エロゲ概論⑤

⑤題名:俺たちに翼はない

ジャンル:ロマンティック・コメディ
制作会社:NAVEL
脚本:王雀孫(オウ・ジャクソン)
制作年:2009年
2ch歴代ベスト:第26位
エロゲ批評空間(中央値/平均値):86/83
エロゲ批評空間ベスト:第32位



◆◆◆

―――てなわけでね、ハイこれ黄金の鷹クン逃げちゃいましたけど、まー、 しみったれた話はこんぐらいにして、カラッと空気換えていきましょーか。

オーケイ、オーライ、オールナイトロング!行くぜ、おまえらみんなたち!奈落の夜はまだまだ始まったばかりだ!主人公は一人じゃない、ひとの数だけドラマがある、キャメラ移せばドラマも変わる。

それじゃあさっそく行ってみよう、ブリンブリンに飛ばしていくからおまえらノーウィング・キッズたちも、振り落とされず付いてこいよ!

◆◆◆



いままでエロゲエロゲと十把一絡げにしてきたが、そこのおおよその意味は「エロシーンのあるノベルゲーム」である。しかし、そろそろこう思うのではないだろうか。つまり、どこがゲームだ?と。

その疑問は正しい。単調にクリックを繰り返し文章を進めるだけの作業を、ゲームをプレイしている、とは思いにくい。しかしエロゲはまぎれもなくゲームだ。音楽があるから、などといった理由ではない。一言で言ってしまおう、最大の要は「選択肢」の存在にある。

エロゲ消費者の絶対数は少ない。マンガやアニメや映画を好む諸兄諸姉に、比すことすらおこがましいレベルで、少ない。そのくせ消費者の嗜好の多様化・細分化は著しい。これは美少女ゲームなどという胡乱な媒体の抱える宿命的なジレンマだ。ではどうするか?現在最も最適化された答は存在する。それはつまり、攻略可能なヒロインを複数搭載する、である。

プレイヤーはクリックを繰り返し物語を進めながら、選択肢を選び続ける。その繰り返しの果てに、特定ヒロインのルートに突入し、彼女と愛を育み、ハッピーエンドを迎える。


しかしここで考えてほしいことがある。気付いてほしいことがある。それは、選ばれなかったヒロインは一体どうなっているのか、という事だ。あるヒロインを選んだ瞬間、基本的に他の全てのヒロインは、彼女たちがそれぞれ持つそれぞれのストーリーもろともに、選ばれたストーリーから排除される。

これは、また後でそのヒロインのルートに入りなおせばいいじゃん!という事にはならない。

あるヒロインを選んだ時点で彼女のストーリーは語られず、その未来は閉ざされ、「ヒロイン」という意味ではその時点で彼女は抹殺されたも同然である。しかも抹殺後も彼女の人生は裏側で続くのだ。これは残虐な悲劇である。もっと極端な言い方をすれば、君があるヒロインのルートに入るとき、

君は、その他のヒロインを大量虐殺していることに他ならない。

どうして自分は彼女を選んだのだろう、という疑問は、どうして彼女たちを選ばなかったのだろう、という問いとコインの裏表だ。



それは意味の殺害。
ヒロインとは、作者が、ある物語と、そこに秘されたテーマを語るために配置した舞台装置、込めた意図の表出のため用意した“意味”だ。物語が複数のストーリーラインで編まれたタペストリーだとするならば、あるストーリーラインだけを抜き出した瞬間、パッケージ全体としての物語は有機的連結を失う、つまり、死亡する。

殺害犯は自分だ。
読者は悉く殺人鬼だ。
全てのプレイヤーはシリアル・キラーだ。

彼女たちの亡骸を踏みつけ、乱立した数多の墓標の上にヒロインとの恋は立脚している。影が濃ければ光はより強く輝く。ハッピーエンドの背景は荒涼とした墓地だ。その事実を忘れた萌え豚はただの豚だ。否、豚どころではない。畜生にも劣る悪鬼羅刹である。

選ばれた要素(=ヒロイン)は、選ばれなかった要素(=サブ・ヒロイン)との対比にこそ意味を与えられた。残された要素に素敵な意味があるとすれば、その意味を捨て去った要素たちもまた、意味の裏面として、物語の本筋の裏側に残り続けるのだろう。あたかもそれは、美麗なタペストリーを支える確固とした裏地であるように。

だからもし、彼女らが偉大かどうかの保証はなくとも、そしてもし、彼女らの退場を誰も意識しなかったとしても、我々(萌え豚)は、彼女らに心をこめて、心から、感謝と訣別の言葉を送らねばならない。



この宿命的なジレンマに対し、先人たちは何の努力もしなかった訳ではない。むしろ、その事に真っ先に気付いたのはやはり彼らだ。報われない彼女らがせめて穏やかでありますように、と五里霧中のなか、苦闘を続けた。マッチポンプにも似た、独善にも程があるその願いは、しかし、ある程度は叶えられた。

複数ストーリーの統合。
その大問題に対し、様々なアプローチが試みられた。その結実の一つが「ループもの」である。

複数ヒロインのルート群をそれぞれ並行的に扱うのではなく、一本化して、扱うテーマもそれに応答した一本軸にしてしまおう!というものである。そのようなSF的構成は、思いがけず実に多彩な実りを見せた。
『世界の果てで愛を歌う少女YU-NO』、『EVER17』『FOREST』『CROSS†CHANNEL』『マブラヴ』『ef-a tale of memories-』『シュタインズ・ゲート

symphonic=rain

などといった名作を数多く生んだ。これは、そもそもオタク的文脈というのは、ガンダム銀河鉄道999などを思い浮かべてもらえば分かりやすいが、戦前〜戦後にかけて海外で勃興したSF小説の末裔だということも、その親和性の証左になるだろう。

