インビジブル・セックス(2)

●;前号の記述でちょっとした間違いがあった。わが社の新刊『インビジブル・セックス…自伝でつづる「見えない性」の世界」』の著者大野弘美さんのコトバを引用したつもりだが、正確ではなかった。クラインフェルター症候群の人の発現率が750分の1と書くべきだったが、これだと<ふたなりの人>がその比率で発生する…といった誤解を招く。そうではない。<クラインフェルター症候群>とは(ゲラ段階で知ったのだが)「X性染色体の数的な変異」を指す。その発現率が0.13%という。ただ、「人の性」はグラデーション的で黒に近い色の人から白に近い色の持ち主まで多様である…と著者は言う。<グラデーション的>とは言い得て妙。「性」もまた「多様なかたち」で現れ「性のマイノリティ」が生まれる。「性の多数派」は極めて曖昧な「男らしさ」や「女らしさ」を価値基準にして少数民族を差別するかのように「マイノリティ」の陰口を叩く。チビやノッポ、ハゲやデブ、やせっぽち、巨乳、貧乳とかとか<見える身体>については日常的に(ある時はおおぴらに)「差別言語」が吐かれているが、<見えない身体>とでも言うべき「性器〜性徴」については<隠微な言語>で囁くか、指を折り曲げたりして「変なもの」と暗示する。
●;著者の大野弘美さんは、性同一障害や同性愛は<脳の構造>に由来する心的現象で、著者のような「インターセックス」(第三の性)は<性染色体の構造>に原因する肉体的現象をふくんだものと定義している。
●;著者は「真性半陰陽」だそうだ。俗に言う<ふたなり>で男性性器があったから<男>として認知されたが、長じて女性性徴が著しくなり、胸も膨らみ「女性性器」も発達して<女>のようになっていく。同級の男子高校生に恋もする。また、医大生とセックスもする。<その晩、私は「大人」になった>とだけ記していて、その描写はあっさりとしていて(スケべぇな)私の想像期待?を裏切るのだが、フィクションではないので当たり前だろう。好色男子の私(ら)の脳を愉しませてくれる本ではない。【T】

インビジブル・セックス(1)

●;新刊で大野弘美著『インビジブル・セックス…自伝でつづる「見えない性」の世界」』(四六判フランス装・1300円+税)が店頭に出た。読売新聞に広告を出したこともあって売れ行きは「まあ、まあ」の部類。固い本ばかり出している当社では出足は「良い」(ホッ)。
●;「ふたなりの人」が書いた本である。「ふたなり」とは、半陰陽の性器の持ち主のこと。男女の性器を指して「陽物または男根」と「局部・陰部」と言うが(物心ついた頃には、もっと判りやすいコトバで聞かされて育った)、著者は戸籍上は「男」(生まれた時に男性性器を示したのだろう)だが、大きくなるにつれて乳房も含め「女性性器」の発達もあり<女>になっていく。統計上は、750人に一人の確率で「はんなりの人」が生まれる、という(ホント?かい)。
●;私(ら)男は(いつの頃だったか)<女性性器>を覗き見たがる。鋭くは覚えていないが、小学校に上がって「きれいな女の子」を見かけた時からである。深い井戸を覗き込むように「股ぐら」の奥を想像したものだ…<きれいな清水>をくみ上げる井戸のようにも思えるが、一方でその井戸は、覗き込むこちらを丸飲みしてしまう<邪悪な手>が存在しているかのように想像する。<聖なるもの>と<悪魔>が同在しているグロテスクで怪異なものが、男にとっての「女性性器」だろうか。【T】

