iPadユーザーは年収や自由裁量額が高い積極消費型--cciとVRIが共同調査

http://japan.cnet.com/news/service/story/0,3800104747,20422129,00.htm?ref=rss

調査によれば、iPadユーザーは非iPadユーザーに比べて年収、自由裁量額のいずれも高く、デジタル機器に加えて、乗用車、住宅、不動産などの高額商品への購入意欲も高い積極消費型であることがわかった。女性ユーザーの比率が38.6%を占めること、自ら積極的にソーシャルメディアに参加したり、情報収集を行うマーケットインフルエンサーであることなども明らかになった。また、iPadユーザーの1日あたりのiPad接触時間量は、インターネットおよびアプリの利用時間を合計して132分で、テレビを上回り第1位だった。

先日、

住友不動産iPadユーザー向けマンション電子カタログを配信
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20101026#1288051370

とコメントしましたが、上記のような調査結果を見ると、iPad向けにこういったカタログを配信という狙いには合理性があると言えるでしょうね。
情報発信力が強いという調査結果にもなっているので(自ら積極的にソーシャルメディアに参加など)、こういった人々をうまく利用すれば、商品の宣伝もしてくれて利用もできそうです。と、ここまで書いて、スマートフォンとかMacBookAirなどについて、あれこれコメントしている自分が、正にそういう人ではないかという気がしてきました(笑)。

2010年10月30日のツイート

本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意

読めば読むほど興味が尽きない本能寺の変ですが、この本では、信長公記をベースにして、あくまで明智光秀の単独によるものとして、最近、流行の謀略説(中にはイエズス会黒幕説というものまでありますが)を否定しています。
いくつか、こういった本を読んでみた感想として言うと、明智光秀としては、高齢(60歳代後半であったようです)で嫡子も幼く(10歳余り)、猜疑心が強い信長により家中の武将が追放されたり謀反を起こし自滅したりしている中、自らの今後への不安や、中世的な価値や制度を否定する信長への不満が高まっていたところに、信長が本能寺で無防備な状態のまま滞在し、明智軍が中国地方へ大軍を率いて向かう途中に京都を通過しても怪しまれることがないという、千載一遇の絶好の機会が訪れたことで、戦国武将らしい「天下」への野心も相まって、一気に決断し一気に決行した、というのが真相ではないかという印象を強く持っています。
背後で黒幕として操っていたり、連携していた者がいれば、明智光秀が敗死した後、隠ぺいしきることができたとは考えにくく、追及され処罰可能な者は処罰されていたはずであり、いろいろと言われている黒幕説は、完全に否定はできないものの(だからこそいろいろと言われるわけですが)、やはり無理があると言うしかないでしょう。
信長としては、天下への野望が正に実現しようとしていた、その時に、致命的な油断があったわけで、上記の本の中でもその意味が検討されている、光秀の謀反を知った時に信長が発したとされる、有名な「是非に及ばず」という言葉にも、そうした、自らの油断ということが念頭にあったのではないかという気がします。
人は、調子が良い時、得意になっている時こそ、自重自戒し油断してはならないということでしょう。

モルディブの結婚式 立会人が現地語で「お前は豚」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101031-00000033-sph-soci

式は10月初旬、モルディブの島のひとつにあるリゾートホテル「ヴィルリーフ」で行われた。動画サイトに、現地のディベヒ語で話す立会人の言葉に字幕がかぶせられて公開された。
「花嫁の乳のぞくな」。冒頭からカップルの前で、立会人らが交わす下品な言葉で式は始まった。立会人と手を重ねたり、指輪を交換したり、見た目には厳粛な式だが、祈りの言葉の中身はひどかった。訳によると、立会人は「お前は豚だ」「生まれる子どもも豚だ」「無神論者で異教徒のお前らの結婚は不当だ」と侮辱を連発。夫の性器をからかったり、「鶏とヤるときは気を付けろよ」などと下品で性的な言葉まで言いたい放題だった。
カップルはこの挙式に1000ユーロ(約11万円)を払っていた。言葉が分からないカップルは真剣に聞いていたが、ひとりのスタッフからは、時に小さなあざけり笑いも。サイトへの投稿者は別のスタッフだという。

これだけ見ると、けしからぬ話、というだけになりそうですが、いろいろと考えさせられるものはありそうですね。グローバル化が進み、経済力がある国の経済力がある人は、好きなところへ行け好きなことができても、世界にはそういった恵まれた状況にはない人のほうが圧倒的に多く、習俗、宗教、考え方などが異なるまま、恵まれた人のやりたいことに嫌々付き合わされている、ということも多いでしょう。日本人は、どちらかと言うと、経済力を背景にやりたいことをやるほうになりやすいと思われますから、謙虚に、考え方の違う人々への配慮や思いやりも忘れないということも必要かつ重要という気がします。
とは言え、上記の記事にある出来事はひどく、モルディブのイメージをかなり低下させたことは間違いないでしょう。