あるヒロインのルートに入る、しかし悲劇的な結末を迎えてしまう、その記憶をもったままゲームスタート時の地点に巻き戻されてしまう、刻一刻と迫る(君だけしか知らない)カタストロフを回避すべく主人公=プレイヤーは前世の記憶を頼りに奮闘し、ヒロインを見事救済し、ハッピーエンドを迎える。これがループものの共通項である。

救えず零れたヒロインの救済に成功した時のカタルシスは筆舌に尽くしがたい達成感と幸福感で主人公=プレイヤーを包む。その大団円。これぞループものの醍醐味、複数ストーリーの統合に対する解の一つである。

本作『俺たちに翼はない』もまた同様に、並列ヒロインに対する統合について一考された作品である。現代を生きる若者たちそれぞれのストーリーが意外な形で交わり、最終的に伏線は回収され広げられた物語は収束し奇麗な幕切れを見せる。

特別何かに秀でたわけではないが、なるほど時代は(制作者に対しても消費者に対しても)ここまで成熟していたのか、と示すような作品である。今まで数々のタイトルに触れてきた我々(萌え豚)は、この秀逸なロマンティック・コメディがエンドを迎えた時、感心と歓喜のため息が知らず漏れることだろう。それほどに“よくできた”エンターテイメントだ。

またやはり、本作を語る際には脚本家の作家性に触れない訳にはいかないだろう。
脚本家<王雀孫>は、他に類をみないほど抜群に“愉快な日常”を紡ぎ出す事に優れたライターである。時代性を見抜く眼力、卓抜したキャラ造形、流れるようなキャラ同士の掛け合い、マシンガンのように乱射される抱腹絶倒間違いなしのセリフ回しetcetc……。

そんな彼の唯一と言ってもいい欠点は凄まじいまでの寡作・遅筆ぶりだろう。とにかく書かない。ほんとに書かない。待っても待っても次が出ない。正直本作が発売されると宣伝広報に載ったとき、彼を知る関係者・読者は一様に疑った。信じなかった。だってこの人、前作は2部作ですとか言っといたクセに完結編を一向に書かなかったから(かどうかは知らんが)制作会社つぶれちゃったんだぜ?前作でハンター・ハンターの富樫の遅筆っぷりをネタにしたくせにブーメラン乙、みたいな?

つーかそんなこと言うなら那須きのことかもう絶対に俺たちが生きてる間に魔法使いの夜3部作完結しないよね!DDDもホントに3巻発売されるの!?とか田中ロミオ丸戸史明ラノベに浮気してる暇があるなら(それはそれで大変おいしゅうございますけれども!)次のゲーム書いてよ!とか、確かに2007年あるいは2005年にエロゲはピークを迎えて後は斜陽まっしぐら☆とはいえやっぱり大御所が皆を引っ張っていってくれないとうにゃうにゃ云々。


閑話休題(訳:失礼、興奮しました)。


ここでまた、ループものの話に戻ろうと思う。

確かにループものは停滞していたエロゲ界に革命をもたらした。しかしそれが全き宝玉でありflawless perfectlyであったかと言われれば、否である。

むしろ、それはある一つの重大な忘却あるいは隠蔽を生んだ。それは、「人生は1度きりである」という、子供でも知っている、至極単純で、弱肉強食よりも普遍的な、この世の前提である。

なぜ、こんなシンプルな事実が無視されたのか。それは、エロゲの宿命的ジレンマとも相関する。いや、もっと言ってしまえば、我々(萌え豚)は、美しく艶めく数多の女性の色香の前に狂ってしまっただけなのだ。

あの娘もいいな、この娘もほしい、ああ全く、この世は人生1度じゃ貪り尽くすに広すぎる!

……そんな、愚にもつかない妄言を、数多の大人が寄ってたかって、大人げなく子供のような本気を見せて、叶えてしまったからこそ起きた、夢見たツケのようなものだ。(……そういえば、小説家・北村薫はこんなことを言っていた。小説家が小説を書くのは、人生が一度きりであるという事実に対する反逆である、と。ホントにあの人はいいこと言うなぁ……)

では具体的には何がおこったのか。たとえば昨今大流行を見せた『まどかマギカ』を例にとってみよう。御存知のように、まどマギとは、可愛らしく無知な少女がたった1度の願いと引き換えに身命賭して闘いに明け暮れる仕組みの世界を描いたアニメだ。

ここでは魔法少女となって悲惨な最期を迎える少女を救済するため、ループを繰り返す黒髪少女が登場する。黒髪の彼女の道程は過酷だ。最終的には全てを知った少女は、ただ救済される事を望むのではなく、そのような過酷な運命にあり無価値に命を散らす全ての魔法少女の存在に意味を与えた。

美しくも壮絶な自己犠牲。その根底にある思想は、世は戦場だ、しかし(それが例え凡庸なものであろうと)その生には何らかの意味があってほしい。そのような儚く切ない祈りであった。少なくとも僕はそう読んだ。

では周囲を見渡してみよう。確かにまどマギの反響は大だ。映画も作成され、興行成績は素晴らしく、次々と金字塔を打ち立てているらしい。だが忘れてはならない。本作の味付けは決して万人受けするものではない。いや、あれは万人が受容してはならないものだ。端的に言えば、不健全なものがマジョリティ化してはならないのだ。

凄惨な事実ならニュースを見れば全世界に溢れている。そういった悲惨は、我々のすぐそばに五万と存在し、またこれからも存在するのだろう。その事実を我々は「傑作だ!」と手を叩いて歓迎してもよいものだろうか?答は否であろう。それを肯定する事は、これも極論だが、人という種族の滅亡を肯定するようなものだ。

そう、これは倫理的な問題だ。君はそれを良しとするのか、我々はこれを良しとしてよいのか、良しとするにしてもそれは何故か?―――奇跡、救済、カタルシス、概念。そういった“記号”に脊髄反射して快感しているだけではないのか?そこに、真っ当で健全な倫理は働いているのか?……こんな、指摘されるまでもない“常識”を指摘されねばならぬほど、この業界は病んでいるのであろうか?