●;飲み屋談義

●;同世代の遊び仲間の小さな同窓会に出た。地方から出て来た者の歓迎の宴といった趣旨であったが、ひとしきり旧交を温めるお互いの近況話が終わると(選挙直後のせいもあるが)誰ともなしにコイズミ選挙の感想を言い合うようになった。大概はテレビでの評論家やコメンテーターたちが言ったことを鸚鵡替えしに言っているだけで、格別のウラ情報や新解釈もなく「コイズミ=果敢なリーダー必要説」が大半であった。大企業の工場勤め(管理系)だった者が「地方の政官(民)癒着の実体はヒドい。官から民へというのは正しい」みたいなことを言う。
閉塞期には「官僚憎し」の声が必ず起こる。「君側の奸」呼ばわりが始まるのは、どこの国でも同じだ。旧くは2.26事件の青年将校運動は(俗に)「統制派対皇道派の闘い」という風に図式化されるけれど、軍縮を唱える統制派官僚打倒のためのクーデター(未遂)であった。「奥の宮」で邪なことをしている「官」を倒すのが正しいというわかりやすい図式である。
コイズミが、街頭でが鳴っていた単純な「郵政民営化」の論理は「ムダな公務員」が標的であり、民主党やその他の野党は「彼ら公務員を守る守旧派」というレッテルであった。不況感や閉塞感の出口が見えない人々にとって喝采を浴びる要素であった。ナチスヒトラー反ユダヤ主義も(ヨーロッパ全体を覆っていた反ユダヤ感情を背負って)また「敵の創出」の一環であった。
●;週末、営業部だけで小さな宴を持った。「Webによる販促強化」がテーマであったが、一段落すると、ついつい選挙話になる。飲み屋の女将が話に加わる。65歳、小倉生まれで伝法な口の利き方をする。
「戦争はダメだよ」
(彼女なりの戦争観であろうか。小倉は空爆を受けた土地だ)
自民党に投票した連中、バカだねぇ」
ヨン様にため息をつく女もバカと言いたげ)
「だけど、どこもかしこも戦争だよ」
(非日常的なドンパチだけが「戦争」ではなく、日常的な場で「戦争」が起きている…という正しい指摘。戦争の中にも<平和>があり、平和の中にも殺戮がある。)
「だけど、岡田は目がダメ。上目遣いの人にろくなやついない」
(三白眼の持ち主のことか、剣難の相のことを言っていた)。【T】

●;ヒトラーとどう違う

●;過日、いかにも「農村共同体的しがらみ談合政治」の典型のように映り、寝ぐせ髪が愛嬌の亀井静香が、外国人記者クラブで記者会見があった。報道によれば「コイズミはヒトラー以上だ」とかの怨み節を打ったとか。「コイズミ=ヒトラー」とはちょっとオーバーじゃないかと思った。もともと、亀井に都会的なセンスやウーンと唸らせるようなキーワードを発するインテリジェンスの持ち主とは感じていないせいもあって、バカじゃないかと思ったものだ(こっちは別にインテリでもなんでもないくせに)。
しかし、よく考えてみると、コイズミ選挙は、きわめて巧妙にボカシをした(すなわち合法を装った)「クーデターに近い政治」へ形を変えているのではないかという気がしてきた。かつてヒトラーが、ヒンデンブルグ大統領の指名を得る形で(つまりワイマール憲法下の規定どおり)“きわめて合法的に”「ヒトラー内閣」を組閣して政権を獲ったことを連想させる。ここらあたりをひもとくにはわが社の分厚い『ナチス第三帝国事典』が詳しいが、ヒトラーというと「暴力」と「宣伝」をうまく使ったという通念的なイメージが形成されている。前者は、ナチス親衛隊や突撃隊であり、象徴的には「アウシュビッツ」「ガス室」であり、後者はラジオを駆使したゲッペルスの大衆操作技術である。
そうではない。亀井は対抗馬を立てられて「殺される!」とばかりに悲鳴の対象としてヒトラーを似せているがちょつ筋が違う。「合法的」に政権を獲った後の権力行使の姿、構図を訴えるのでなくてはならない。ビドイ〜ヒドイでは、コイズミ側の術中にはまっている…ここらはテレビのコメンテーターも言っている話だ、な。
●;論点のボカシを「改革か非改革か」「改革派と守旧派」の対立図式化させて煽り、マドンナだかセレブだか知らないが「上層の女」たちを筆頭に親衛隊然として我がもの顔として登場してくる。亀井ら‘守旧派’を入れ替えた「新・親衛隊国会議員」が大量に登場してくる。そんな「新・親衛隊員」でコイズミの茶坊主として振る舞っている山本一太とかいう軽薄そうな参議員議員が選挙カーの上で「戦国武将ですぅ〜」みたいにコイズミを紹介をする寸景をどこかの新聞の小さな記事で読んだ。ヨイショの人「お口の恋人」玉置宏でさえ、そんな歯の浮く(しらける)ようなことやらないぜ。また、あるテレビの討論会で電話取材だけの荒井議員(新党日本)を「お前、出てこい」などと山本某がヤクザまがいの言い方。呆れたぜ。現代の「新・親衛隊」の姿だな。
●;新聞やテレビの世論調査によれば、コイズミ側の作戦は「成功」しているようだ。しかも、都市部の40代以下の連中が自民党に加勢しているという。これはなんなのだ。【T】

ジョージVSカトリーナ

とんでもなく大きい台風で、アメリカ南部の都市が水浸しになった。
台風一過の街は、なにもかもがぐちゃっとひしゃげてそのへんに押しやられていて、去年の暮れに大津波に襲われたインドネシアの島々の様子とよく似てて、自然猛威の前ではインドネシアだどうとアメリカだろうと同じなんだなと思った。