不起訴の事件一転起訴 合法でも異例 地検姫路支部

http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0003561412.shtml

逮捕後の尿検査で覚せい剤反応が出たとして、神戸地検姫路支部は使用の罪で起訴。さらに被告が署内で、靴の中に覚せい剤約0・7グラムを隠し持っていた疑いも浮上したが、同支部覚せい剤所持容疑や女性への傷害容疑は、嫌疑不十分で不起訴とした。
 しかし、覚せい剤使用について、神戸地裁姫路支部の杉田友宏裁判官は今年4月「他人に飲まされた可能性が否定できない」と無罪を言い渡した。検察側は控訴し、11月に控訴審初公判が予定されている。
 被告は釈放されたが、地検姫路支部は9月、いったん不起訴とした覚せい剤所持の疑いで逮捕し、傷害の罪と合わせて起訴した。同支部の関係者によると「新たな物証がみつかった」としている。

違法でないが異例 【東京地検の元検事・落合洋司弁護士の話】 不起訴の判断を検察自身が翻して再捜査し、起訴に持ち込むのは極めて異例だ。違法ではないが、合理的理由がある場合に限るべきだ。今回のケースも、新証拠が出てきたなら起訴に問題はない。だが被告に不利益を与えたのは事実で、当初の捜査が不十分だったとの批判は免れないだろう。

不起訴処分には、判決のような既判力(一事不再理効)がなく、「再起処分」といって、再び立件したうえで捜査し、起訴することも可能と、一般的に考えられています。
また、上記の公判で問題になっている公訴権の濫用について、最高裁判例は、検察官の職務犯罪を構成するような極限的な場合でないと成立しないとしていて、成立するハードルが極めて高いのが現状です。
ただ、中途半端な捜査で不起訴にしておき、後になって再起して捜査をする、といった蒸し返しがおきるようでは、関係者に対し無用な負担を与え法的安定性を害することになり、そういった不利益が、公訴権濫用といった形で救済できないのであれば、有罪になった場合は量刑で大きく考慮するなど、何らかの手当ては必要ではないかという印象を受けます。
こういったケースが起きてくるのも、検察庁の捜査力が全体として低下している現れなのかもしれません。

ニアミス事故裁判:管制官2人有罪確定へ 最高裁

http://mainichi.jp/select/today/news/20101029k0000m040013000c.html

決定は5人の裁判官のうち4人の多数意見。桜井龍子裁判官は「管制官の指示と事故に因果関係は認められない」として、2人を無罪とする反対意見を述べた。
小法廷は「907便の機長が航空機衝突防止装置の上昇指示に従わなかったのは、管制官の降下指示を受けていたからだ」と判断し、管制官の誤った指示と事故の因果関係を認めた。そのうえで「2人は誤った指示の危険性を認識できた」と指摘。管制官と装置の指示が相反した場合、どちらに従うべきかルールが不明確だったことが事故の要因の一つと認めたが、「罪の成立は左右しない」とした。

最高裁のサイトにアップされた決定書も一通り読んでみましたが、

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20101029111711.pdf

多数意見は、過失及び因果関係の認定のいずれにおいても特に違和感はなく、妥当なものと感じられました。社会通念、常識に照らしても、管制官が便名を言い間違えて降下指示を出す行為の危険性は明らかで、衝突防止装置の指示と管制官の指示のどちらを優先すべきか明確になっていなかったという事情はあっても、そうであるからこそ、そのような行為がいかなる危険な事態を引き起こすかは容易に予見できたと言えるでしょう。
因果関係が問題となるケースで、最近の最高裁は、「行為による危険性の現実化」という観点で判断する傾向がありますが、本件でも、「本件ニアミスは、言い間違いによる本件降下指示の危険性が現実化したものであり、同指示と本件ニアミスとの間には因果関係があるというべきである。」と判断されていて、従来の流れに沿った判断と言えると思います。
こういった事件で管制官のような立場の者の刑事責任が追及されることによる、安全対策への悪影響は、当然、問題であり、今後、検討される必要がありますが、その問題と、刑事責任の有無の問題は、やはり明確に区別して論じられなければならないでしょう。
なお、桜井龍子裁判官の反対意見は、刑事法の過失や因果関係の考え方としては、かなり特異(別の表現で言えば間違い)で、こういう答案を法学部や法科大学院、各種資格試験で書けば、単位も合格点もつかないので、参考にするのであればそういう意味で参考にすべきでしょう。こういった刑事法の素養に欠ける裁判官が、最高裁裁判官として数多くの刑事事件に関与しているというのはいかがなものかという印象を率直に受けました。

追記1(平成23年5月2日):

判例時報2105号141頁(最高裁第一小法廷平成22年10月26日決定)

追記2:

判例評論642号165頁(判例時報2151号)