支那の新演劇 上海 萬物博士 當支那内地に三四年前より支那舊劇以外新派なるもの生じ、其の主領は南淸の王某とて嘗て日本に在學中演劇改良を思立ち、それより日本劇の演法に習ひて、背景、其道具、小道具を用ひ、又は一種の鬘 かつら を用ひ、鳴物は洋樂、脚本は新作物にて諸所を巡演し、此のほど漢江 ハンカオ 及び南京に在 あ りしが、更に日本留學生の演劇團體申酉會 しんいうくわい 々員にして文科大學生たる陸枝軒及び其の弟の醫學生陸掬軒、其他の留學生が暑中休暇にて歸省せしかば、右の陸が萬事を指導し、此れまでの改良劇以上なる改良劇を上海にて演ずる事となりたり。 脚本は川上一派の演ぜし「ボンドマン」を選び、別に臺…