漫画家、イラストレーター。 1921(大正10)年東京に生まれる。10代より新聞・雑誌などに作品を発表し始める。1955年「行ってしまった子」で第一回文藝春秋漫画賞受賞。既成の“漫画”とは作風の異なる谷内作品の受賞が、後の漫画界に大きな影響を与えることになる。1956年『週刊新潮』創刊時より表紙絵を担当。抒情と郷愁に満ちた作品が多くの読者を魅了した。1981年逝去。
朝晩冷えますね。こちらの表紙絵を見ていたら、震災被災地の岩手県大槌町にある「風の電話」を思い出しました。 「北風とぬりえ」(マドラ出版 2001年4月 第1刷) 著者 谷内六郎 本書の構成と内容は… 1.「六郎画集から」 谷内六郎の画集より選ばれた15の絵画。1945年~1974年に描かれた作品。 2.「虫郎物語」 自身の少年時代をオムニバス形式で描いた24作品。 1959~60年に「朗」に連載されたもので、2コマの漫画と対になった短い文章で構成されている。 掲載時はモノクロだった絵に、著者がのちに色を加えた。 3.「北風とぬりえ」 〈第1部〉8作品〈第2部〉11作品〈第3部〉10作品からなる…
(谷内六郎 壁画『芽の出る音』設置50年記念展) ★谷内六郎 壁画『芽の出る音』設置50年記念展 苫小牧市美術博物館、2022年9月17日(土)-11月6日(日) (WEBサイト→) www.city.tomakomai.hokkaido.jp 苫小牧市には、子どもたちの明るい未来を願って制作された、画家・谷内六郎(1921年-1981年)の壁画『芽の出る音』があります。縦5m、横14mのモザイクタイルの大きな壁画は、泰然とした樽前山を背景に、木々が奏でる風や、打ち寄せる波が、春の訪れの音色となって聞こえてくるような作品です。作品は私たちの生活の一部として愛され続け、散歩途中の園児たちが、壁画…
(谷内六郎 壁画『芽の出る音』設置50年記念展) ★(当館学芸員)「スライドトーク 壁画『芽の出る音』への招待」 苫小牧市美術博物館、2022年10月29日(土)11:00 (WEBサイト→) www.city.tomakomai.hokkaido.jp 苫小牧市には、子どもたちの明るい未来を願って制作された、画家・谷内六郎(1921年-1981年)の壁画『芽の出る音』があります。縦5m、横14mのモザイクタイルの大きな壁画は、泰然とした樽前山を背景に、木々が奏でる風や、打ち寄せる波が、春の訪れの音色となって聞こえてくるような作品です。作品は私たちの生活の一部として愛され続け、散歩途中の園児た…
「週刊新潮」の表紙絵を見て、ずっと、なぜこの絵を選んでいるのだろう?なんとなく田舎くさくて地味で、ハッキリ言ってダサい、そう思って、新潮の表紙はあまり好きではなかったのです。 ところが、先日、何気にテレビの番組表を見ていて、「谷内六郎」という名前に目が留まりました。 あれ?この人誰だっけ?どんな絵を描く人だっけ? 私が言うと、夫T氏が、見たらすぐにわかるよ、というのでちょっとだけ覗いてみることにしました。 NHKの日曜美術館です。 T氏が言うように、すぐにわかりました。 「週刊新潮」創刊時から25年に渡って表紙絵を描き続けた画家。 谷内六郎さん。 「日本人の忘れかけていた風景」を描くと言われて…
「ロルボン大事件は終わった」とロカンタンは言う。 君は没頭していた対象に幻滅したのか、またしても。「一大恋愛が終わるように」──大恋愛 une grande passion、サルトルが好んで引いたという『失われた時を求めて』の「スワンの恋」のようにか。何と大げさな、が、いかにも若者らしい言挙げである。 《ロルボン氏は私の協力者だった。彼は在るために私を必要としたし、私は自分が在ることを感じないために彼を必要としていた。私は原料を提供していた。私がありあまるほど持っている原料、自分では使い道の分からない原料、つまり存在、私の存在を提供していたのだ。一方、彼の役割は演じることだった。彼は正面から私…