もちろん、以下のような反論は当然だろう。つまり、エロゲや美少女ゲームみたいな胡散臭いものを好んでプレイしている奴に、倫理がどうこうなぞ言う資格はない、と。ある面では正論だ。しかしある面では何の反論にもなっていない。

萌え豚とて、社会の中に根付き、社会生活を営んでいる、社会的動物である。そこに倫理がない筈がない。また、オタク界隈では、次々と産生される作品には、溢れんばかりの変態性が内包されているが、むしろちょっと露出しているが、作品世界を社会の中に秩序付ける“倫理”は、そこに確実に存在する。歴史的に傑作と呼ばれるものほど高度な倫理が内在する。というか、我々は確かに萌え豚でHENTAIだが、全く倫理も何の縛りもないただの夢物語や、社会性と遊離しているだけの自慰行為に、何の面白みも覚えないのだ。

作品には作者の思想が現れる。我々はここに社会を見る。現実と照応した光景をみる。そこに反映された己の姿を見る。視線が万華鏡のように交差するスリリングなくして、面白さは生まれない。ましてやそれが、多くの人間に愛され、時の流れの淘汰に耐え、傑作だ、名作だ、などと呼ばれる道理があろう筈もないのである。


翻って、エロゲである。

あるエロゲがある。名作だ。またあるエロゲがある。駄作である。その差は明瞭だ。その差異を生み出すものは何か。何に拠って我々はその線引きを行うのか。

―――それは、作品に反映される、制作陣の姿によってである。
そこには登場人物がある、絵がある、音楽がある、しかしそれ以上に、そこにはストーリーがあり、構成があり、思想があり、矜持がある。行間を読み取り、意味を束ね、意図を受け取り、その果てしない繰り返しによって、今まで盲目的に、あるいは経験的に信じていた“ワタシ”の世界の視座が逆転あるいは破壊され、新たな視座を得て、新たな風景を見る。

エロゲをプレイするとは、そのような一連の知的シーケンスである。

それは高尚でなくともよい、どんなに下らなくどんなに俗であってもよい、ただ、そのような広がりを“ふっ”と感じさせる強制力・喚起力をもったものを、言いかえるなら<物語ることそのものの初源性>を彷彿とさせる作品を、我々は、傑作だ、と、そう呼ぶのである。そう呼ばずにはいられないのである。




また、個人的には、もうひとつの要素が存在するような気がしてならない。
それは意志だ。
物語らずにはいられないという緊密で高圧な内在性の発露。物語ろうとする意志、そして、物語を終わらせる意志だ。

これは意外なほど注目されていないように思える。第1話で圧倒的な世界の広がりを予感させるも、道半ばで急速に減衰し、ついには広げた風呂敷を閉じることなく幕切れてしまう。そのような作品の―――エロゲに限らず、あらゆる創作物の―――なんと多いことか。

物語が意図の存在を彷彿とさせるには、よく配置され、よく収束せねばならない。しかし、これに自覚的で、かつ、実行されるといったなら、それは殆ど奇跡である。比喩でも誇張表現でもない。その完遂は非常な努力を要し、さらに美しく仕上がるには、いっそ偶然頼りでしかないのではないだろうか。創作は取りかかる前は知的行為だが、始まってしまえば労働だ(あるいはパズルだ)。そんなどこかで聞いたような言葉さえ連想される。

だが、これを成しえた物語というのもまた存在する。複数ルートの統合。その完成。美しい図面。そもそもの初めから両立する訳のない構造が、まるでだまし絵のように、しかし我々の心に納得を与え、形をもって立ち現れる。その時にこそ、我々は万雷の拍手で以て、心をこめて、心の底から、心より、もろ手を挙げて、―――傑作だ!と謳い上げるべきであろう。

物語が美しく収束されたかという観点において、『月姫』は傑作だった、『FATE/STAY NIGHT』は失敗作だ。そんな各論はそれこそ枚挙に暇ないほど積み上げられるが、ここでは一旦措いておこう。それよりも、眼前に広がる豊かな土壌に花開いた楽園を、寒々とした荒涼な墓地を、勇気をもって進んでほしい。そして、時には唾棄し、時には歓喜の鬨を上げ、心行くまで堪能してほしい。


―――この世界は戦場だが、君に値する場所でもある。
よき旅を。

俺たちに翼はない (通常版) - PSVita

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エロゲ概論④

④題名:CARNIVAL

ジャンル:系譜から外れた鬼子。OP詐欺。
制作会社:S.M.L.
脚本:瀬戸口廉也
制作年:2004年
エロゲ批評空間(中央値/平均値):81/81
エロゲ批評空間ベスト:第146位

◆◆◆

「幸せってなに?」
「うーん、すごい質問だなぁ」
「ほら、マンガとかであるじゃん。馬の鼻先にニンジンぶらさげるとそれを追いかけて走り続ける」
「うん」
「そのニンジン」
「うーん?」

