「ゴジラ✕コング 新たなる帝国」

一条真也です。
沖縄に来ています。26日の夜、浦添シネコンでこの日から公開されたゴジラ✕コング 新たなる帝国」を観ました。IMAX上映で、映像も音響もド迫力でした。20時20分からの最終回でしたが、ほぼ満員で驚きました。ブログ「ゴジラvsコング」で紹介した怪獣映画の続編ですが、物語が意外な展開の連続ですごく面白かったです!


ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
ゴジラキングコングの二大怪獣が対決する『ゴジラvsコング』の続編。ゴジラキングコングが再び激突したことで、それぞれがテリトリーにする地上世界と地下空洞の世界が交錯し、新たな脅威が出現する。監督のアダム・ウィンガード、アイリーン役のレベッカ・ホール、バーニー役のブライアン・タイリー・ヘンリー、ジア役のケイリー・ホトルら、前作のスタッフとキャストが顔をそろえるほか、『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』などのダン・スティーヴンスらが新たに出演する」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「巨大生物の調査研究を行う未確認生物特務機関『モナーク』が、異常なシグナルを察知する。モナークが警戒を強める中、かつて激闘を繰り広げたゴジラキングコングが現れ、再び戦いを繰り広げる。さらにゴジラキングコングそれぞれがテリトリーにする地上世界と地下空洞の世界が交錯し、新たな脅威が出現する」


前作となる「ゴジラvsコング」は、ブログ「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」で紹介した怪獣映画に続く“モンスター・ヴァース”シリーズ第4弾となるアクションアドベンチャーでした。モンスターの戦いで甚大な被害を受けた地球にゴジラが再び出現し、人類はキングコングに戦わせようとします。モンスターたちの戦いの後、特務機関モナークが巨大怪獣(タイタン)の故郷(ルーツ)の手掛かりを探る中、深海からゴジラが再び現れる。世界の危機を前にゴジラが暴れまわる原因を見いだせない人類は、キングコングを髑髏島(スカルアイランド)から連れ出し、ゴジラと対決させようとするのでした。

 

沖縄でIMAXを観る! - 一条真也の新ハートフル・ブログブログ「沖縄でIMAXを観る」で紹介したように、「ユナイテッド・シネマPARCO CITY浦添」のIMAXで観たのですが、ブログ「デューン2を札幌のIMAXで再鑑賞しました」で紹介した3月18日夜以来の体験でした。札幌ではブログ「デューン 砂の惑星PART2」で紹介したSF大作映画の再鑑賞でしたが、大いに感動しました。しかし、この日の沖縄での「ゴジラ✖コング 新たなる帝国」のIMAX体験の感動はそれを上回るものでした。というのも「デューン2」はわりと静かな物語ですが、「ゴジラ✕コング 新たなる帝国」は二大怪獣をはじめとした大怪獣たちが大暴れするのですから、迫力満点もいいところでした。ゴジラとコングのリアルな咆哮が今も耳に残っています。今夜の夢に出てきそうです!

 

タイトルにあるゴジラとコングだけでなく、(予告編に登場するのでネタバレにはならないと思いますが)日本が誇る怪獣モスラ、それにコングの闇バージョンみたいな邪悪な巨大猿、彼が操っている氷河期を呼び込むほどの氷の怪獣、その他にも地底世界にうごめく見たこともない怪獣たちが登場します。最高殊勲怪獣はミニ・コングでしょう。とてもキュートで、かつて東宝ゴジラの息子」(1967年)に登場したミニラを上回る存在感でした。興味深かったのは、放射能を吐くゴジラが「火」のメタファーなら、氷の怪獣は「水」のメタファーであることです。両雄は激戦を繰り広げますが、それは「火」と「水」がぶつかり合って「火水(かみ)」を出現させる「産霊」のようでした。そして、産霊を実現する者が「人間」のメタファーとなっているところも興味深かったです。この映画、思っていたよりも神話的かつ宗教的でしたね。


この映画には、世界中の観光地も続々と登場します。イタリアのローマでは、ゴジラコロッセオで眠りこけます。目覚めたゴジラはフランスのパリを攻撃します。他にもブラジルのサンパウロジブラルタルなど、魅力的な観光スポットが次々にIMAXのスクリーンに映し出され、円安でなかなか海外旅行に行くにくくなった日本人の観客たちを悶えさせます。その極めつけは、わたしが最も行きたいエジプトのカイロに極まります。ここに出現したコング、ゴジラモスラの三大怪獣がスフィンクスを取り囲んでミーティングする場面はゾクゾクしました。また、ゴジラが景気よくピラミッドを壊しまくるのもコーフンしました。


しかし、最高に魅力的な場所は、やはりコングが棲む地下世界です。わたしの大好きなジュール・ヴェルヌ『地底探検』コナン・ドイル『失われた世界』のアップデート版ともいえる幻想的な怪獣たちの王国は、かつての怪獣少年を狂喜させてくれました。小学生の頃は夏休みのたびに「東宝チャンピオンまつり」のゴジラ映画を欠かさず観ていたわたしも、来月には61歳になります。老いを感じる今日この頃ですが、久々に400gのステーキを平らげた夜、この最高にエキサイティングな作品をIMAXで観ることができて本当に良かったです!

