえば東京大学出版会の「知の技法」シリーズは学生の一般教養サブテキストであるが、同じ様なものを高校生にむけて、各大学が出版していけばよいと思う。わざわざ著作権でもめそうな現代作家の文章を大学入試に出す必要はない。

これまでは、大学から受験生にむけて直接情報発信をすることは、流通システムなどの問題で難しいことだったと思うが、インターネットが普及した現在ではそれが可能だ。2007年には大学全入時代を迎えると言われているが、今後はきちんと受験生の側を向いた入試システムを構築した大学が受験生を集めることができるだろう。

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2006-01-30 漢文、明治文語文の出題を増やせ このエントリーを含むブックマーク

現在の大学入試において、漢文を課すところはほぼ文学部ばかりとなっている。自ずから、受験生も漢文の学習をおろそかにするようになっている。だが、日本人の思想・文化と漢文は不即不離の関係を結んできたのであり、漢文の学習をおろそかにすることは、まさに「国語」という科目の本分を失うゆゆしき事態であると思う。たとえば、道元禅師は漢文を独自の解釈で読み下すことによって、オリジナルな思想を生み出して来たのであり、「読み下し漢文」の文化は日本の至宝と言ってもよいだろう。

もし漢文そのものを出すことが受験生の負担を増すという点で困難であるならば、「明治文語文」の出題を行なってはどうだろう。「明治」という時代は日本にとってまさしくターニングポイントとなる大事な時代であったと思う。長年の鎖国を破られ、欧米の植民地とされてもおかしくない状況で、日本の独立を守りぬいた当時の日本の知識人達の気概、意欲、進取の精神を彼らの書いた文章から直に学ばせることは、グローバル化の叫ばれる現代において、非常に意義のあることだと思う。(数年前までは明治大学法学部が「明治文語文」を出題し、山路愛山、中村正直森鴎外、神田孝平、杉浦重剛、津田真道、中江兆民らの文章がとりあげられていた。)

既に明治生まれの方が少なくなってしまったこの時代、今の高校生の中には明治を江戸時代だと思っている子もいるぐらいだ。日本の近代の出発点である明治はあまりに遠くなってしまった。江戸までの文章は「古文」で出題されるが、明治時代はなまじ「現代文」の範囲に入れられているにも関わらずその文体は現代のものとは違っており、逆に受験生の目にふれることは少なくなってしまっている。

山本夏彦氏は「完本 文語文」の中で、幸徳秋水による「兆民先生行状記」を引き、中江兆民が「西洋人はくどい、俺なら漢文で半分で書く」とルソーを訳すに当って述べた旨を引用しているが、漢文書き下し調の文語文は日本人が欧米思想を受け入れる際の重要な道具となったことが伺える。だが、その明治の人々による漢文書き下し調の文語文を、今の子供達は、古文以上に遠いものとしてしまい受け入れられない状態にいる。日本の良き伝統をこのまま過去に葬ってしまうのは実にもったいないことだと思う。中江兆民はフランス留学を経て、仏学塾創設した後に、東京外国語学校の校長をわずか三ヶ月で辞している。その理由のひとつは漢文(孔孟の教え)を徳育の根本に用いること訴えて文部省と対立したことだったという。現代の日本の受験制度でも必要以上に英語が偏重されているが、外国語の勉強する前に日本人ならば漢文をしっかりと学ぶべきではないだろうか。

漢文は現在の小泉内閣の外交がないがしろにしてる漢字文化圏儒教文化圏のアジアの他の国々と我が国日本との重要な共通項でもある。今後の国際情勢においても漢文の学習は重要な鍵であるとさえ言えるかもしれない。

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【漢文教育について述べているblog】

ripsrips 2006/01/30 18:31 明治大学法学部は今でも「明治文語文」を出し続けていますよ。あと、京大や上智大も。

phenotexphenotex 2006/01/30 19:12 明治・法は以前に比べて口語的になりましたね。漢文訓読調ではなくなって物足りない気もします。(「本居宣長」を出したりはしてますが、江戸ですよね。)上記以外には東京女子ぐらいですか。

ripsrips 2006/01/31 01:46 明治(法)は去年(2005年)はホッブズ 『哲学者と法学徒との対話』でしたね。
明治文語文を出し始めたのが1991年以来ですから、これで15年目。長いですね。

2006-01-29 評論の載っていない赤本? このエントリーを含むブックマーク

2006年のセンター試験が終わった。国語第1問の評論は別役実氏の文章だった。別役氏は「日本ビジュアル著作権協会」の活動に賛同し、四谷大塚日能研を訴えている。また同団体は大学受験生にはお馴染みの「赤本」(世界思想社教学社)を訴えていることでも知られる。

