出雲の神 大国主命と少名彦 出雲口伝によれば、出雲王国は二王制で、王家は東の向家(富家)と西の神門臣家(郷戸家)が交替で主王と副王に就任していたとのことです。主王の職名が「大名持」で副王の職名が「少名彦」でした。 神話では「大名持」が大己貴(おおなむち)「少名彦」が少彦名(すくなひこな)になっていて、これは記紀編纂時に国造によって変えられた結果とのことです。つまり大己貴(おおなむち)は主王のことであり、少彦名(すくなひこな)は副王の意味になるのです。職名のため該当するモデルは1人ではなく複数いるということになります。 『古事記』に少彦名は波の彼方から来訪し大国主の国造りを協力しておこなっていた…