 

2024年4月27日  一条真也

沖縄でIMAXを観る!

一条真也です。
沖縄に来ています。26日、ブログ「合同慰霊祭in沖縄」ブログ「海洋散骨in沖縄」で紹介した二大セレモニーが無事に終了しました。ブログ「名護宮里紫雲閣竣工式」で紹介したセレモニーも前日の25日につつがなく行われ、本当に安心しました。

「88」の赤身ステーキ400gを食す!

 

そんな三大行事を終えて充実感をおぼえた26日の夜、那覇にある「88」というステーキハウスに行って、夕食を取りました。本当は噂の「やっぱりステーキ」に行きたかったのですが、諸般の事情でこの店に入りました。わたしは、赤身ステーキ400グラムに挑戦。もう還暦を迎えた年寄りなので食べきれないかなと思ったのですが、肉が柔らかくて美味しかったで、ペロリと平らげました。

PARCO CITYの外観

 

食後は、浦添にあるPARCO CITYというショッピングセンターに行きました。ここは地元の大手スーパーである「サンエー」が経営している大型商業施設です。わが社は「サンレー」といいますが、名前が似ていることから沖縄ではよくサンエーさんと間違われることが多いです。ここは一度訪れてみたかった場所でした。なぜなら、「ユナイテッド・シネマPARCO CITY浦添」という人気の高いシネコンがあるからです。


シネコンの向かいの「レッド・シューズ」


ここは「映画の楽園」です!


DCヒーローズと


MARVELのキャプテン・アメリカ


海賊ジャック・スパロウ

ユナイテッド・シネマPARCO CITY浦添」の入口の向かい側には「HMV&BOOKS」沖縄店に隣接した「レッド・カーペット」というお店があるのですが、ここが映画ミュージアムとでもいうべき空間で、映画好きにはたまらない楽園でした。なにしろ、古今東西の名作映画のポスター、「映画の歴史」を紹介するパネル、それに、スーパーマンバットマンやアイアンマンらDCヒーローの等身大人形&MARVELのキャプテン・アメリカの等身大人形、さらにはパイレーツ・オブ・カリビアンジャック・スパロウの等身大人形などが展示されています。

ユナイテッド・シネマPARCO CITY浦添」の前で


まるで映画のテーマパーク!


札幌に続いて沖縄でIMAXを!


ゴジラに頭を齧られました!

 

ユナイテッド・シネマPARCO CITY浦添」も素晴らしく、IMAX、4DX、SCREEN Xといった最新映像がすべて揃った映画のテーマパークでした。この日は ブログ「ゴジラvsコング」で紹介した怪獣映画の続編であるゴジラ✕コング 新たなる帝国」の日本公開日だったので、そのIMAX上映を鑑賞。 ブログ「デューン2を札幌のIMAXで再鑑賞しました」で紹介した3月18日夜以来の体験でした。感想はしっかりレビュー記事を書きますが、もうこれ以上ないほどの最高の映像体験で、「生きているうちに、こんな至福の思いをするとは!」とさえ思いました。では、ブログ記事をお楽しみに!



2024年4月26日  一条真也

海洋散骨in沖縄 

一条真也です。沖縄に来ています。ブログ「合同慰霊祭in沖縄」で紹介したセレモニーの後、サンレーグランドホール中央紫雲閣を出発、三重城港方面へ。海洋散骨に立ち会うためですが、昨日からの雨で出航許可が出たのは今朝の10時。10時半頃には九州で地震が発生。心配しましたが、幸い津波の心配はないとのことで決行します。


昼食は、ジューシー&沖縄そば


とても美味しかったです!

 

ちょうど昼になったので、サンレー沖縄の黒木取締役と横木部長と3人で那覇紫雲閣の斜め前にある沖縄そば屋さんに入り、ジューシー(味御飯)と沖縄そばを食べました。沖縄そばには三枚肉とチャーシューが入っていて、とても美味しかったです。これまでに食べたすべての沖縄そばの中でもトップランクに入る味でした。


三重城港の船の前で


みなさん、船に集まってきました


危ないので、ゆっくりと乗船しました


軽快に船に飛び乗りました

見送ってくれた「おくりびと

サンレー沖縄の黒木取締役と

サンレー九州の市原部長と


突然、強風にあおられました!