以上のことから判断すれば、場合によっては、来年度の赤本は、今年度のセンター試験の評論文が削除されたものになる可能性も充分ある。(すでに代々木ゼミナールはweb上の解答速報にセンター試験の国語を掲載していない。)センター試験の国語は時間配分の見極めが大きなポイントとなるテストであり、過去問の学習が不可能となれば、一番の被害を被るのは受験生である。(*実際に2007年度版の赤本からは別役氏の評論が削除されました。

すでに今年度「志望校の過去問やろうと思ったら載ってないんですけど、どうすればいいですか?」と生徒から相談を受けている。もしも日本で最も多くの受験者を持つセンター試験の赤本の第1問がまるまる削除されるという事態になれば、50万人以上の受験者が前年度の問題を解くことができないという事態に陥る。その時は、もう少し世の人々もこの事態の重大性に気づくだろうか。

もう少し現実的な線として、今後は著作権料分を価格に上乗せした形で入試過去問集が発売されるということも生ずるかもしれない。だが、この場合は1冊の単価がその分上昇するわけであり、受験生の家庭に与える経済的負担は増すことになる。(実際に現代文のテキストが以上な高額になっている塾・予備校も出て来ているという。)経済的理由から過去問対策がおろそかになったために不合格となる生徒も現れるかもしれない。そうなれば、刈谷剛彦氏が「大衆教育社会のゆくえ」の中で指摘しているような階層化の問題にますます拍車がかかることも考えられるだろう。

(ちなみに2006年センター試験国語第2問では文中で登場人物の女子高校生が「"二十億光年の孤独"を読んだ?」というセリフを言う。"二十億光年の孤独"は谷川俊太郎氏の詩集名。谷川氏も「日本ビジュアル著作権協会」で中心的に動いている作家の一人だ。これをきっかけに"二十億光年の孤独"を読もうと思った受験生がいるかもしれない一方で、場合によっては小説の設問も赤本に掲載不可になるかも知れない。)


もちろん赤本だけでなく、他の予備校や出版社の方々もいろいろと懸念されているようだ。

http://d.hatena.ne.jp/zkai/20060121

代ゼミのwebにセンター国語が掲載されてないことに疑問を感じていらっしゃる方も。

http://d.hatena.ne.jp/yotomusi/20060121/p6

http://erictokuga.exblog.jp/3421204

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2006-01-28 塾・予備校は学校教育の補完として機能してきた このエントリーを含むブックマーク

自分の文章を塾・予備校で使われることに抵抗感を持つ作家の方々の中には「塾・予備校は受験テクニックを教えるだけの卑しい空間である」との認識をされている方もいるようだが、僕は「塾・予備校は学校教育の補完として機能してきた」と考えている。

このブログを書いている僕自身は団塊ジュニア世代で、もっとも大学受験生の多い時代の人間である。浪人人口も非常に多く、僕自身も浪人を体験し、予備校へと通った。高校時代の僕は勉強への意味も見出せないまま、窓の外ばかり見ている日々を送っていた。まともに勉強へのやる気も持てぬまま何となく受けた大学受験。結果は不合格で、なんとなく予備校へと通った。

だが、当時の予備校は非常な活気にあふれた空間だった。学生運動崩れの元全共闘講師、大学の先生によるアルバイト、専業のタレント講師、いろいろな講師がいたのだが、どの先生も学校の先生より、はるかに僕の知的好奇心をかきたててくれた。僕は予備校で初めて学問の面白さに気づかされたのだ。(だからこそ僕は学校の先生ではなく、塾・予備校の先生として働いている。)

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2006-01-27 勝手な解釈をするな!というなら… このエントリーを含むブックマーク

自分の文章を入試問題で使われることに抵抗感を持つ作家の方々の中には、入試問題の中で『筆者の主張は〜』『主人公の気持ちは〜』というタイプの出題がされることに対して不快な気持ちでいる者もいるようだ。だが、作品は読者と作者の間にあるものだ。解釈されるのが嫌なら、発表しなければよい。大手出版社から自分の作品を出すことを選択した限り、その作品は多くの人間の目に触れ、その時代、その文化によって判断されてしかるべきだ。その時代その文化において多くの人の目にふれ解釈されることで作家として食っていけているんじゃないのか。入試問題による解釈だけはダメなのですか? もし解釈を拒否するなら、ひっそりと自費出版するか、日記にでも書いておけばいいではないかと思う。

