岡山県の宇野駅と香川県の高松駅を結んでいた鉄道連絡船。国鉄(1987年からはJR四国)が運営した。 1910年の開設から1988年の瀬戸大橋開通まで、本州と四国を結ぶ重要な役割を果たした。航路自体は瀬戸大橋開通後も高速艇による営業が継続されたが、それも1990年には休止、翌年正式に廃止となった。
宇野・高松間の航路では、民間会社3社によるフェリーが運行されている。
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 2月の末に更新して以来、ご無沙汰しております。 2月の初めに頸椎の手術を受け、その間、療養に専念しておりました。5月に入って主治医から「ふつうの生活に戻ってよい」とのお許しをいただき、体調もぼちぼちと戻ってまいりました。 手術と簡単に書きますが、想像以上に体力を奪われるものでした。以前にも、全身麻酔の手術を受けたことがありますが、このときは1時間ほどの簡単なものでした。その経験から、「今回も楽勝♪」などとたかをくくっていたのが間違いの元。今回の手術は4時間半のロングランになり、その分だけ体力も奪われてヘロヘロでした。 ブログの執筆も手…
宇高連絡船はかつて四国の高松駅と岡山県の宇野駅の間を国鉄が航行していた鉄道連絡船だった。私は高松で小学生時代を送ったが、当時はまだ瀬戸大橋は出来ていなかったので、故郷の神戸に帰省するときは必ずこの連絡船に乗った。そしてこの時にいつも食べたのが高松駅の駅弁「あなごめし」だった。この弁当は本当に美味しかった。この弁当を食べることは私にとって連絡船に乗る最大の楽しみだった記憶が今でもある。 私が最後に宇高連絡船に乗ったのは、父の転勤で高松から京都に引っ越した時だった。3月の転勤や卒業に伴う引越しのシーズン真っ最中の時期であったこともあり、宇高連絡船の乗り場は見送りの人たちで大変な賑わいだった。父の会…
さようなら宇高航路… 本州ー四国間を移動する手段として長らく運航されていた、岡山県の宇野港と香川県の高松港を結ぶ「宇高航路」。 瀬戸大橋が建設される前は青函連絡船や関門連絡船と並び、「鉄道連絡線」としての役割を担っていました。 車も鉄道も通ることができる瀬戸大橋が開業すると、民間のフェリーも含めて「宇高航路」は縮小傾向に転じます。 寝台特急「サンライズ瀬戸」も朝に瀬戸大橋を通過する。 しかし、コスト面でフェリーが瀬戸大橋に勝っていたり、瀬戸大橋が何らかの事情で通行規制となったときの代替輸送など、フェリーには一部の需要がありました。 結局、瀬戸大橋開業後約30年間宇高航路は存続していましたが、高…
何十年も前、JRでなく国鉄の時代、「周遊券」という大変すばらしい切符があった。ある一定地域までの往復の乗車券とそのエリア内を自由に周遊できる上に、自由に周遊できる区間内は急行や特急の自由席にも乗れるという優れものであった。当時は現在と違って夜行急行も多く走っており、貧乏旅行には最高のパートナーであった。「四国ワイド周遊券」は文字通り四国内を一風できる魅力ある周遊券であった。大阪を出発して鈍行を乗り継ぎ宇野まで行ってそこから宇高連絡船で四国入りした。今では大きな橋がどんどんできてフェリーはどんどんなくなってしまい船旅ファンには寂しい限りであろう。夜行列車をフルに使い四国一周したのであるがその時立…
高松駅周辺を地図で見ると駅から200mほどで海岸になり、高松港があります。半世紀前に宇高連絡船で四国に渡った時には、ここで下船しそのまま父が運転する車で四国をぐるりと旅行したはずですが、ほとんど記憶がありません。 Wikipediaの宇高連絡船を読むと1991年にはJR宇高連絡船は廃止されて四国フェリーになり、2019年にはその四国フェリーも運行を中止して「宇野・高松間の直行航路は109年の歴史に幕を下ろす」と書かれています。今もフェリーで渡れるものだと思い込んでいたので、もう一度乗っておけばよかったと残念です。 さらにその港のすぐそばに高松城跡があったことも、全く記憶にありません。 駅の目の…