 

昼食後は、三重城港に移動しました。ここで、わたしは海洋散骨に立ち合います。今回の船は14時00分頃に出港しました。出港の際は汽笛が鳴らされ、スタッフが整列して見送ってくれました。雨は止んだものの風が強くて、船は非常に揺れました。他のみなさんは酔い止めの薬を飲んでいたようですが、わたしは指を負傷のため抗生物質を飲んでいたため、酔い止め薬は控えたのです。結果、気持ち悪くなって大変でした。船がこんなに辛いものとは初めて知りました。

船の上で風を感じました

少し揺れが収まったかな?


海上のスタッフたち


セレモニーの時間になりました


やっぱり素敵な名司会者😊


禮鐘の儀のようす

献酒の儀を行いました

海に向かって祈りを捧げました


儀式のための命綱を用意

献骨の儀のようす

14時30分頃、散骨ポイントに到着しました。
そこから、いよいよ海洋散骨のスタートです。開式すると、船は左旋回しました。これは、時計の針を戻すという意味で、故人を偲ぶセレモニーです。それから黙祷をし、ここでも禮鐘の儀を3回行いました。それから、日本酒を海に流す「献酒の儀」が行われました。そして、いよいよ「散骨の儀」です。ご遺族によって遺骨が海に流されました。そのとき、号泣された方、海に向かって「いってらっしゃーい!」「あんたの好きなようにしてあげたからね!」「ありがとー! また会おうね!」と叫ばれる方など、いろんなお別れの形がありました。改めて、海洋散骨とはグリーフケアのセレモニーであると感じました。


献花の儀で海上を漂う花びら

生花リースを高く掲げました


生花リースに祈りを込めました


生花リースを海に投じました


祈りを捧げました

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海面を漂う生花リース

続いて「献花の儀」です。これも、ご遺族全員で色とりどりの花を海に投げ入れました。ご遺族が花を投げ入れられた後、主催者を代表してわたしが生花リースを投げ入れました。生花が海に漂う様子は大変美しかったです。

わたしが挨拶をしました

世界中の海はつながっている!

 

それから、主催者挨拶が行われました。
わたしが、マイクを握って挨拶しました。
わたしは、「今日は素晴らしいお天気で本当に良かったです。今日のセレモニーに参加させていただき、わたしは2つのことを感じました。1つは、海は世界中つながっているということ。今回の海洋散骨には日本全国から申し込みいただいていますが、海はどこでもつながっています。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずということです」と言いました。

故人様は幸せです!


最後に一礼しました


海は永遠です!

 

それから、「もう1つは、故人様はとても幸せな方だなと感じています。海洋散骨を希望される方は非常に多いですが、なかなかその想いを果たせることは稀です。あの石原裕次郎さんでさえ、兄の慎太郎さんの懸命の尽力にも関わらず、願いを叶えることはできませんでした。その慎太郎さん自身は愛する湘南の海に還られましたね。愛する家族である皆様が海に還りたいという自分の夢を現実にしてくれたということで、故人様はどれほど喜んでおられるでしょうか。また、今朝のテレビに加山雄三さんが出ておられましたが、加山さんも「世界中の海はつながっている。そして、海は人の心につながっている」と言われていました。その想いを歌にしたのが名曲「海 その愛」だそうです。皆様と故人様がいつかまた会う日まで、故人様の安寧と皆様のご健勝を祈念いたしましてご挨拶に代えさせて頂きます」と言いました。その後、散骨場を去る際、右旋回で永遠の別れを演出しました。

しばし物思いに耽りました

海の空気を吸い込みました

 

海洋散骨は海洋葬とも呼ばれます。自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋にまく自然葬の1つです。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋葬が最近は多くなってきました。告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋葬が行われます。「あの世」へと渡るあらゆる旅行手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざすサンレーでは、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しているのです。

次第に晴れてきました


あの海の向こうにニライカナイが・・・

 

2009年4月、わたしはオーストラリアのレディ・エリオット島での海洋葬に参列しました。レディ・エリオット島では、まさにグレートバリアリーフの美しく雄大な海に遺灰が流されました。そこで、遺族の方がつぶやいた「これで、世界中どこの海からでも供養ができる」という言葉が非常に印象的でした。そうか、海は世界中つながっているんだ! そもそも、「死」の本質が「重力からの解放」ですので、特定の場所を超越する月面葬や海洋葬は「葬」という営みに最もふさわしいのではないかと思います。つながっている海に世界中の死者の遺灰がまかれることは「死は最大の平等である」のテーゼにも合致します。

 

 

最新刊のロマンティック・デス』(オリーブの木にも書いたように、わたしは月を「あの世」に見立てる月面葬を提唱する者ですが、その理由のひとつは月が世界中どこからでも見上げることができるからです。そして、地球上にあっても、海もどこからでも見ることができることに気づきました。月面葬も、海洋葬も、「脱・場所」という意味では同じセレモニーだったのです! 

