正徳6年3月9日。文左衛門は朝食をとり、文四と戻る。未半(午後2時)前に帰り着く。舟橋弥左からの手紙がある。水野勘太夫殿死去に付き、預かりの手代・足軽・案内の者どもは誰の支配となるのか久次郎殿から尋ねられるとのことである。心得ておくよう申し入れる。この日十郎左から伊兵を呼びに来て、左の書付を渡される。水野勘太夫に今まで預けられていた者、ならびに支配の輩は勘太夫の跡役が仰せつけられるまでは倅久次郎の支配とする。かつまた勘太夫の水野の屋敷はまずは久次郎の住まいとする。当地の屋敷を差し出すことは、この通り水野久次郎に申し聞かせるように。この書付を八平に持たせ、未半(午後2時)過ぎ水野へ遣わす。翌日昼…