1899年〜1973年。小説家・評論家。神戸市生れ。 早稲田大学国文科卒業。第3次から第7次の長きにわたり、「早稲田文学」に関わった。在学中に「朝」の同人に加わる。以後、「文芸城」「新正統派」「世紀」など数多くの同人誌に参加。 創作・評論・文壇史等幅広く活躍し、梅崎春生や五木寛之らを文壇に引き出した。
『丹羽文雄作品集』全九巻〈八巻+別巻〉(角川書店、1957) 文学史にも芸術論にも、時局にも世相にも関心が失せた晩年には、丹羽文雄作品を読んで過すのがよろしいのではないかと、思っていた時期があった。生立ちや家族の宿命も、男女関係の底なし沼も、超克や救済への祈りも、揃っていた。 どうやらさような時期は到来しそうもない。心境至るより先に、眼が弱り脳が弱り、読み通せそうもない模様となってきた。 西鶴を中心とする江戸文学のご講義を授かった暉峻康隆教授は、学生時代は丹羽文雄と同級で、語らっては同人雑誌発行を企てる間柄だった。ご講義の脱線余談ではしばしば、「当時、丹羽君は~」と懐かしげにおっしゃった。「に…
日記はまだ日曜の午後でウロウロしている。古本屋巡りという点では、訪問先が減ってしまった高円寺を切上げて、荻窪へと移動する。 荻窪駅南口には老舗もしくは有力店と称んでいい有力三古書店さんが健在だ。同行の若者たちに、古本屋を散策した気分になってもらえる。 竹中書店さんは昔も今も、ひと言で申せば渋好み。時流におもねらぬ、大人相手の古書店さんである。 ワルツさんは以前この場所にあった有力店が撤退して、跡をそのまま引継いだように出店なさった。老舗というよりむしろ代表的振興勢力と称ぶべきかもしれない。文学をベースに映画・演劇、美術・写真ほか芸術全般、若いお客さまや尖ったお客さまがじっくり長居したくなる店で…
外村 繁(1902 - 61) 富士と河口湖を望む天下茶屋の二階展示室で、ふいに外村繁を思い出した。当店を訪れた文士たちのスナップ写真のなかに、井伏鱒二を取囲む面々といった一枚があって、外村繁らしい姿が半身だけ写っていたからである。 現今の読書界の流行は知らない。近代日本文学研究の学会動向はもっと知らない。想像するに、外村繁を愛読する人も、研究する人も、めったにあるまい。が、忘れてよろしい作家ではない。忘れたくない作家の一人である。 出版事情を検索してみると、『澪標(みおつくし)』『落日の光景』が併録された文庫本が、わずかに活きているようだ。後期の代表作で、病妻もの私小説である。再婚の妻が乳が…
早稲田系御大そろい踏み。丹羽文雄、浅見淵、尾崎一雄。 絢爛豪華な兄潤一郎と、地味な私小説作家の弟精二。谷崎兄弟は外見も作風も対照的だ。父方と母方、受継いだ血筋の違いか。それとも稀にあるという、兄弟なればこその反発的対照かと、それまでは考えられてきていた。 さにあらず、兄弟生育期の家庭内の空気の相違によると、視抜いて指摘したのは、浅見淵(あさみふかし)だった。潤一郎幼少期、家業は隆盛。日本橋蛎殻町の大通りに面した店には使用人も賑やかで、店前にはのべつ荷車が着いたり出ていったりしていた。 が、祖父他界を潮目に家産傾く。精二幼少期には裏路地へと引越して、使用人もろくにない、暗い小店となっていた。家内…