 

 

つながっている海に世界中の死者の遺灰がまかれることは「死は最大の平等である」のテーゼにも合致します。わたしは、拙著涙は世界で一番小さな海(三五館)の内容を思い浮かべました。ドイツ語の「メルヘン」の語源は「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包しているのです。

 

 

ルドルフ・シュタイナーは著書『メルヘン論』で、「メルヘンには普遍性がある」と述べました。ユングはすべての人類の心の底には、共通の「集合的無意識」が流れていると主張しましたが、アンデルセンメーテルリンク宮沢賢治サン=テグジュペリらの魂はおそらく人類の集合的無意識とアクセスしていたのだと思います。

 

 

人類の歴史は四大文明からはじまりました。すなわち、メソポタミア文明エジプト文明インダス文明黄河文明です。この四つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。大事なことは、河というものは必ず海に流れ込むということです。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということです。チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出ます。

 

 

人類も、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは河の流れとなって大海で合流するのではないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。それがユングのいう「集合的無意識」の本質ではないかと考えます。


さらに、「小さな海」という言葉から、わたしはアンデルセンの有名な言葉を思い出しました。それは、「涙は人間がつくる一番小さな海」というものです。これこそは、アンデルセンによる「メルヘンからファンタジーへ」の開始宣言ではないかと思います。というのは、メルヘンはたしかに人類にとっての普遍的なメッセージを秘めています。しかし、それはあくまで太古の神々、あるいは宇宙から与えられたものであり、人間が生み出したものではありません。しかし、涙は人間が流すものです。そして、どんなときに人間は涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、辛いときです。


無事に終わって安堵しました


下船が近づいてきました

 

それだけではありません。他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときに涙を流すのではないでしょうか。つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」を作ることができるのです。そんなことを海洋散骨に立会いながら考えました。


船酔いのまま帰ってきました

船を迎えてくれた「むかえびと」

 

「大きな海」に還る死者、「一番小さな海」である涙を流す生者・・・・・ふたつの海をながめながら、わたしたちは葬送という行為もまたファンタジーだと思い知ります。海洋散骨においては、海を見るたびに大切な方との別離の悲嘆を感じ、悲しみと一緒に生きている自分に気づくことができ、また一緒に歩んでいくことがグリーフケアの第一歩ではないでしょうか? わたしの心の中には加山雄三の「海 その愛」が流れていました♪



2024年4月26日 一条真也

合同慰霊祭in沖縄 

一条真也です。沖縄に来ています。
26日の12時から沖縄県浦添市サンレーグランドホール中央紫雲閣で「合同慰霊祭」が行われました。ここは沖縄県最大級のセレモニーホールですが、わたしは沖縄の海をイメージしたオーシャンブルーのネクタイ、ポケットチーフのコーディネートで参列しました。

中央紫雲閣」の前で


新庄部長(左)、島袋支配人(右)と

合同慰霊祭の祭壇

「祈」の文字が浮かび上がる


合同慰霊祭のようす

わたしも参加しました

新城部長の「追悼の言葉」を聴く

まず、わたしが献灯しました

心をこめて祈りました

 

合同慰霊祭は「開会の辞」に続いて、黙祷、「禮鐘の儀」、サンレー沖縄の新城部長による「追悼の言葉」、カップローソクによる献灯がありました。ご遺族の方々に続いて、わたしも献灯させていただきました。心を込めてお祈りさせていただきました。

主催者挨拶をさせていただきました

 

その後、わたしが主催者挨拶をさせていただきました。
マイクを持ったわたしは、以下のように述べました。
本日は慰霊祭にご参加いただきまして、ありがとうございました。沖縄での合同慰霊祭・海洋散骨は平成26年より数えまして今回で11回目となります。皆様に意義を感じていただき、本年度に実施させていただく故人様を含め、310柱の方の海洋散骨を行うことが出来ました。この10年間には親御さんを亡くされた方、ご兄弟を亡くされた方、配偶者を亡くされた方、そして子どもさんを亡くされた方・・・・・さまざまな方にご参加いただき、海洋散骨を行ってきました。その際、ご遺族の皆様に、わたしが必ずお話しすることがあります。それは「世界中の海はつながっているということ。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずです」ということです。

沖縄の海は世界中の海とつながっています!