日本は選挙、選挙でこのことをあんまり報道してくれないけれど、「未曾有の災害」カトリーナの後始末をジョージがどうするのか、も少し見せてほしいなぁ。
「頭首討論会」なんてどこか1箇所の放送局でやれば十分。どうせ同じことしか言わないんだし。


絶海の孤島でもなければ戦争状態や政情不安定な国の出来事ではないのに、やけに救助も遅いようにも見える。「こんなでかいのが来るなんて、誰も想像できるもんじゃないよ」とか言い訳してるのも聞いたけど、よその国の政治にはクチも兵隊も送り込むお偉い方がそりゃないだろう、とは思うけど、やっぱり「ゴメン」がいえないのがアメリカ人なのか?
確かにあんなでかいのがくることは予想がつかなかったかもしれないけれど、来たものがでかかったなら、あんなになる前に「これはどうしようもないからとにかく逃げよう」って、勧告や命令を出すことは出来たんじゃないのかなぁ?
日本の三宅島って島では、「全島避難」ってのをやったことがあるんですが、メリケンさんはご存知ない、ですかね。


ジョージ、どうするんかなぁ?
「だって、予想つかないしっ!」で逃げ切ってしまうんでしょうか?

●;コイズミ総統の茶番劇

●;朝飯頬張りつつ、朝刊片手にテレビ朝日のモーニングショーを(7時から立て続けに)見る時がある。テレ朝男性アナの知的(解釈)能力はとても低い。他局も同じようなものだが、ここがヤケに目立つ。キャンキャン吠えるのみ、という感じがする。最近とみに多い関係障害的な犯罪でも、そのいじましさに触れようともせず、その度毎に大仰な正義感面の渡辺キャスターや、誰でも言えそうな凡庸極まるコメントしか出せない老害・鳥越キャスターなどは「辞めろ!」としか言いようがないが、時たま画面に顔を出す毎日新聞の岩見隆という政治部記者(今は顧問か)の断定的でいて柔らかい口調を好ましく思っている。居丈高ではないし、冷静なところがだ。
●;参議院での郵政法案評決前、森前首相がコイズミ首相と直談判した後の記者会見がテレビに大写しになった。「殺されたっていい」というコイズミの断固たる決意が刻印されたのは、つい昨日のこと。その後の「解散記者会見」(政治記者たちがこぞって賛辞)と続き、反対派に対する刺客設置騒ぎと続いている。「寿司でも出るかと思ったら、これだろう」と森前首相が潰れた缶ビールと固いチーズを見せて「接待もしないやつなんだよ」と語ったのが「ヤラセ」だったことが明らかになった。茶番劇について語る岩見のコトバは「すごい演出ですな」(正確には覚えていないが)と、長い政治記者生活の中でも例がないといった口調を滲ませつつ、今回の選挙を導き出したコイズミの手口をやんわりとたしなめている。過剰反応だとも言いたげに。
●;なまじ派手なコイズミ親衛隊(特に小池、片山ら女性)が登場したから言うわけではないが、ヒトラー親衛隊もコイズミ同様に「潔癖性の演出」をしている。別に言えば「異様さの強調」である。ヒトラーの場合は「ユニフォーム」と「暴力」だったが、今は、「これまでにはない変人宰相」とか、「贈答品を送り返す貸し借りを作らない人」とかのエピソードを繰りだして「潔癖な人」という印象づけを行っている。テレビ局側は、視聴率が取れるとか言って、農村型保守議員の談合政治手腕の顔付き(亀井や綿貫が典型だが)との差異を押し出す。「自民党を壊している改革派・コイズミ」を称え、かくて鬱々たる私(ら)都市住民は、コイズミの一本気や男気に拍手を送る。その構造が出来上がりつつあるが。【T】

今さら…

選挙だそうで。

しかも、女の候補者ばっかりが雨後のタケノコのごとくにょきにょきにょきにょき…。
誰に立候補の要請をしたというニュースで出てくる名前が女、女、女だったのには、タイムスリップしたかと思って本当にぽかんとしてしまった。
今さらおんな…?
忘れちゃったんですかねえ、山が動いた「マドンナブーム」。
それと、「刺客」ってなに?刺客って。税金使って遊んでんじゃないっつーの。そのくせ税金上げるだの何だの言ってるんだから、ほんっと、ワケワカリマセン。
ユーセーミンエーカに賛成か反対かを決する選挙だそうなんですが、反対に票を投じた有権者にもいずれ「刺客」が送られるんでしょうか?をを、こわ。



アインシュタインが「政治的情熱がかきたてられ、犠牲者が必要になる」って言いましたが、「郵政民営化」というものにああまで固執するのを見ていると、本当にちょっと怖い気がする。