「―――ニンジンを追いかけてみたくなったんだ」
「あれはどうやっても追いつけないようになってるんだ」
「いいの。思いっきり走ってみたい気分なんだ」

◆◆◆

鬼子がある。

どのような村落・集団であろうと、正常な系譜に連なることを否定する忌み子は生まれ得る。彼らは健常の外に位置し、ゆえに排斥され正当な評価は得られず無視に落ち着く。本作『CARNIVAL』もその一種である。

本作を貫く軸は至ってシンプルだ。復讐劇。劇中でモンテ・クリストと題された章立てが象徴するように、これは多数派から排斥・圧殺されたマイノリティの復讐である。穏やかで読書を好む少年を主人公に据え、復讐の名の下に彼に禁忌と十字架を背負わせる。

その過程こそ、正しく「18禁」。

正視に堪えない残虐さを我々はそこに見る。それゆえ、生来シャイで奥ゆかしいオタクにはこれを嫌い遠ざける向きも存在する。ある意味で当然で全うだ。しかし、あえて禁忌に触れ背徳に浸りアウトサイダーの境界線上に精神を置くことを好む向きもまた等しく存在する。そう、CARNIVALはそのような人種に麻薬的だ。

18禁パソコンゲーム―――またの名を美少女ゲーム
名は体を表すというが、そのような名称からしてうさんくさい存在であるところのエロゲ界、その最大の特徴は”アナーキー”さに求められた時代があった。

テンプレート、最適解、洗練された戦略が未だ発見されていなかった頃、エロゲにはあらゆるものを内包する混沌とした怪しげな雰囲気があった。禁忌やTabooを踏越え、これと戯れ、精神を賦活させ思索を刺激するような怪作が山と存在した。

もちろんただ超えるだけではヤンチャにすぎない。境界とは踏み超えず内に留まるからこそ意味をもつ。そこを十全に理解しつつも挑まずにはいられない習性をもったアルティメットな人種がいた。

娯楽の形は様々だ。従来のエロゲがひたすら与えてくれる人工楽園だとしたら、これはひたすら奪われる娯楽だろう。本来感情移入する、プレイヤーの身代わりである主人公に向けるのは精々が一瞬の共感であり、端正な文章と構成が生み出すのは圧倒的な距離感だ。未踏の倫理を踏破していく彼に、我々は言葉すら発する事を許されず、ただ固唾をのんで見守るのみだ。

この極限状態で願いをかなえるのは選択肢を与えられた主人公ではない。ただ消費し貪食するのみと思い込んでいたヒロインである。加えてその願いは健全なものではなく、規範の内に収まるものですらない。辿りつけたのかどうかも分からない。ただ、果てしない流れの果てに、目指したい、走りたい、と。そう願っただけに過ぎないのだ。

その美しさ。これはただの“美少女ゲーム”ではない。砂糖菓子の弾丸では撃ち抜けない峻厳な世界。作中の人物が言っていたように、世の中にはルールがあって、ほとんど全ての場合、僕らの考えや感情よりもそちらが優先される、そういった至極真っ当で―――酷く手厳しい、我々の世界だ。

ここにおいて、登場人物たちは自らに与えられた過酷な運命の中、それでもただ流されることをよしとせずに、足掻き続け抗い続ける。そこに我々は貴さを見る事が出来る。端正な文章とそこから滲み出る潔癖さ、誇り高さ―――

今までエロゲなるものに全く触れず、しかし産み落とした怪物がエロゲとしてパッケージングされた、脚本家<瀬戸口廉也>。これがその処女作である。彼はその後2作を上梓し、エロゲ界から去った。一部の熱狂的なファンから非常に惜しまれた彼の退陣はしかし、彼の生み出した3作の怪作の価値を損なうものではない。2作目『SWAN SONG』3作目『キラ☆キラ』。そのどれもが本作のように、本作を超える、世を見つめる厳しい―――あまりにも厳し過ぎる―――眼差しと、弱者がそれでも己を損なわず淘汰に抗い続ける精神性を宿す。

そこにあるのは人間性の成長ではなく、人間性の“確認”。
彼らはそのように生きてきた。あのようにしか生きられなかった。我々もそのように生きるだろう。万華鏡を捨てた女やスーツの男、包帯の男に対して憎しみはない。彼らの凡庸なパーソナルなどに、そもそも我々は興味を持たない。プレイ中にあれほど吐き気を催したのは、彼らにではなく彼らの弱さに対してだ。

この苦み、この痛み。まさに正しく18禁ゲームである。さすがにいつもいつもこの手の物を食べるのは勘弁願いたいが、年に何本かだけ、甘いケーキやステーキの合間に、苦みほとばしる年代物のワインも飲みたくなる。そういうものだろう。

作家、那須きのこは「18禁ゲームが守るべきルール、あるいは矜持」というものについて語った事がある。

一つ、絶望を嗤いながら希望を嘲笑わないもの、
一つ、娯楽性を求めながら大衆性を切り捨てるもの、
一つ、プレイヤーに奉仕しながらユーザーを省みぬもの


本作は、本作を生んだ瀬戸口廉也およびスタッフは、きっと、何事かを己に課し、何事かを守り抜いたのだろう。

CARNIVAL (二次元ドリームノベルズ)

CARNIVAL (二次元ドリームノベルズ)

エロゲ概論③

③題名:WHITE ALBUM 2

ジャンル:三角関係・悲恋
制作会社:リーフ
脚本:丸戸史明
制作年:2009‐2011年
エロゲ批評空間(中央値/平均値):95/89
エロゲ批評空間ベスト:第1位

