マンシュタイン

マンシュタイン

(一般)
まんしゅたいん

エリッヒ・フォン・レヴィンスキー=フォン・マンシュタイン.
Erich von Rewinski Genannt von Manstein (1887年-1973年)
ドイツ軍人。おそらく、20世紀最高の戦略能力の持ち主。
第二次世界大戦においては「マンシュタイン・プラン」を立案、遂行し、フランスを短期間のうちに征服した。東部戦線セヴァストポリ要塞攻略、ハリコフ戦等で活躍したが、ヒトラーとたびたび衝突、解任された。突撃砲の原案者*1でもある。

経歴

  • 1887年11月:ベルリン生まれ,西プロイセンの貴族出身.

その後,陸軍大学校入学(同期にはハインツ・グーデリアン

  • 1923年10月:国防相軍務局統帥部勤務
  • 1936年10月:陸軍少将.
  • 1938年:第18歩兵師団長
  • 1939年9月:ポーランド戦。南方軍集団(司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット上級大将)の参謀長を務める。
  • 1940年:南方軍集団はフランス戦に備えて移動、A軍集団と改称される。マンシュタインは引き続き参謀長として、いわゆる「マンシュタイン・プラン」を立案。これがヒトラーの目にとまり、当初長期戦も予想されたフランス戦は、わずか2ヶ月あまりでドイツが勝利することになる。
  • 1942年11月:包囲下のスターリングラード救援のため、新設のドン軍集団司令官に就任
  • 1943年1月:スターリングラードで包囲された第6軍(司令官フリートリヒ・パウルス元帥)の救出に向かうがさまざまな理由*2により失敗。第6軍は降伏、1個軍が消滅するという開戦以来最大の敗北に。
  • 1943年1月13日〜3月15日:第3次ハリコフ戦。いわゆる「バックハンドブロウ(後手からの一撃)」で知られる。スターリングラードの戦勝に勢いづく赤軍の大攻勢「星作戦」を、マンシュタインは芸術的な機動防御と反撃作戦で迎え撃ち、東部戦線最後のドイツの勝利を獲得。
1944年3月
南方方面軍司令官を罷免される
1949年
禁固18年となる
1953年
仮釈放される
1973年6月
没,85歳

語録

  • 「敵地における機甲部隊の安全は、移動することにある」
  • 「日々の生活と大いなる体験をともにした幾年かで、われわれは友となった。この友情の絆は、君に命中した敵弾によっても断ち切ることはできぬ。私の感謝と友情と全員の思いが、墓を越えて君を永遠の境へ送っていく。最愛の友よ、さらば!」(セヴァストポリ攻略戦後の葬儀において)
  • 「1個軍を失うぐらいなら、都市1つを失う方がマシだ」(ハリコフ放棄に際して)

  • 「作戦行動について最新の着想を持ち、技術面についての専門家で、絶大な突撃力をかね備えた、連合軍にとって最も恐るべき相手」リデル・ハート(歴史家)
  • 「熟慮断行、冷静な判断力を備えたドイツ軍最高の作戦頭脳を発揮した将軍」 ハインツ・グーデリアン(同期の軍人,参謀総長)

著作

*1:マンシュタインの歩兵随伴火力「装甲突撃砲兵」の具現化が突撃砲

*2:スターリングラード放棄をヒトラーが承認しかなかった、パウルスが脱出に応じなかった、など

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