2月17日金曜日 晴れ。暖かい。納豆ご飯。食堂アルバイトへ。暇。終えて、S家へ。『チ。』最後まで読む。面白い。託す希望の描き方。夕方、往来座へ。Sと池袋から山手線で上野へ。アメ横入り口の立ち食いそば屋で夕飯。とろろそば。Sはイカ天そばを頼むもイカ天が売り切れで海老天そばに。おねえさんがイカ天が売り切れたのは自分のせいだからって海老天を少し多めに入れてくれたの、とS。上野公園から不忍池の辯天堂を抜ける。辯天堂にかけられた提灯に、四谷シモン、金子國義、高橋睦郎、デューク更家、の名前が並んでいる。池沿いの道もあるが、池のなかを通れる橋状の通路もあり愉快。歩くと揺れる。コンビニで缶ビールを買い、古書ほ…
港区北青山の青山通りから北に入った奥まった一角に典型的な昭和の団地の廃墟が解体の日を待っている。 都営青山北町アパート。 1957年から68年にかけて建てられた4~5階建ての賃貸の集合住宅が25棟。各戸の面積は32~52平米、間取りは2DK~3DKだったという。 2006年頃から住民の退去が進められ、今はもう住む人もいない。一部はすでに東京都により再開発され、20階建ての高層アパート(北青山三丁目アパート)が完成している。 残った建物も柵で囲われ、解体を待つばかりとなっている。 青山にこんな団地があったとは今まで全く知らなかった。 こういう風景を記録しておくのも、いくらかは意味があるだろうと思…
週刊朝日が今年6月をもって休刊するというニュース、思うところがあります。20年位前から買わなくなったけれどそれまではずっと読者だった。 hosyusokuhou.jp 毎週火曜日発売の週刊朝日に木曜日発売の週刊文春と新潮。右と左それぞれのカラーを比較して世の中を眺める一つの指標だった。 しかし左傾斜が強くなりすぎて朝日を買わなくなり、そのうち文春も急速に左旋回、パソコンがXPからVISTAになったあたりから週刊誌は購読しなくなった。 文春を購読し始めたのは「疑惑の銃弾」頃からで、新潮の谷内六郎の表紙、文春の和田誠の表紙、あの頃は週刊誌に勢いがあった。 その頃も週刊朝日と併せ3誌は必ず買ってたけ…
さて、毎年恒例の年間で行った美術展ベスト10! 1位「ピカソ 青の時代をこえて」ポーラ美術館 青の時代。 きっとピカソが最も現実を受けとめていた時代。 今まで色々ピカソ展へ行ったが、ここが一番心に残っています。 なんか、今からでもじわじわっとくる感じがあるんですよね…。 なんか不思議な感覚です。 色々すべてを総合しての堂々1位です! 2位「生誕100年 山下清展」神戸ファッション美術館 一言…「感動!!!」でした。 画家…いや、芸術家としての山下清に出会えました。 貼り絵の緻密さや温かさはもちろんですが、僕は数少ない油絵や陶芸品に心を揺さぶられました。 彼の「言葉」にもやられました。 ゴッホ、…
間違っていたらごめんなさい。 メタセコイアの褐色の落ち葉が煌めく朝日を受けて、そこだけ赤い絨毯が敷かれたように見えたので、思わず写真に収めてしまいました。 美しい光景でした。 メタセコイアの和名は曙杉。英語でも夜明けを表すdawn redwoodというそうです。 赤茶色の葉っぱの朝の輝きを美しいと感じたのは、西洋の人も東洋の人も同じだったのですね。 この空間だけ、いい香りに満ちた場所でした。 今日は木曜日。昔は、「週刊新潮は明日発売です」とテレビコマーシャルが流れて、谷内六郎さんの郷愁に満ちた表紙に誘われたりしたものです。 今は、紙媒体が衰退の一途ですから、新聞広告でギリギリの採算というところ…