◆◆◆

おかしいなぁ…
どうしてこう、なっちゃうんだろう……
(引用;OP直前)

◆◆◆

エロゲには系譜がある。

過去より連綿と続く“流れ”がある。それはたとえば、

KEYが生みだした泣き・感動・奇跡による救済のそれであったり、
TO HEARTLEAF)を祖とする複数ヒロインの仲良し空間を主徴とする学園ハーレムものであったり、
ランス・シリーズに見る俺様最強超ハーレム、
痕(キズアト)→雫→腐り姫月姫(→ひぐらしの鳴く頃に)なる親子関係に認める田舎=閉鎖空間で花咲く禁忌であったり、
YU-NO→FOREST、3EYES、NEVER7EVER17、3DAYS→CROSS†CHANNEL→…→『MUV-LUV』→…その他様々に収束・拡散を繰り返す「ループ」もの

……そして、『君が望む永遠』『WHITE ALBUM』『SCHOOL DAYS』を3大タイトルとするクズ主人公系列、あるいは悲恋。

今回はそういう話である。


ところで、現実世界で戦い疲れた我々は、妄想世界=エロゲに降臨し、独特の佐藤菓子的世界観に耽溺することで癒しを得る。盲目的に複数ヒロインから好意を向けられ時には行為を致し、変わらぬ永遠の愛を誓う主人公に、我々(萌え豚)は自己を投影する。

それは現実には獲得できなかった青春の焼き直しだ。

我々(萌え豚)は無惨に終わった思春期をリプレイし、およそ自分が考え得る限り最上の物語でこれを上書きする。その労苦と時間を代償に虚しさと圧倒的な快感を獲得する。そしてまた輝く蜜のような次の物語を探し始める。

時には物語に反撃を受けることもある。傷口に沁み入る苦みが混入されていることもある。その場限りとは言え愛した女との別れが最たる例だろう。しかしその痛みですらちょっとしたスパイスに過ぎない。じくじくと痛む傷口を眺め、また新たな女を抱き、得られる感情の全てを快感の呼び水となす。

救いようがない。

しかしそもそも我々(萌え豚)は救いを求めてなどいない。ただ没入し耽溺する“今”があるのみだ。没入の中で得られる悲劇も悲哀も哀切も全て快感でしかない。数多くの悲劇的物語を経験し、数多くのその場限りの女(=物語)の上を通り過ぎてきた我々(萌え豚)は、もはや『君が望む永遠』の発売時、「なんでエロゲの中でまで辛い目に遭わなきゃならねーんだ!!!」と絶叫し憤死したあの頃のナイーヴを持ち合わせてはいない。

もっと強い悲劇を、もっと濃厚な感情を、もっと至高の快感を!
耐えず満たされない飢餓感と一瞬の麻薬的法悦を求め、出会い、これを貪食する。我々(萌え豚)は餓鬼だ。餓鬼は人の魂を食らう。高純度な魂は美味である。魂の純度を高めるためにはどうすればいいか?簡単だ、より強い感情が刻まれればいい。より強い感情とはなにか。様々なパターンはあろうが、端的には圧倒的な悲劇だ。圧倒的な悲劇を齎したのは、数あるエロゲの系譜の中でも限られてくる。

それこそが『WHITE ALBUM2』を産み落とした、かの悲恋系列である。いや、悲恋と言い切ってしまうのは語弊がある。誤謬がある。いっそ誤りでしかないかもしれない。しかし、我々(萌え豚)はあそこのお家の娘さんたちには、もう、何度も心砕かれてきた。

これは事実だ。

手酷く扱われボロ雑巾にされた。それでもまだ我々(萌え豚)はあの娘たちが好きだ。愛している。それは何故か?単に我々(萌え豚)が精神的上級者であり

端的に言ってMである

、というだけではなかろう。あの娘達にはやはり、それだけの魅力があった。触れるもの皆切り刻む鋭い哀切の刃があった。蒼夜に閃く一刃だった。つまるところ、『WHITE ALBUM』『君が望む永遠』『WHITE ALBUM 2』だったのだ。

彼女たちは我々(萌え豚)にたくさんの事を教えてくれた。複数ヒロインから好意を向けられる嬉しさ。その中から誰か一人だけを選ぶことの困難。選べず間を揺れ動く苦しみ。背徳の蜜。優柔不断が導くよりサイアクの結末。苦い終焉。離別の果ての孤独……

そういった一連の感情シーケンスにより、我々(萌え豚)はひとつ大人になった。しかし大人になり切れず、もう一度、もう一度だけ、と悲劇を繰り返す。禁断の果実に手を伸ばす。




好きな食べ物は?――三角関係!
趣味は?――二股!
そんな僕らの合言葉は?

―――レッツ☆背徳!




…まぁ、つまり。
そういうことである。

精神上級者への階段は、ここにあります。
ようこそいらっしゃい。

エロゲ概論②

②題名:家族計画

ジャンル:現実ハードモード
制作会社:D.O.
脚本:田中ロミオ
制作年:2001年
2ch歴代ベスト:第2位
エロゲ批評空間(中央値/平均値):89/86
エロゲ批評空間ベスト:第4位

◆◆◆

相互扶助計画『家族計画』
よんどころのない事情により、疑似家族計画にのらざるを得ない俺たちに、果たして幸せは訪れるのだろうか――――(OP直前;本文より引用)

◆◆◆

これぞ、金字塔。
これぞ、極北の星。
誰もたどり着けない、誰もが仰ぎ見る、揺らがずそびえるエロゲが成し得たひとつの成果。
最愛のタイトル。

エロゲとはその始まりを、ドットで描いた可愛い女の子のCG集にみられる。80年代以前の話だ。経年的に絵のクオリティが上がっても、脱衣麻雀などアンダーグラウンドな世界での生存が僅かに認められただけであった。そこに一つの革命が訪れる。