テクストというものは、作家個人の力だけでなく、文化、社会の力によっても生み出されているものだ。著者はこの文化の中で育ち、この時代の持つ何かが、最後の段階で、著者の心を介することで、作品となっているという側面があるだろう。ならば解釈は避けようが無いことじゃないか。入試という制度を持ったこの国にいながら、入試問題にされることだけを拒絶するというのはどうなのか。もし入試制度のない国だったら、その作品は支持されていなかったかもしれないのに。もし解釈自体が嫌ならば、書評や書店のコメントや帯に貼られたキャッチコピーや文芸評論家様による解釈も拒絶してはどうかと思う。

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ripsrips 2006/01/31 02:02 現代文の参考書より抜粋を。

すなわち、問題は出題者の考え方に従って作られている(中略)。勿論、よほどひどい出題者でない限り、筆者の書いてあることに逆らうような出題をしたり、解答例を作ったりはしない。しかし、本文の論旨があいまいな場合には、出題者がそれをどう読ませたがっているかが問題になる。極端にいうと、いくら筆者がどういうつもりで書こうと、出題者が、「この文章を〜という観点から読んだ場合」などという前提をおいて出題をしてしまえば、そちらが優先されるのである。よく、出典となった文の筆者が、自分はそんなつもりで書いていない、と言っているのを聞くが、それはそうなのである。なにしろ、入試は、出題者がどんな問題を作ってどう答えさせたがっているかが勝負なのであって、出題者の意図を読み取ることを考えなければならない。それは設問文に表れている。
田村 秀行「現代国語または現代文という科目について」『入試重要 現代文問題 田村の合格コーチ』(中央図書、1983年、p.39.)
同『田村の総合現代文』(中央図書、1992年、p.5.)

ripsrips 2006/01/31 02:04 『田村の総合現代文』は、中央図書ではなく、ライオン社でした。訂正。

phenotexphenotex 2006/02/01 00:47 ありがとうございます。僕も田村氏の本は何冊か持っていますが、指導する側としても大変に勉強になる視点を提供してくださっている方だと思います。

はるとはると 2008/04/21 23:47 作家の端くれとしてぼくはこう思う。
勝手に解釈されるのは良い。かまわない。受験用の解釈、出題者の解釈、大いに結構。
問題は、それが生徒に強制されることだ。
かれらは合格するために、その解釈に沿おうとする。
それがただ、悲しいだけだ。
数多ある解釈、そのなかでたったひとつを強要される。思想統制と何の違いがある?

表現者の側から見ると、これほど気味の悪い「勉強」はないんですよ。

2006-01-26 明治・大正・昭和初期の小説を出題せよ このエントリーを含むブックマーク

現在の大学入試においては、国語の現代文の出題のほとんどは「評論」であって、「小説」の出題はかなり少なくなっている。センター試験と国公立の2次試験は辛うじて「小説」の出題を続けているが、私大ではほとんどの大学が「評論」中心の出題だ。大学において「論理的な思考力」が大切なことは、当然だ。

だが、それ以上に「人間としての感性」という部分をおろそかにしてはならないと思う。日本の宝である過去の偉大なる作家達が自らの魂を込めて生み出した名文の数々にふれることで、彼らの苦悩、人生における発見、時代を超えた感性、古く美しき日本語の輝きにふれる機会を増やすために入試における「小説」の復権を唱えたい。

入試で小説を問うことにいろいろな問題があることは充分承知だ。ただ、入試での出会いというきっかけでも無い限り、娯楽に溢れた現代において、自分のお小遣いで小説を買って読む高校生がどれくらいいるだろうか? いたとしても流行のベストセラー物に留まってしまう者も多いのではないか。明治や大正に遡って小説を読もうとする者となれば、相当にその数は減るだろう。驚くべき話だが、今では小説を出題する数少ない試験のうちのひとつであるセンター試験において森鴎外の「護持院原の敵討」が出題された時には「古文が出た!」と騒いでいる子もチラホラ目にしたし、「明治っていつですか?江戸時代ですか?」などと尋ねてくる子もいるくらいなのだ。

「美しき日本語」とか「愛国心」などという最近流行りのスローガンについて、僕自身は抵抗を感じる部分もあるのだが、そういった思想が時流に乗っていることも事実だ。偉大なる先人達から比べてみれば昨日今日デビューしたに過ぎない人ような文章ではなく、没後五十年を経た、明治・大正・昭和初期の小説家達の文章を出題することは世論の支持も得られるのではないだろうか。

