1911年-1976年。フランス文学者。哲学者。パリ大学教授。祖父に森有礼をもつ。 パスカル、デカルトなどフランス17世紀哲学の研究者として出発。1950年渡仏後、パリに定住。 その時期を中心に書かれた多くのエッセー群は、「思想的エッセー」として名高い。 著書は、『森有正エッセー集成』全5巻(ちくま学芸文庫)など。 リスト::学者
2025年5月のブログです * 朝日新聞社編『わが思索 わが風土』(1974・朝日新聞社)をすごく久しぶりに読む。 二階の隅っこの本の山から救出(?)した。 1974年、じーじが大学2年生の時の本。 朝日新聞に1年半にわたって連載されていた、とある。 この執筆陣がすごい。 加藤周一、渡辺一夫、小田実、神谷美恵子、花森安治、大岡昇平、森有正、宮本常一、などなど、キラ星のような豪華さ。 こんな連載をしていた朝日新聞はやはりすごい。 そして、大学2年でこんなすごい本を読んでいたじーじもすごい(?)。 今、それぞれのかたがたの文章を改めて読んでみると、みなさん、そのお考えにブレがないことに感動する。 …
清滝や波に散り込む青松葉 芭蕉 [#地から1字上げ](人もなし木陰の椅子の散松葉――正岡子規) 行政の仕事と市民運動とは一線を画す。 [#地から1字上げ](仲井真沖縄県知事・二十六歳年下) それならおじさまファンは、チャングムに何を求めたのか? [#地から1字上げ](小倉紀蔵、ハイブリッド化する日韓、NTT出版、2010年) 先生、投書が来ています。そんなことを言っても、実際に、日本のどこかに北のミサイルが落ちたらどうするのか。誰が責任を取るのか。 諸君、現実的に北朝鮮のミサイル攻撃を100%防衛することは不可能だと言われているが、国民がそれを望むのであれば、政府はそれをやらなければならない。…
テリトリー、外、内、辺境 辺境に身を置いた人たち 言葉は外と内から辺境へとやって来る 辺境としての自分 夢の言葉、言葉の夢 テリトリー、外、内、辺境 昔の話です。 「仏文学は澁澤龍彦、独文学は種村季弘(たねむらすえひろ)、英文学は由良君美(ゆらきみよし)」――そんなふうに、一部の人たちが口にしていた時期がありました。三人に共通するのは、博覧強記というところでしょうか。在野、アカデミックな場と、身を置く場所は違いましたが、それぞれが持ち味を生かしながら、いいお仕事をなさっていました。 澁澤龍彦 - Wikipedia 種村季弘 - Wikipedia 三人のなかでは、由良君美がいちばん一般的な知…
どこへ向かって死ぬか作者:片山 恭一日本放送出版協会Amazon 森有正。どうして、彼の名を知ったのだろう。当時、愛読していた辻邦生の作品からかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ、家族と職業を投げうって、故国 日本を捨てて、単身、パリで暮らし始めた男がいた、というのを知った。 当時、私は所沢で初めての一人暮らしをしていたが、睡眠薬が残った醒めきれない頭で、『バビロンの流れのほとりにて』を読んでいた。彼はリルケを愛読していた。ああ、私に似ているな、と一人納得した。唯一、分からなかったのが、その本のタイトルだが、今では『詩篇』137のオマージュであると分かる。 われらバビロンの河のほとり…
哲学者 森有正の情婦による回想記メモワール。 そう言ったら著者の栃折久美子に怒られそうだが、相方の森有正は否定しないだろう。「不倫は恋愛のもっとも純粋な形式である」と、彼はどこかの定義に書いていたはずである。 本書には辻邦生など、森が生前親しくしていた人々が等身大の姿で出てくる。辻の評論・回想記に『森有正:感覚のめざすもの』というものがあるが、こちらは小説家のペンを通して析出された哲学者の姿だが、栃折久美子の『森有正先生のこと』は装幀家が人生の黄昏にようやく綴った等身大の男の姿である。その不慣れな筆致からは、森の他人の厚意に頼らざるをえない生き方、ある種の常識外れ、金遣いの荒さなどが伝わってく…
内村鑑三 (講談社学術文庫 64)作者:森 有正講談社Amazon 『内村鑑三』の初版は1953年に刊行された。森有正がフランスに留学したのは1950年だが、本書の「解説」によると、それよりも前に書かれたものらしい。フランス留学が、現地に留まるために大学教授の職を辞して、生活を続けたことが、彼に自由な、個性的ユニークな思索を促し、『バビロンの流れのほとりにて』、『遥かなノートル・ダム』などの代表的な作品を記す契機になったことは間違いない。それ以前の著作は、『パスカル』、『ドストエーフスキー覚書』など、先達の思想家についての研究書が主であり、本書もその一つに数えられるが、通読すると分かるように、…
序列をこえた社会に向けて やまゆり園事件最首悟さんの手紙 最首氏の手紙42通を読んでみて、私が感じたことは、私たちの社会には「優正思想」※が根強く存在しているということ。 人を生産性のある人、ない人で見てしまうこと、生産性のない人は価値のない人、と思う傾向にあるということです。 根底には、「働かざる者、食うべからず」という考え方は近代社会の鉄則です。 ※優生思想 www.dinf.ne.jp が、しかし、人間は1人では生きていけないのです。 生まれたばかりの赤ちゃんは、母親のお乳(人工乳)がなければ死んでしまう。 親もまた、そういう赤ちゃんによって生きる喜びを感じることができる。 人はお互いに…