 

今朝のテレビに加山雄三さんが出ておられましたが、加山さんも「世界中の海はつながっている。そして、海は人の心につながっている」と言われていました。その想いを歌にしたのが名曲「海 その愛」だそうです。わたしは、「沖縄の海も世界中の海とつながっています。海を見れば故人様の顔が浮び、そしてさまざまな思い出を思い出すことでしょう。これは世界中のどの海を見ても共通のことなのです。そして故人様との思い出を大切にし、そして海をみると思い出してあげるということは故人様にとって最高のご供養です」と述べました。

故人の魂はニライカナイへ!

 

そして、わたしは「沖縄では魂はニライカナイという理想郷に還り、その魂は皆様を見守り続けるということだそうです。これは時代が変わっても永遠普遍なものです。皆様と故人様がいつかまた会う日まで、皆様が故人様のご冥福を心安らかにお祈りいただけますよう、そして本日故人様を母なる海へ送られるご家族様のこれからのご健勝を祈念いたしましてご挨拶に代えさせて頂きます」と述べて、挨拶を終えました。

合同慰霊祭が無事に終了しました

最後に一礼しました

 

合同慰霊祭の終了後、それぞれのご遺族ごとに集合写真を撮影されました。それから、わたしたちは三重城港に向かいました。ここで、例年通りに海洋散骨に立ち合わせていただきます。


故人のご冥福をお祈りしました

 

2024年4月26日 一条真也

名護宮里紫雲閣竣工式 

一条真也です。沖縄に来ています。
25日の朝、那覇のホテルで目を覚ましました。あいにくの雨です。負傷している右手中指をかばいながらモーニング・ルーティーンである腹筋&腕立て伏せをやった後、朝食を取りました。その後、迎えに来た車に乗って完成したばかりの名護宮里紫雲閣へ。今日は、竣工式なのです。

名護宮里紫雲閣の外観

名護宮里紫雲閣の前で


サンレー沖縄の佐久間康弘社長と


サンレー沖縄の黒木昭一取締役と


写真家の安田淳夫さんと


久々にオープンする新施設です

 

この日、11時から竣工清祓神事が行われました。名護宮里紫雲閣の場所は、 沖縄県名護市宮里4丁目14番56号です。 サンレーグループとしては、沖縄県内で10番目、全国で92番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)です。

ロビーには多くの胡蝶蘭が・・・


入口横の待合室

ブックレット・コーナー


本日の式次第


本日の神饌


まずは身を清めました


さあ、儀式の場へ!


竣工神事のようす


お祓いを受けました


低頭しました


身が引き締まる思いです

 

竣工神事の進行は、サンレー沖縄管理部の横木部長が担当。竣工神事は、地元を代表する神社である普天間宮の榊原雅樹権禰宜にお願いいたしました。開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。

玉串奉奠で柏手を打ちました


玉串奉奠で拝礼しました


柏手を打つサンレー沖縄メンバー

久々の竣工式です

榊原権禰宜の祝辞を拝聴

神酒をいただきました

 

それから、玉串奉奠です。最初にわたしが玉串を奉奠。サンレー沖縄の佐久間康弘社長、ちねん設計の知念代表、(株)沖縄工設の大嶺社長、サンレー沖縄の高橋相談役、黒木取締役が玉串奉奠し、社員が従いました。その後、撤饌、昇神之儀、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。その後、榊原権禰宜の発声で神酒を拝戴。


施主挨拶をしました

感謝状贈呈の後、施主挨拶として、わたしが挨拶しました。わたしは「無事に神事を終えることができて安心しております。この名護宮里紫雲閣は、サンレーグループとしては、沖縄県内で10番目、全国で92番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)です。長く続いたコロナ禍で施設の展開が滞っていましたが、ようやくこの地で新しい施設が生まれたことを嬉しく思います。関係者のみなさまに心より感謝いたします。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のケアを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいです」と述べました。

宮里について話しました

 

続けて、わたしは「宮里は方言でナーザトゥ、あるいはミャーザトゥと呼ばれ、ナーザトゥはナトゥ(湊)が転訛したと解されています。名護市は、昭和45年8月に名護・屋部・羽地・屋我地・久志5村が合併し誕生しました。本土復帰直後の1970年代前半までは本部半島方面の通過地で名護湾に面した集落(西側は畑のみ)にすぎませんでしたが、1975年の沖縄国際海洋博覧会を機にアクセス道路として本部循環線のバイパスが建設され、現在の2丁目が埋め立てられ、町が変わり始めました。埋立地には野球場をはじめとする屋外のスポーツ施設や野外ステージなど大規模な公園が建設され『21世紀の森』と名づけられました」と述べました。


最後に道歌を披露しました

 