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日本語教育について述べているblog】

siuyesiuye 2006/02/04 19:27 私が受験生の頃(とそれ以前10年くらい)は,京大の国語には必ず明治の文章(擬古文)が出ていましたが… 今はどうなんでしょうね.

phenotexphenotex 2006/02/07 00:16 去年は横光利一の小説でしたが、それに類するものは今でも出ていますね。

クリトンクリトン 2007/03/23 12:32 趣旨に賛成です。鴎外漱石のみならず一葉も秋水も。中島敦もよいと思ひます。できれば旧かなづかひが望ましいのですが、贅沢は言ひませぬ。受験対策⇒ただ読めばよい。国家的長期的愚民化政策への対抗策となりえます。

2006-01-25 小論文の出題、哲学を高校の必修科目に このエントリーを含むブックマーク

最近の入試現代文はひと昔前の文芸評論中心のものから大きく傾向を変えて、「現代思想」と言ってもいいほど、哲学・思想系の文章が多い。だからこそ塾や予備校の現代文の授業は「背景知識」を教えテーマについての理解を深めるタイプのものが増え、予備校の現代文の教室は「哲学」さながらの授業が展開されるようになってきている。

確かに、学問を志す限り、哲学や現代思想への理解は必要だと思う。受験生が現代の学問のフィールドにおける問題意識を共有できるかどうかを検証するための重要な踏み絵として現在の入試現代文は機能しているという側面も否めない。また塾や予備校が、高校生や浪人生のために、学校教育では充分に学べない哲学・思想系の知識を補っていることも、評価していいはずだ。

だが、このまま著作権についての規制が厳しくなっていき、生存中の作家の文章が出題不可能となれば、当然、「現代の」学問において問題とされている哲学・思想系の事柄について「現代文」で問うことが難しくなるだろう。

だからこそ「小論文を大学受験において必修とすること」を提案したい。課題文を読ませる方式であれば、前もって著作権についてオープンな考えの著者の作品を課題図書を指定しておく方式にしてもよい。(例えば、法政大学では前もって課題図書を読ませる方式の入試をすでに実施している。同大学では著作権に問題が生じないと思われる作家が積極的に選ばれているようだが。)もしくは、大学教員による書き下ろしのものを使用してもよいだろう。また早稲田大の人間科学でかつて出題された『次の五つの語句をすべて用いて一貫性した意味のある考えを論述し、表題を記しなさい。"脳・感情・人間性・技術・適応"』などのようにキーワードを出して論じさせる形式でもよいし、「デカルトの心身二元論について論ぜよ」というような出題でもよい。

日本では「哲学」は必修となっていないが、例えばフランスでは高校で「哲学」が必修となっている。他の多くの国でも大学で「哲学」を必修にしている。いっそのこと、日本でも、国語という科目の中で哲学・思想めいたことを補完することは止め、「倫理」「現代社会」等を統合して「哲学」の授業を行なってはどうだろう。そしてその「哲学」という科目の中で扱われている問題を入試小論文で問う形にすればよいのだ。

下記blogを参照したところ、中学入試においても同様の傾向があるようだ。

瀬戸智子の枕草子 http://ts.way-nifty.com/makura/2004/12/post_52.html

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phenotexphenotex 2006/01/24 01:48 コメント可能です。

H(教養の道)H(教養の道) 2006/01/30 11:58 TBありがとうございました。国語から分離した高校での哲学教育、全面的に賛成です。最近の入試問題の国語はおっしゃる通りの傾向で、もっとことばの理解力やセンスを重視したものの方がいいと考えています。そして高校での哲学教育は、やはり社会科系の科目、とくに倫理との関係でやるべきという点も賛成です。

phenotexphenotex 2006/01/30 19:25 賛同頂けて嬉しいです。実際の教育現場、入試へと反映されるようになるといいと思います。今はこんなふうにblogで問題提起することぐらいしかできませんが、いろいろな方にこの問題を考えて頂きたいと思っています。

ripsrips 2006/01/31 01:43 97年の新課程になってから、「倫理」もかなりメジャーな科目になってきて、学参の数も増えましたね。ほんとはこういう科目が、大学受験生の最低必修内容にはなってほしいものです。
フランスのバカロレアみたいなのを目指すのであれば、中央大文学部が入試で毎年出している「倫理」(1000字論述)みたいなのがモデルになりそうですが、ちょっと普通の受験生にはヘビーかもしれませんね。小論文とのボーダーにある内容なので、興味深くはありますが。

phenotexphenotex 2006/02/01 16:38 中央(文)の倫理、興味深いですね。確かに普通の受験生には荷が重い感じですが。指導する側の能力も問われそうですね。