イビチャ・オシム

イビチャ・オシム

(スポーツ)
いびちゃおしむ

Ivica Osim
プロサッカー監督。
本名はイヴァン・オシム(Ivan Osim)でイビチャは子供の頃につけられた愛称。他にイヴィツァ、イビカなどの表記法がある。ボスニア語本来の発音ではイヴィツァ。
1941年5月6日生まれ。旧ユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォ出身。

選手時代

1960年にサラエボのFKジェリェズニチャル・サラエヴォでプロとしてのキャリアをスタート。1964年にはユーゴスラビア代表FWとして東京オリンピックに参加。対日本戦では2点を決めている。代表として16試合出場、8得点。
ユーゴスラビアでは国外のクラブへの移籍には年齢制限が設けられていたため、1970年に28歳でフランスのRCストラスブールに移籍をする。以降フランスのクラブを渡り歩き、1978年に再び戻ったRCストラスブールで現役を引退する。


1959〜70 : FKジェリェズニチャル・サラエヴォ
1970〜72 : RCストラスブール (フランス)
1972〜75 : CSスダン・アルデンヌ (フランス)
1975〜76 : ヴァランシエンヌFC (フランス)
1976〜78 : RCストラスブール (フランス)

指導暦

引退した1978年に古巣FKジェリェズニチャル・サラエヴォでコーチとして指導者のキャリアをスタートさせ、1984-85シーズンにはUEFAカップに出場、ベスト4まで進んでいる。
1986年にユーゴスラビア代表監督に就任。若手選手を多用して望んだ1990年のワールドカップ(イタリア大会)ではチームをベスト8に導いている。起用された若手選手の中にはドラガン・ストイコビッチ、デヤン・サビチェビッチらがいた。
1991年の夏にスロベニアとクロアチアがユーゴスラビア連邦から離脱し、続いて1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが連邦の離脱を宣言すると、ユーゴスラビア軍が故郷・サラエボに侵攻。これに対してオシムはユーゴスラビア代表監督を辞任する(この後FIFAはユーゴスラビアの国際大会からの締め出しを決定。1992年欧州選手権出場権も剥奪されている)。


1978〜86 : FKジェリェズニチャル・サラエヴォ
1982〜84 : 旧ユーゴスラビアオリンピック代表監督
1986〜92 : 旧ユーゴスラビア代表監督
1991〜92 : FKパルチザン (旧ユーゴスラビア)
1992〜94 : パナシナイコスFC (ギリシャ)
1994〜02 : SKシュトゥルム・グラーツ (オーストリア)
2003〜06 : ジェフ市原(2005年よりジェフ千葉)監督
2006〜07 : 日本代表監督

SKシュトゥルム・グラーツではリーグ優勝3回、UEFAチャンピオンズリーグへ3度出場をしている。
2003年からジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)の監督に就任。ベングロシュによって低迷から脱したJEFの改革を更に推進させ、主力選手の放出を乗り越えて、毎年好成績を積み重ねる手腕は高く評価されている。
試合後の会見や、雑誌などのコメント、インタビューはユーモアに富み、特に記者会見で哲学的に語られるコメントの数々は一行の詩で「オシム語録」と呼ばれ、サポーターからも愛されている。

2006 FIFA WORLD CUP後、ジーコの後任としてサッカー日本代表監督に就任。

個人タイトル

  • 2003 Jリーグ 監督特別賞

愛称

「爺」「翁」「じいちゃん」「パパオシム」「ツンデレ爺さん」

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