4月上旬、品川駅を6時に出発するのぞみ1号に乗るために、まだ暗い中4時50分に家を出ました。気温は10度でしたが、不思議と寒いというよりはひんやりとするくらいです。 いよいよ徳島と香川を訪ねます。 この時間に乗る山手線も、ここ最近の遠出のたびに混雑度が増してきた印象です。 旅行客も増えましたが、5時半台でも通勤のためにぎっしりでした。通勤時間帯はほとんどの方がマスクをしているし喋ることもないのですが、最近は換気のために窓があいていることが少なくて空気が澱んでいる車両が増えました。窓あけで新鮮な空気に慣れてしまったので、最近は気分が悪くなりそうです。 換気は「新しい生活」で定着してくれると良かっ…
3月中旬の吉野川東西分水と東大寺二月堂、そして若狭のお水送りを訪ねる散歩から帰宅してすぐに、次の計画ができました。 というのも3月中旬であれだけ国内外の観光客が増えて、列車や食堂でも大きな声での会話が復活したので、じわりじわりと次の波がくる前にもう一箇所行っておこうと思いました。 「次の波」がどんな形での感染なのか全く予想もつかない怖さもありましたし、ようやくマスクや換気そして距離を保ちながらの旅のスタイルができたのにそうした対策がいきなり中止され、混雑する新幹線や特急に乗るのが不安になってきました。 新年度早々ならさすがに観光客が減るだろうと、4月初旬に次の計画を実行したのでした。 今年は奈…
今度は1000kmだけど 連休明けの平日、車で四国を旅した。今回の走行距離は3日間で1000kmを越えた。ただし、九州と四国の間は国道九四フェリーで往復したので、移動距離はもう少し長くなる。 今回は、無給油で燃料計も一目盛り残して走破できた。ハイブリッド車とは言え、これだけの航続距離は今の電気自動車BEVなどには無理である。それに、充電時間の短縮や充電設備の整備といった課題がある。欧米や中国などでエンジン車を販売禁止にするような動きがあるが、新興国などの需要もあり一気には広がらないように思う。 愛媛の松山には以前に道後温泉1泊で行ったことがあったので、他の3県を巡ることとした。熊本を6時前に出…
#今日は何の日 5/11 330コンスタンチノープルがローマ帝国の首都になる。以来1453年にオスマン帝国に征服されるまで帝国の首都に。 708銀銭「和同開珎」を鋳造。日本初の国産貨幣。8月に銅製の実用通貨を発行。(新暦6月3日) 1812イギリス首相スペンサー・パーシヴァルが暗殺される。イギリス史上唯一の暗殺された首相。 1858ミネソタ準州の東半分が州に昇格してアメリカ合衆国32番目の州・ミネソタ州となる。 1868明治新政府が、元・江戸町奉行支配地域を管轄する「江戸府」(後の東京府)を設置。 1891大津事件。滋賀県大津で、来日中のロシアのニコライ皇太子が沿道警備の津田三蔵巡査に斬りつけ…
一条真也です。山も怖いが、海も怖い。ブログ『死に山』で紹介したノンフィクションに続いて、日本人が書いたノンフィクションの名作『死の海』後藤宏行著(洋泉社)を紹介します。「『中河原海岸水難事故』の真相と漂白の亡霊たち」を読みました。著者は、1972年生まれ、岩手県出身。東洋大学文学部印度哲学科卒。現在は、現象学的ゴーストハンターとして調査執筆を行っているそうです。公益社団法人日本シェパード犬登録協会(JSV)本部審査員。 本書の帯 本書の帯には、「昭和30年7月28日――水泳の授業中に、女子中学生36名が死亡する事故が起きた。そして、生き残ったひとりの女子生徒は言った・・・・・・『防空頭巾をかぶ…
「まあみさんとレトロ遊び」by ボマーン まんがタウン 2023年5月号p169 双葉社 ただやはり子どもだけに、いみじくもこのコマのえーこちゃんが言う「バネや重力だけで」「ホンモノに負けないゲームが出来る」と思っちゃうんです。んでメチャはりきって「スゴイのを作るゾー」と取り掛かるのですが…。 頭の中のアイディアじゃぁ、それはそれは「立派でスゴイ」ヤツをイメージしてるんですけども、さてそれを現実世界に召喚させようとすると…とんでもなくムズカシイわけですよ。まあ当然と言えば当然なんですけどねー。 ホンモノのような「ほぼ垂直に立ち上がったゲーム台」が作りたくても、子どもの能力じゃとてもとても…。あ…