宮里といえば、宮里前の御嶽(みやざとめーぬうたき)が有名です。近世の御嶽として、『琉球国由来記』(1713年、王府編纂の地誌)にマキヨガマノ嶽(神名ススカミイベナヌシ)が記され、名護ノロの崇べ所となっています。また、神アシアケもあり、そこの祭祀も名護ノロが司りました。宮里前の御嶽は地元では、メーウガミ(前拝み)、またはメーヌタキ(前の御嶽)と呼ぶそうです。現在の御嶽は、ハスノハギリ林の中にメーヌウタキ(前の御嶽)、集落の北の丘陵地にクシヌウタキ(後の御獄)があります。このような自然に恵まれ、信仰心を強い素晴らしい土地に新しい紫雲閣が完成したことはまことに喜ばしいことであるとして、最後に以下の道歌を披露しました。

 

名護の海 森もうつくしナーザトゥ
    青き空には紫の雲  庸軒

 


決意表明のようす


決意表明のようす


普天間宮の榊原権禰宜と歓談


記念の集合写真を撮影しました

その後、名護宮里紫雲閣の新里総支配人から決意表明が佐久間康弘社長に手渡され、閉式となりました。その後は集合写真を撮影しました。フォート・プラザの安田淳夫社長が撮影して下さいました。

ホテルゆがふいんの前で


直会会場から海が見えました


久々に兄弟で語り合いました


直会の挨拶をする佐久間康弘社長


いただきます!


直会のようす


最後は「末広がりの五本締め」で

 

それから、「ホテルゆがふいん」へ移動して、直来が開かれました。最初にサンレー沖縄の佐久間康弘社長の挨拶があり、続いて乾杯が行われました。祝宴の最後は黒木取締役による「末広がりの五本締め」で直会は閉会となりました。名護宮里紫雲閣が多くの方々から愛される施設となりますように!

 

2024年4月25日 一条真也

那覇の熱い夜

一条真也です。
沖縄に来ています。24日の夜、那覇国際通りにある居酒屋で「フォトグラファー」こと沖縄在住の写真家・安田淳夫さんと会食しました。サンレー沖縄の黒木取締役、サンレー九州のグリーフケア推進部の市原部長も一緒です。

安田淳夫さんと再会しました!

オールフリーとオリオン生で乾杯!

 

翌25日が名護宮里紫雲閣の竣工式ということで、その前夜祭を開きました。もっとも、ブログ「沖縄へ」に書いたように、わたしは指が炎症を起こして抗生物質を飲んでいる身なので、アルコールは控えなければなりません。ノンアルコールビールの「オールフリー」とウーロン茶を飲みました。安田さんにお会いするのは、ブログ「長女の結婚披露宴」で紹介した結婚式以来で、2022年6月5日以来です。わたしたちは久々の再会を喜び合いました。


沖縄の伝統料理の数々・・・

美味しかったです!


現代風の創作料理の数々・・・

こちらも美味しかったです!

 

お店は安田さんの行きつけの若者向けのモダンな居酒屋で、伝統的な沖縄料理と今風の創作料理の両方を提供する店でした。島ラッキョウ海ぶどう、もずくの天ぷら、ゴーヤチャンプルなどの沖縄料理も、豚足のフライ、スパムのチーズ揚げ、イカスミそばなどの創作料理・・・・・・いずれも大変美味しかったです。本当は抗生物質さえ飲んでいなければ、泡盛をロックでガンガン飲みながら味わいたい品々でした。残念であります!


二次会のカラオケ・ラウンジで乾杯!


芸術論を語る安田さん


議論は大いに白熱しました

慈経 自由訳』(現代書林)

 

食後は、安田さんに誘われて、近くのカラオケ・ラウンジに歩いて行きました。コロナ前には沖縄に来るたびに寄っていた店ですが、まだ営業していたのに感激しました。ママさんが相変わらず綺麗なままなのも嬉しかったです。わたしはウーロン茶、みんなは泡盛で乾杯した後は、安田さんとしばらく芸術談義をしました。安田さんは写真家でありながら、絵画や陶器も製作するマルチ・アーティストです。拙著慈経 自由訳(現代書林)では安田さんが太陽や月を撮影した素晴らしい写真を使っています。


カラオケを熱唱する安田さん


わたしも歌うことになりました

 

その後は、カラオケタイムとなりました。カラオケ好きの安田さんが、千昌夫北国の春や平尾昌晃の「ミヨちゃん」「星はなんでも知っている」などを熱唱しました。わたしもマイクを渡されて「ぜひ、歌って下さい!」と言われましたが、もともとカラオケがあまり好きではないのと、この日は抗生物質を飲んでいたため固辞しましたが、みんなから押し切られました。


矢沢永吉「時間よ止まれ」を歌う♪


本当に久しぶりに歌いました♪


永ちゃんと一緒に歌っている気になりました

 

