だからして、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」は一つの人間主義的・理性主義的な空威張りであるということになる。 事実はその反対で、「私はある、それゆえに私は考える」なのだ。実存こそ思考に必然的に先行し、思考を可能ならしめる条件なのである。 ☯ジョージ・スタイナー「マルティン・ハイデガー」184頁 「私はある、それゆえに私は考える」 ―デカルト的主体論の終焉とハイデガーの存在論的転回― ジョージ・スタイナーは『マルティン・ハイデガー』の中で、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」(我思う、ゆえに我あり)をこう切り返す。 「私はある、それゆえに私は考える」 (存在が思考に先行する) この一節は、近代哲…