おっはよ~ございま~す。 さまよい旅のじじいで~す。 瀬戸大橋には怖い思いをさせられた。と書いてきたが、どういう訳か今回は怖い思いをしないで四国入りできた。たぶん橋上の風の強さが違ったんだろうと思う。昨日の風速は2mだった。一般道を走ってるのと何ら変わらなかった。ホッ 四国は、仕事も入れると過去4回訪れている。 最初は橋なんてなかった頃の時代(古!)、宇高連絡船で渡ったことは覚えているが初めての連絡船だったのにな~んも覚えておらん。 仕事だったので仕事仲間にお土産として「かまど」を買って帰ったがみんなから ”これひよこだね” と言われた事だけ覚えてる。 (ひよこ=東京のお土産品) 2回目も仕事…
妻と二人で香川県に行ってきました。まずは金刀比羅宮へ。長い階段を上ってやっとの思いで本宮に到着しました。私はここまででしたが妻は奥社まで行ったので、私は1時間ほど待つことになりました。帰りの下りの階段では足が痛くなりましたが、何とか歩いて琴電の琴平駅に着きました。 高松駅前のホテルに一泊し、翌日は栗林公園に行きました。この地は私が小学生時代を過ごした場所で、久しぶりに私が通った小学校も見てきました。私がこの地で暮らしたのは1970年3月までだったので、もう半世紀以上も前のことです。この地を去ったときは瀬戸大橋はまだ出来ておらず、宇高連絡船の乗り場に大勢の人たちが見送りに来てくれていたのを思い出…
はじめに 仮面ライダーBLACK RX 第33話「瀬戸大橋の大決戦」(脚本:宮下隼一、監督:蓑輪雅夫、アクション監督:金田治と村上潤 (C) 東映)を観て思ったことを書きましょう。これ、事前の予想とは若干違いましたが、まあ割り切ってみればそれなりに楽しかったのは確かです。澄川真琴さんもしっかり出ますけどね。あと当時の世相も思い出したので、それに少しは触れると思いますよ。 hirofumitouhei.hatenablog.com きくち英一 当初はこの人に注目していたんです。でもあっさりと冒頭(だったかな?)で死ぬんですね。田所政信(きくち英一)という役名で南光太郎に瀬戸大橋で何かが起きると遺…
www.youtube.com 注釈するのも野暮だが、ヤバイTシャツ屋さんよりの借用。 大阪市で生まれで堺市で育ち、大阪・京都府民→東京都民→兵庫県民と転々としながらも、本籍はいまだ岡山県玉野市宇野。父・祖父母・オバオジすべて鬼籍に入り、墓も移したにもかかわらず、なんか依然愛着がある。 子どもの頃は宇高連絡船の発着や造船業で賑わっていたエリアだが、今は動画にあるように書店やボウリング場が消えていく街。かつては路面電車も走っていた。いや、とことん敗者、敗者。承前 今日はスマホだけではなく、眼鏡まで壊れたので、その対応やらなんやら。あとは、町内のお仕事。 昨日、芥川賞作家(同窓)が図書館にご来館。…
今から4,50年前の1970年代後半から80年代前半(昭和50年代)。 JRに分割民営化される前の国鉄(日本国有鉄道)。 新幹線は東海道と山陽(東北は82年開業)のみで、昼夜を問わず特急/急行が全国を網羅していました。 そんな国鉄が発行していた「周遊券」を利用した旅ができたことはとても幸せなことでした。 1979年、冬休みを利用して17泊18日で訪れた山陰・鳥取、島根県の旅は・・・。 「山陰ワイド周遊券・20日間有効」は「エリア」までの往復を含め急行まで乗り放題・ 途中下車OK。 今はJR各社がエリア内乗り放題の切符を発売することもあるようですが、それは新幹線を含めた金額(3日間で2万円ちょっ…
今から4,50年前の1970年代後半から80年代前半(昭和50年代)。 JRに分割民営化される前の国鉄(日本国有鉄道)。 新幹線は東海道と山陽(東北は82年開業)のみで、昼夜を問わず特急急行が全国を網羅していました。 そんな国鉄が発行していた「周遊券」を利用した旅ができたことはとても幸せなことでした。 1979(昭和54)年、夏休みを利用して訪れた四国・4県の旅は20泊21日。 「四国ワイド周遊券・20日間有効」は「エリア」までの往復を含め急行まで乗り放題・ 途中下車OK。 今はJR各社がエリア内乗り放題の切符を発売することもあるようですが、それは新幹線を含めた金額です。 「往復乗車券よりも安…