最初は、ママさんからのリクエストで矢沢永吉の名バラード「時間よ止まれ」を選曲しました。いつも歌っている通常バージョンではなくLIVEバージョンで、永ちゃん本人が出演していました。わたしは情感たっぷりに、久々にこの名曲を歌い上げました。よく歌詞を間違える「西風が笑うけれど♪」のところも間違わずに歌えました。


大好きな沖縄ソングです♪


大切なメッセージが込められた歌です♪

リメンバー・フェス』(オリーブの木

 

次に、黒木取締役が三線のナンバーを歌ったのに触発されて、BEGINの三線の花」を歌いました。この歌には、先祖から自分、そして子孫と受け継がれる大切なものが歌われています。それは、まさに前日の4月23日に発売されたばかりの最新刊リメンバー・フェスオリーブの木)のメッセージと同じです。


北島三郎「まつり」を歌う♪


男は~祭り~を~♪


祭りだ、祭りだ、祭りだ♪

 

さらに、安田さんのリクエストで北島三郎先生の国民的名曲「まつり」を歌いました。日本人なら誰でも大好きな「こころの歌」です。イントロが流れ出してくると、わたしは「初宮祝いに七五三、成人式に結婚式、長寿祝いに葬儀、そして法事・法要・・・・・・人生は祭りの連続でございます。明日は、冠婚葬祭のサンレー沖縄が名護宮里紫雲閣の竣工式を開くということで、めでてえなあ。祭りだ、祭だ!」と前口上を述べてから、「男は~♪」と歌い出しました。店内はもう興奮のルツボです!


男は~祭りで~♪


ああ、なんて素晴らしい歌なんだ😢


パフォーマンスが冴えわたる!


最後は、もちろん「イエ~イ!」

 

「まつり」という名曲の魅力に取りつかれたわたしは、業界団体の懇親会で、会社の宴会で、それから私的な飲み会で、何度も「まつり」を歌いました♪ 東京のカラオケスナックで歌ったときには全国3136人中で1位になったこともあります。そう、「まつり」はわたしの十八番なのです。この日は、抗生物質も飲んで体調が最悪で、しかも酒なしのシラフのままでしたが、なんとか自分を鼓舞して歌い切りました。というか、歌っているうちに体内にエネルギーが充満してきて、どんどん元気になったから不思議です。ちなみに、合いの手に入る「わっしょい」の掛け声は「和を背負う」の意味です。


1番は安田さんが歌いました♪


2番はわたしが歌いました♪


3番は二人で歌い上げました♪

 

その後も、安田さんとの再会を期して尾崎紀世彦また逢う日までを歌ったりしましたが、翌朝は早いし、キリがないので、最後は安田さんと美空ひばり「愛燦燦」を一緒に歌いました。最初に1番を安田さんが立って歌い、2番をわたしが歌い、3番を二人で歌いました。途中、「人は可愛い、可愛いものですね♪」の歌詞のところをママを指さしながら歌ったら、照れていました。(笑)こうして、わたしたちは「愛燦燦」を堂々と歌い上げ、タクシーに乗って帰りました。ただし、安田さんだけは店に残り、まだ飲んで歌うようです。今夜は久々に「天下布礼」を目指す同志たちと楽しい時間を過ごせて、楽しかったです。なお、カラオケに対するわたしの考え方については、ブログ「楽」をお読み下さい。

 

2024年4月25日  一条真也

沖縄へ 

一条真也です。
静岡から小倉に戻った翌日となる24日の早朝、右手の中指の激痛で目が覚めました。見ると、深爪した部分からばい菌でも入ったのか、真っ赤に腫れあがっています。朝一番で主治医のいる合馬医院を訪れ、抗生物質と痛み止めのロキソニンを処方してもらいました。飲むと、痛みは治まりました。その後、会社に寄ってから福岡空港へ。

福岡空港の前で

福岡空港にて

 

今日は福岡空港からANA機に登場して、沖縄の那覇空港に飛ぶのです。元旦の能登半島地震の発生によって新年に行けなかったので、じつに久々の沖縄出張となります。25日に名護宮里紫雲閣の竣工式、26日に合同慰霊祭および海洋散骨に立ち会う予定です。

ANAラウンジにて


青空と青汁

 

福岡空港は、思っていたほど人は多くなかったです。いま日本中どこに行っても白人観光客ばかりで「欧米か!」と叫びたくなりますが、この日の福岡空港ではその姿は見ませんでした。わたしは、まず、ANAラウンジに入って、いつもの青汁を飲みました。その後、14時00分発のANA1209便に搭乗しました。飛行機も空いていました。プレミアム・クラスはガラガラだったので、いつもは通路側の席にしか座らないのですが、窓側に座ってみました。それにしても、那覇空港に向かう人たちはみんなアロハ、かりゆし、Tシャツみたいな軽装の人ばかりです。わたしは、ブルー・ストライプのジャケットにマリンブルーのシャツ、黒のパンツといった装いでした。