1995年『世界の果てで愛をうたう少女YU-NO』(制作会社:elf)。

多人数ヒロイン攻略、感動的なシナリオ、選択肢によるルート変更、ゲーム性を持たせたトライアル・アンド・エラー、美麗なイラストおよびエロシーン、臨場感あふれるBGM…

たった1作でエロゲの基礎を積みきったとされる伝説…いや、神話級のタイトルだ。

ここからエロゲの咲き零れる花園のような発展期が訪れる。エロゲ黎明期。テンプレートが存在しないが故のあらゆる指向性をもった無秩序な成長発展。現在あらゆる作品の萌芽はほとんどこの時代に認められるといっても過言ではあるまい。激烈な生存競争を経てブラッシュ・アップされエロゲ進化の主流を勝ち取ったのは「癒しと感動」を掲げた制作会社「VISUAL-ARTS KEY」、そのスタッフであった。そしてそのベクトルは生き馬の目を抜く現代オタク戦士の心にスマッシュヒットした。可愛い女の子との触れ合い、育む愛、訪れる離別、奇跡による救済そしてハッピーエンド…

あざとい、と。チープだと言われかねないのは承知の上だ。だが確かにそこにはある種の結実があった。峻厳と咲く虚実の花、その美しさに魅了されたOTAKUが存在した。制作者・消費者・ハゲタカ…つまるところ「本気の大人」が有象無象魑魅魍魎五万と離合集散し作り上げた成果が、確かに花開いたのだ。

そして同業他社があの手この手で換骨奪胎した同じベクトルを持つ作品群…狂騒・狂乱の時代だった(この辺から僕はエロゲ界なる魔界大戦に本格参戦。●●歳の事であった)…

粗製乱造される数多のタイトル、無数のヒロイン。彼女たちは無目的に産生され消費されるだけの存在であったが、歴史的に意味を求めるとするならば、それは「淘汰」だ。

全ての物の99%はクズである。その標語が示す通り、いや、それ以上に大量の不燃性/不萌性ゴミを不法投棄して、砂漠の海
のひと砂より希少な一粒の金をこの世界は絞り出してきた。無方向性の混沌から突如発生した傑作・怪作が業界の次の5年を照らした。その繰り返しである。

ここら辺は紙幅の許す限り書き連ねたいのだが、余人にはそこまで興味をそそるものでもなかろう。端的に言うなら、『TO HEART』『WHITE ALBUM』『天使のいない12月』などに代表されるリーフ(※エロゲ制作会社の一つ。大御所)勢力だ。

その方向性はおおよそ2つに大別できる。つまり、複数ヒロインとの楽園・純愛、
あるいは前者のような砂糖菓子的世界観を持たない…行ってしまえば普段我々が生存を余儀なくされている、我々に厳しい、乾いた現実世界を基盤とした、 現実ハードモード・シリアスとの二つがそれだ。

前置きが長くなってしまったが、本作『家族計画』は後者の現実ハードモード世界観の流れを根底に湛える。脚本家の作家性もあり、ユーモアをたっぷり交え語られる世界は、しかしどうしようもなく“現実”だ。そこには奇跡による救済も、複数ヒロインからちやほやされる砂糖菓子の弾丸も存在しない。社会的マイノリティが直面せざるを得ない様々な現実的困難の前に彼らは何度となく打ちのめされる。弱者がそれでも生きていくために身を寄せ合い、彼らは偽装家族を演じる。それこそがタイトルを冠する“家族計画”の実情だ。今まで全く関わり合いになることなく生きていた他人同士の結束、その脆弱性がこれでもかと繰り返し描かれる。むしろ、そこが、そここそが本作の本質といっても過言ではない。生きていくため、生活の為、そう思って始めた偽造家族計画はやはり、終盤で必ず(どのルートを選んでも、必ず、だ)崩壊する。そこに活写される哀切に、我々はある種の諦観と納得を持って受け入れる。ああ、やはりこうなったのか―――、と。

前者では描かれ得ない、そんな都合のいいことおきるわけねーよwwwとハナッから受け付けない向きにはおすすめする。するにはするが…ぶっちゃけよう、それまで超御都合主義的アーカイブノベルであったエロゲを好み、魂の求める限り貪ってきたエロゲ人(えろげ・びと)達にとって、それはもう、ディスプレイをぶち破る程の衝撃だった。つまり

「なんでエロゲの中でまで辛い思いしなきゃいけねーんだ!」
それが全てである。

しかし、しかしだ。そのような世界観を採用したからこそ辿りつけた境地がある。そのような世界観でないと描けなかったものがある。そしてそれこそが―――本作が、短くはないエロゲ界史上で、燦然と輝くアラベスクたる所以である。

心して、心行くまで、堪能してほしい。
切に願う。

家 族 計 画(通常版) - PSP

家 族 計 画(通常版) - PSP

えろげ好きなんです

前略 

 何年か前、ノンケの友人に深夜アニメみせたらストライクしたことがあって。
端的に言って彼は萌え豚となり果てました。

だもんで、つい興が乗ってエロゲ勧めてみたらなるほど果たして、断りやがって下さりやがったんですね。
えー、ナンソレー、きもーい、みたいな感じで。

だからこっちもムキになって紹介文したためてソフトに添えてヤツの机の上にうず高く積んでやったんです。
さながら息子の部屋を掃除したら出てきたエロリティ・アイテムを机に積む母親のように。