桶川の「Honプラス+」って、「丸善」が入ってるんですね。 洋書を扱う、良質な本屋さんです。 さすがに本は、読む暇がないんですが、この品に惹かれて! 谷内六郎の、ミニカレンダー! 長らく、「週刊新潮」の表紙絵を描いた人です。 子供たちが感じたり、想像したりしたことを、そのまま絵にしたような作品で、温かみがあって、好きです。 亡くなってから、もう40年ぐらいになるのかな? 活躍した、40~60年前頃は、日本は貧しかったけど、明るい希望に満ちていた時代。 当時の風俗を知れるのも、楽しいです。 さて、どうせなら桶川銘菓で、問題をと思い。 「おき川」 今の地名は桶川ですが、広い田んぼを「沖」に見立てて…
お出かけ。 こちらです。 「honプラス+」 桶川市です。 ここで、シャロSさんの研究室が、展示会をするというので、行ってきました。 マレーシアの教科書についてですね。 マレーシアは、約6割がマレー人。 イスラム教徒です。 それに、約3割の中国系の人が加わり、印度系の人もいる、多民族国家です。 三者の文化・宗教は全く違い、マレー人はイスラムの教えを守り、1日5回の礼拝を欠かしません。 国としても、イスラム教が国教ですね。 ただ、他の宗教を信仰することを、排除はしていないそうで、その辺が上手く共存出来ている理由なのかも知れません。 中国系は、儒教だったり、仏教だったり。 インド系だと、ヒンドゥー…
わたしが訪れた11月11日からの5日間、ここ横須賀と三浦海岸では、3年ぶりのウィンドサーフィンワールドカップが開かれていた。 主催は横須賀市、三浦海岸、ANA 30ケ国の旗が立つテント これはめったに見られないからと、さっそく出かけて行きました♪ 突然のゲストであるこの方とw 12、13日愛知から三重県への移動前のオフで、予定もないからと、前日の11日夜行でやって来ました。 従姉妹一家も大歓迎。 着くなり、従姉妹旦那のパソコン修理をチャチャとやってのけて、ここでも喜ばれておりました。 ウィンドサーフィンの大会つっても、何が何やら、どんなふうに競い合うのかわからず、ただ世界的なお祭りに参加しただ…
またもや駆け込みで行ってきました。 『猪熊源一郎展』 本当は会期終了前にブログでご紹介したかったのだけど・・・すみません。 約100点の作品の展示で見応えあり。 初期の自画像や婦人像などの絵画からパリ時代、帰国した戦中戦後、ニューヨーク時代、ハワイ時代と作風の変化を時代順に観られる。具象から抽象へ変わっていくし、色彩もハワイ時代は鮮やかに。 ハワイ時代の『角と丸』『地図の中の日曜日』が良かった。 絵描きには、定年がない。死ぬまで未知のものに向かって走り続ける。 展示作品の多くは丸亀市の猪熊源一郎美術館所蔵のもの。 わたしもそちらを訪れたことがありますが、観ていない作品(記憶にない作品)が多かっ…
横須賀美術館へ行った日は、 そのすぐ近くの観音崎公園駐車場へ車を停めて 先ずは観音崎公園を散策しました。 観音崎といえば、観音崎灯台でしょう♪ 日本最初の洋式灯台で、初代は明治元年に竣工されて、 現在の灯台は三代目で大正14年にコンクリート造で再建されたものです。 その眼前の浦賀水道は3.5kmの狭水道で船舶の輻輳がはっきりとわかります。 浦賀水道 大渋滞! 観音崎園地と呼ばれるエリアの磯に下りて散策します。 日陰の風がぬける場所で持参のお弁当でランチタイム♪ 行き交う、船、飛行機、トンビを眺めてまったり。 こういう時間をオットと過ごせて幸せだな~とニンマリ。 遠くに見える平たくて細長い島はか…