父の聞き取りに基づく記事の前回は、1945年8月に、父がKorea半島南部の慶尚北道で終戦を迎えた時の様子を書いた。 内地に引き揚げる日本人の同僚家族を見送り、自分は現地にそのまま残って、それまで日本の統治機構から弾圧を受けていた、ハングルの学者達が開催する講習会に参加したりして過ごしていたことまで書いた。 やがて、職場にとどまっていた現地の公務員たち一人一人に面接が始まった。どういう立場の人が面接を実施したのかまでは聞いていない。 この面接では、本人の弁によれば、よそで生きていけそうな人から解雇されたと。父もその一人になった。父の故郷は比較的近いけれど、別のところにあったことも影響したと思う…