平安時代中期の歌人。三十六歌仙の一人。土御門中納言と号する。
延喜十(910)年生、康保三(966)年没。
藤原冬嗣の玄孫、右大臣藤原定方の子。母は中納言藤原山蔭女。
従三位中納言に至り、醍醐天皇・朱雀天皇・村上天皇の信任も厚かった。
村上天皇の即位を祝う大嘗会の歌合では悠紀方の歌人となり、天徳内裏歌合でも活躍。笛・笙の名手でもあった。
勅撰和歌集には『後撰和歌集』以後二十二首が入集。家集は『朝忠集』。
逢ふ事のたえてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし
百人一首 44/拾遺和歌集 巻十一 恋一 678