そのときに渡したのが

①月箱
②家族計画
ホワイトアルバム2
④carnival
俺たちに翼はない
らくえん

の6つだったんです。

ということで、その時の勢いで書いた文章を、そのまま紹介しようかと思いまして。




なんというか、今更だと思うんです。エロゲって。
もう偉い人が語りつくしているし、こう言ってはなんですが、咲き誇る季節を過ぎて、振り返ればその距離が誇らしい、みたいな観賞すら感じてしまいそう。

でも、今までプレイしてきた時間は帰ってこないし、陳腐な物言いですが、得たものも沢山ありました。
失ったものに見合う輝きなんてないけれど―――なんて、士郎某のように格好良くはいかないですが。それでも。やっぱり楽しかったんです。




で、ここからが本題。なぜ今更こんなイッシューを取り上げたか。
それは、みなさんの心に眠るサブカル魂を掘り起こしてみたい、と思ったのです。

たぶん、ありますよね。自分のエロゲ史。およびエロゲ史観。
あの混沌としていた魑魅魍魎の巣食う魔界について、僕はこのような方法で踏破してきた、私はあのような視点で眺めてきた、みたいな宗教体系。

少なくとも僕はいくつかありました。
そのまとめは後ほどするとして。
ひとまずはあのとき歩いた懐かしい草原を、一緒に思い出してみませんか。

あらあらかしこ






追伸。あるいは引用。

おたく☆まっしぐら
制作会社:銀時計 
脚本家:田中ロミオ

青年くんって、えっちゲーム詳しい?
詳しいか詳しくないかと聞かれれば答えてやるのが世の情け
ぶっちゃけ詳しい

こちらは
萌エロチックコメディというジャンルだ
潜在的にもてる主人公が、複数人のヒロインから同時に好意を向けられ、性交に明け暮れる……というジャンルだ
主な搾取体液は精液で、エロエロなのはいいが鬼畜展開には萎えてしまうというオタクだからこそ女の子を守りますな連中の御用達的惣菜……すなわちオカズだ
非常に保守的なジャンルで、ヒロインが死亡したりレイプされたりするといった展開は嫌われるため、独特の砂糖菓子的世界観が形成されることが多い
またそこが人気の秘密でもあるのだが……

こいつは――
典型的な純愛ものだ
潜在的にもてる主人公が、複数人のヒロインから同時に好意を向けられ、一進一退の恋愛劇を繰り広げる……という内容だな
日常生活の描写やストーリー展開などは萌エロとも似ている
というか、萌エロ系はこのジャンルから生まれた発展系ともいえる

その最大の違いは、エロ度だ
萌エロ系ではヒロインごとに平均4-5回以上のHシーンが存在し、各シーン少なくとも10-20kb程度のテキスト容量となる
ヒロインが5、Hシーン20kb×5回で計算すると、全体的なHシーンの総量は500kbとなる
まあこれは少ない方だから、実際にはこの数値を突破することも多い
だいたい平均的なゲームのテキスト量というのは、1000から1500kb前後
このように、萌エロ系ではかなりの容量をHシーンが占めることになる
対して純愛系タイトルでは、Hシーン自体は重要視されず、ルートごとに1-2回というのが主流だ

したがって同じ予算でエロゲーを作る場合、予算度外視の大量シナリオを投じるのでもなければ、萌エロ系では限られた容量でいかにプレイヤーを萌燃(ねんしょう)させるかがポイントとなる
結果、ストーリーの盛り上がりに割く部分はなくなり、シンプルな内容になりがちだ
純愛系ではそのテキスト量の大半をストーリーに割り当てる
萌えという面では五分の条件だが、後半に向けて複雑な展開を追いたいのであれば、萌エロ系では少々尺がたりなくなる

お話か、えっち度か……ということ?
あくまでジャンルとしての傾向はな
実際に、全ての純愛ものが面白いわけではないし、全ての萌エロ系がエロいわけでもない
そのあたりはユーザー側の事前の見極めが必要だ
また萌エロ系であっても大予算を投じた大作などは、内容面でも頑張ってることが多いし、むろん逆も存在するというわけだ

シューティングで言ったら、なんとかウスみたいなものかしらん
ズバリなんとかウスみたいなものだ
どっちの?
どっちも名作だからどっちにも該当する

そしてもうひとつのこれ『ゆび☆詰めちゃいました♪』だが
こちらは萌エロだな。ファンディスク的な位置づけだが
あ、元があるんだ
いや、その元もこれに入ってる。『ゆび橋』というのがな
要するにリニューアル&アベンド版だ。これ一本買えば事足りる
その内容だが、騙されて極道に婿入りさせられる主人公と、現役ジョシコニアンである新妻が繰り広げるエロエロな日々
義妹や妹分の志麻などと乱交を繰り広げるという内容だ
志麻の下りは明の行き過ぎた妄想(クリエイト)である
すごく、おもしろそう……
後半、淫行が親分に露見することで主人公が指を詰める場面があるのだが、そのあたりの流れは迫真の一言だ
まあ基本は、極道娘たちとのHを楽しむタイトルだな

エロゲ魔道にようこそ。アブラギッシュに歓迎する

エロゲ概論①

①題名:月姫
キャッチフレーズ:「―――私を殺した責任、とってもらうからね?」
ジャンル:伝奇活劇
制作会社:TYPE-MOON
脚本:那須きのこ
制作年:1999年
2ch住民が選んだエロゲランキング(以下:2ch歴代ベスト):23位
(1995−2009年までに発売されたエロゲタイトル5000の中から厳正投票制)
エロゲ批評空間(中央値/平均値):89/85
エロゲ批評空間ベスト(現存する殆ど全タイトル):第17位
同梱:『月姫PLUS-DISK』『歌月十夜

