宝永7年5月5日。熱田馬の頭は巳刻(午前9時)までに終わるようにとの申し渡しがある。紀伊中納言家が熱田に泊まられ、西御殿に入られる。ただし、供応は請けなかった。中納言の馬は羽織がなく、草鞋を着けていた。道中は大方歩かれると云々。供の騎馬は皆草鞋にす(素)足であった。小姓衆も同じであった。いずれも板泥障(あおり)で、武を第一とする様子に見え、御家人・歩行の者は羽織もなく、槍印もなく、羅紗(らしゃ)類の馬具もなかった。翌日熱田から直ちに松坂へ海を渡られた。申刻(午後3時)に着いたと云々。初めは長屋の船に、沖で千賀の船に移られ、松坂まで乗っていかれた。この度、新しく鋳た小判が当地に来る。長さは1寸(…