今日は空いていたので窓際に・・・

やっぱり、マスクを着けました

 

ブログ「マスクを楽しむ!」で紹介したように、わたしは多彩な色のマスクを着用しますが、常に「悪目立ちしない」ことを意識します。飛行機では、必ず不織布マスクを着用します。現在、コロナも多くなっている上にインフルエンザも流行していますしね。コロナが5類に移行した後も、わたしはしばらく着用するつもりです。第一、大量のカラフル・マスクのストックがありますから、使わないともったいない!(笑)

ANA1209便、飛び立つ!

機内から見た福岡の街


福岡ドームも見えました
まずはランチをいただきました

飛行機に乗り込むと、まずはスーパーシート用のランチをいただきました。14時をかなり過ぎての提供だったので、お腹がペコペコでした。ちらし寿司を中心とした軽食といった感じでしたが、とにかく空腹だったので美味しかったです。食後はブラックコーヒーを注文。熱いコーヒーを啜りながら、いつものように読書をしました。

機内では、読書しました

 

恒例の機内読書ですが、この日は『60歳からの「般若心経」』公方俊良著(三笠書房)を読みました。著者は、1941年、京都生まれ。天台宗門跡寺院で得度。敦實親王菩提寺蒼竜寺住職。宗派へのとらわれを廃し、檀家を持たず、終始野にあって、仏教を根底にした教化活動に努めているそうです。本書には、悩みの正体、身近にある幸福、世の中の仕組み、力強い自己実現・・・・・・般若心経が教えてくれる「人生後半」を賢く、豊かに生きるヒントが書かれています。具体的には、◎60歳から、あるがままに、自在に生きる知恵◎対立した見方が迷いのもとになる◎人間関係を仕切り直す3つのポイント◎身も心もみな「空」◎自分の「捨て方」を知っておこう◎「まだ働ける」――こんなに有り難いことはない◎災厄が訪れる人、訪れない人の差◎友情は「淡の交わり」まで深めてこそ・・・・・・などです。今こそよくわかる、心に響く――たった276文字に凝縮された「仏教の真髄」。わたしも、来月10日には61歳になるので、60歳のうちに読んでおきたいと思いました。


窓の外は地球のイメージ


窓の外は地球のイメージ


青と白のツートンカラー


青と白と青のスリートンカラー

 

わたしは『般若心経』のことを考えると、いつも宇宙を連想します。ふと飛行機の窓の外を見ると、宇宙空間に浮かび地球そのもののような絶景が拡がっていました。空の青と雲の白のツートンカラー、それに海の青が加わったスリートンカラーも幻想的で、素晴らしい色彩でした。わたしはiPhone最新機種(iPhone 15 Pro Max)の高性能望遠レンズを駆使して、写真を撮りまくりました。そういえば、一昨日に、カメラ通である117の山下社長から「いつもブログの写真を拝見していますが、あまり望遠レンズは使われませんね」と言われたことを思い出しました。よし、今日は使ってやろうじゃないか!


雲はまるで生き物のようだ


雲は天才である!


まるで天国のような光景が・・・


機内から見た那覇の海

 

そういえば、新型iPhoneになってから、飛行機の窓際に座るのは初めてかもしれません。やはり、たまには空の景色を眺めるのは良いですね。心がリセットされて、悩みや不安も吹き飛ぶ感じです。それから、雲海をしばらく眺めていました。わたしは「霊界」をイメージできるので「雲海」が大好きなのです。それにしても、雲が動くと生きているようですね。雲はいくら見続けても飽きません。石川啄木のように、「雲は天才である」と言いたい!


那覇空港に到着しました


那覇は曇りで、気温22度でした

那覇空港にて

那覇空港の出口で

 

那覇空港には15時50分に到着。気温は22度でした。小倉とあまり変わりませんが、昨日までの那覇は28度ぐらいあったそうです。サンレー沖縄の黒木取締役と横木部長が迎えに来てくれました。まずは、定宿のホテルに向かってチェックイン。それから少し打ち合わせてから、夕方から那覇在住の写真家である安田淳夫さんとお会いして、会食します。安田さんは拙著慈経 自由訳』『般若心経 自由訳(ともに現代書林)に素晴らしい写真を提供して下さった「天下布礼」の同志です。安田さんに会うのもずいぶん久しぶりなので、本当に楽しみです!

 

 

2023年5月29日 一条真也