◆◆◆

―――それは、伝説の幕開けだった。

◆◆◆
1999年、大規模同人誌即売会コミックマーケットにて、ある無名の同人サークルでメイドさんがエロゲを手渡しで売っている、との噂が流れた。それは果たして本当だった。メイドさんとの刹那の触れ合いを望むシャイなヲタクはいそいそと件のサークルに赴き、握手のついでに噂にすら聞いたことのないゲームと1000円札紙幣を交換した。
―――そして、彼らは目撃した。歴史が新たなページを刻むその瞬間を。

月姫』。
物体の<壊れやすい>線が見える殺人鬼と吸血したことのない吸血鬼の姫との物語。
いまでは本タイトルを知らないオタクはもちろんヲタクもOTAKUも存在しない。感動・泣き・奇跡による救済を3本柱としてエロゲ界を席巻した葉鍵時代に終焉の2文字を刻んだ本作品は、確かに過去のエロゲのある傍流を祖としながらも、まったく新しいエロゲの可能性を消費者(萌え豚)に見せつけた。

我ら(萌え豚)は慟哭した「ぶひぃぃぃぃぃ!」

…その後彼らは同人としてのアマチュア精神と訣別し、商業として歴戦の兵たちと闘う覚悟を決めた。そして快進撃が始まる。2004年『FATE/STAY-NIGHT』。2005年『FATE/HOLLOW-ATARAXIA』。2011年『魔法使いの夜』。それらすべては月姫で我ら(萌え豚)を魅了した他に類を見ない陶然とさせた伝奇世界を共通のものとしながら、月姫では
語られなかった新たな側面を見せつけた。

我ら(萌え豚)は滂沱した、「くぁwせdrftgyふじこlp」

確かに絵は古くクセもある、認めよう。
確かに話はとっつきが悪くクセもある、認めよう。
システム回りもセーブが少なく、フラグ管理も曖昧だ、認めよう。
他にも隔靴掻痒の感を覚えることが多々あるのは認めよう。

しかし、しかしだ。
本作にはそれらを補って余りある熱量がある、才能のきらめきがある、ラフ・カットだが我ら(萌え豚)を魅了させる<何か>がここには確かに存在しているのだ。

願わくば、最後まで投げださずにプレイしてほしい。なに、総プレイ時間自体はそれほど長くない。その気を出せば一瞬だ。現に僕は全ルート(5人)を1昼夜で貪り尽くした。

君は今まで食べてきた妹の数を覚えているか?モチ☆ロンさー!

今回渡した『月箱』は、月姫本編の余りある実力に比して販売本数が100という少なさであったため、後に発売されたお祭りディスク(後日談みたいなもの)を含めた月姫関連作品を1本化パックにして販売されたものだ。しかしこれも当然ながら一瞬で完売・プレミア化した。僕はアキバをぐるぐるまわって諭吉おじいちゃん2人でグッドバイした。グッドバイとは良いお買い物であると同時に金とのサヨナラも意味しているのだ。

是非、月姫(本編)→歌月十夜(後日談)→月姫PULSDISK(お祭りディスク)の順でプレイしてほしい。
是非、月姫本編は「アルクェイド→シエル→秋葉→翡翠琥珀」の順で攻略してほしい。

良き出会いとならんことを。

お気に入り

覚えてる限りでその年のベストを

小1 ガラスの仮面
小2 はいからさんが通るファラオの墓萩尾望都
小3 星新一魔法陣グルグル手塚治虫
小4 畑正憲(ムツゴロウ)、小松左京、クリスティ
小5 西の魔女が死んだ、ぼくは勉強ができない
小6 スタンド・バイ・ミー、ずっこけ三人組シリーズ 、クイーン『born to love you』
中1 僕らの七日間戦争シリーズ、燃えよ剣斎藤孝村上春樹松本大洋『ピンポン』、once in a bluemoon『y's romancers』『darc』『ぼくはチルドレン』
中2 老人と海アルジャーノンに花束を、星を継ぐもの、百億の昼と千億の夜ファウンデーション夏への扉ダカーポ1、秋桜の空に赤松健ラブひな
中3 ジェイミー/チャイルドB、Room no.1301、ONE、KANONAIRyu-noFATE月姫、こみっくパーティ、それは舞い散る桜のようにスクールランブル
高1 チャンドラー、ディック・フランシス、燃える男、小林秀雄柳田國男
高2 司馬遼太郎三国志水滸伝
高3 吉本隆明小池田マヤ『聖☆高校生』、ペルソナ3、森博嗣
浪1 瀬戸口廉也田中ロミオ丸戸史明
浪2 らくえん〜あいかわらずなぼく。の場合〜、TrueTears、flcl、symphonic=rain、アイドルマスター
大1 金庸風雲児たちママレードボーイ『まおゆう』、おもいでエマノン山本弘『詩羽のいる街』、松村讓兒『イラスト解剖学』、内山安男『組織細胞生物学』
大2 マイケル・サンデルシオドア・スタージョン『輝く断片』、マブラブ・オルタネイティブ
大3 海賊と呼ばれた男、(ダンガンロンパ2)


こうしてみると、あれですかね
少女マンガから入って、青春物に触れて、ノンフィクションやSFやミステリに傾倒して、ハードボイルドアメリカ系を経たのち、エロゲやラノベやアニメに全てを捧げた、という…

割と一般的だと思うんですけど、どうなんでしょうか