社会学者、カール・マンハイム(1893〜1947)のこと。ブダペストに生まれ、ブダペスト大学哲学科を卒業。ドイツに留学し、ジンメルから強い影響を受ける。第一次世界大戦の勃発に際してハンガリーに帰国し、ルカーチなどとともにハンガリーの革命の運動の一翼を担う。しかし反革命があり、ドイツに亡命する。1929年、『イデオロギーとユートピア』(ISBN:412160086X)を刊行後、フランクフルト大学教授となる。33年にヒトラー政権の成立とともにイギリスに亡命し、亡くなるまでロンドン大学で社会学、教育社会学を講じた。知識社会学の提唱者として有名。(この稿は、中公クラシック『イデオロギーとユートピア』の著者紹介を参照としている)
Mannheim
ドイツ南部、バーデン=ヴュルテンベルク州の都市。人口約32万人。
ライン川とネッカー川の合流点に位置し、古くより水運で栄えた。
1720にハイデルベルクに代わってファルツ選挙侯の首都となり、碁盤目状の都市が建築された。