和歌の一体で、最も普通の歌体。五七五七七の五句三一音を原則とする。起原はよくわからず、諸説あるが、万葉時代には既に確立し、長歌・旋頭歌(せどうか)などのすたれた平安時代以降は、和歌といえば短歌をさすに至った。みじかうた。みそひともじ。
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目が覚めてさっきまでいた世界からさようならして今日も始まる ランキング参加中はてな文芸部ランキング参加中短歌倶楽部
過ぎし日のふるさとの写真眺めいる石城(せきじょう)の蓮あの夏景色 ・・・・・・ 探し物があり、クラウド保存の昔の写真をスクロールしつつ、懐かしさに手を止めながら眺めた。離島とはいえ小藩の城下町で育ち、石田城(せきじょうの愛称もある。本名は福江城)の本丸にある五島高校への通学は歩いてすぐだった。もはや父母先祖の法要のために「行く」ところとなり、死んだ後に骨になって菩提寺の脇にある墓へ「帰る」五島列島福江島は、曹操の詩を借りて思いを述べれば「故郷いずくんぞ忘るべからず(故郷安可忘)」の地である。お盆が近づくと、その思いが強くなる。 (写真は石田城内堀・2014年)
午前二時眠れぬ夜に君想う闇の中でも君は鮮やか 初句「午前二時」 ランキング参加中はてな文芸部ランキング参加中短歌倶楽部
ミサイルの飛ぶをあさみて嘆くらむ静かに晴れよ星合(ほしあい)の空 ・・・・・・・ 古語三語。◆あさむ~あきれる・驚く◆らむ◆星合~七夕 地球の人間を宇宙から見ている知的生物がいたら、さぞや滑稽に思うのだろうか。仲良く豊かに楽しく生きることを「選択」できるのに、と。
七夕の夜に降りしく洒涙雨(さいるいう)見えぬ二星が別れを惜しみ ランキング参加中はてな文芸部 ランキング参加中言葉を紡ぐ人たち
p71 昭和二十四年 五味保義先生歓迎会 一首 136若葉風窓に涼しくねもごろに五味先生の歌評つづけり 五味保義はアララギ派の歌人である。全生園の短歌会である武蔵野短歌会の指導者で、本歌集も五味の選歌による。武蔵野短歌会の歌としては、歌集『木がくれの実』が1953年に岩波新書として出ている。 『棕櫚の花咲く窓』あとがきによれば、歌人の短歌研鑽歴は以下のようである。 一九三二年 失明。点字を習い、病院の白樺短歌会に加入。同会 の秩父明水(アララギ派)から指導を受ける。 一九三六年 アララギ入会。土屋文明の指導を受ける。土屋文明 は当時群馬県在住で、楽泉園の歌人たちを指導していた。 一九四一年 国…
昭和二十三年 四谷たけ婦長退職 一首 131誰からも誰からも慕はれながら桜咲く園を君去り給ふ 桜の季節、退職する婦長に捧げた一首。「慕はれながら」は句またがりになっている。 全生園の桜は今に有名であるが、筆者が通っていた頃では、巨大な桜の古木もありつつ、一方では若木の植樹も進んでいた。 「いつか、私たちがみんないなくなったときに、ここを大きな森にして、社会にお返ししたい。そうやって社会に恩返しをしたい。それで、いま桜を植えているのだよ」 ということであった。 あの桜には、名もなき立場にされ、ここに隔離された人々の、そういう美しい心がこもっている。安易に宅地化されて、みな切られてしまうようなこと…
123戦の日にも日本に留まりてやつれしも君無事なるうれし ミス・ネトルトンとの再会に際しての二首目。 p65 ○ 124涼しくなりし夕日に茶をつむと茶畑に人の呼ぶ声きこゆ 夏の終わり、夕日を浴びつつ園内茶畑で茶を摘んでいる人がいる。涼しくなった夕暮れに作業をしているのである。そのうちの誰かが、通りかかった主体に呼びかけているのだろう。 125安らかに過ぎしひと日の夕食には一皿のトマトに心足らへる 平和を愛する歌人にとっては、一日が安らかに過ぎることがもっとも心に満足を覚えることであった。そういう一日の夕食にトマトが出され、そのみずみずしさがしみわたる。 「知足」の境地を詠んだものといえよう。 …
ちょっとずつ夢は削れてすり減ってああいつの間にこんな小さく 初句「ちょっとずつ」 ランキング参加中はてな文芸部ランキング参加中短歌倶楽部
「この味がいいねと君が言ったから 7月6日はサラダ記念日」 歌集のタイトルにもなった有名な短歌ですね。 俵万智さんのエッセイによると、7月7日は七夕なので、そのような「特別な日」の「前日の高揚感」といった気持ちを表現したかったようです。 お正月やクリスマス、運動会や遠足、デートや旅行などのイベントの前日はなんだかソワソワしますね。 ちなみに、「サラダ記念日」や「ノルウェーの森」が出版になった頃、ニュース番組の中でランキングコーナーがあって、そこで毎週トップになっていたのを思い出します。 (注)このランキングコーナーは人気があり、1989年から「はなきんデータランド」という単独番組になりました。…