小説家、劇作家。
本名、内山廈。1934年11月16日、山形県川西町(旧小松町中小松)で生まれる。父の早世、母が持ち逃げに遭うなど苦しい生活の中、仙台のカトリック系孤児院に入る。1950年、受洗(洗礼名は「マリア=ヨゼフ」)。奨学金を得て上智大学文学部フランス語学科卒業。在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」で戯曲台本や進行などのアルバイトをする。大学卒業後、放送作家となり、山元護久ととともにNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」(1964〜1969年)の台本を担当し、またてんぷくトリオや劇団テアトル・エコーに台本を提供する。1972年小説「手鎖心中」で第67回直木賞を受賞。1984年に劇団「こまつ座」を結成し、座付作者になる。
ことば・文章、国語問題、宮澤賢治研究、農業問題などに造詣が深い。名文家、言葉遊びの達人として知られ、作風はユーモアとウィットに富む。しばしば締切に遅れるので「遅筆堂主人」を自称。膨大な蔵書の一部を故郷川西町に開設した「遅筆堂文庫」に寄贈している。元妻:好子氏(現・西舘代志子さん)に猛烈な家庭内暴力(DV)をふるったとされ、離婚に至った*1。
直木賞選考委員(1982〜2009)、日本劇作家協会会長(1993〜98)、日本ペンクラブ会長(2003〜07)、仙台市文学館館長(1998〜2007)、吉野作造記念館名誉館長、生活者大学校校長、川西町フレンドリープラザ付属演劇学校校長。
2010年4月9日、肺がんにより75歳で死去。
*1:『修羅の棲む家―作家は直木賞を受賞してからさらに酷く妻を殴りだした』はまの出版、1998